②
「やっぱり・・・、他の神様に頼ろうとしたのはちょっと良くなかったんじゃないでしょうか・・・?」
悔い改めます、とでも続きそうな茫洋として、頼りなげなそれは、宇江樹が零した呟きだった。零した宇江樹自身、零すつもりがなかったのか、何故か妙に驚いた表情で目を見開いてしまったが、その呟きを拾った芦と井雲の二人もまた、視線をお堂から宇江樹に移し、驚いたように目を見開く。
沈黙が、数秒。いちいち沈黙を挟まないと話を進められないのかという突っ込みを誰からも受けないまま生まれたその沈黙の後、困惑した色をいまだ強く滲ませたまま、しかし今度は多少、自分で自分の言葉を意識的に話しているという意識を持った宇江樹の声が再び聞こえてきた。
酷く謙虚な、ともすれば宇江樹お得意の、謝罪攻撃でもしそうなほど躊躇いがちな声ではあったのだが。
「その・・・、最初の、神社も稲荷というお話ですし・・・、稲荷って、狐、ですよね・・・?」
「・・・まぁ、そうかなぁ」
「みーさん、蛇ですし・・・、その時回った神社とかお寺って、蛇の神様奉っている場所、なかったんですよね?」
「・・・ない、かな」
「じゃあ、やっぱり蛇の神様がいらっしゃる所に伺うべきだったんじゃないかなって思うんですけど・・・」
躊躇いがちな宇江樹の問いかけに、芦は当時の様子を思い出すように僅かに視線を漂わせながら答える。最初の、この辺りでは一番大きそうだという判断の下、向かった最初の神社は確かに稲荷神社で、稲荷と言えば狐、少なくとも蛇ではないだろう場所だったし、その後、ネットで検索しながら色々回った中にも、蛇を神様として奉っている場所はなかった。
しかしどれだけ回ってもどこにも他の神様がいるような反応がなかったし、最後にはとんでもない遭遇を果たしてしまった所為で、神様がどこにもいない、という点ばかり騒いでしまっていたが、宇江樹のその意見は、思い返してみるに当初、芦と井雲の間でも出ていたものだったのだ。
神様にも種類があるかもしれない、と。
「・・・俺らも、言ってたよな? それ。神様にも種類があるかもって」
「・・・うん、確か、稲荷神社行く前に話してた」
「えっ? そうなんですか? でも、稲荷って・・・」
思い出した、そう遠くない記憶を思い起こして、井雲が独り言のような確認を芦に向ける。
すると同じように過去の記憶を呼び起こしていた芦が、一拍おいてから、深く、深く頷きつつ、井雲のその台詞に同意したのだ。それこそまるで、怖ろしく重要な事件を認めるかのような、重みのある仕草で。
しかしどれほど重みを装うとも、実際にはそれほど重みのある発言をしてるわけではない。何より、言われている内容そのものにはっきりとした驚きを覚えている宇江樹にしてみれば、そんな分かりきった装いに反応している余裕はなかったのだ。
なんせ、問題点だと思っていた点を問題だと承知の上で、その問題を解決することなく行動に移した、という二人の問題的な行動を知らされたのだから、それどころではなかったのだろう。
勿論、宇江樹は生まれ持った善良な性質を、やっぱり生まれ持ってしまった善良な性格でコーティングしているかのような人間の為、明らかに自分達の問題点から問題色を払拭してしまおうという気配が垂れ流されてる芦達二人を目の前にしても、責めたりはしないし、そんな気配を生み出したりすらしない。
真剣に、真面目に、心の底から『何故?』と思っているだけだし、その気持ちが滲んでしまっているだけだ。
ただ、そんな宇江樹の善良さが胸に深く突き刺さる程度には善良な残りの二人は、宇江樹のその様子に、真剣に、真面目に、心の底から後悔した。どうしてこの限りなく善良で、可笑しな道を全力疾走している父親のことまで背負うような人間を、こんなに困らせてしまったのか、と。
それに・・・、どうして、誤魔化すような口調で話さずに、素直に言えなかったのか、と。
「いやっ、話は出てたんだけどさ、出てたんだけど・・・、アレってあの時は、結局、種類があったとしても、子供の神様が困っているんだから、大人の神様なら、他の神様でも助けてくれるんじゃね? みたいな感じでざっくり話が纏まったんだったよな?」
「そう・・・、だったと思う。・・・うん、そうだった。だって、こんな小さなみーさんが困っているんだからさ、大人なら多少、種類が違っても、手を差し伸べてくれるだろうって思ったんだよ。こんなに小さな、小さな、可愛いみーさんが困ってるんだぞ? そりゃ、普通の神様だったら助けてくれるだろ、種類違っても」
「えっとぉ・・・、僕、普通の神様の感性が分からないのでアレなのですが・・・」
「・・・まぁ、俺らも分からんけど・・・」
「あ、でもっ、お気持ちは分かります! えぇっ、僕だったら絶対に、何があっても力になりたいって思いますもん!」
「・・・すんません」
「・・・なんか、とにかくどうにかなってくれ、みたいな願望が先走りました」
「いえっ! あのっ、大丈夫です! なんか、事情は分かりましたから!」
・・・反省は、ある意味何も活かせなかった。
焦りと気まずさと申し訳なさが、口調や話を更に言い訳臭くしてしまい、芦に至っては口にした芦自身、全く分かっていない『普通の神様』なんて単語を口走る始末。
宇江樹の控えめな躊躇いに、芦が視線を彷徨わせてか細く呟けば、宇江樹はその、最早武器にすらなる善良さで、必死のフォローという、芦達を打ち砕く攻撃を繰り出してくる。
井雲は、今の今まで掻いていた胡座を改め、正座をしてその膝頭に両手を置き、首を前方に折り曲げて、深い悔いの滲む謝罪をした。一方の芦は、だらしなく両足を投げ出した姿勢を正座に改めたところまでは井雲と同じだが、両手は膝ではなく胸の前辺りで組み合わせ、顔は井雲と同じように前方に折り曲げるという、お祈りポーズをとって、まるで告解でもする罪人のような口調で当時の素直な心情を告白した。
ちなみに、そんな二人に両手を突き出して左右に激しく振りながら何とか二人を励まし続ける宇江樹は、最初からずっと正座だったりする。別に、何か反省することがあるわけでもないのだろうに。
そうして暫し、ある意味いつも通りの騒ぎを一通り行った後、三人とも正座のままではあるが、とにかく謝罪と懺悔だけは落ち着いて、話はあるべき場所に戻っていく。つまりは、問題へと戻っていったわけなのだが。
また他の二人を追いつめはしないかと心配そうな色を滲ませた宇江樹が、それでもおずおずと切り出したのが、話が戻る切っ掛けになった。本当に、立ち歩きを始めたばかりの赤ん坊より覚束ない声で。
「そのっ、お、気持ちは・・・、えぇ、尤もというか、分かったんですけど・・・、でも、やっぱり、その・・・、蛇の、神様を・・・、って思うような・・・」
「・・・ですよね」
「・・・だよな」
覚束ないその声で切り出されたそれに、一拍の間を置いて、芦と井雲は同意した。二人の心情としては、むしろ何故、あの時、浅慮な願望に押し流され、抱いた疑問を深く追求することなく放り投げて簡単そうな行動に飛びついてしまったのかと、今更ながら深く悔いている状態だったので、同意どころかもう一度深く懺悔したいぐらいだったりする。
正座が全く解かれない様からも、その心境は滲み出ている状態ではあるのだが、とりあえず会話は出来る状態を維持した芦と井雲も交えて、三人の沈黙は再び落ちる。但し、今回は何も言えないから黙るというものはなく、上げられた課題に対して、どう向き合えばいいのかを考えるという、多少前向きな沈黙ではあった。
蛇の神様を探して、会いに行き、みーさんの事を頼む、あの危険人物達が新たな行動に移る前に・・・、というのが、考えるべき課題なのだろう。だから三人は沈黙を保ったまま、その課題に対する向き合い方をそれぞれ、考え込む。
「みぃー!」
落ちた沈黙の合間には、みーさんの楽しげな声と、決して褒められない内容を垂れ流しているテレビの音声が聞こえてきている。ワールドワイドな醜聞は、意識しなくても耳に入り込んできて、どうして芸能人というのはどの世界を見渡しても醜聞が絶えないのだろうかと、そんなことを頭の片隅で思おうものなら、頭痛がして問題から意識が離れてしまいそうになる。
しかし、そんな小さな子供にも神様にも見せるべきではない醜聞からみーさんを引き離す為にも、目の前にある問題にどうにか取り組まなくてはいけないのだ。それが分かる、分かっている三人は、意識が逸れそうになるのを必死で堪えながら、考え続ける。ひたすらに、ただ、ひたすらに。
・・・別に、そこまで考え込まなくても、取り組む方法なんて最初から大して種類がないのだから、諦めて何か一つに絞ればいいだけなのだが。
「まぁ・・・、ネットで検索でもして、会いに行くしかないよな」
「・・・だよね」
「そうですね」
最初から大してないどころか、この三人では一種類しかなさそうなそれを、最初に口にしたのは井雲だった。おそらく、もうこれ以上、宇江樹に負担は掛けられないという使命感と、どうしてもみーさんの様子に意識が向かってしまっている芦が切り出すのを待っていたらキリがないと判じて、自分がそれを口にしたのだろう。
誰かが口に出せば、もうそれ以外に選択肢なんてどこにもなさそうだったそれに、ようやく三人で向き合うことが出来る。やはり、尤も高いハードルは、その問題に取り組む最初の一人の存在なのだ。一人が取り組めば、残りのメンバーも後を追えるのだから。
そして今回、後を追う形になった宇江樹が、酷く真面目そうな表情で眉間に皺を寄せ、躊躇いがちにその口を開く。首が、微かに右側に傾いているのが、その戸惑いを如実に表していた。
「あの、ネットで蛇の神様を探す、という案には大賛成なのですが・・・、というか、それ以外に術はないとも思うのですが・・・、あの、どういう蛇神様、探せばいいんでしょうか?」
「どういうって、何が?」
「いえ、たぶんなんですけど、蛇の神様も種類とか、ありますよね?」
「あー・・・、そういえば、あるかも。ってか、何となくイメージ的に、蛇の神様って、白い蛇って気がしないでもないような・・・」
「え? でも、どっかにはいるよね? 黒い蛇。だってみーさん、黒だし」
「そりゃ、どっかにはいるだろうけど・・・、なんか、さぁ・・・」
「・・・そうですね、なんか、ですよね・・・」
「なんかって、なに?」
遠慮がちに開かれた宇江樹の問いに、最初は意味が分からなかった芦と井雲のうち、重ねられたそれに井雲の方はすぐに意味を飲み込んだ。そして飲み込んだ上で、自然と流れた視線でテレビに釘付けのみーさんを見たかと思うと、語尾が消えがちな呟きを零す。
その呟きに、怪訝そうな反応をしたのは芦で、逆に、井雲のその呟きに含まれる意味合いをはっきり感じ取ったのは宇江樹だった。当然のように流れた視線で井雲と同じようにみーさんを見つめた宇江樹は、どうしてもそこから先は口にしたくありません、とでも言いたげに口を閉ざす。
目には、妙に狂おしげな色を浮かべて。
ただ一人、他の二人の奥歯どころか前歯にも何かが挟まりまくっているかのような様子の意味が分かっていない芦は、それでもとりあえず二人に追いつかんが為、視線をみーさんへと向ける。
相変わらず可愛らしい大きな紫の目を好奇心にきらきらと光らせて、にこにこと笑みを浮かべてご機嫌な、みーさん。全身を、うっすらとではあるが黒い鱗で覆っている、みーさん。蛇の神様の、みーさん。
黒い艶やかな鱗の、黒蛇の、神様。
・・・芦は、改めて認識したみーさんの姿に、何を考えるより先に、視線を他の二人へ向けていた。半ば、無意識の行動だったのだが、しかしいつの間にか芦の様子をじっと見守っていたらしい他の二人の視線と芦自身の視線が絡んだ途端、一人だけ出来ていなかった理解がようやくその身に訪れたのだ。どうして他の二人が、酷く言い辛そうに何かを口籠もっていたのかを。
そして、芦が抱いた印象が、芦だけのものではなく、一般的な・・・、少なくとも、芦ぐらいの年代の男、つまり可もなく不可もないごく普通の常識や知識しかない人間には、一般的な印象である確信を抱いた。
おそらく、他の二人もまた、同じ確信を抱いて微かな安堵を感じる中、しかしもしその印象が正しいのならば、困った事態になるのだということにも気づいてしまい・・・、三人は自然、一時停止した。もう今日だけで何度したのか分からない、一向に前に進む気配のない一時停止を。
黒い色の神様──、って、悪い神様って印象があるんですけど?
漠然とした、印象。でも、三人共通の、つまりは一般的な印象が、三人を躊躇させた。神様に種類があるとしたら、良い神様、悪い神様という分け方もきっとあって、黒を纏う神様は、どうしても悪い方の印象がある気がしていたのだ。
みーさんが悪い神様の可能性なんて、絶対にないのに。少なくとも、三人にとっては有り得ないのに。
三人とも、目だけで数秒、言葉にならない会話をした。ただ、言葉にならないものなので、具体的な話には一切ならなかったが。ただ、明快に分かっていることがあるとするならば、どうしよう、の一言だけだったのが。それぐらい、どうしようもない状況だった。
白蛇と黒蛇、もしそんな色違いの神様がいるのなら、間違いなく白は良い神様で、黒は悪い神様に振り分けられる気がして仕方がない三人にとって、これ以上、この話題を追求することは何か、拙い状況になるのではないかという漠然とした心配が発生してしまう。
みーさんが悪い神様ではないことは既に三人には決定事項、事実でもある。だから、もしかしたらみーさんが悪い神様かもしれない、なんて心配は一切していない。
でも、頼りに行くべき蛇の神様が、もし悪い神様しかいない、という状況に陥ったらどうしよう、という心配は発生していたのだ。そして、たとえば黒ではなく白い蛇神様の所に行ってみた場合、蛇の種類が違うからという理由でまた誰も現れてくれなかったらどうしよう、という心配もまた、発生していた。
具体的にならない視線の会話をしていた三人は、お互いの顔色の中に同じ色の心配を見つけると、皆が決まり切っていたかのように一度、目を伏せた後、諦めたように開いた目で今後は具体的な会話をする。相変わらず声には出さず、視線だけの会話ではあったけれど。
交わされるのは、やっぱり蛇の神様を探すのか、探すとして、どういう蛇の神様を探すのか、という点だ。黒を探すのか、白を探すのか。
重い沈黙の果てに、三人の視線はやっはり指し示したようにみーさんへと向かう。無邪気で無垢で、自分達の事を全面的に信頼している、小さな神様。人間が願ってしまうと、たとえ他の神様への願い事でも叶えてしまい、願いが叶ったことに喜ぶ人間を見て、嬉しそうにする優しい神様。人間の普通の、平和な営みを見て、たったそれだけでも喜んでくれる神様。
とても、三人が描く『黒い、悪い神様』には思えないし、また仲間の神様にそういう神様がいるとも思えない、みーさんの姿。
「・・・色を、間違ったって説はどうだろう?」
「・・・いや、あっちゃん、神様の色って、着色式とかじゃないだろ。ってか、誰が着色間違えるんだよ」
「・・・その当時、黒が流行っていたっていうのはどう?」
「・・・芦さん、一生懸命可能性を追求して下さっているその姿勢は立派だと思うんですけど、流行って人間の、しかも大抵の場合、誰かが自分の商品を売らんが為に起こす、人為的な現象ですから、神様には適用外だと思います」
「・・・でも、みーさんは良い子だよ。良い神様だよ」
「いや、それはそうだろ」
「はいっ、それは間違いありません!」
一応、頑張って二種類の説を立てた芦だが、井雲と宇江樹に否定され・・・、それでも小声で口にした主張は、当然のように二人の賛同を得た。
勿論、最初からその賛同だけは絶対に得られると、芦も分かってはいたことだったのだが、それでもはっきりと肯定して欲しい気持ちもあって口にしただけだった。
否定された案、最初から肯定されるのが分かっていた呟き、ある意味、無意味にも思えた会話は、しかし三人に再び言葉を使っての会話を再開させるきっかけにはなった。それはつまり、前向きに問題に取り組む新たな決意が出来た、とでも言えばいいのか。
その決意に促され、声を発したのは宇江樹だった。この三人の中で、一番勇敢な人間なので、当然だったのかもしれないが。