終章
「平和だなぁ・・・」
「まーな」
「平和、なんだよなぁ・・・」
「そうですね、平和です」
「平和・・・、なのかなぁ・・・」
「・・・あーちゃん、気持ちは分かるけど、最終的に疑問符をつけるのを止めるように」
何の準備も出来ていないまま、新たな事態を受け止めざるを得ない状況に陥ってから早二週間。
芦以外の二人に訪れていた仕事のラッシュも落ち着き、そのラッシュを乗り越えながらもどうにかやり過ごした二週間の間で、新たな生活のリズムのようなモノは出来上がってしまっていた。
人間は、柔軟性に富んだ生き物で、また、状況にいくらでも流されて、どこかには必ず辿り着く生き物なのだろう。
結局のところ、お世話をする存在が増えただけではあるので、やる事は変わらず、ただ労力が二倍になるというだけでもあるのだが。
その生活の中で、たった一つだけ新たに決まった事と、新発見はあった。特に画期的でもなんでもないが、とりあえず一つずつ、あったにはあったのだ。
「カァー!」・・・と鳴くので、『カーくん』が呼び名に決まった。
・・・みーさんと、何となく揃えた感じで良いのではないかと、比較的あっさり決まったそれは、たぶん、上下関係をつけるならみーさんが上のはずで、それなら下に当たる子は『くん』付けだろうという、そんなさっくりした流れだった。
勿論、呼びながないと不便だ、という発言が発端となって決まったそれだったが。
そしてもう一つ、一つだけ見つかった発見というのは・・・。
「みぃ!」
「カァ!」
・・・元気な声を張り上げるみーさんの手には、しっかり握り締められているフォークと、フォークに突き刺さった唐揚げがある。大好物の、唐揚げ。芦持ち帰った、廃棄弁当の唐揚げ。
これは、いつもの光景だった。いつもではない・・・、正確に言えば、唐揚げを喜ぶみーさんの姿よりはまだ見慣れていない光景が、すぐ隣にあるだけで。
みーさんより小さな手に、みーさんと同じように握り締められたフォーク、その先に突き刺さっている、白身のフライ、タルタルソースつき。
みーさんとは違い、魚派なのか、それともただ単に、タルタルソースが好きなのかは不明だが、とにかく、タルタルソースが掛かった白身のフライがお気に召したようで、あれ以来、毎日食べている。・・・芦が持って帰る、廃棄弁当の、フライを。
当初、みーさんと同じく唐揚げ弁当を差し出そうとしたのだが、その時丁度、持ち帰っていた白身のフライが乗った弁当の方にかーくんの視線が釘付けになっていた為、試しに温めて差し出したところ、大いに気に入ってしまったのだ。
フライにフォークを突き刺し、半ば犬食いのような状態で食べている。鴉なのに。
三本の指では魚を切り分けて食べるというのは難しく、それ以前にみーさんより更に幼い子にそんな高度な出来るわけもなく、かといって切り分けてあげようにも、弁当を持ち帰ったら最後、嬉しそうに弁当を見つめ続けるかーくんより先に弁当の中身に、切り分けてあげる為とは言え手をつける事も出来ず、今の状況に至っているのだ。
至ってしまった今の状況から、一歩たりとも動けないまま、ある意味平和な日常が生まれてしまっているのだ。
・・・全てが、想定外の日常が。
「・・・俺だってさ、好きで疑問符点けているわけじゃないんだよ。ただ・・・、これ、どーするよ?」
「どうするったってなぁ・・・、もう一度、あの蛇神様にお祈りに行く勇気はないだろ? 俺らにはさ」
「・・・無理ですよね。気拙いですし・・・、なんて言ったらいいのか分からないですし・・・」
「・・・一応、頑張ってお祈り内容考えたのになぁ・・・、これって、無駄だったって事?」
「無駄どころか、問題を増やしただけってことになるだろうなぁ・・・」
「うぅ・・・」
「井雲さん! これは皆で頑張ってやった結果なんですから、芦さんを泣かさないで下さい!」
「いや、俺だって別に泣かせたいわけじゃないけどさぁ・・・、つーか、むしろ俺だって泣きたいけど・・・」
幸せそうな小さくも愛らしい存在を眺めながら、一足先に食事を終えた人間三人は、身を寄せ合いながら溜息をつく。半ば泣きそうになっている人間も一人含みながら、まだ泣くのを耐えているもう二人と共に、三人は数秒間の沈黙を広げる。
そしてそれから、何となく互いの様子を窺いつつも・・・、よく広がる三人の沈黙を今回、最初に破ったのは、井雲だった。
泣きたい気持ちを抱えつつも、声だけは酷く淡々としてソレを洩らす。
「・・・まぁ、問題は多々あったのかもしれないけど、一番は・・・、準備不足だったってことだな」
「準備不足、ですか?」
「いや、だって、鴉ってワードは出てたんだから、もう少し突き詰めて考えるか、調べるかするべきだっただろう? 俺ら、結果を焦ったんだな」
「そう、かもしれませんね・・・」
井雲の淡々と洩らしたソレに、宇江樹が溜息混じりで、同意を洩らす。思い起こせば、もっと出来た事は確かにあった気がして、でも結果に向けて、気持ちだけを焦らせ、タイミング良く神社に行ける日が出来たからという理由でその日を出発日に決めてしまった。
確かに、何かあったら、という危惧はあった。そもそも何かあるかもしれない、という危惧が、行動の切っ掛けなのだからそれは仕方なかったのかもしれない。
でも、そうだとしても何か、もう少し出来ることはあったはずだと、井雲も宇江樹も、深く、深く反省している・・・、その間、何故かただ一人、芦だけは黙り込んでいた。
不自然なほど、ずっと黙り込み、何故か身体を固まらせている。
芦のそんな不自然な態度に井雲と宇江樹が気がついたのはほぼ同時で、そして、黙り込んで固まっていた芦が唐突に口を開いたのも、ほぼ同時だった。
「・・・来る」
「は?」
「え?」
全身を異常な震えに支配されながら芦が洩らす一言、次いで、井雲の怪訝そうな声と、同じく不思議そうな宇江樹の声。
・・・が、全て揃った途端、その音は響き出す。
もの凄く聞き覚えのあるリズムで鳴らされる、チャイム音。
聞こえてくるそれに、人間三人は、それぞれの反応を示す。
まず芦は再び固まった。そして井雲は以前、芦が自身が言っていた超常的な力がもしかして本当に芦に宿ったのだろうかと多少疑い、宇江樹は自分の危惧が実現してしまったことを察して両手で顔を覆う。
そんな三人の行動とは別に、やがてか細い不安げな声と、状況が分かっていない不思議そうな声が聞こえてきて。
「みぃ・・・」
「カァ?」
守るべき者達の声に、我に返った人間達は、視線を絡ませ、涙を滲ませている不安そうな互いの顔を数秒、突き合わせると、すぐさま立ち上がって、行動に移った。
・・・何の準備もなく、手立ても打てていないこの状況を、それでもとにかく、乗り越える為に。