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「・・・なんか、いかにもいそうな気がする」
「いそうっていうか、いらっしゃいそう、の方が良くないですか?」
「あっ、そうっか! ってか、今の聞かれちゃったかな?」
「だっ、大丈夫じゃないですか? だってまだ、敷地に入ってませんし!」
「そうだよな! 大丈夫だよな!」
「みぃ!」
「おぉっ! みーさんが太鼓判を押してくれている!」
「いえっ! 芦さん、気持ちは分かりますが、みーさんは太鼓判を押すつもりで声を上げたわけではないと思います・・・!」
どうにか多少の自信が持てる程度のレベルで頭にメモを刻みつけた二人は、何度も深呼吸をし、何度も互いを励まし合った後、とうとうみーさんを連れて車内から出て、目的地へ向かって歩き出したのだった。
そうして歩いて数分、目前に迫った寺の姿、またその入り口に至る石階段を前に、自然と二人の足は止まり、当然、芦が手を引いているみーさんの足も止まり、全員が階段を前に、並んでその先を眺める、という状況で、芦と宇江樹はたぶん本当の意味では感じ取っていないはずの威圧感を勝手に脳内で作り出し、圧倒されて動揺した会話を繰り広げる。
一方、みーさんの方は前方から特に何か、感じるようなモノはないらしく、二人の騒がしい様子をただ楽しげに騒いでいるだけと判じたようで、その騒がしさを真似て、楽しげな声を上げた。
その声を、宇江樹の指摘に動揺甚だしい芦が、完全に自分の良いように解釈しているのを、宇江樹が同情しながらも止めるという、更なる騒ぎとなっていたが。
こういった騒ぎがこの二人、もしくはここにもう一人のメンバーである井雲を加えて起きた場合、大抵、どうしようもなく騒ぎは続く。何か騒ぎが終わる切っ掛けになるようなことでも起きない限り、本当に長々と続くのが常態なのだが、しかしその時は、たった数分で自然とその騒ぎは収まっていた。
きっかけは、とくにない。何も、ない。それなのに、まるで穴の空いた風船のように、二人の騒ぎは急速にその大きさを失っていったのだ。萎んで、萎んで、ついには二人とも、何も言えなくなるほどに。
何故、そんなに急激に騒ぎが萎んでいったのか、その理由を当初、芦も宇江樹も分からなかった。自分達の中から何か、騒ぐような力が知らない間に抜き取られていくような・・・、もしくは、外から何かの圧力が加えられ、中身がその圧力で漏れ出していってしまったかのような、理由の分からないそれに、ついに言葉を失ったまま互いの顔を見合わせるしかなくなってしまう。
そした沈黙が、数分・・・、いや、もしかすると実際には数秒程度かもしれないが、本人達にしてみれば、数分、続いた。
しかしその沈黙が本当に沈黙である状態に、二人は殆ど同時に気づいて、これまた殆ど同時に、違和感を感じている自覚より先に、その違和感の理由を探すよりもっと先に、二人の視線は同じ方向に向かっていった。不思議な沈黙を強いられている自分達以外にこの場にいて、何故か、自分達と同じように沈黙している存在へ。
「みぃ・・・」
視線に、気づいたからではなかったのだろう。それは、その視線の方向で分かった。人間二人の視線が向いていることに気づいていない小さな神様は、その二人ではなく、真っ直ぐに前方斜め上方向へ視線を向けている。
そのただでさえ大きな目を限界まで見開き、真っ直ぐでありながらどこか揺れている瞳で。
その眼差しで前方を見つめながら零された鳴き声は、か細い声だった。ただ、何かを不安そうにしているとか、哀しんでいるとか、そういう負の感情によって齎されるか細さではなく、戸惑いを孕んでいるが故にか細くなってしまった声のように聞こえる。
実際、見開かれた瞳を填め込んだその顔も、フードの影で見えづらくはなっているが、覗き込んで見れば不安や哀しみは見つからない。声と同じ、戸惑いだけが滲んでいるように見える。
「みぃ・・・、みぃ、みぃ・・・」
芦達の顔にも、みーさんの様子に同じような戸惑いの色が浮かび始めた頃、様子のおかしかったみーさんは、ようやく自分を注視する芦達にその視線を向けた。
そして、まだ戸惑いが滲んでいはいるが、その戸惑いの中にもはっきりと芦達に向けた何かの意思を孕んだ目で、何かを訴えかけるような鳴き声を上げる。
持ち上げた指先、小さなそれを、前方の・・・、芦達の目的地である、『蛇頭黒白神社』へ向けて。
「・・・うーさん、なぁ、これって、やっぱ・・・、」
「もうっ、それ以外には考えられないです!」
「だよなっ! みーさんっ、今度こそ、今度こそなんだなっ!」
「みぃ!」
「そうかっ、やっぱりそうなんだな! とうとうなんだなっ! うーさん、うぅーさぁん!」
「そうですよっ! そうなんですよ! 芦さん!」
・・・興奮は、マックスまで到達していた。
無理もないことだったのだろう。特に、芦の方は以前も色んな神社仏閣を巡ったが、そのどれ一つとして、みーさんは一切の反応をしなかったのだ。そこにいる人間に反応することはあっても、それ以外の存在に反応を示したことはない。
しかし今、芦達の他は人がいないにも関わらず、みーさんは反応している。しかも示す先は芦達にも見えている神社の方向で、そこを示すみーさんの反応は、今までと明らかに違うものだった。見た事がない、反応。つまり、今までに無い何かがあるという、反応。
芦達二人は、みーさんの反応でようやく、自分達の不思議な反応の理由に気づく。何故、言葉が失われていったのか、その理由を。
まず間違いなく、それはみーさんが示す先の存在が理由だったのだ。その存在が、圧倒的な存在感で芦達のようなちっぽけな存在の言葉を押し潰してしまっていたのだろう。他の理由は考えられないと、そんなことまで思って。
ひとしきり騒いだ芦達は、やがて再び言葉を失い、その失った言葉を飲み込むように、生唾を飲み込んだ。それからみーさんが再びか細い声を漏らしたのをきっかけに、二人でみーさんを挟むような形で左右に並び、その小さな手、左手を芦が、右手を宇江樹が取って階段を上っていく。
一歩ずつ、酷く、慎重に。
上るごとに感じる圧迫感のようなモノが、本当に感じているのか、それとも芦達のただの思い込みなのかどうかは、本人達には分からなかった。
ただ、少なくともみーさんの反応がおかしいのは確かで、じっと、じっと、前方を見つめたまま、繋いでいる芦と宇江樹の手を力一杯、握り締めている。緊張、しているのだ。不安も、あるのかもしれない。
たった数段の階段を酷く時間をかけて上り終えると、その先は芦達のイメージ通りに赤い鳥居があり、その間を本堂までの神道が続いている。
芦達はそこで、数秒、迷う。本来なら真ん中は通ってはいけない。そこかは神様が通る道だからと、ネットで得た情報ではそうなっているし、なるほど、とも思った。
しかし今、ここにいるのは人間だけではなく、小さくとも神様であるみーさんがいるのだ。それなのに、そんなに卑屈に端を歩かせて良いのかどうかが疑問だし、たとえ神様だからといって、他の神様の領域でど真ん中を歩いていいのかというと、それもまた、疑問な気がする。
つまり、疑問だらけでどこを歩くのが正解なのかが分からないのだ。
この問題は、実は今日この場に至る前までにもう何度も人間三人の間で話題になっていたのだが、実は結局、答えが出なかった問題だった。
どうしてその場に至るまでに答えを出しておかなかったのだとこの場になれば思うのだが、まぁ、このぐらいの問題ならその場でどうにか出来るだろうという安易な考えが、逃避のそれが勝ってしまい、こんな状態になっているわけで。
しかし一歩も進めず、芦と宇江樹の額からそろそろ冷や汗が流れ出る、という状態の一歩手前まで到達した頃、事態はさっくり、動いてしまう。この事態を動かせる、つまり決断を下せる唯一の存在によって。
「みぃ・・・」
「おぉっ、そ、そっちでいい感じなのっ?」
「みっ、みーさんがいいなら、いいんですよっ、きっと!」
固まっている二人を余所に、動き出したのは勿論、みーさんだった。堂々と、ど真ん中に足を踏み出し、前進せんとしたのだ。結果的に、芦と宇江樹の両手を引っ張る形になりながら。
二人は、とにかく大きな声を出した。半ば無意識ではあるのだが、神道を通るのは、同じく神様であるみーさんのご意志に沿おうという謙虚な気持ちの表れなのです、ということを、おそらくこの地の神様に知ってほしいという気持ちが働いていたからなのだろう。
無実の罪を着せられまいと必死な、犯人の心境に近かったかもしれない。近い、というか、そのものなのかもしれないが。
しかし人間二人の心境は脇に置いておくとして、とにかく小さな神様に従う形で、一行は前進し始めた。小さな足で前へ、前へ進む小さな神様、みーさんは斜め上を見上げるように顔を上げ、前進し続ける。大きな目を見開いて。まるで、斜め頭上のその場所に、何か見つけているかのような様子で。
そしてそんなみーさんの手を取って歩く人間二人は、全く同じ表情を浮かべ、全く同じ様子で歩いている。完全に犯罪者にしか見えない、おどおどした様。しかも大それた犯罪ではなく、本当にちんけな犯罪を冒し、今にも捕まるのではないかと怖れ戦きながら人目を避け、夜道を歩いている犯罪者のような態度。
顔は強ばり、視線は落ち着きなく左右へ動き、激しく瞬きを繰り返しながら、暑くもないのに額から冷や汗を流し続けている。誰かに見咎められてもおかしくないような不審な様子を、しかし咎める者はいない。何故なら辺り一帯に、人気がないからだ。
平日の午後なんて時間だからか、それとも、元々あまり人が来ない神社なのか・・・、それとも他に何か、理由があるのか分からないが、とにかく、人がいない。人っ子一人、いない。
誰もいないのだから、しんと、静まり返っている。その、はず。そのはずなのに、芦と宇江樹には、そうは感じ取れなかった。二人の心音が激しすぎる所為か、それともいないのは人間だけで、他の存在はそこに存在しているのか、その存在を感じ取っているのか・・・、どうしても、芦達には辺りが静まり返っているようには思えず、むしろ逆に、耳を塞ぐほどの何かが聞こえているような気がしていた。
・・・たとえば、ちっぽけな人間にはとても聞き取れないほど大きな存在の、息吹のようなモノが。
まるで、永遠に近いモノを感じていた。永遠に、その道は続いていて、どこまでも、どこまでも歩いて行くのだと、どこまでも、どこまでも歩いても、永遠に辿り着けないのだと、そんな気がして。
しかし勿論、そんなわけはない。歩き続ければ、やがては辿り着いてしまう。神道は、神様の元へと繋がっている。芦達には名称も分からない、大きな鈴に繋がった白と赤で交互に組まれた紐が垂れ下がる、賽銭箱の前まで近づいて、そこで、ようやくみーさんの足が止まる。
もうこれ以上進めないから止まるのか、進む必要が無いから止まるのか、その辺りの区別がつかないまま、芦達の足も連動する形で止まり、自然と、視線は開かれたその先に結ばれる。
奥まった、薄い暗闇が滲むその先に何があるのか、芦達には見えない。というより、緊張のあまり、目の前の光景が何一つとして見えていない。ただ、何故かその時、風もないのに吊された大きな鈴が揺れ、低く、重々しげな音を響かせて・・・。
芦も宇江樹も、目の前の光景が見えないどころか、頭の中が真っ白になっていくのを、まるで他人事のように感じていた。
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「・・・上手くやってんのかね。結構心配っちゃ、心配だけど・・・、でも、まぁ、うーさん一緒だし・・・、大丈夫、だよなぁ・・・?」
小さな呟きは、他に誰もいない部屋の中において、完全なる独り言だった。しかも、他人の部屋で、部屋の主がいない中での、独り言。
端から見たら危ない人に見えるかもな、と思いつつ、そういえばこの部屋で完全に一人でいることは珍しいことなのだと、何故かどうでもよいことを思ってしまうのは、実のところ、かなりの割合で落ち着きをなくしている所為だったのかもしれない。
今頃、そろそろ、間もなく・・・、と思う度に、どうにも落ち着いていられず、独り言を呟いたり、全然関係の無いことを考えたりしてしまうのだ。
井雲は、そん名状態で多少の落ち着きを失いながらも、約束通り、芦の部屋にいた。勿論、お堂の前でお祈りを捧げる、という約束の為だ。それでどうなると本気で考えているわけではないし、最初に口にした芦自身、そんなことに意味があるとは全く思っていなかっただろ。
ただ、何か効果があると確信しているからお祈りを捧げる日本人、というのはおそらく少なく、他に何も出来ないからとりあえず祈っておく、というケースの方が多い。芦や井雲もまた、そのタイプで、とりあえず祈っておこう、というスタンスだった。
それに、効果があるとは思っていないが、祈りを捧げる先はみーさんのお堂なのだ。
・・・全く入ってくれてはいないが、少なくともここに設置した際、とても喜んでくれたお堂だし、最初はここにいたのだという芦の証言もある、お堂なのだから、真剣に祈れば、井雲が事態が好転することを真剣に願っていることが、みーさん自身にぐらいは通じるかもしれない、程度の期待はある。
だからこそ、井雲は祈っていようと祈ってなかろうと芦や宇江樹には気づかれないだろうが、それでもその場で祈ることを選ぶ。それも、一応、それなりに真剣に祈ることを選んだのだ。
洩れてしまう独り言を押さえ込んで、正座でお堂の前に座る。それから一度目を閉じて、深呼吸を数回、繰り返し、ゆっくりと目を開いて・・・、視界に映り込むお堂の中、ぎっしり詰め込まれているご利益から意図的に視線を逸らしつつ、静かにもう一度目を閉じて、両手を胸の前で組み合わせた。井雲が知る、一番オーソドックスなお祈りのポーズだ。
そしてそんなお祈りのポーズをしながら、井雲は芦がベースを考え、井雲自身に、宇江樹もそれを見てチェックをした、お祈りメモを胸の内で暗唱する。
目の前のお堂を通して、みーさんに伝わるように、更にはみーさんを通して、今、そのみーさんの前で芦達のお祈りを聞いている・・・、はず、の神様に、届くように。
どうか・・・、どうか、お願いします、蛇の神様・・・、
みーさんに、この小さな蛇の神様に、同じ蛇の神様のよしみで力を貸して下さい。
みーさんは、まだこんなに小さいのに、悪い・・・、ってわけでもないんですけど、ちょっといっちゃっている人間に追いかけ回されて、困っているんです。
俺達も精一杯匿っているんですけど、俺達ちっぽけな人間だけじゃ、きっとみーさんも不安だと思うんです。
それに、こんなに小さいのに、いくら神様だからって仲間も何もいないんじゃ、心細いこともあると思います。
俺達人間だけが仲間じゃ、俺達に何かあった時、独りぼっちになっちゃうし、それも可哀想です。
だから、みーさんに力を貸してあげてください。
どうか、どうかお願いします。
お願いしますから、どうか・・・、みーさんを、助けて下さい。
お願いです、お願いします・・・。
いつしか、井雲は必死に祈っていて、祈りなんてモノに意味があると思っていなかったこと自体を、忘れていた。
つまり、それはまさしく、本当の意味での『祈り』だった。