表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
八百万が祭る 準備不足は否めない  作者: 東東
【三章】準備も含めて目的です
14/22

「・・・みーさん」

「みぃ・・・」


 墓石に刻まれた名前が読めているのかどうか、芦には分からない。ただ、その時みーさんは泣き出しそうなほど哀しげな、そして淋しげな目をして、じっと見つめていたのだ。『影沼』という文字を、じっと、じっと。

 読めていないのだとしても、きっと分かるのだろうと、それだけは確信出来るその表情に、芦はなんだか胸が詰まりそうになる。東狐や宇江樹の父親に追いかけ回されて、怖がっている様などは見たことがあるが、こんな表情は初めてで、どうしたら良いのか分からず・・・、でも、何かをしてやりたい気持ちで一杯になってしまったのだ。

 でも、死人を呼び戻すことなんて当然、出来ないし、声を届けることすらも出来ない。何より、膨大なご利益をもたらせるほどの神様が何も出来ずにこうして佇むだけならば、ちっぽけな人間の中でも更にちっぽけだと半ば自負している芦に出来る事なんて一つもないのが分かりきっていた。

 なにかしてやりたい、その気持ちは限りなく強いけれど。


「おーっす、お待たせー」

「これ、借りてきましたから・・・、って、え?」


 もどかしい気持ちでみーさんの傍にしゃがみ込んだままでいると、道具や水を持って井雲と宇江樹が戻って来た。その声に弾かれたように顔を向けた芦は、表情だけで今の、なにかしてやりたいけど何も出来なくて辛い、という気持ちを表しつつ、視線をみーさんに向けて、二人の注意を促す。

 すると、芦の表情が表している細かい気持ちは分からないながらも、何かあったのだろうな、ということだけは察して、二人は芦とはみーさんを挟んで反対側に近づき、先ほどの芦と同じように、そっとみーさんの様子を窺う。

 ・・・それだけで、芦の表情の意味が分かった。自分達の表情が、芦と同じものを作っていくのも感じられ、二人はほぼ同時に、芦の方へ視線を向ける。気持ちは分かった、自分達も同じ気持ちだ、でも、じゃあどうする? という気持ちを、込めて。

 勿論、そんな気持ちを込められても、芦に返せることはない。むしろ、芦の方がその気持ちを込めて、二人を見返したいくらいなのだ。どうしたらいい? 何が出来る? と。

 答えを求める無言の押し問答が、その場で十数秒、行われた。しかし当然、どれだけ押し問答をしようとも、今、みーさんに出来ることを思いつく事は出来ない。

 どうみても、この地で眠っている人に会いたい、もしくは声を届けたい、とかなのだろうが、三人にはその願いを叶える力はないのだから。

 押し問答は、結局何の答えも出さず、最終的に三人は、みーさんに出来ることではなく、自分達がとりあえず出来ることを行い始める。つまり、墓の掃除だ。

 周りの雑草毟り、掃き掃除をして、石を水で洗い流し、ざっと拭く、程度の掃除で、三人で分担してしまえばそれほど時間も掛からずに終わってしまうものだったが、それでもとりあえず何かをしている、何かを出来ている、という事実は、三人の激しく動揺していた気持ちを多少なりとも宥めるのに役立ってくれた。

 何より、自分もやりたい、というジェスチャーをするみーさんにも墓の乾拭きという手伝いをさせてあげたことによって、みーさんが本当に願っているだろうことは何もやってあげられないけど、少しは望みを叶えてあげられたような気分になっていて・・・、だから、ほっとして。

 でも、掃除を終え、改めて墓に向かって手を合わせた後、顔を見合わせた三人は、同じ表情をしないわけにはいかなかった。三人の様子を真似て、同じように小さな手を合わせて目を瞑り、小さく頭を前方に傾けているみーさんを見つめてしまったなら。


 申し訳ないような、困ったような、表情を。


「・・・なぁ」

「そう、ですね・・・、そろそろ、戻りましょうか」

「だな。みーさん、そろそろお家、帰ろうか?」

「みぃ・・・」


 じっと墓を見つめていたみーさんが、気が済んだのか、三人を見上げたのを切っ掛けに、井雲が他の二人を促すような声をかけ、それに応えて、宇江樹が、そして芦が同意し、みーさんに声をかける。

 すると三人を見上げていたみーさんは、もう一度だけ墓を見つめた後、何を思ったのか小さく二度ほど頷いてから、再び三人を見上げて了承の合図のように、一度、大きく頷いた。

 まだどことなく淋しげな表情を浮かべてはいるが、それでもある程度満足したのか、先ほどよりは多少、明るい表情に、みーさんの哀しげな表情がとても堪える三人は、安堵して笑みを浮かべ、帰宅の準備を始める。借りてきた時と同じように、宇江樹と井雲で掃除道具を片づけに行き、芦はその間、墓の前でみーさんと二人が戻ってくるのを待って。

 帰ることには了承しているものの、やはりまだ墓が・・・、というより、この場所に眠っている人が気になるのか、みーさんは何度もちらちら、墓の方へ視線を向けていた。

 そんなみーさんの様子を見つめながら、芦はその時、自分の中に誰かが落とした一滴の黒い染みのような疑問が浮かぶのを、半ば怖れ戦きながら見つけてしまう。


 ──みーさんは、見送るだけの存在だ。


 当然といえば当然ではある。みーさんは、神様なのだから、死んだりはしないのだろう。でも、なんとなく、芦の中の漠然とした神様という存在に対するイメージは、何でも出来る、というもので、したいことは何でも出来るのだと思っていた。

 でも、今、みーさんは会いたがっているのだろう死んだ人間に、会えないでいる。人間の芦達と同じように手を合わせることしか出来ないでいる。つまり、神様にだって出来ることと出来ないことがあって、どれだけ会いたがっても、少なくともみーさんは死んだ人間に会えるような力はないのだ。


 死んだら、それまで。人間と、同じように・・・、但し、自分が見送られる側に回る事はなく、ただひたすらに、見送り続けるだけ。


 一滴落ちてしまった黒い染みは、時を追うごとに広がっていく。滲んで、最初の鮮明さは失いながらも、決して消えることなく、その染みの範囲を広げて、芦の胸の中に広がり続けていく。芦は、それをまざまざと感じてしまう。

 目の前に、その染みを見せつけられたかのように、はっきりと見てしまう。

 そして広がり続ける染みが何を描くのかを目の当たりにした瞬間、再び、胸が圧倒的な感情で塞がれてしまうのを、為す術もなく、感じた。すぐ目の前にいる、小さな神様、みーさん。ちょこちょこと動いては、時折、無垢で絶対的な信頼を滲ませた円らな瞳で見上げてくる、その眼差しを見つける度に、その胸を塞ぐモノは力を強めてきて。

 おそらくもう少しで、芦は限界を迎えていただろう。限界を迎えて、その後、みーさんを驚かせてしまうような声を出すか、行動を取っていたのだろうが、幸いにも、そのギリギリのところで井雲と宇江樹が戻って来た。そしてすぐに、真っ先に、付き合いの長い井雲の方が芦の異変に気づく。どことなく思い詰めたような、その表情に。


「どうかしたのか?」

「あー・・・、どうかっていうか・・・」


 咄嗟に駆け寄ってきた井雲は、茶化すようなことはせず、真面目な声で単刀直入に、芦のその常にない様子を尋ねてくる。異変の理由になるようなものが近くに存在しないかどうか、辺りを見渡しながら。

 そして宇江樹は宇江樹で、井雲のかけた声によって芦の様子に気づき、気を利かせてみーさんの傍に向かい、しゃがみ込んでその相手を始める。何か異変があったのなら、その内容や話し合いをみーさんに聞かせるのも拙いし、聞かれていると思えば芦も話し辛いだろうという配慮だ。

 この場には、いつもどんな話し合いの最中でもみーさんを釘付けにしてくれる、ワイドショーは流れていないのだから。

 井雲の声と、宇江樹の気遣いによって安心して話しが出来る環境を整えられた芦は、井雲と二人で少しだけみーさんと、そのみーさんの相手をする宇江樹から離れる。身を寄せ合って、自然と顔を突き合わせる形になりながら、先に切り出したのは当然、芦だった。


「なんか・・・、ちょっと、考えちゃってさ、あの墓と、みーさん見てたら」

「考えたって、なにが?」

「いや・・・、みーさん、凄い会いたそうにしてるじゃん。でも、会えないみたいだし」

「そりゃ、死んでるからな、相手」

「うん、そうなんだけど・・・、でも、神様でも、死んだ人間には会えないんだって思って・・・」

「あー・・・、まぁ、そうだな。ってか、幽霊って、やっぱりいないってことだよな?」

「それは分からないけどさ、もしかしたら、なんか、凄い未練のあるヤツとかだけは幽霊になっているのかもしれないし。まぁ、俺はあんまり、そういうの、信じてない・・・、ってか、いるかいないか、考えたこともないんだけどさ」

「確かにな。いないだろうけど、いたら遭遇したくないなー、ぐらいしか思ったことないな。・・・でも、まぁ、あの墓に入っている人は、とりあえずいないんだろうな、幽霊でも。みーさん、会えないみたいだし」

「だろ? つまりさ、死んじゃったら、神様でも、もう二度と会えないってことじゃん? 会える奴もいるのかもしれないけど、会えない奴もいるのはもう確実っていうか」

「そう・・・、だろうなぁ・・・」

「死んだ奴はそれまでってことならさ・・・、それって、あの、地主の爺さんだけじゃないってことだろ?」

「芦?」

「それならさ・・・、それなら・・・、」


 俺達が死んじゃったら、みーさん、どうなるんだろう?


「もしそうなったら・・・、独りぼっちになるってことなのかなって思ってさ」

「・・・あぁ、そういう心配か」

「そう、そういう、心配。心配・・・、じゃね??」

「・・・心配、だな。心配・・・、だよなぁ・・・」


 芦の、どこか頼りないながら切実な色を滲ませた訴えに、芦の異変の理由を、その異変を洩らした考えを理解した井雲は、眉間に皺を寄せ、言葉を濁らせながら芦と同じような切実な色を顔に滲ませ始めた。苦悩と、強い心配の色だ。

 今まで考えた事もなかった問題を突きつけられ、答えが見つからない、その為の苦悩。

 二人とも、何も言えなくなったまま視線をみーさんの方向へずらせば、そんな二人の様子に気づいた宇江樹が心配そうに見つめてくる視線があって、そのすぐ傍らには、みーさんがまだ墓を気にする姿もある。

 少しは気が済んだとはいっても、いまだに淋しげな様子を滲ませる姿に、先ほどから胸が塞ぐような思いをしていた芦と同様に、井雲の胸もまた、息が詰まるような圧迫感に、いっそうその顔を歪めるほどだった。


 淋しげな、みーさん。今は三人が傍にいるけれど、芦と井雲の中で、独りぼっちになって淋しげな顔をしている姿が浮かんでいて。


「・・・まぁ、三人一気に何かが起きるってことはないだろ、うん」

「・・・でもさ、最近、三人でこうやってよくつるんでるじゃん。そういう時に何か起こったらって思わん?」

「思うなよ、そういう不吉なこと」

「思いたくて思っているわけじゃないんだけどさ・・・」


 悪い想像は、悪い想像をせずにはいられない環境で、悪い想像をしている人間同士の会話だと、終わりが見えないほど続いてしまう。つまり、この場で、この状況の芦と井雲では終わりが見えないほど続いてしまう、というわけで。

 もし二人の様子を心配した宇江樹が、耐えかねたように声をかけてこなかったら、延々と二人の先が見えない状況は続く羽目になっていただろう。

 幸いにも、そのかけて貰った声によって、一旦、芦の部屋に戻ろう、という結論に至ったおかげで、墓場に暗い、思い詰めた顔をした人間と事情が飲み込めていない、哀れなほど戸惑っている人間、更には小さな神様が留まり続けるというシュールな状況はなんとか回避されたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ