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名探偵殺人事件

 碌に整備もされていない凸凹の狭い通りに、今晩は何台ものパトカーが押し合いへし合い並んでいた。赤いランプをこれでもかと回し甲高い警報音を周囲に撒き散らしながら、何の変哲も無い村の一角に何やら『特別な出来事』が起こったのを知らせている。ところどころ崩れ落ちた土壁の向こうで、古びた民宿の縁側で胡座をかきながら、一人の男が小さくため息をついた。

 

 男の名は、平等院鳳凰堂。明らかに偽名である。人を信用してなさそうな腫れぼったい目つき。パーマ頭に、無精髭。ヨレヨレのTシャツに破けたジーンズという、見た目も明らかに安っぽくて怪しさ満点だ。


「全く残念ですよ……こんな日に、殺人事件だなんて」


 何でも男は、都会からやって来た自称・名探偵だった。平等院は立ち上がると、関係者達が集まった居間をゆっくりと振り返った。それから、ささくれ立った畳に染み渡った真っ赤な血痕を指差しながら口元を尖らせた。


「でも私から言わせればね、こんなものは殺人事件でも何でもない」

「何だって?」

「どういうこと?」


 探偵の不満顔に集まった人々は皆眉を顰めた。


「だって、私が駆けつけた時には犯人は包丁を握りしめたまま、青ざめた顔をしていたんですよ?」

「嗚呼……」


 平等院が視線を奥にやった。それに釣られて、居間の片隅で震えながら肩を抱き蹲る青年を人々は痛ましい目で振り返った。



□□□


 事件が起きたのは今日の二十二時頃。村の外れの民宿に泊まっていた一人の青年に、若女将である早苗さんが刺された。

 幸いその現場を目撃していた宿泊客の一人によって、すぐさま警察と救急車が呼ばれ、犯人は身柄を確保され早苗さんは急いで病院へと運ばれて行った。動機はまだ分からない。きっと出来心だったのだろう。青年は今や抵抗の意思を示す素振りもなく、ただただ「ごめんなさい」と小さな声で繰り返すばかりだった。



□□□


「現行犯だったんですよ! 犯人はすぐ確保されてしまった」

 平等院が叫んだ。

「いい事じゃないか」

「良くない! 何故トリックを使わない!?」

 平等院は大げさに両手を広げると、芝居掛かった声で吠えた。宿泊客の一人が呆れたように肩を竦めた。


「あまりに事件が単純すぎる。これじゃ全国で戦えないよ。何故鍵を閉めない! 何故偽装工作をしない! どうしてそこで諦めるんだ!? これじゃまるで、『探偵の出番なんか無いよ』と言われているようなものです。ある意味、”探偵殺し”ですよ!!」

「お前は誰と戦っているんだ」

「推理小説じゃないんだ。普通の人間が、わざわざ殺すのにトリックなんて考えるかよ」

「駄目ですよ。それじゃ普通の人間としては合格でも、犯人としては失格です!」

「良いんだか悪いんだか、さっぱり分からんな」


 どよめく人々を横目に、平等院は隅で蹲る青年へと歩み寄った。


「…………」


 だが青年は近づいてくる平等院に目を合わせることもなく、相変わらず居間の隅で身じろぎひとつせず、畳の一点をじっと見つめていた。衰弱しきったその白い顔は、唇が小刻みに震えている。今しがた自分がやってしまったことの大きさが、改めて彼の頭の中を駆け巡っているのだろう。その溺れかけた子犬のような哀れな姿に、居間は水を打ったかのように静まり返った。


「おい、よせ」


 宿泊客の一人がそう言って、平等院の肩を掴んだ。誰もがみんな、もう分かっていた。青年が既に、反抗の意思や殺意の類を持ち合わせていないことに。事実彼は、もう人殺しの目をしていなかった。だが平等院はそんなことは御構い無しに、芝居掛かった声で叫んだ。


「君もね。たかが一度失敗したくらいで、全部を投げ捨てるんじゃあ無い」

「何いいことみたいに言ってるんだ」

「いいかい。君の密室トリックがどんなに拙くても、私はそりゃ馬鹿にはするかもしれないが、笑ったりはしない。むしろ最初から無理だと決めつけトリックすら考えず推理小説を書き始める物書きのように、何にも挑まずにいる行為こそが、真に笑われるべきだと思う!」

「お前が馬鹿じゃねーの」


 呆れ顔の宿泊客を置き去りにして、平等院は薄っぺらい笑顔を貼り付け青年に手を差し出した。

「良い殺人事件は、名探偵だけじゃできない……一人じゃ無理なんだ」

「良い殺人事件なんてある訳ないだろ」

「君の力が必要だ。さあ。私と一緒に、全国を目指そう」

「さっきから何の話なんだこれは」

「平等院、さん……」


 ようやく青年の目に光が戻った。そしてゆっくりと、本当にゆっくりと、右手を伸ばし平等院の手を掴んだ。平等院が微笑んだ。


「大変です!」

「!?」


 その時だった。

 突然居間に女中が駆け込んできたかと思いきや、息を切らしながら叫んだ。


「さっき! 病院から、電話があって……! 早苗さんが、一命を取り止めたみたいです!」

「何だって!?」

「良かった……!」

「じゃあこの子は、殺人犯にならなくって済んだのね」


 女中の報告に、居間に漂っていた重たい空気が一変した。ぱあっと光が射すように明るい笑顔が人々の間に広まっていく。その空気は、先ほどまで死人のように白い顔をしていた青年をも飲み込んだ。宿泊客の一人が嬉しそうに探偵に呼びかけた。


「おい、平等院!」

「ええ!」


 平等院が青年の手をしっかりと握りしめたまま、満面の笑顔で皆の方を振り返った。


「本当に良かったです、早苗さん。このまま事件が起こらなければ、私が崖から突き落とそうと思っていたところだったんですから!」



□□□


 碌に整備もされていない凸凹の狭い通りに、今晩は何台ものパトカーが押し合いへし合い並んでいた。赤いランプをこれでもかと回し甲高い警報音を周囲に撒き散らしながら、何の変哲も無い村の一角に何やら『特別な出来事』が起こったのを知らせている。


 平等院鳳凰堂という、明らかに偽名の男が、『殺人教唆』と『殺害予告』の現行犯で連行されていった。


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