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教育上よろしくない殺人事件

 寄せては返すさざ波が、波打ち際に立つ男の足元を撫でて行った。男は無言のまま水平線の彼方を見つめている。空と海との境界線が、陽の光でキラキラと白く輝いていた。


「…………」


 観光客も指で数えるほどしかいない、晩夏の海、夕刻のビーチ。時折西から吹く生暖かな風が、浜辺に集められた人々の合間を通り過ぎていく。風は穏やかだった。人々の輪から少し離れ、その男はただ黙って波の行く先を睨んでいた。


 男の名は、平等院鳳凰堂。誰がどう見ても明らかに偽名の、怪しさ満点の自称探偵である。平等院はビーチサンダルに黒いサングラス、それにアロハ柄の海パン一丁と言う、夏を思う存分楽しんでましたと言わんばかりの格好をしていた。彼はなぜか売店で買ったスルメイカを煙草のように指で挟み口に咥えたまま、顔をキリッとさせて静かに後ろを振り返った。


「みなさんをお呼びしたのは他でもない……」

「犯人が分かったのか!?」


 スルメイカを咥えた探偵に、集められた人々の中から一人が立ち上がり、血相を変えて叫んだ。皆が探偵の顔を一斉に見つめた。無理もない。なんせ浜辺には今もなお、後頭部から血を流した死体が転がっているのだから。


 平等院は死体を横目で見下ろしながら、集まった人々の前でこれ見よがしにスルメイカを飲み込んでみせた。


「ええ。皆さん、この死体を見てお気づきになりませんか?」

「なんだって?」


 探偵の言葉に、ざわめきが波のように広がっていく。人々が訝しげに顔を見合わせる中、平等院はブルーシートの上に横たわった死体を指差した。


「呆れたもんだ……。見てくださいよ、この死体」

「?」

「どう考えても、教育上よろしくないじゃないですか!」

「……はあ?」


 まるで決め台詞のように高らかに宣言して、平等院は水平線の彼方に沈む夕陽を指差し妙なポーズを取ってみせた。一瞬の沈黙の後、関係者たちがぽかんと口を開けた。


「だって……だって考えて見てくださいよ! 後ろから鈍器で殴るだなんて……あまりにも原始的すぎる!!」

「こいつは何を言ってるんだ」

「仮にも殺人事件が教育上よろしいワケないだろ」

「知性のカケラも感じない! ひと昔前の流行りでさえ、”物理学を活用したトリック”とか、そんなんですよ!? なのにこのご時世に後ろから鈍器で殴るって……」


 平等院が目頭を押さえ、その場に膝から崩れ落ちた。取り残された人々が、平等院の周りをスイカ割りよろしく囲んだ。平等院が頭を抱えた。


「せめてもう少し偽装するとか、ちょっとは捻ってくれよ……! こんなトリックもへったくれもない事件を解かされるこっちの身にもなってくれ……」

「何で犯人が探偵の身になって事件を起こさなくちゃならないんだ」

「教育上よろしい殺人事件って、どんなの?」


 橙色の夕陽が彼らの顔を赤く染めた。砂浜に打ち捨てられたゴミを、カモメやカラスが漁って飛び立っていく。首をかしげる関係者に、平等院が青白くなった顔を上げた。


「そりゃあ、トリックの謎に物理学の応用とか、タメになりそうなものを使っている奴ですよ」

「そんなの、推理小説の中だけの話だろ」

「解けたときに”なるほど、そうかあ!”ってなるような……解く前より少し専門知識がついているような、そんな奴です」

「あまりに求めるレベルが高すぎるのでは……?」

「だって探偵だし! 私も知識を見せびらかして、この人何となく頭良いって思われたい!」

 平等院の咆哮がビーチに響き渡った。


「何ていうか……すっごく頭悪そうな台詞ね」

「ネットとかで流れてきた権威ある賢者の意見を……さも自分も最初からそう思ってましたって感じで誰かに言いふらしたい!」

「みんな見てるでしょ、ネットなんて。あ、これあの記事読んだんだって、言わなくても気づいてるわよ」

「社会派でも良いです。殺したくはなかったけど生きるために仕方なく、みたいな。すごく倫理的に問われるような事件で……思わず現代社会の闇を抉るような動機があれば……」

「でも良いって何だ、でも良いって」

「あなたのその考え方そのものが、もはや闇よ」


 気がつくと夕陽は海の向こうに沈み、辺りは段々と青く深く夜に染まり始めていた。どこかで鳥が鳴く声が聞こえる。泣き崩れる平等院に、関係者の一人が呆れたように肩をすくめた。


「今のご時世それくらいないと、全国で戦えませんよ……」

「お前は誰と戦っているんだ」

「皆さん、甘く見過ぎてる。全国はもっとすごい……全国レベルの殺人事件は……」

「人が一人殺されておいて、レベルも何もないだろ」

「私はこの一年、全国を回る武者修行の中、それを肌で感じて来ました……」


 平等院はいそいそとポケットからスマホを取り出し、何やら悲しげなBGMを流し始めた。


「すごい動機……すごかった……。すごい凶器だった……。容疑者も、それにすごいトリックも……すごすぎる……」

「語彙力がないから全然伝わって来ない……」


 ノイズががったストリーミング音楽の中、唐突に独白し始めた平等院の背に、関係者の一人が悲しげに呟いた。


「平等院、アンタ間違ってるよ……。探偵の仕事は、難解な事件を解いてみんなに自慢して見せびらかすことじゃない。一刻も早く事件を解いて、被害者の無念を、その周りの人たちの悲しみを癒やして上げることなんじゃないかな……」

「ちょっと待ってください。今なんて言いました?」


 関係者の言葉に、平等院が急いで立ち上がった。肩を掴まれた女性が、目を白黒させた。


「えぇ? 私?」

「今すごく、教育上よろしいことを言っていたような……もう一回言ってくれませんか? 次の現場で使うんで……」

「そんな急に言われても……忘れちゃったよ」

 女性の言葉に、平等院は少しがっかりしたように肩を落とした。


「待って!」

「!?」


 すると突然、ブルーシートに倒れていた死体が後頭部を摩りながら起き上がった。予期せぬ出来事に人々はその場でひっくり返り、平等院は喉の奥に詰まらせていたスルメイカを噴射した。


「早苗ちゃん!?」

「早苗!? お前、生きてたのか!!」

「あいつよ! あの男が私の頭をかち割ろうとしたの!」


 起き上がった女性は、キッと鋭い視線を投げかけ平等院を指差した。


「スイカ割りがしたいとか言いだして……私を浜辺に呼び出して、後ろから棍棒で殴ったのよ!」

「早苗さん! 生きていたんですね! 良かった!!」


 駆け寄ろうとした平等院を、早苗と呼ばれた女性がポシェットに隠し持っていたスタンガンで応戦した。


「ぎゃああああ!!」

「覚悟しなさい! 現代科学が生んだ最新の技術の結晶を、その身を持って教えて上げるわ!」


 日の沈んだビーチに、男の悲鳴と電流が走った。それから数時間、警察が到着するまでの間に渡って、およそ教育上よろしくない光景が繰り広げられたのだった……。

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