その3
穏やかな声だった。
しかし、響いた音は、苛烈。
突進した竜は上方より飛来した何かに叩き伏せられ、地に打ち付けられた。
「落としはしましたよ」
蒼い炎が、レイヴンの視界を覆う。
レイヴンがたまらず駆け出し、視界を下方にやると、もがき苦しむ黒い身体を容赦なく踏みつけ、組み伏せる白い人型を見た。
それは、さながら竜を討ち果たした神話の英雄のような――蒼き翼を持った巨大な騎士は、紅い瞳をレイヴンの方に向けた。
しかし、それをただの騎士と形容することはできない。それは、騎士にしては大きすぎる。
竜とほぼ違わぬ大きさからして、二十メートルはあるだろう。
二十メートルの動く人型――それをそのものずばり形容できる言葉を、レイヴンは一つしか知らなかった。
「ロボット……?」
「ああ、そう呼ぶ者もいたな。名付けられる前は――ネイト!」
苦しげにもがいていた竜は、森を焼き払った炎を空へ向かって吐き出した。それは、機体の向こうにいるレイヴンも容易に飲み込むほど、巨大な炎であった。
「……全く!」
たまらず身を庇ったレイヴンだったが――熱波が直撃することはなかった。
火炎は機体の左手の目前で逆流し、その顔を飲み込んでいた。
「障壁かなにかか……?」
どうなっているか、レイヴンには全く理解できなかったが――こちらの空からやってきた闖入者は、どうやら自分達の味方らしいことは理解した。
「そこのあなた、このあたりから離れて下さい。――派手にやるので。巻き込まれても知りませんよ」
警告はした――と言わんばかりに、蒼翼が大きく羽ばたき、白い影は一瞬のうちに空に戻った。そこでようやく、レイヴンは機体の全容を見た。
白い鎧の隙間から、黒い素体のようなものが覗いている。背に広がる蒼い翼は、炎のように実体なく、揺らめいている。
頭部は人の顔そのもの……とは少し違う。瞳が二つ、紅く輝いているが、鼻や口を模した部位は見当たらない。ただ、頭頂部にかけて、二本の短い角と思しき意匠が施されている。目だけを出した、フルフェイスの兜のように見えなくもない。
「で、どうする。剣はすぐには戻らんぞ」
「そりゃあもちろん、ゴリ押しだよ」
騎士の周囲に、赤黒い雷撃が迸る。
白い鎧の隙間から見える黒い部分が微かに紅く輝く中――高らかに、騎士は開戦を宣言した。
「こんにちは、二十一世紀の竜よ。我が名はネイト。我が翼の名は勝利をもたらすもの(ウィクトーリア)。その心の臓にしかと刻み、我が血肉となるがいい」
その声に呼応するように、竜は起き上がり、翼を広げ咆哮した。
「……こいつ……?」
その姿に一瞬の思考を巡らせた刹那、竜は空を蹴り、弾丸の如くウィクトーリアの腹部へ突進した。
牙をむき出しにした、野性の赴くままの攻撃は、やはりその眼前でせき止められる。
「矜持も捨てた獣ですか」
吐き捨てるようにネイトはつぶやき、左手にまとった雷撃の一撃を、竜種の腹に見舞った。
竜はきりもみしながら吹き飛び、態勢を立て直す間もなく、ウィクトーリアに距離を詰められる。再びの雷撃。雷土は竜の肉を裂き、噴き出した鮮血をそのまま蒸発させた。
苦悶の叫び声をあげる竜に対して、ウィクトーリアは一向に手を休めない。
その腹部に指先をねじ込み、傷口の奥深くで紅雷が破裂した。
腹の肉の一部が飛び散り、竜の身体が大きくよろめく。
右手を腹に突き刺したまま、儚げに揺れる頭部を左手が捕らえ――顎の下から、穿った。
「……いや、違うな」
肉体の奥を探るように両手が動き――再び、雷土が爆ぜる。
竜種の頭部は、赤黒い鮮血を噴き出しながら、砕けて、散った。頭を失い、長い首はだらだらと血を垂れながらしながら、垂れ下がる。
血はウィクトーリアの鎧を汚しながら、市街地を炎の海から、血の海へと変えていく。
「血は流れているようだが……確かに違うな」
ネイトの言葉にファーレンハルトの声が応じる。
「……なんだかきな臭いや」
そうつぶやきながら、ウィクトーリアは死体を地へと叩き付けた。
後に残ったのは、騎士などとはほど遠い、暴虐の限りを尽くす、血塗れの暴君。未だ、雷撃の残りを爆ぜさせながら、ウィクトーリアは物言わぬ死体を黙って見下ろしていた。
無論、その一方的な鏖殺は地下のモニターにも映し出されていた。
時刻にして、わずか三分程度。突如飛来した白い騎士は、半日近く破壊の限りを尽くしていた怪物を文字通り瞬殺した。
その事実は、一部始終を見守っていた者達を絶句させるには十分だった。
「なんなの……なんなのよ今日は! こんなの予言されてないとどうしたらいいかわからないでしょ!」
「名代様、落ち着いて……あっ! 結界に異変あり!」
「どうしたの!?」
「け、結界が……さ、裂けています……!」
「……は?」
竜の侵入時にすら異変が全く発生していなかった――いや、それどころか、結界構築以来、一度として異変が起きたことはない。
「急いで結界を封鎖して! これ以上化け物が増えるのはこりごりよ!」
「そ、それが……魔力の充填は行っているのですが、一向に裂け目が閉じず……!」
「な――あ、あの白いのが……? ヴァレリア! レイヴン・アトラザム!」
アンジェラの吠えるような声に、少しの沈黙の後、二つの声が答えた。
「なんだ?」「なんでしょう?」
「あの白いのと……対話してみて」
「失礼ながら――私は未だに状況を把握しておりません。レイヴン・アトラザムが適任では?」
「あなたもいくの! ……私も上がるから。ひとまず、あれは獣じゃないみたいだし」
アンジェラは言うや否や、長いスカートの裾と灰色の髪を翻し、部屋を出て行った。
討ち果たした竜の骸の前に、血塗れの騎士は降り立った。
騎士は膝を突き、右手を地に着けた。その手の平の上から生え出るように、一人の人影が現れる。銀色の長い髪を揺らしながら、紅い瞳は死してなお溢れ続ける血の大河を見回す。
「……これ、そもそも竜の血じゃない」
ネイトは、躊躇うことなく地面を流れる血に指を付けた。
それを一舐めし、うんうんと頷く。
「変な味だ」
『変というと?』
「味がしない。人や動物の類の血でもない。――たぶん、心臓も偽物だね。いや、そもあるかどうかが怪しいか。ラーニングはできそうにない」
『雑魚をラーニングしても情報の足しにしかならん』
「この時代の竜についての情報は必要だ。ファーレンハルトにとっては必要でなかったとしてもね」
『だが、分からないことが分かっただけいいじゃないか』
まあね、と、ネイトは適当に相槌を打ち、死体の方へと歩き出した。
「こいつは幻でもなんでもない。実体化して、人を殺し、街を壊せるだけの力を持った生物だ。単体としての能力は僕達がよく知っている竜の成体とそう大差ない」
地の河を踏みしめ、竜の身体に登っていく。
「……そんなものを作り出せる何かがいるのだとしたら、それは恐るべきことだ。人にせよ、竜にせよ」
『人にせよ……か。で、どうだ? 間近で見て』
ネイトは竜の胸部のあたりでかがみ込み、耳を当てた。
「やっぱり心臓はない。真っ当な生まれ方をしたわけではなさそうだ。……だとしたら、さっきまではどうやって動いていたんだ、こいつは……。それに血だって……」
『解剖を手伝おうか?』
「いらないよ。……そろそろこじ開けているのも限界だね」
竜の上のネイトが、頭上に視線をやった。それを機に、二つの閃光が空から飛来した。
竜の死体の脇に二本の剣が深々と突き刺さり、土埃が舞う。猛烈な突風の中にあっても、その華奢な身体は竜の上で立ち続けていた。
「……さて、そろそろここの責任者さんのお出ましかな」
『ここからのプランはあるのか?』
「出方にもよるかな」
ネイトは竜からぴょんと降り立ち、彼らの方へ近付いてくる人影を見据えた。
竜の死体と血液から発せられる激臭は、大の大人であるレイヴンですらも青ざめさせる。ヴァレリアも綺麗な眉を少し寄せながら、ゆっくり近付いてくる。
アンジェラに至っては袖で必死に鼻と口を覆っていたが、目尻には涙が滲み、何度も喉がえづいている。
そんな彼らを見下ろしながら、ネイトは死体から軽やかに飛び降りた。
「ああ、慣れていないと嫌な臭いですよね。これはまがい物なので臭いは多少マシな気もしますが、初めて嗅ぐとなると気分が悪くなるのも当然です」
「おうっ……ええと……えぐっ……」
ヴァレリアの後ろからアンジェラが顔を出し、何か尊大な態度で声をかけようとするが、不明瞭で聞き取れない。というかむせている。
袖を少しでも離せば高純度の臭気が鼻をつき、失神しかねない。そんな無様を晒すくらいなら死んだ方がマシだ――という実にみっともないせめぎ合いから生じた態度なのだろうが、彼女を庇うヴァレリアは彼女から見えないことを良いことに、大きくため息をついた。
一方、ネイトはというと、竜の臭いも気にならないようで、ゆっくりと三人の元へ近付き始めていた。
「ひとまず、脅威は排除しました。これは間違いなく死んでいます。……生きていたかも怪しいんですが、まあそれはさておいて」
「……そいつはどういうことだ? げほっ……なんつー臭いだ……」
「話すと長くなるんですけど、今話します?」
ネイトは先ほどよりさらに青くなった三人の顔を見回しながら尋ねた。
三人は、一斉に首を横に振った。