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屠竜流離譚  作者: 風見どり
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その2

二〇一六年、三月。地上八〇〇〇メートル地点の穏やかな空を神秘の楽園「アトラティア」は悠然と行っていた。

 しかし、それは外から見た偽りの姿に過ぎない。

 今、外界を隔絶した楽園の内側では、凄惨な破壊行為が行われていた。


 咆哮と炎が、都市と森を焼き尽くす。爆炎は容赦なく木々と人を飲み込み、一瞬の内に塵へと変えた。

 アトラティアを覆うドーム状の空――それは外界からの一切を拒絶する結界であり、当代のあらゆる技術をもってしても破ることができない、絶対防護壁であった。

 その内側で蹂躙の限りが尽くされている。たった一体の生物によって。

 それは、対の翼を備えた怪物だった。二本の手、二本の足を持ち、長い首とは虫類を思わせる頭部から、紅色の瞳を覗かせていた。

 遙か未来にその一切を駆逐されるまで、千年帝国を築き上げる種――竜である。

「ギシャアアアアアアアアアアッ!」

 竜の咆哮は大気を震わせ、アトラティアを覆う結界を揺さぶった。

 既に大陸の大半が竜の攻撃によって甚大な被害を受けている。

 しかし、彼の暴虐を前にして、全くの無抵抗であるほど、アトラティアの人々は弱くなかった。彼らには、かつて竜種によって葬り去られた人類と違い、神秘の力があったのだ。


 アトラティア、地下。竜の猛烈な炎も、大地の下に築かれた空間にはまだ達していなかった。戦闘力を持たない市民達の大多数はこの地下に避難してきていた。

 その地下施設の中心部、避難区画よりもさらに一段深い地点に、アトラティアの(即興)防衛本部があった。

「名代様! 防御部隊十二隊のうち四隊が壊滅的被害を受けたとの報告が! 全隊員酷い熱傷を受けており、治癒魔術による回復が追いつかないと……!」

 室内の巨大なモニターには、竜種の姿と都市の各所の映像が映し出されている。

 室内の後方には幾人かの男女が半透明の半球体を囲み、何やら交信をしているらしく、悲痛な面持ちでやり取りを続けていた。

 そんな後方には脇目も振らず、正面の映像を腕組みしながら睨み付ける少女は、背後から聞こえる悲鳴にも似た言葉にしばし強く唇を結んでから、稟とした表情で振り返った。

「捨て置きなさい。その者達は助からない。……仮に助かったとしても、すぐには前線に戻れないでしょうが!」

「し、しかし……!」

「使えない者を治すのに魔力を回すくらいなら今も前衛部隊として戦っている者達の補助に回りなさい!」

「……りょ、了解しました」

「で、動けるのはあとどれくらい?」

「八隊……ですが……。その、戦意がこれ以上維持できるかどうか……」

「どういう意味?」

 灰色の長い髪が翻り、紅い瞳がギロリと睨み付けた。

「――アンジェラ。勝ち目のない手合いと戦えば、戦意を失うのが当然なのです」

 紅い瞳の少女――アンジェラを制するように、冷静で抑揚のない声が響き渡った。

 アンジェラの傍らに控える、右目を隠すように前髪を伸ばした黒髪、紅眼の女性は険しい顔をアンジェラに向けていた。

「……ヴァレリアは無理だっていうの?」

「はい」

 返答は簡潔であった。

「彼の戦闘力は、我々の尺度で測れる次元のものではありません。人の身で真っ向からやり合うという発想がそもそも間違えているのです」

「……じゃあどうしろっていうの? このままここに引きこもっていろとでも?」

「はい」

「はいじゃないでしょう! 奴が浮遊晶石を破壊した時点で終わりなのよ?」

「失礼ながら、彼はそこまでの知性を有しているとは思えません。あれがやっているのは、ただ単なる破壊と殺戮です。都市や森の破壊は聖主が戻られれば復興可能。しかし、人の命は戻りません。……彼という災害が去るまで、じっと耐えるのが得策ではないでしょうか」

 アンジェラは首を横に振る。紅い瞳に宿る強い意志は、未だ抗戦を諦めていないことをありありと感じさせた。

「それはできない。奴が晶石を落とさないとは限らない」

「……晶石の防衛には私が出ましょう。これならいかがです?」

 アンジェラはヴァレリアの言葉に目を閉じ、逡巡し、首を縦に振った。

「承知しました。東部の晶石は私が責任を持って防衛いたします。……ですので、防衛部隊の撤退を――」

「……既に、連絡が途絶しています」

 ヴァレリアの紅い瞳は一瞬細まり、無言でうなずいた。

「撤退の指示は出し続けてください。……では、私は上に」

『……おい名代のクソガキ!』

 モニターから、荒っぽい男の声が響いた。

 竜の姿が映し出されていたのが一転、髭面の男の顔がドアップで映し出された。

「レイヴン・アトラザム!? あなた、なにしてるのこんな所で!」

『そりゃこっちの台詞だ! 戻ってきたら火の海だなんて聞いてねえよ! ていうかありゃなんだ? お前らのシリーズの新作か?』

「違う。――突然、本当に突然湧いて出てきたの!」

『湧いてきた……? 結界をぶち破ったとかじゃなくてか?』

「そう! ――そういうあんたはどうやって入ったのよ!?」

『いや、俺は普通にバレてない抜け道を使って――。って、そんなことは今はどうでもいい。雑魚は追い返した。俺がやる』

「自殺行為ですよ、レイヴン。いかにあなたほどの手練れでも、あれの相手は無理です。あなたの銃なんて、豆鉄砲と変わりません」

『おうおう、言ってくれるねえ。おじさん、そういうこと言われると俄然張り切っちゃうんだよねえ。……とにかく、あの化け物が浮遊晶石の方にいったらおしまいだろうが! 誰かが奴を引き付けておかねえと、二個もやられたら落ちかねないんだぞ!』

「晶石の護衛は私が。……望み薄とは思いますが、あなたにお任せしてよろしいですか。ま、何か奇跡が起きて打倒できるかもしれませんし」

『あらあら、期待感の薄いこと……。んじゃ、そういうことで』

 通信は一方的に打ち切られ、再び竜の姿が映し出された。

 ――そして、竜は突如として、けたたましく咆哮した。


 竜のこめかみを、銃弾が貫通する。

「さすがに目は利くだろう……? ン……?」

 アトラティアの南部に広がる森林の中、狙撃銃を片手に持つ。黒い長コートを着込んだレイヴン・アトラザムがそうつぶやいた瞬間、猛烈な突風が吹いた。

 それが竜の咆哮によるものと気付いたのは、自身の身体が宙を舞い、自身の頭上に対の翼が広がるのが見えてからだった。

「……おうおう、確かにコイツは……」

 竜の口が、開く。

「とんでもねえや」

 逆巻く炎は、そのまま地面に向かって叩き付けられた。

転移(ディース)!」

 レイヴンの声を掻き消すように、銃声が響く。その半秒も経たぬ内に、炎がレイヴンのいた空間を飲み込んでいった。炎は木々を焼き尽くすのではなく、押し潰し、それから焼き払う。

 レイヴンは、二キロほど離れた建造物の屋上から、その様子を見つめていた。

「こら、無理だな」

 銃身を肩に乗せながら、レイヴンは険しい顔でつぶやいた。

 既にアンジェラ達と通信していた時の余裕はない。

「だから望み薄といったでしょうに」

 レイヴンの背後、背中合わせのようにして、黒髪をなびかせ、自身の身体とさして変わらない大きさの大剣を二つ、手に持ったヴァレリアがいた。

「……まあ、生前火葬されたらしい死体を見た時点でとんでもねえのかとは思ってたけどな。ただ、銃は効いたぞ、一応」

「……本当ですか?」

「ああ。術式で補強した弾丸を目玉に見舞ってやったよ。……そしたら、森が一個消えたけど」

 南方では火の手が上がり続けている。

「ずいぶんとお高く付いた銃弾ですこと。……とはいえ、あなたの手持ちの弾丸を撃ち尽くして、あれを殺すのに足りるかどうか」

「生憎とロケットランチャーとか、ザ・兵器って感じの武器は持ってきてないんだよね」

「一応、武装をお聞かせ願えます?」

「ライフル、ハンドガン、マシンガン。銃の名前でオタクっぽく言った方がいい?」

「結構です、意味はその方が理解できるので。……いけませんね、勝てるビジョンが見えません」

 ヴァレリアは「おしまいですね」と付け加えた。

「んな縁起でもない。……我らが聖主様はなにしてんの?」

「瞑想中です」

「は――ははははははははっ! なんだそれ! 冗談にしてもタチが悪い――え、まじ?」

 ヴァレリアは首を縦に振った。

「……ウソだろ、こんな状況で瞑想って。どれくらい前から?」

「一昨日から……でしたか。指揮権は全て、名代様――アンジェラが」

 レイヴンは嘆息し、コートの内ポケットからタバコを取り出した。

 タバコを人差し指と中指の間に挟み、軽く手首を振ると、タバコの先端から煙が立った。

「人生最後の一服かあ」

「諦めが早いですね。地下に隠れたらどうです?」

「地下はどうせ嫌煙家の皆様の巣窟だろ。あいつらと同じ綺麗な空気を吸うくらいなら、主流煙を肺一杯に吸い込むね」

「……ちなみに私も嫌煙家です。服に匂いが付くので」

「おっと、こら失敬」

 レイヴンはタバコを下方に投げ捨て、狙撃銃を構え直した。

「とりあえず目玉二つ潰す。そうすりゃ少しは時間も稼げるだろう。あんたは晶石の方を頼む」

「なぜわざわざ中央で戦うんです?」

「下から狙いを付けるよりは、高さが近いこっちの方がやりやすい。あと、おじさんこの街が嫌いでね。どうせなら一回ぶっ壊してスクラップアンドビルドしてもらおって。……ほらいけ。お前は転移で逃げられんだろ」

「……承知。ご武運を」

 ヴァレリアは床を一蹴りし、高らかに飛び上がると、そのままビルの上を華麗に飛び移りながら、東の方角へ消えていった。

「奴の飛翔速度からして、二発を打ち込む時間があるかどうかは怪しいな。ボルトアクションに拘る俺のオタク心がこんなところで致命傷になるとは……」

 引き金に指をかけながら、レイヴンは深く息を吸い込む。

「その充血した目に目薬をくれてやるよ――」

 息を吐き出すと同時に、レイヴンは引き金を引いた。

 先ほど、微かに外した狙いは――二度は、外さなかった。

 右目に弾丸の先端が埋まった瞬間、竜は金切り声を上げ、翼を大きく、激しくはばたかせた。

 そして、ただの一度の羽ばたきで森の火の手を掻き消しながら、真っ直ぐ、弾丸の出所――レイヴンの元へと飛翔する。

 その動きが見えた瞬間、レイヴンはボルトハンドルを引き、排莢と装填を終え、左の目に狙いを付けていた。引き金に人差し指が移り、すぐさま引こうとするが――。

 竜の翼の羽ばたきから起こった猛烈な突風は、備えていたとはいえ、レイヴンの体勢を崩すのには十分な強さだった。

「ちっ……!」

 それでも引き金から指は離さない。破れかぶれであったとしても、レイヴンは引き金を引ききる覚悟があった。

「――当たれ!」

 祈りを込めた一言と共に、引き金は引かれた。

 竜は既に突進してきている。両者のやり取りは秒にも見たぬ刹那で終えるだろう。



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