1-8 はじめての魔法 後編
また魔法か。もういい加減にしてくれよ。
油断していたのは否めないけど、こんなもの、どうすればいいんだ。
石の筍を警戒して石が疎らに嵌まっている道から離れていたのに、どこにでもある土で同じ事をされると用心のしようが無いだろう。
せめてもの救いは土の塊だったからか、腹が『うっ』となっただけで特に怪我も負っていないことくらいか。
顔を上げると目前の建物は壁の一部が崩れて中が丸見えになっていた。
そこから覗いてみると、お仲間ゾンビはいないようだった。これは朗報だな。
そして、奥のほうに見えるのは、テレビで見たことのあるなんとか教の祭壇に似ている。
ここが教会だとしたらデカゾンビはなんて罰当たりなことをしでかしたんだ。いや、ゾンビなら褒められる行為なのか?
まぁ、そんなことはどうでもいい。魔法がある世界なんだし神様が居てもおかしくはないだろう。
それならば、あの勝利を確信したように悠然と歩いてくる罰当たりに、天罰の一発でも与えてくれないものだろうか。こう、空から地面に刺さるどでかい雷がズドーンと――
その光景を脳裏に思い描いた瞬間、一条の青白い光の柱が空を裂き、宙を駆け、デカゾンビを頭から打ち抜き地を穿つ。
それと同時に空気が震え、耳をつんざくような轟音が辺りに鳴り響き、大地も呼応するかのように鳴動する。
それに遅れることなく破壊の残滓が衝撃波となり、地面に散らばる砲弾もろとも俺を吹き飛ばして周りに広がり渡り、少し間を空けて森のざわめく音が耳に届いた。
目の前の出来事に理解が追いつかず、教会の壁に背を預けたまま身を起こしもせずに放心状態で空を見上げる。
白み始めた空には雨雲なんてどこにも見当たることはなく、誰が見ても快晴だと言えるだろう。
そこから下へ目をやると大きな穴が開いているだけで、デカゾンビは腐肉の焼けた匂いを少しだけ残して跡形もなく消えていた。
*
あれから数分経とうかというところでようやく落ち着きの戻った俺は、落とした杖を拾い上げてのそりと起き上がった。
落ち着いたというよりは受け入れたといったほうが正しいかもしれない。
それというのも、命が脅かされるほどの窮地に陥った時に神様が助けてくれた――だなんて都合のよいことは起こらないだろう。
その神様も、居るかもしれないとは思ったが、居ると確信したわけではない。
仮に存在したとしてもタイミングがおかしいではないか。
あれが起こったのは俺が頭の中にイメージした瞬間だった。遅れたとしてもコンマ秒以下だろう。
それなら、誰がやったのかということになるわけだが、自然現象ではないのは確かだ。
雨雲がないことは確認しているし、そもそもあんな形の雷を見たことがない。
雷といえばひび割れのようなギザビザ模様なのに、さっきの雷は図太い柱だった。
しかも、その太い柱にはささくれた光の帯がくるくると纏わりついていて、まるで蔦の絡まる大樹のようだった。もはや雷とは言えないだろう。
もしも、日の出とともに光柱が降ってくるのがこの世界特有の現象だったとしても、うまい具合にデカゾンビだけに当たるだなんて考えられない。
では、これをやったのが俺だと仮定するとどうだろうか。
タイミングについては問題ないだろう。形だって雷には見えなくても、過去に読んだマンガか、プレイしたゲームに似たような物があった気がする。
そっくりではなかったから気づかなかっただけで、ほかの作品とごちゃ混ぜになっていると思えば納得できる。
後はもう、ぐだぐだと考えていないで実際に試してみれば早いだろう。
*
どこかに的はないかと周囲を見渡してみても、穴の開いた教会と寂れた村しか見つからない。
おそらくはデカゾンビが暴れたせいで誰も居ないんだろうが、他人様の家を勝手に壊す趣味は俺にはない。教会も同じだ。
ほかにこれといった物もないし、さっき下りてきた山にでも打ち込むとするか。
イノシシモドキから逃げてる最中もほかの動物は見かけなかったし、建築物なんて一つも見なかった。
念のために通ってきた所を狙っておけば特に問題はないだろう。
せっかくだから自作の杖を突き出すように構え、先ほどの光柱が山の中腹付近にズドーンと落ちるイメージを頭に思い浮かべると、腹の底からむずがゆい何かが背筋を駆け上り、頭の中に流れ込んで弾けるような快楽が迸る。
それに時を挟むことなく、空の彼方から青白い大樹が地に向かって屹立し、狙い違わず山の中腹へと到達する。
轟きとともに土が飛び散り木々がなぎ倒されていく。
大地が震え、降り積もった土砂が水のように流れ出した。
予想以上の威力で山が半壊するほどに崩れるその光景を前に、引き攣った顔には乾いた笑みを貼り付け、うるさく笑う膝には抗わず、その場に尻餅をつくかのように座り込んだ。
崖の多い山だったが、もうそんな話ではなくなってしまった。
ただの確認にしてはやりすぎた気がしなくもないが、やはり俺の仕業で間違いないようだ。
頭の中でイメージしたのはデカゾンビに当てた光柱と同じものだった。
たった一本で大穴が開いたそれのサイズを、距離の考慮もせずに離れた山へそのまま落とせばこれだけの被害になるのも頷ける。
自分で被害とか思ってしまったけど、あの結果を見れば災害と言っても過言ではないだろう。
こんなものを見せられると、魔法を使えるからって無闇矢鱈と放たずに自重しないといけないかもな。
でも、あれはめちゃくちゃ気持ちよかった。
それこそオーガズムに勝るとも劣らないほどの快感だった。
ほかの何かに例えようにも、経験豊かとは言いがたい人生だったもんで思い当たるものがそれしか出てこない。
一発目なんて呆気にとられたのもあるが、放心状態になった主な原因はこれだからな。気持ちよすぎてすぐに動けなかっただけだ。
その後、賢者モードが訪れて下らない考察をしてしまったが、それに続いた二発目はさらに上回ってしまい、立っているのも危ういほどに膝がガクガクだった。
気を失わなかったのは常日頃から鍛えていた賜物だろうか。
だが、今はパンツの中が不安で堪らない。
そういえば、なんでも入る袋から出し入れする時も背筋がぞわぞわしていたし、あれも魔法に関わるものだったんだろうな。
理不尽なほどに便利なんだから魔法の袋と言われたほうがすんなり納得できてしまう。
しかし、あれでは気持ちがよいとは言えず、ただ背筋がぞわぞわするだけで、くすぐられた程度にしか感じないから代用にはなりそうもない。
おそらくは魔法の威力によって快感が上下するんだろうから、我慢できない時はどこか誰も居ない土地を探して、そこでぶっ放すしかなさそうだ。
今の俺なら魔法にやたらと詳しい魔法マニアや、狂ったように連発する魔法狂いの気持ちがよくわかる。
まぁ、今までどおり右手にがんばってもらえばそれで済む話ではあるが。
*
また下らないことばかり考えてしまっているうちに日が頭をのぞかせていた。ようやっと悪夢のようなゾンビナイトが終わったようだ。
時間にしては短かったかもしれないが、かなり濃密な一時だった。
……もう二度と味わいたくはないがな。
夜も明けたことだし今後の予定について考えよう。
無駄かもしれないとわかっていてもまだ見ていない区域で生存者を探すか、今すぐにここを発って近隣の村に希望を求めるか。それとも山に戻るかだが……これはないか。
どっちにしろ、山の上から眺めた限りでは、隣村があるとしたらまだ見回っていない方の先だろうし、その途中で注意するだけでも十分だろう。
まずは逆方向ではあるが、手近な所でこの教会から見てみよう。デカゾンビが壊したせいで調べるようなところは見当たらないが、もしかしたら物陰に隠れているかもしれない。
壊れた壁から中に入ってみると、俺の知っている教会とは違って椅子もオルガンみたいな物もなく、出入り口の扉から真っ直ぐに進めば、木で作られた大きめの机が一つだけ置かれている。
その奥には神様か何かを象った像が祭られており、もう少し経てば上のほうにある小さな窓から光が差し込んで幻想的な景色になることだろう。
ほかには何も置かれていない。よく言えば質実剛健な教会であった。
唯一の障害物である机の裏に回り込んでみたが、やはり人の姿はなく小さな溜息がこぼれた。
期待していなかったとはいえ空振りに終わった徒労感はどうしても出てしまうものだ。
収穫のなかった教会から外に出たところで、遠くのほうからなにやら騒がしい音が聞こえてきた。住民が戻ってきたのかもしれない。
これがまさかゾンビの群れだったりすると面倒だ。念のために様子を窺いに行くとしよう。
でもその前に、デカゾンビがいた所の穴を見ておこうかな。
やっぱり気になるものは気になるからな。
穴からのぞき込んでみると石の筍や壁なんかは埋まっておらず、底が見えるだけでゾンビに関する物は骨すら残っていなかった。
深さはぱっと見ただけではわからないが、ここに落ちたら一人では這い上がれないことは間違いない。
このままでは危険だろうから、誰も落ちないように柵でも作っておくべきだろうか。
自慢のいい感じの棒コレクションのなかから柵に使えそうな物はないかと思いを巡らせていたら、徐々に大きくなる馬の足音が耳に入ってきた。
何事かと顔を上げたころには足音は小さく疎らになっていたが、村のほうからピカピカの白い全身鎧に身を包んだ者が二人、騎乗したままこちらの様子を窺っているようだ。
手には長い槍を持っているだけで特に何かしているようには見えないが、ただ見られているだけというのも気分が悪い。
俺が後ろの教会を破壊した犯人だと思われても洒落にならないし、ちょっと声を掛けに向かおうか。
ピカピカ鎧のほうに向かって一歩二歩と進んだところで、片割れが馬に乗ったままどこかに走り去っていった。まるでバイト帰りに遭遇する自意識過剰なババアのようだ。
残された一人は微動だにせず、俺をじっくりと観察しているように見える。
その面差しはバイザーに隠れていて窺えないが、馬上から鋭い目つきで俺を見据えているように思えた。
そんな風に見られながらも止まらずに歩き続け、デカゾンビに襲われた石のジャングルも通り過ぎ、村の中に入ろうかというほどにまで近づいた。
そこから事の顛末を説明するために口を開こうとした時、俺を見張っていたピカピカ鎧が手に持つ槍を前方へ突き出し野太い叫びを上げた。
それに伴い、ぼろい家屋の影からは武装した白い全身鎧がわらわらと大勢飛び出して俺を囲むように散開する。
包囲を終えると、奥のほうからは青銀色の全身鎧を纏った凸凹コンビが現れ、背の高いほうが大声で何かを叫ぶ。
「――――――!」
英語でもなく、中国語でもなく、スペイン語でもない。
もちろん、日本語にも聞こえない。
つまり、何を言っているのさっぱりわからない。
全身鎧なんて着ている時点で気づくべきだったかもしれないが、人の姿を見たせいで異世界であることをすっかり忘れて舞い上がっていた。
このままでは事情を説明する前に斬り殺されたりするんじゃなかろうか。
「――――!」
物騒な展開にならないか不安に思っているとさらに声を発した。
音の数から違う事を喋ったようだが、やはり聞き覚えのない言語だった。
それでも何か返事をしておくべきだろうな。日本語が通じるとは思えなくとも意思表示だけはしておいたほうがよい。
「あなたの言葉がわかりません」
さも自分は間違っていないかのように、堂々とした態度で口にした言葉は通じることはなく、それを聞いたノッポは頭に手を当て、やれやれとでも言いたそうな仕草で声を発した。
「……――――? ――――。――――」
何か命令を下したようで、俺を包囲している者たちが手に持つ武器を構えてその距離を詰めてくる。
何がどうなったのか尋ねようにも、言葉も通じずどうしたものかと思ったその時、凸凹コンビの小さなほうが包囲を抜けて俺の前まで走り寄り、その場でくるりと身を返して両手を広げてノッポと対峙した。
それはさながら、俺を守るかのように。