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1-7 はじめての魔法 前編

 俺に向かって走り寄ってくるのは大きなゾンビだ。それだけならばまだよかった。

 いや、よくはないが、イノシシモドキよりはましだった。


 それというのも、二メートル以上は優にあろうその巨体を宿主のようにして、腹部からは何体ものゾンビが生えている。

 突き刺さるようにくの字に折れ曲がったゾンビから垂れるすべての腕は、俺を捉えるかのように前へと伸ばされ、幾本もの足がそれぞれ地を蹴り、上体を揺らすことなく進む様は池に浮かぶ水鳥を思わせる。

 まるで動く大木のようだが、その速度はゾンビの身体に反してとても速い。あのひょこひょこ歩きはとは比べようもないほどである。


 今すぐ逃げ出さないと追いつかれるかもしれないという焦りから背を向けて駆け出した。

 あの足の数でどうやって縺れさせずに走っているのかはわからないが、このまま全力で走っていれば追いつかれはしないだろう。


 しかし、数歩進んだところで空から落ちてきた何かに足を取られ、滑り込むようにその場で転んでしまった。

 振り向いて確認してみると、周囲にはゾンビの頭や腕、胸から上の塊などが地面に貼り付くように二、三体分ほど散らばっている。

 野獣にでも食い散らされたような光景だが、逃げ出す前にはこんなものは落ちていなかった。


 それならば、あのデカゾンビが投げつけたんだろう。

 そう思って件の宿主に目をやると、速度を落としてゆっくりとした足取りに変わっており、腐肉が滴る顔には蔑んだような嘲笑を浮かべているように見えた。


 このまま転がっていてはイノシシモドキよりも悲惨な目に遭いそうだ。

 ここから離れるべく慌てて起き上がりながら駆け出すと同時に、背後からはゴポリと水が泡立つような音に続き、腹の底にまで響く雄叫びが迸る。

 次の瞬間には地面に光る模様が浮かび上がり、そこから大きな音を立てながら石の柱が俺の行く手を阻むかのように地を破り、次々と突き出てきた。


 まるで雨後の筍のようだが、そんなかわいいものではない。

 この石柱は低いものでも一メートル、高いものではデカゾンビよりもさらに高く、それは三メートル以上はあるだろう。

 その形はばらばらで、だだの円柱だけではなく縦に伸びる長方形や、それを横にした壁のような物、なかには槍のような円錐状のものまでが迫り出している。


 起こったことをすぐさま飲み込めず、俺は呆然とその場で立ち尽くした。



 気が緩んでいた。油断していた。見下していた。なめてかかっていた。たった一度の成功で思い上がっていた。誰に言うともなく言い訳ばかりが頭に浮かぶ。


 ここは異世界だとついさっき思い返したばかりではないか。

 まだ理解の範疇に収まるイノシシモドキを見たことで、この世界には何が居るのかわからないという危機感が薄れていたのかもしれない。


 もしもゾンビが居ても走って逃げたらいい――だなんて慢心していた結果がこのありさまだ。

 ゾンビに思考能力なんてものはなく、ただ生者に群がるしか能の無い存在だと思い込んでいた。


 ところが、逃げようとした途端に自分のお仲間であろうゾンビを投げつけて進路を妨害し、それでも止まらなければ石柱群で強引に退路を閉ざしてきた。


 それに、この石柱にしてもそうだ。

 この下に埋まっていたとしても吠えただけで出てくるわけがないし、きっと魔法か何かなんだろう。

 初めて見たけど、だからといって感慨に耽っている暇はない。


 後悔なんていつでもできるが、今この場を切り抜けなければそれも叶うまい。

 背後からの足音は変わらず続いており、なまじ足が多いだけにその音もよく目立ち、徐々に近づいているのは丸わかりだった。


 すぐにでも逃げ出したいが、大小さまざまな石柱に阻まれたなかを突っ走れるわけもない。

 あれがどういう物なのかわからないうちは、不用意に入り込んだりしたら串刺しにされてもおかしくないだろう。


 となれば、ここは反撃に打って出ようじゃないか。

 幸いにも、袋の中にはデカゾンビよりも大きなイノシシモドキを倒した火の玉ワンドがあるんだから、それを連発すれば倒せなくとも隙くらいは作れるのではなかろうか。


 また下手にデカゾンビを刺激させないため、あまり大きく動かないよう心掛けて袋からワンドを取り出す。

 そして、尻尾のスイッチをゆっくりと引っ張り、抵抗が消えたところで準備は完了だ。


 あらためてワンドを見ると、尻尾の紐がずいぶんと長くなっている。

 まさか呪いのアイテムじゃないだろうな。夜な夜な尻尾が伸びてきて、いつの日にか絞め殺されたり……。


 そんなくだらない事を考えたお陰で緊張がほどよく解けてきた。

 後は狙いやすい所から適当に乱れ打ちすればいいだろう。

 ここには燃え移りそうなものはないし、外したとしてもご愛敬ということで済ませられそうだ。


 (おもむろ)に首だけで振り返り、後方を確認しながらそれに続けて体を向けさせると同時に、まるで刀を抜くかのようにワンドを振り払う。

 まずは一発だけで様子見だ。どういう反応を示すか確かめなければ次の行動に移れない。

 利き目が薄いならまだしも、連発中に跳ね返されでもしたら俺が火だるまになってしまう。


 しっかりとは狙っていなかったが、ワンドから飛び出した火の玉は向かって左側、デカゾンビの右脇腹付近に着弾して、宿主から生えているゾンビの一部が燃え上がり始める。

 そして、腐肉の焼ける匂いがむわりと漂いだして思わず口元を抑えた。


 デカゾンビは着弾にも動じず、それがどうしたと言わんばかりに泰然自若としていたが、火の手がゾンビの生え際に迫り出すと、唸り声を上げながら慌てたようにその部位を掻きむしり、やがてそれも面倒になったのか、腐肉がこびりついた手で燃えているゾンビを握りしめ、力任せに引きちぎって投げ捨てた。


 様子見した甲斐もあり、どうやら結合部が弱点であるらしいことがわかった。

 まさか自分の身体をちぎり捨てるとは思わなかったが、次からはそこを重点的に狙っていこう。

 振る動作のせいで精密射撃はできないけど、的は十分に大きいんだから外すことはないだろう。


 今までの弱者をいたぶるような態度に思えたデカゾンビは思わぬ反撃を受けて、まるで俺の出方を窺うかのように低く唸りつつもその場を動こうとしない。

 引きちぎった傷跡からは、血が滴ったり新たにゾンビが生えたりすることもないようだ。

 木の根というよりはスカートのように見えていた多数の足も燃え落ちたらしく数を減らしており、その姿は破れた服を纏っているようで見窄らしく思えてしまう。


 もはやビビる必要はない。たった一発でこのダメージだ。

 チアリーダーもビックリなくらい振り回して燃やし尽くしてやろうぞ。



 スイッチの紐に手を掛け、デカゾンビと向かい合う。

 適当に振っても当たるような巨体だ。仮に腕や足で防がれたとしてもそれらが燃えるだけだろう。


 注意するなら石の壁だが、また出されても回り込めばそれで済む。

 何度でも出すようなら自らを閉じ込めることになるが、このゾンビはそれに気づくだろうか。

 そうなったとしても蒸し焼きにしてしまえば完封勝ちだな。


 思わず浮かんだ勝利の笑みとともに紐をぐいと引っぱる。

 ……が、ビクともしない。

 頬が引き攣るのを感じるが紐はこれ以上引っ張れない。


 さらに力を込めてみても、すでにピンピンにテンションが掛かっていて紐を掴む指のほうが滑ってしまう。

 なんだ、もう発射準備ができていたのかぁ、なんて楽観的に考えられないが、今はそれに賭けるしかない。


 先ほどまでの強気はどこへやら。今では虚勢を張ってデカゾンビ目がけて力いっぱいワンドを振るう。

 しかし、いや、やはり、火の玉は飛び出すことなく、代わりに冷や汗が頬を流れる。


 どうしようね、これ。

 壊れたというよりは弾切れの雰囲気がプンプンと漂っているんだよな。

 好きなだけ打ちまくれる便利な魔法のアイテムじゃなかったのか。

 それならそうと言って欲しかった。せめて残量表示はつけてくれ。


 袋の中身を思い出してみても換えの弾になりそうな物はなかったはずだ。

 色つき水の小瓶か黄ばんだ巻物が怪しいとは思うが、今ここで弾を込める間に何もせず待ってくれやしないだろう。


 現に空振りを悟ったのか、じりじりと距離を詰めてきている。

 これがデカゾンビではなく悪の組織の下っ端戦闘員だったら試したかもしれないけどな。


 もう取れる手はあまり残されていない。

 逃げるのは確定だが前にはデカゾンビが構え、後ろには石のジャングルが控えている。

 串刺しを警戒しながら突っ込むよりも、なにも山の時みたいに真横を通る必要はないんだから、デカゾンビを躱して逃げたほうが楽そうだ。


 もうゴミと化したワンドは捨ててもいいかもしれないが、イノシシモドキでは大活躍してくれたんだからそれも忍びない。

 大変お世話になりましたと袋にしまい込み、その代わりに山で手に入れたとっておきの武器を取り出した。


 これは自慢のいい感じの棒コレクションの中でも最上級の一品だ。

 道中で拾った長めの木の枝だが、木槌の持ち手を緩い曲線を描きながら長く伸ばしたような形状で、折れてささくれた部分を切り落とし、少し残っていた小枝を切り払うと魔法使いが持っていそうな杖に見える。

 すぐに割れてしまうコップ作りには失敗したが、これは我ながらうまくできたと思う。


 言ってみれば二メートル近くあるただの長い棒ではあるが、魔法が存在するこの世界ならば虚仮威(こけおど)しとして通用するかもしれない。

 目の前のこいつは状況判断くらいはできる知恵を持っているようだし、きっと警戒してくれるだろう。


 自作の杖をそれっぽく見えるように構えて対峙する。

 予想どおり血気にはやって飛びかかったりはせず、射線から逃れるかのようにじりじりと横に移動している。


 止まってくれたらそれでいいと思っていたが、おまけの横移動で退路が見えてきた。

 俺もそれに合わせて杖を構えたまま反対方向へ少しずつ進み、囲まれていた石のジャングルから抜けると同時に杖を振り翳し、牽制するようにしてそのまま駆け出した。



 追いかけてこないか首だけで振り向いてみると、片側だけ足が減ってバランスが悪いのか、うまく動けないでいるようだ。

 このまま走れば逃げ切れるとそう思った直後、腰から生えるゾンビに手を掛けて頭や腕を毟り取り、俺目がけて投げつけだした。


 唸るように飛んでくるゾンビの部位はまるで砲弾のよう。着弾の衝撃にその身を潰し、腐肉をぶちまける光景に足が竦んでしまった。


 命中率は悪いようで外してばかりだがいつ当たるともわからない。

 それに、遭遇した時ほどの速度ではないが、ひょこひょこゾンビとは段違いの速さで迫り寄りながらも投擲を続け、近寄るごとに僅かにだが精度が上がってきている。


 直ちに避難したいけど、近くには最初にデカゾンビがいた石造の建物しかない。

 扉が壊されているのが見えてもここからではその内部まで目が届かない。

 もしも中からお仲間ゾンビがわらわら出てきたらそこで一巻の終わりだ。

 四方八方からの腐肉砲弾なんて考えただけでも鳥肌が立ってしまう。


 だが、ほかに盾になりそうなものは、俺が移動したせいでデカゾンビの後方になってしまった石のジャングルだけだ。

 せっかく囲いを抜けたのに今から戻るなんてバカらしい。もう、このまま進むしかないだろう。


 覚悟を決めてデカゾンビと向かい合うよう半身に構え、そのままの体勢で後ろへと進む。

 これは背を向けてしまうと腐肉砲弾を避けられないからだ。危機に瀕して当然の措置だ。決して腰が引けているのを誤魔化すためではない。


 じわりじわりと後ろに進みながら注意深く相手をよく観察していると、生前は右利きだったらしく、左腕で腹から生えるゾンビを引きちぎる際に若干手間取っているように見えた。

 それでも成し遂げているのはゾンビ所以の馬鹿力のお陰だろう。

 そして、そこに勝機を見出した。


 右腕は相変わらずの剛速球だが、多少のブレはあってもフェイントすることなくストレートしか投げてこないようなものだ。

 その一方で左腕は腐肉砲弾の補充も遅く、投げたとしても警戒するほど近くに飛んでこない。

 ゆえに、右腕の投擲を避けてすぐにダッシュで進めば、当たらない左腕を間に挟み、次の右砲撃が行われるまでにある程度の距離が稼げるだろう。


 デカゾンビを見据えていると右腕が動いた。

 そこから放たれる砲弾を躱し、建物へ向かって全速力でダッシュする。


 何歩か進んだところで背後から地面に腐肉がぶつかる音が聞こえて振り返ると、左腕を前に垂らしたまま右腕が次弾の装填中だった。


 思ったより左砲撃までの間隔が短かったが、これならいけるかもしれない。もう次で建物に辿り着ける距離にまできているんだから。


 余裕を持ってデカゾンビを見やると、低く唸りながらその多くの足を動かす様は、思いどおりに事が運ばず癇癪を起こして地団駄を踏んでいるように見えてしまった。


 それでも懲りずに腹のゾンビを引きちぎり右腕でぶん投げてくる。

 俺はそれを躱してまたもダッシュで距離を開ける。


 ところが、後もう少しで建物に届くというところで、背後から音に形が伴ったかのような今まで以上の雄叫びが上がり、地面が光ったかと思うと波打つように隆起し始め、走る勢いそのままにバランスを崩し、何かが割れるような音と同時に盛り上がった土塊に腹をぶつけてそのまま被さるように倒れ込んだ。


 その一瞬後に、俺の頭上を掠めるようにして腐肉砲弾か何かが通り過ぎて建物に激突し、腐肉が貼り付いた石壁の欠片を周囲にばらまいた。


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