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1-6 麓の村

 あれだけの音がしたんだからゾンビは潰れていると思う。

 だが、イノシシモドキの足音は依然として鳴り止まない。


 ジグザグ走行に移行しながらもおずおずと背後を窺うと、牙に捕らわれて逆さまになったゾンビを顔の片側に貼り付けたまま突き進むおぞましい姿が見えた。

 衝突の衝撃か、はたまた逆さまに引きずられたせいなのかは知らないが、頭部と腕にあった皮膚や筋肉が削られて骨が剥き出しになっている部分がある。

 腹を貫かれ引きずられながら、なおもじたばた足掻いているのがゾンビである証左であろうか。


 作戦は成功したが想定外の結果になってしまった。

 まさか新たなクリーチャーを生み出してしまうとは。

 このまま逃げていてもすぐに追いつかれて、俺もゾンビの仲間入りになりそうだ。


 はてさてどうしたものか。

 河原の石に余裕はあれど、これを投げても無駄だろう。

 袋の中の蔓を編み上げて投石紐でも拵えたら何とかなるかもしれないが、走りながら作れるわけもない。


 ほかに何かないかと思考がぐるぐるし始めたところでワンドのことを思い出した。

 まだ使っていないが振れば火が出るらしいあのワンドだ。

 短剣で斬りかかるよりは幾分かましだろう。


 それに、あんな図体だがイノシシはイノシシだった。それならば火に弱いはず。

 ついでにゾンビも大抵は火に弱い――というよりも、大概のものは火に弱い。俺だって熱いのは嫌だ。


 急ぎ袋を手繰り寄せ茶色いワンドを取り出した。

 陸上競技に使われるリレーバトンにそっくりな形で、片方の穴の中にはルビーのような赤い宝石が嵌まり、反対側からは尻尾のように短い紐が一本飛び出している。


 それをケミカルライト(サイリウム)のごとく頭上に掲げて振り回す。

 ライブ会場では迷惑行為だろうが今はそんなことを言っている場合ではない。

 熱狂的なファンのようにブンブンしているがまだ火は出てこない。


 円を描くのではなく、前後左右の直線軌道で振っていても一向に出る気配が訪れない。

 部屋の灯りのようにこの尻尾がスイッチなのかと思い、ぐっと引っぱってみても煙ひとつ出なかった。


 使い方を間違えているにしても振れば出るとしか聞いていないし、ほかにどう振ればいいんだか。

 こんな時に限って、応援の『フレー! フレー!』のことを『振れ! 振れ!』と勘違いしていたことを思い出してしまった。チアリーダーのポンポンみたいに振り回してやろうか。


 知らない事を考えても無駄だと悟り、『もうどうにでもな~れ』と勢いよく振り下ろした瞬間、手首に軽い衝撃を受け、大きなビー玉が割れるような鈍い破砕音とともにバトンの先から火の玉が飛び出し、斜め前方の木の幹を掠めるようにその先の地面へと着弾した。

 一瞬の出来事であまりよく見えなかったが、人の頭ほどの大きさだったと思う。


 思わぬ自体に目を丸くするが、悠長に惚けている場合ではない。

 後ろからはイノシシモドキが追い迫っている。


 ライターかバーナーのような物を想像していて予想とは違った出方ではあるが、威嚇射撃よろしく足下辺りを狙えば驚いて立ち止まるか、あわよくばそのまま逃げ出してくれたら……という期待を胸にジグザグと走りながら大凡(おおよそ)の当たりをつけ、角を折れるに合わせ振り向きざまにワンドを振り下ろした。


 ところが、火の玉は出なかった。

 なんとなくこうなる予感はしていたよ……。

 やっぱり尻尾がスイッチになっていて、それを一回ごとに引っぱらないといけないみたいだな。こんな緊急時には面倒くさいったらありゃしない。顔を顰めてしまうのも仕方のないことだろう。


 また角を折れるタイミングで、今度は尻尾を引いてからワンドを振り下ろす。

 すると、思ったとおりに渦巻くような火の玉が勢いよく飛び出し、イノシシモドキの前方に着弾した。

 これで少しは距離が稼げるだろうと思ったがその期待は裏切られ、イノシシモドキは怯むことなく炎を踏み越え追い立ててくる。


 威嚇が無駄に終わり腰から力が抜けそうになるが、早急に次の手を考えなければ我が身が危うい。

 威嚇でダメなら次は当てるしかないかもしれないけど、それはさすがに尻込みしてしまう。


 しかし、ほかに手立てが浮かばない。

 何かないかとあれこれ考えている間に、もう目と鼻の先まで迫ろうかというところだ。

 逡巡している余裕は、もはや、ない。


 これだけ近いとよく見える。いつの間にやら全身から血を流しているイノシシモドキの背中を狙い、気が進まないまま尻尾を引いたワンドを振り下ろす。

 火の玉は狙いどおりに直撃すれどイノシシモドキは絶叫しながらも走り続ける。


 こうなっては仕方がない。自力で消火できそうな背中ではなく、鼻先に狙いを移してワンドを振り下ろす。

 一発ではまだ止まらず、二発目にはゾンビに燃え移り、三発当てたころにはイノシシモドキも全身を炎が覆っていた。

 そして徐々に速度は落ちていき、ひときわ大きな叫びを上げたその巨体は、足をピンと伸ばしたまま転がるようにズドンと倒れ伏した。



 俺もその場で大の字に寝転びながら、まだ暗い夜空を見上げて息を整える。

 無事に生き延びたことに興奮を覚えるが、少し離れたところでは今も燃え続けるイノシシモドキが目に入り、一つの命を奪ったことを思うとほかにやりようがあったのでは……という悔恨の念に上書きされていく。


 だが、こうでもしなければ自分が殺されていたかもしれないと割切るしかないだろう。

 ……ゾンビについてはすでに死んでいた者として考える。


 吐き出す息がだいぶ落ち着いてきたので、次は昂ぶる心を静めるべく浴びるように水を飲んでいると、ある事に気がついた。

 ゾンビと二度目の遭遇を果たした場所ほどの密度ではないが、ここは山の麓に広がる森の中だ。このままでは山火事になってしまうのではないか。

 それも、ここだけではなく威嚇射撃を放った所や、不意に火の玉が飛び出してしまった所も火を消すことなく後に置いてきてしまった。


 それに気づき慌ててポットで水をかけているけど、焼け石に水で火は弱まりもしない。

 ひとまず、ここは周囲を濡らすだけにして急いでほかの場所に向かおう。



 手間取る事もあったが先の二箇所の火を消して戻ってくると、付近に延焼することなくかなり弱まっておりすぐに消し止めることができた。

 焼かれた亡骸をこのまま放っておくのも何だし墓でも作ろうかと思ったが、イノシシモドキどころか人ひとり分が埋まる穴を手で掘るのも難しい。

 申し訳ないがこのまま放置するしかなさそうだ。せめて手を合わせて冥福を祈ろう。


 立ち去る前に、つついただけで崩れそうなほどに黒焦げになっている巨体を見ていると、下腹部あたりが破裂したかのようにぽっかりと穴が開いていることに気がついた。内蔵が沸騰して飛び散ったのかもしれない。

 なんとなしにそこを見ていると、ガラス片のような物が埋まっているのが目に映る。

 ゾンビのほうはほとんどの肉が燃え落ちたのか、あまり残っていないからすぐに同じ物が見つかった。


 ゾンビだったものに近寄って観察してみると、仙骨――背骨と腰骨のつけ根あたりにこぶし大くらいで歪な形の水晶のようなものがぶら下がっている。

 そのまま吸い寄せられるように手を伸ばしてみれば、熱が残っているのか触れるとまだ暖かい。

 しかし、うっかり力加減を誤ってしまいポロリと手に落ちてしまった。

 すぐに元の位置に押しつけてみたが、当然ながら貼り付くわけもなく手の中で弄ぶことになる。

 このガラス玉は遺骨としてここに埋めておこうか。


 イノシシモドキからも形や大きさの異なるガラス玉を取り外し、いい感じの棒を束ねて穴を二つ掘り、それぞれにガラス玉を埋めた上に石ころを重ねておく。

 簡単なものだがこれでお墓が完成した。

 また手を合わせて冥福を祈ると、今度こそ村へ向かって歩き出した。



 使えそうな物を拾いながら山を下り終え、立ち上る煙を目印にして村が見える所にまでやってきたが、近づくにつれて覚えのある嫌な匂いが強くなってきた。肉の腐ったような……というか、腐った肉そのものの匂いだ。

 あのゾンビはここから来たのかも知れないけど、それにしては匂いが残りすぎている。嫌な予感はするし、それなら行かなければいいだけなんだが、今は少しでも情報が欲しい。


 ゾンビといい、不思議アイテムといい、もうここが元いた世界とは違うということはわかっている。

 元の世界にもゾンビのような人や、魔法と見紛うばかりの便利グッズは沢山あったが、あれほど理不尽な物はひとつも知らない。


 無限に水が出てくるポットなんて持っていたら大金持ちになれるだろう。

 使い勝手が悪くとも、振るだけで火の玉が飛び出す棒なんて危険すぎる。

 巨大なイノシシは探せばいるかもしれないが、あのサイズでは自重に潰されて動けないのではなかろうか。


 それになにより俺自身の姿が変わっている。ただの冴えないフリーターが今では童顔美少年だ。

 これが夢だとしたら痛みを感じることが解せないし、異世界だと確信を持つに十分だった。

 まだ一晩しか経っていないが疑う余地はないはずだ。


 あの村でゾンビが無双していたとしても、きっと生存者がいるだろう。

 意外と速い歩みではあったが、さすがに走る人間にはまったく追いつけていなかった。実体験の話だから間違いない。

 それもあって村へ向かっているが、いかんせん匂いがきつすぎる。


 我慢できず手で鼻を覆いながら慎重に様子を窺ってみても人っ子一人見かけない。

 もう夜明けが近いとは思うけど、こんな時間に出歩く人なんていなくても不思議ではないかと思い直し、村の中へと足を踏み入れた。



 あまり裕福とは言えないようで、土中に直接柱を突き立てた掘っ立て小屋のような粗末な家が畑と隣り合うように疎らに建っており、そのどれもが暗く静まり返っていて、なかには扉が開いたままの家屋もある。


 まだゾンビの姿は見かけず、鼻がひん曲がりそうな悪臭だけが漂っている。

 目印にしていた煙の出所に向かってみると、一つの家が焼け落ちてしまっていた。延焼するほどの物もなく、すでに鎮火しているのでこのままでも問題ないだろう。


 さて、生存者の捜索にあたりたいが、こんなホームセンターすらないド田舎だと山に逃げ込むのかもしれないけど、見かけたのはあのゾンビとイノシシモドキだけだった。

 今から戻るのも億劫だし、まずは村の中でまだ見ていない所から探していくとしよう。


 周囲を見渡しながら扉が開いてる家に近づき、小声で『失礼します』と呟きながら屋内をのぞき込むと、狭い部屋の中にはやはり人はおらず静かな闇だけが広がっている。

 家具と呼べそうな物は皿が載ったままの簡素な机と、背もたれのない箱のような椅子くらいしか置かれていないようで薄ら寒さを覚える。


 奥のほうには並べた木箱の蓋の上に藁の塊が置かれており、寝床として使っているのかもしれない。

 それらの反対側の壁際に置かれている、煉瓦を組まれた物は(かまど)だろうか。

 近くには少量の薪が積まれ、水瓶――水の入った壺も見つけた。

 ほかには何もない。本当に物が少ないんだ。


 思った以上に貧しい暮らしのようだが、誰かがここで生活していたのは間違いないだろう。

 床は砂埃で汚れていても、机の上に埃は積もっていない。

 あまり綺麗な部屋だとは言えないけど、ちょっと留守にしているという感じだった。

 ほかに見る物もないため次の家屋へ向かってみても、程度の違いこそあれど似たような家ばかりが建っていた。



 そうやって見て回りつつ、村の中央へ近づくに連れてぽつぽつと大きな家が増えており、何者かに壁を破壊された家屋が散見するようになってきた。

 その中は決まって血塗れだ。腐肉とは違う悪臭ですごいことになっている。


 黒く変色した血が飛び散っている家具は今まで見てきた家々よりも品数が多く、その質も少し上の物のように思える。

 あまり見ていたい光景ではないが、どこかに生存者がいるかもしれないと思えばそうもいかないだろう。『誰かいませんか?』などと声を掛けてはいても一向に見つからない。


 村の中心地には、ほかと比べてひときわ大きな家が建っていたが、この家も壁が壊されておりせっかくの豪邸が見るも無惨な姿になっていた。

 外から窺うだけでは足りず勝手に家の中へと失礼したが、部屋の数も多くてほかの家では見かけなかった絨毯が敷かれていたりと、結構なお金持ちであったと推測できる。


 しかし、それにも黒い血がぽつぽつと落ちていて残念なことになっていた。

 隠し部屋なんてものがなければすべての部屋を回ったことになるが、ここでも生存者は見つからず、また別の家へ向かうべく歩き出す。


 そろそろ半分くらい見て回ったころだろうか。村の端のほうまできたところで、ふと顔を上げると月の色が赤く染まっていることに気がついた。

 いつの間に変わったのかわからないが、その月に照らされる周囲には畑などはなく、疎らに石を敷かれただけの石畳とは言いがたい一本の道が先のほうまで伸びている。

 それを辿ると、一軒だけぽつんと村の中から飛び出すように建っている石造の小屋のようなものが視界に入った。


 そこでは何人かが作業でもしているような様子が窺える。

 ようやく生存者を見つけることができたと、ほっと一安心してそこへ向かいながら声を掛けようとしたところで、今までと比べようもないほどの凄まじい腐臭が鼻に飛び込んできた。


 思わず口から天の川(リバース)が飛び出してしまいそうになったが、咄嗟に口を押さえながらその場に膝をついてなんとか堪える。

 天に祈りを捧げるような格好になってしまったが、マーライオン(リバース)にならなかっただけでも自分を褒めてやりたい。


 気を取り直して立ち上がり、駆け寄りつつも頭上で手を振りながら呼びかける。


「おぉ~いっ! ご無事ですか?! お怪我は――」


 すると、言い終わるよりも先に作業をしていたものが身を起こし、俺に向かって滑るように近づいてきた。

 複数の足音を響かせているが動くものは一つしか見えない。

 それも、人よりも一回りか二回りは大きなものだ。

 またイノシシモドキでも出たのかと思い足を止めて身構えてしまったが、まだそれのほうがましだったかもしれない。


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