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1-4 違和感の正体

 ふと目が覚めるともう日が昇りきっており、焚き火もすでに消えていた。

 一瞬冷や汗が垂れたが、まだ家に帰っていないんだった。今日もバイトがあるのに、このままでは困ったことになってしまう。せめて電話ができればいいんだけど……袋には入っていないんだよな。


 薄々と勘づいてはいるが、まずは今どこに居るのかを確かめたい。

 木が邪魔になって見えないが、この川を辿って上流へ行けばきっと山があるだろう。そこに登れば周りを見渡すことくらいできるはずだ。山小屋でも見つけたら人が居るかもしれない。

 袋の中の遠足セットを思えば、こうなることが怪人にはわかっていたのではないかと勘ぐってしまう。


 出発前に袋から青いティーポットを取り出し上を向いて一口、二口と口に注ぎ、消えているとはいえ焚き火跡の上にも念のために掛けておく。

 そして、ティーポットと外套を袋にしまい込み、ほかに忘れ物はないかと辺りを見ていると、何の気なしにまだ手をつけていない流木を拾って袋の中に入れてみたら、するりと入っていき手の上には跡形もなくなった。


 ちょっと調子に乗って近くの流木をほいほい入れてみる。

 目につく限りすべて入れたが袋は何ともないようだ。これではまるで未来の猫型ロボットがお腹に貼り付けているポケットのようだ。

 どれくらい入るのかわからないが、現時点でも文句が出ないほどに優れた働きをしてくれている。返せと言われても返したくないぞ。


 なんだか楽しくなってきて、使いもしないのに川原の石もこれでもかと入れてみたが、袋は重くもならず破れもしていない。試しに袋の口よりも大きな石を近づけてみれば、これもなんのことなく袋の中へと滑り落ちていった。まさにあのポケットだわ。

 最後にでかい一発をお見舞いして気も済んだことだし、そろそろ先に進まねばと上流目指して川に沿って歩き始めた。


 あれからすぐに川原が途切れてしまい、また森の中へ戻ることになってしまった。

 こちらは道らしい道なんてなく歩きづらい。まだ川原のほうが多少ましだった。

 

 気になる物を袋に入れたりしつつずいぶんと歩いた気がするが、山の姿はいまだに見えてこない。緩い斜面を登っているような気はするし、このまま進めばいつかは辿り着けるとは思う。

 しかし、こんなにも水場が近いのに獣道のひとつすら見当たらないということが変な感じだ。


 小休止をはさみ、さらに小一時間ほど歩いたところでようやく変化が訪れた。

 遠くのほうから水の落ちる音がする。滝があるということは段差があるということで、それはつまり山が近いということだ。もう空が赤み始めたことだし、足早にそこを目指した。



 思ったよりも距離があったが滝の前までやってきた。

 結構遠くまで音が聞こえていたにもかかわらず、その滝は岩肌を垂れるように流れており、なんというか、その、ショボい。小川のせせらぎと自分の足音くらいしか聞こえなかったせいで耳が鋭敏になっていたのかもしれない。


 だが、いくら期待はずれの滝とはいえ、こんな苔だらけの岩を掴んで五メートルも登るのは難しいだろう。どこか回り道をしないといけないが、先に日が沈んでも困る。探索は明日へ回して今日はここに泊まることにしよう。

 まだお腹は減っていないが水だけ飲んでおこうと、袋に手を突っ込むと大変なことになっていた。


 袋自体に問題はないようだが中身がぐちゃぐちゃだ。

 最後に入れた大きな石が手前に陣取っており、その後ろに川原の石が大量に転がっている。その隙間からは流木の薪が覗き、お目当ての青いティーポットはさらに奥のほうにあるようだ。


 この袋は入れた順に奥へ押し込まれるんだな。強引に引き出すことはできると思うが、これでは見た目が煩わしい。両手を突っ込み石や薪がそれぞれ一纏めになるよう動かしてみると、そのとおりに配置することが可能なようだ。これでほかの物も一望することができた。


 思わぬ落とし穴だったが、次からはただ放り込むだけでなく、ちゃんと考えて入れなければ汚部屋(おへや)のようになってしまうな。自動分別なんてあれば楽だけどそれは望みすぎだろう。

 どうせ自動設定なんて変な挙動しそうだし、こまめに整理するよう心掛けておけばいいだろう。


 どこかに座って飲みたいが、この辺りは川原といえるほどの広さはなく、滝壺からやや離れた所に水面から頭を覗かせた大きな岩がいくつか見える。

 座れそうなものは一つしか見当たらず、それを目指してぴょんぴょんと岩の上を跳ねて進む。


 一度も落ちることなく辿り着き、そこへ腰を下ろして袋に手を入れようとしたところで強烈な違和感に襲われた。

 何か見てはいけないもの。居てはいけないものが目に入ったような……。


 素早く周囲に視線を飛ばすが特に気になるものは見つからない。

 けれど、気のせいにできるほどの感覚ではない。

 いまだに焦燥感に似たものが心を支配している。

 今すぐ見つけないと取り返しのつかなくなる事態に陥りそうな、そんな予感がした。


 じっくりと周りの様子を窺っていると嫌なことを思い出した。

 過去にこれと似た感覚を経験したことがある。

 あれは風呂場で頭を洗っている時だった。強烈に嫌な予感がして振り向いてみるとなぜかドアが少しだけ開いていたんだ。あの時間は俺だけしか家に居ないはずなのに。


 その時は誰かがいたわけではなく、ただ単にドアのラッチが錆びていたのが原因だったが、今この場にそんな物はない。

 三分、五分と目を廻らしても何も変化が見られない。

 納得はできないが何かの間違いなのかもしれないと諦めて、袋に手を入れようと下を向いたその瞬間、違和感の正体がそこにあった。



 夕日に染まる水面に映る、知らない誰かと目が合い息が止まる。


 まさかという思いから跳ね起きて、顔だけでなく手や足、パンツの中まで確認する。


 川に浮かぶその顔をよく見てみれば、面影があるような気もするが遠い親戚と言えるかどうかというくらいに変貌していた。

 黒い髪と黒い瞳は健在で、日本人男性のよいところをすべて合わせて(なら)したような顔立ち。

 これだけなら理想に近いイケメンなのに、元の顔の要素が加わりそのバランスを崩してしまっている。


 いささか童顔ではあるが、それでも元よりよくなっているのは喜ぶべきか悲しむべきか悩むところだ。

 元だってそこまで悪くはなかったはずだ。風呂上がりの鏡の前ではイケてたんだ。嘘じゃないぞ。


 体つきのほうは元が太っていたというほどではなかったが、お菓子の食べ過ぎでやや余り気味だった脂肪もなくなり標準的なサイズになっている。

 手足などは子供のころについた傷の跡がなくなっており、体毛も少なくつるりとして綺麗なものである。


 これでは、もはや他人というほかないほどに別人になっていた。

 パンツの中は……これは心に秘めておこう。よい意味で変わったとだけ。


 驚くには驚いたが正直まだ実感が沸いてこない。目は見えるし耳も聞こえるし鼻も利けば指も曲がり足だって上がる。思ったとおりに動かせるけど見た目が俺ではないだけだ。こんな水面では鏡ほどよく見えるわけではないが、これほど違うならば疑いようもないだろう。

 特にパンツの中が違いすぎた。


 まだ心臓がバクバクとうるさいが、ひとまずは水を飲んで落ち着こう。

 袋に手を突っ込み青いティーポットを取り出して、またちびちびと開けた口へ注ぐ。いい加減コップが欲しい。


 ここに来るまでに燃やせそうな小枝や何かの(つる)いい感じの木の棒(エクスカリバー)なんかは拾っておいたが、輪切りにするだけでコップとして使える竹のような物はまったく見かけなかった。

 木の幹を短剣で削ればいいかもしれないが、すぐに完成するとは思えない。サボテンのような多肉植物を袋状に切ってコップ代わりにするというサバイバル術もあるが、なんか青臭そうだし、それ以前にサボテンなんて見かけていない。

 ほかに思いつくとしたら靴だが……これはないな。


 いつの間にかこんなしょうもない事を考えられるくらいに落ち着いていたようだ。

 もう日も沈んでしまったし、どこか眠れるところを探さなければならない。いくらなんでも、座るのがやっとなくらいの狭い岩の上で眠るのは無理だろう。


 また岩をぴょんぴょんと跳んで森のほうへ戻り、まだ暗くならないうちに滝の岩壁に沿って少し辺りを調べてみる。

 昨日は考えなしに歩き回っていたが夜の森はとても危険だ。早々に寝床を決めたいところだが、どこまで歩いても森だった。


 滝から十分ほど歩いたころには辺りは斜面になっていて、このまま進めば山へ入ることになるだろう。夜の山なんてさらに危ないし、もう探索は諦めて拾った木片の加工をしてからそこらの木に身体を預けて眠るとしよう。



 一日中歩き通しだったせいかぐっすり眠れた……ような気がしたが辺りはまだ薄暗かった。

 あまり時間が経っていないのかと思ったけど、空には青みがかった大きな月が昇っている。


 珍しい色をしている月だが、そのお陰で夜にしては十分に明るく、昼間ほどとは言えないが歩く分には支障はないと思われる。

 昨夜は月すら見えないほど曇っていたのに、今と大差ない薄暗さだったのが腑に落ちないが、その前に居たのがあの真っ暗な部屋だったし、暗さに目が慣れていたんだろう。


 まずは腹ごしらえでもと袋に手を伸ばしかけたが、せっかくそこに山があるんだし、上まで登って景色を眺めながら頂こうではないか。

 それを想像すると震えるように身体に力が漲ってきた。今は水だけ飲んで出発だ。


 飲み終わったティーポットを袋にしまうついでに、自慢のいい感じの棒コレクションから長めの物を取り出した。

 長さ約一五〇センチ、太いところでは直径五センチほどもある、棒というには少し太いが山歩きといえば杖だろう。これさえあれば道なき道でも苦になるまい。


 滝を回り込むために少し回り道もしたが、急斜面でもいい感じの杖を腐葉土に突き刺しするすると登り、滝に流れ込んでいた小川に沿って頂上目指して駆けるように進んでいく。お菓子のためと思えば身が軽い。


 小一時間ほどで今まで辿ってきた小川の源泉となる池に到着した。

 瓢箪(ひょうたん)のような形をしていて、のぞき込んでみると川と繋がっていない方は深そうだった。あまり大きな池ではないが空が開けているため、やっとのことで山頂を目に捉えることができた。


 その頂に近いほど色が薄くなっているように見える。この速度で行けば月が出ているうちに辿り着けるとは思うが、今まであった小川のような目印がないのが少々不安ではある。

 だが、山に登ってお菓子を食べるという使命を帯びた今の俺は無敵だ。どんな悪路でも難なく走破してみせようぞ。



 気合い十分で一歩を踏み出したものの、ただ距離があるだけで難所といえるものは特になく、あっさりと山頂に着いてしまった。

 結構な速度で突き進んできたけど、あまり疲れていないのはお菓子を求めた結果だろうか。


 池から見上げた時にも思ったが、進むごとに木が低くなり数が減っており、山頂にもなると木は生えておらず草原だけが広がっていて風に吹きさらされている。

 火照った身体でもさすがに肌寒さを感じて外套を羽織り身震いしていると、ひときわ強い風に呼ばれて振り返った。


 そこには見渡す限りの森がひたすらに広がっている。

 遮る物のない視界の果てには高い山が連なっており、そこに至るまでにも小山が疎らに散っている。それがまるで波のように見え、緑の海というものの意味を今まさに理解できたところだ。

 もしもこれを昼間に見てしまっていたら俺は泣いていたかもしれない。

 大きな月が出ているとはいえ、こんな夜中では黒々とした夜の海のようにしか見えないのが残念でならない。


 それを眺めながら草原に腰を下ろし、お菓子を一口ずつ噛み締めるように味わう。

 目の前には世界絶景百選に相応しい壮大な風景が広がり、頭上には神秘的な青い月が微笑んでいる。それらに囲まれて食べるお菓子の味は格別だった。これこそが風流だ。雅である。



 感動の潮も引いてきたところで、この山の向こう側も見てみようと移動を始めた。

 本来の目的は所在地の確認及び人工物の捜索だったはずだ。この景色に文句はないが、このまま眺めていても野垂れ死ぬ未来しか待っていないだろう。


 頂点であろう部分を越えて草原を進み、先ほどと同じように下界を見渡す。

 こちらは山裾までは似たように森が広がっているが、その先のほうには何かの建物が集まっている所が目に留まった。

 村のようだがその規模は小さく、人口もかなり少なそうだ。それでも、電話のひとつくらいはあるだろう。


 そこを目的地に設定して下りやすそうな場所がないか探しているときに、村から細い煙が立ち上っていることに気がついた。

 火事かと思ったが、それなら赤い火が見えるか、これだけ距離が離れていても騒ぎのひとつは目に入ってもいいはずだ。

 田舎の朝は早いというし、まだ月が出ているうちから何か作業を始めたのかもしれない。あまり気にせず先を急ぐことにしよう。今から出れば日が昇るころには着くだろうからな。



 後ろから吹く風に押されるようにして、こちら側も中腹までは詰まることなく下ってきた。

 だが、そこからは岩肌が剥き出しになっている所がいくつかあり、時には進んだ先が崖になっていたりと少々厄介だ。今まで頼りにしてきたいい感じの杖をもってしても、崖の前ではさすがに無力と化す。


 それでも進めているのは、山のあちら側では見かけなかった獣道があるからだろう。たまに傷のついた木が視界に入りはしても、それを見て何が居るのかわかるほどの知識を俺は持っていない。どうか危険な動物でないことを願いたい。


 そうして、麓といえるくらいまで下りてきた辺りだろうか。森の中からでは村から出ていた細い煙は見えず、この方向であっているのか不安になってきたころに、周囲を見回す視線の先に人の姿を捉えた。第一村人発見である。


 眠そうにふらふらと頭を揺らしながら歩いているその人は、時折止まったりして牛のように遅い足取りではあったが、俺を見つけたのかその速度が上がってきた。

 山で人に会ったら挨拶をしようと言うし、俺もそれに習って声を掛けに向かった。


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