1-1 暗い夜道にご用心
今日は急なシフト変更でいつもより早めにバイトが終わったから、お菓子でも買って帰ろうと思う。お菓子を食べながらお茶を飲む時間は至福の一言に尽きる。
毎日買えるほどの余裕はまだ持てないが、よく行くコンビニではあだ名をつけられていることだろう。今日は時間があるんだから近くのスーパーへ行くとしよう。同じ物を買うならこっちのほうが安いからな。
自動ドアをくぐり抜けて重ねられた籠をひとつ抜き取り、お菓子のついでとばかりに夕食用の野菜から籠に入れていく。
肉野菜炒めは誰が作ってもそれなりにうまいからおすすめだ。味つけ次第で米にも合うし、野菜を食べているだけでうるさく言われることもなくなるしで一挙両得ってやつだ。
そして、豚バラ肉も籠に足してパンコーナーへ。本日のお目当てはここにある。
角を折れてすぐに目に入るのは赤と黄色で彩られた輝かしいばかりの半額ポップだった。どうやら仕入れ数を間違えたのか、マドレーヌが大量に残っている。今日はバウムクーヘンの気分だったけど、せっかくだからこれを買っていこうかな。
予定の変更を余儀なくさせるとは半額の魔法恐るべし。
こういう時って一つだけ買って安く済ませる人と、二つ買っても一つ分の値段というところに喜ぶ人で別れるよな。
そんなことより早く帰ってこれを食べよう。
籠の中のチョコチップ入りマドレーヌが俺に向かって微笑んでいる。
早速レジへ向かおうと思ったが、お気に入りのチョコレート菓子も忘れずに確保しておかなければ。
どこに行っても売られている有名なロングセラー商品とはいえ買える時には買っておく。無性に食べたくなった時に手元にない恐怖はもう味わいたくない。
買い忘れがないかしっかりと確認してからレジを通し、足取りも軽やかに店を出た。
*
少しでも早く帰ろうと、ショートカットのために遊具のなくなった公園の広場を早足で進む。
待ってろよマドレーヌ。コーヒーと食ってやろうか、それとも紅茶か。コーヒー牛乳もいいしミルクティーも捨てがたい。あえて炭酸飲料に手を出してみるとか……などと考えながら歩いていると、強烈な風がおこり階段を踏み外したかのような一瞬の浮遊感とともに目の前から景色が奪われた。
……こんなところに落とし穴なんて掘らないでくれ。
すぐに立ち上がろうとしたが踏ん張りが利かず何かがおかしい。もう浮遊感はないものの、まだ落ちているような気さえする。手を伸ばしても足を広げてみても何も掴めないし当たらない。何も見えないし地面もない。いまさらになって恐怖を抱き、俺の顔が強張った。
*
あれから数分経ったのか、それとも数十分か。
何もできずに時間だけが無為に過ぎていたが、何をきっかけにしたのか、身体が捩られるかのようにどこかへと吸い込まれていくのを感じた。
そして、綿に水が染みこむように少しずつ、だが一瞬にして光が広がった。
まず目に入ったものは白く輝くようなとても大きな剣だった。
そこから視線を滑らすと、肩や横腹など所々が欠けており、ひび割れた西洋鎧で身を固める満身創痍とでもいうべく屈強なおっさんがいた。
その周りには派手な鎧や服を纏った者たちが倒れており、立っているのは大きな剣を構えたおっさんただ一人だ。
それ以外の者は何かに吹き飛ばされたかのようにちりぢりに倒れていて、まるで死んでいるかのように微動だにしない……と思ったら誰かの呻き声がした。
なんなのこれ……。状況がわからない。
落とし穴に落ちたら剣を向けられていた件ってか。
落下時間がすごく長かったけど、着地の衝撃はなかったし、まさかブラジルか? 地球の真ん中通ってブラジルまで行っちゃったのか? ブラジルって何語だ? ブラジル語か?
いやいや、そんなわけがないだろう。
もし仮に日本の裏側に出たとしてもそこは海だ。大西洋だ。
あとブラジルはポルトガル語だったはず。
あれこれと考えている間もおっさんが何か喋っているけどさっぱりわからない。
ポルトガル語はオブリガードくらいしか知らないぞ。
ちなみに『ありがとう』という意味で男と女で言い方が違うんだってさ。響きが格好いいから覚えてた。
そんなことより、たとえ通じなかったとしても何か返事はしておいたほうがいいよな。
「は、ハロー?」
「……――――?」
ダメでした。
また何か言われたけど、聞き覚えもない言葉だった。
とりあえず、敵意はないよって両手を挙げて、怒ってないよって笑っておこう。
口でダメなら体で表せ。そうだボディランゲージだ! 肉体言語だ! てな具合でニコニコバンザイしていたら、困った顔したおっさんが目も合わせなくなった。
いや、俺の後ろを見ているんだろうか。
そっちを横目で見よう……にも見えないからゆっくりと身体を後ろに向けていくと、夜の始まりのような深い青紫の布の隙間から折れた剣が見え、さらに目を進ませると灰色の長い髪があり、その先には尖った耳を持つ青白い顔に、困惑の表情を浮かべているイケメンがいた。
……うん、ここブラジルじゃないわ。
顔色が悪いとかそんなレベルじゃないよ、あれ。
未来の猫型ロボットも真っ青な青白人種だ。もはや特殊メイクじゃないか。
だが、気合いの入ったコスプレ会場だとしても、おっさんが持つ剣みたいな長い物はアウトだってどこかで読んだことがあるし、本当にどこなの、ここ。
おっさんとイケメンが俺を間に挟んで何か言い合っていると、その周りで倒れていた派手な鎧の一人がそばに落ちていた槍を杖代わりにして起き上がったようだ。
チラりとそちらに目を向けると、生まれたての子鹿のようにプルプルしている。
よくわからないけど無理すんな。
小さな声でブツブツと呟きながら、綺麗な液体で満たされた小さな瓶を口にくわえたようだけど、ジュース飲んでる場合じゃないでしょう。
ふらふらしながらブツブツと、緩慢な動きでこちらへ向かうに連れて、ふらついていた足取りも徐々に確かなものとなってきた。大剣のおっさんとは離れた所からこちらを血走った目で睨み付けながら、ゆっくりと近づいてくる。
呟いている声は聞こえないけど、もしかして同人映画か何かの撮影中に乱入しちゃったのかな。それならばあんな恰好でも納得できる。
内輪で楽しんでいるところに無粋な闖入者。そりゃ怒るよなぁ。
身に覚えがないとはいえ、なんとか事情を伝えて謝りに行こうかと思ったところで、派手鎧は杖代わりにしていた槍を構えて走りだした――俺に向かって。
*
驚いてその場から一歩動いたのが悪かったのか、そんなものは関係なかったのか、その槍は音もなく俺を貫いた。
そして、邪魔だと言わんばかりにそのまま槍を振り抜かれ、俺はその場にくずおれる。
血とともに身体の熱が流れ出しているのか、全身は凍えるように寒いのに刺されたところだけが異様に熱い。
どこかで誰かの怒鳴り声が耳に入ってきても、もうそれが何かもわからない。
とにかく熱い。熱くて寒い。
何もできないままに腹を押さえて蹲っていると視界が急速に白く染まり始め、覚えのある浮遊感に包まれたところで俺の意識は途絶えた。
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