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第10幕 スジャータ

 山田一郎の自宅引きこもりは3年にも及んだという。

 最初は彼を旗印に日本で革命を起こそうと企んでいた多くの革命家も次第に彼の臆病さに呆れ、罵り、軽蔑することとなった。

 それに伴い当初は山田の行動を監視していた国家公安局も、もはや反政府活動の様相無しと判断し、幾分か緩やかな監視体制に移行していった。


 その間、山田一郎はただただ世間が自分に対して敵意を持っているのではなかろうかという被害妄想的思想に捕らわれていた。

 その恐怖からテレビや新聞などを読むことを避け、ひたすらにアニメを見る日々を送っていたという。


 山田一郎は当時の状況について、自身の手記の中でこのように述べている。



「刑務所から出たあと、私は常に誰かに見られている恐怖に襲われることになる。それは私が怒りや恨みをむき出しにぶつけた本の愛読者であり、それによってもたらされた暴力の担い手であり、またそれを阻止せんとする政府の犬やその犬を食らわんとする野蛮な輩、そういったあらゆる者が自分を監視しているのではないかという恐怖であった。

 私は日々怯え暮らし、外界との交流を遮断することで自分という人間からあらゆる関心が薄れるのをただただ待ち続けたのだ。ただ、プリティでキュアキュアなシリーズを延々と見ているだけで3年という月日があっという間に過ぎたのは驚きであった。」


 こうして外界と交流を絶った山田一郎であったが、このままではいけないという気持ちも合わせ持っていた。

 何度も自分の今まで行ってきたこと、つまりはバレンタイン排斥運動であり、キリスト教化の阻止であり、そういったことが何一つ実を結ばなかったことについて冷静に分析も行っていた。

 ただ、失敗の原因は分かり、解決する術も見つかったところで行動できなければ意味がない。山田一郎は自身の臆病な気持ちに打ち勝つ術もなく、ただただ自室で理論を練っていた。


 そんな折、ある出来事が山田一郎のすべてを変える。


 引きこもっていた山田一郎を世話していた母親から、食事と共にミルクチョコレートを手渡されたのである。奇しくもバレンタインのその日であったという。


 そこで山田一郎は一つの悟りを開いた。そのときの状況について、先ほどと同じく手記の中でこのように綴っている。


「あのバレンタインの日のことは決して忘れることはないであろう。いつも私の部屋の前に食事を無言で置いていった母親が、一言「今日はちょっとオマケしといたから」と言葉を言ってから置いていったのが、ミルクチョコレートだったのだ。

 生まれてこの方、一度も食事と一緒にチョコレートなんて出したことの無かった母親からのプレゼントに最初は疑問を持った。

 しかし、その日がバレンタインだと気づいたとき、私は母親の『愛』に気付くことが出来た。そして気づいた、いや、悟ったのだ。すべての事柄は『愛』をもって解決すべきだということを。母親のミルクチョコレートは、私にとって仏陀のスジャータの出してくれた乳がゆと同じくらいに大切なものとなったのだ」


 この文章ではミルクチョコレートをスジャータの乳がゆに例えている。

 これはつまり、断食をしても悟りを開けなかった仏陀と同じく、社会から断絶したところで何も解決しないということに山田一郎がたどり着いたことを指している。

 また、今まではただひたすらに廃絶、撤廃を訴え続けてきた山田一郎に『愛』のある活動を閃かせた最も重要な出来事こそが、このミルクチョコレートだったのである。


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