第1幕 山田一郎の生誕から少年時代
この物語は、タイムトラベルによって西暦2116年頃を旅した著者が見つけた一冊の本、『日本の偉人シリーズ385 山田一郎 ~バレンタインに恵方巻を食べた男~』について各種考察や脚注を加え、現代語訳したものである。
この物語を通じて、『バレンタインとは、モテない男性がカップルを睨みながら恵方巻を食べる日である』という認識を世間に広めた一人の偉人について知ってもらえれば幸いである。
山田一郎という男は2016年に愛知県長久手市のごく普通の一般会社員の一家の次男として生まれる。
数々の物的証拠から、山田一郎という男は物心ついたころから非常に熱心な仏教徒であったことが知られている。
実際に彼について知っている人々の証言をまとめたところでは、小さい頃から誰に言われるわけでもなく毎年の『弘法さん』※1、には各地の公民館や近所の家々を回りお菓子を集め、『地蔵盆』※2でも各公民館などでお菓子を集め、『お月見どろぼう』※3では各家庭に立ち入り、お菓子を集めて回っていたと言われている。
また、あるとき名古屋駅の地下街で托鉢をするお坊さん※4を見かけてからは、「托鉢をすればお金がもらえる」という悟りを開き、般若心経を覚えて日々近所の家の前で金銭を入手するまで般若心経を唱え続けていたと言われている。
当時の山田一郎の様子について、山田一郎の父親が愛人に送ったLINEの記録が残っているため紹介したい。
(山田父)「うちの息子、毎日近所で般若心経唱えてるから苦情がヤバい。」
(愛人)「マジヤバとん※5」
(山田父)「金を払うまで動かないらしくて、うちに苦情と返金求める声が殺到してる」
(愛人)「びっくらぽん、大困惑だぎゃあ」
(山田父)「逆に堂々離婚できるきっかけになるかも」
(愛人)「うん!オフィシャルになるだけ!」
(山田父)「時間かかってしまうかもしれないけど、ちゃんと卒論書くから待ってて」
(愛人)「卒論提出できたら、げんちゃんにいっぱいわがままきいてもらおうっとー!笑」
(2057年発刊「週刊センテンス・スプリング 14号」より引用)
こうして、山田一郎は若干9歳で父親を(離婚的な意味で)無くした。
マトモな方の長男を連れて行った父親と決別し、貧乏くじを引いた母と二人での生活を送るのであった。
※1 「弘法さん」…弘法様の命日。各家庭や公民館などでお菓子を配る風習がある。
※2 「地蔵盆」…地蔵菩薩を祀る縁日。公民館などでお菓子を配る風習がある。
※3 「月見どろぼう」…お月見の時期、各家庭の庭先にお菓子を置き、子どもが持っていく行事。
※4 名古屋駅の托鉢…99%がパチモン。地下通路に「托鉢禁止」の注意書きがある。
※5 矢場とん…名古屋にある味噌カツのお店。豚が相撲取りの恰好をしているが、理由は不明。




