プロローグ
地獄と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
あの世。天国と地獄。マグマの海やら針山。鬼に悪魔と考えるか。
それともブラック企業に勤めていたり人間関係による修羅場だったりと考えるか。
地獄のような満員電車。地獄のような特訓など地獄という言葉は色々な方面で使用される。
つまり世界には地獄が溢れているのである。
そんな俺は今、正真正銘『地獄』にいた。
そして目の前には鬼がいた。
「喰われる側と喰う側。どちらか選択せよ」
「喰う側で」
唐突に選択肢を突きつけられたのだが即答してしまった。何を喰うって?
「よし。剣を一振り選びな」
そう言われた方向を見ると多くの剣が並べられていた。数百本はありそうだ。何がなんだが理解が追いつかない俺は悩んだ。剣を選ぶより今のこの状況に。
「早く選びな。手にとって色々確かめてみろ」
バンッと背中を叩かれて前に押し出された。軽く叩いたつもりなんだろうがめちゃくちゃ痛い。背骨が折れて内臓が腹から飛んでいくんじゃないかと思った。
気を取り直して剣を見てみることにした。すると一本の剣、いや刀に惹きつけられた。
「ほう。日本刀を選ぶか。そうか、生前は日本人だったか」
実物を見るのは初めてだった。ましてや触れるなんてことは現代日本では中々ない事だ。重い。そして美しい刀身だ。
「名はまだない。お前が使いこなせるようになったら名づけてやれ」
無銘刀か。とりあえず選んだのはいいんだがこれで一体何をするんだ?
「俺が稽古をつける。とりあえず百年ほどここで修行だ」
……え?
「さぁついてこい!!」
そう言われて俺は鬼に引きずられていった。
生前の話をしよう。死亡した年齢は二十七歳。まだ若いほうだ。高卒で就職。二十三で運命の人と巡り会い結婚。二十四の時に子どもが生まれた。順風満帆の人生を送っていたはずだが二十六の時に事件が起こった。妻が浮気したのだ。それだけならまだなんとかなっただろう。だが……。
浮気相手の男が子どもを殴り殺したのだ。もうすぐ二歳になろうかという時だった。女の子だった。警察への証言では自分に懐かなくイライラしてやったと供述しているらしい。どうかしてる。後々わかった事だが麻薬常習犯だった。
妻は親族から罵声を浴びせられ俺は離婚を強く勧められた。妻は躁うつ病を患い俺が二十七の時に突然自殺した。
ちょうどその頃に俺は職を失った。職場に借金の取立ての連絡が毎日しつこくあったからである。会社でも居場所をなくしつつあった俺に上司から退職を勧められた。ちなみに借金はまったくない。嘘の電話で嫌がらせを受けていたのだ。これもあとからわかった事だが妻の浮気相手の彼女が犯人だった。もちろん逮捕されたが俺のせいで人生が狂ったと供述しているそうだ。ほんとどうかしてる。
そして俺は実家に帰った。引き篭もったのだ。半年ほど引き篭もり続け俺は少し落ち着いていた。二十八にもなって引き篭もっててはいけない。そう考え散歩してみる事にした。
久しぶりに外にでると太陽の光が肌を焼いた。あまりの明るさにまともに眼を開けていられなかった。
デパートで長袖の上着とサングラスを買った。八月だった。
電車に乗った。行き先は思い出の街。かつて妻と生まれたばかりの我が子を抱いて歩いた公園へ向かった。
「あの頃と変わらないなぁ……」
人はいなかった。缶コーヒーを買い木陰のベンチに座り携帯灰皿を取り出し一服した。
あの広場で三人で座ってボールを転がしたりして遊んでいた時の事を思い出していた。バッタが顔に飛んできて大泣きしていたっけなぁ。あっちの道でゆっくり散歩したりもしたっけか。
気づけば景色が滲んでいた。顔が濡れていた。俺は泣いていた。
三十分ほど過ごして帰ろうかと思い最後に散歩道を歩いた。出口に差し掛かったところで見覚えのある人が公園の入口に立っていた。
妻の姿をした女性だった。子どもも抱っこしていた。
「深雪? りな?」
女性は笑みを浮かべると公園の外へ出て行った。
「ま、待ってくれ!!」
俺は走り出した。久しぶりの全力疾走。走り方を忘れた身体はひどい走り方をしていた。街を駆けた。必死に駆けた。
そして見つけた。さっきの女性と子どもだ。公道を挟んだ道を歩いていた。彼女が振り返る。間違いない。妻だ。
俺は最後の力を振り絞って道路を渡った。
赤信号の横断歩道を。
変な表現だが死んで意識を取り戻したのが閻魔の前だった。俺の生前の人生をみて天国行きか地獄行きかを決めるという。
「お前は地獄へ堕ちろ」
閻魔に言われると重いな。
こうして俺は地獄へとやってきたのだった。