災い転じて福となす~間違い電話~
彼、藤河聡史は焦っていた。
就職の内定が取れない。
もう同学年のほとんどが進路を決めている。
親友の幸田ですら、内定を取ってきた。
それが一番、聡史に追い討ちをかけた。
しかし聡史はまだ決めかねていた。
やりたいこともなければ、行きたいと思う会社も無い。
進学か就職かすらも迷っている。
はっきり言って、優柔不断だ。
そんな所を見抜かれて、最初の会社は不合格。
かなり切羽詰っていた。
そんな時に出会ったのがここだった。
『佐久間はあなたを応援します』
このちょっと変わった会社に聡史はなぜか運命のようなものを感じた。
決まったらどこだっていいと思っていた聡史は、この会社に惹かれた。
もしかしたら、うちは凄くホワイトな会社だと宣伝してるのか?
本当は正反対でかなりのブラック企業なんじゃないか?
そんな疑問も浮かんだが、すぐに消え去った。
住めば都という言葉もあるくらいだ。
駄目な所なら辞めてしまえばいい。
聡史は内定を取ることにしか興味が無かった。
―――佐久間は鹿児島県鹿児島市にある商社だ。
聡史の住む日置市は隣に位置する。
後から知ったこの情報は、より聡史を受かりたいと思わせた。
だからやってしまったのかもしれない。
単純に押し間違えたのかもしれない。
気付いた時にはもう、電話は繋がっていたのだから。
「もしもし、佐伯ですが、どちら様ですか?」
最初の一言で、聡史は青くなった。
サァァと全身の血の気が引いていく。
「もしもーし?」
聡史は何も言えなくなって固まった。
何を言っても地雷を踏みそうで。
何を言っても自分が間違い電話を掛けてしまったことは変わらないけれど。
「……」
そのだんまりから、美桜は気付いた。
あぁ、この人、きっと佐久間に掛けたんだ。
今どうしたらいいか分からずに居るんだ。
美桜はいつも以上に優しい言葉を選んだ。
亮子の言葉を借りるとすれば、神対応、というに違いない。
「あの、佐久間にお掛けになったのですよね?」
電話の向こうから聞こえてきた美桜の優しい声に、聡史は救われるような思いだった。
ありったけの勇気を振り絞って、聡史は謝る事にした。
「す、すみませんっ!実は…」
「慌てなくても大丈夫です。
うち、こういう電話多いから、気にしないで?」
やっと話してくれた聡史に、美桜もほっとした。
何も言わずに切っていく人も居る中で、聡史は謝った。
瞬間、美桜は、悪い人じゃないと悟った。
「佐久間にお掛けの方は、電話番号をお確かめの上、
再度掛け直してください。
今度は間違えないようにね」
「ありがとうございますっ!
失礼します!!」
聡史はそう言うと、電話を切った。
美桜は少し、驚いた。
たくさんの間違い電話の中で、ありがとう、なんて言われたのは初めてだったから。
受話器を置きながら、初めて味わう不思議な感情に戸惑った。
くすぐったくて、ちょっと温かい。
聡史の声が耳に残る。
…名前くらい、聞けばよかった。
聡史は少し電話を切ってしまったことを後悔した。
そして自分の頬をぺちぺちと叩いて、もう一度。
今度は慎重にメモを見て、番号を確かめながら押していった。
「佐久間商事でございます」
そう言われた時聡史はほっとした。
電話を切った後、聡史はまた、彼女の事を思い出していた。
間違い電話に対して、あんなに親切にしてくれるなんて。
そういえば、こういう電話多いって言ってたっけ。
たった1、2分の会話だったのに、色んな事が脳裏をよぎる。
そして聡史は思い出した。
俺、ケータイじゃん!
すぐに発信履歴を開いて、番号を見つめた。
かなり似ている。
でも今度は間違えない。
聡史は頭で考えるより先に行動していた。
プルルルル……。
呼び出し音が鳴る。
「もしもし、佐伯ですが、どちら様ですか?」
聡史は今度は堂々としていた。
そして電話に出た相手が、さっきの彼女だとすぐに気付いた。
美桜の声は、耳に残りやすい。
本人は気付いていないが、少し特徴がある。
「俺は藤河聡史といいます。さっき間違って電話をしてしまって…」
電話の向こうで、彼女は少し笑っていた。
当然の反応かもしれない。
どこに間違い電話をかけた人へもう一度電話をするやつがいるか。
分かっていながら、聡史は引くに引けなかった。
美桜にとって、それは新しい出来事だった。
数ある間違い電話の中で、今まで一度だってなかった。
だからおかしくて、笑ってしまった。
「ごめんなさい、笑ってしまって。
さっきも言いましたけど、よくある事だから、謝罪なんて…」
「違うんですッ!!」
聡史は美桜の言葉を遮る様に言った。
美桜は驚いた。
「俺、もう一度あなたの声が聞きたくて…」
「え……」
美桜はもう一度驚いた。
そして初めて言われたその一言に、胸がきゅっとなった。
「生まれて初めて間違い電話というものをしてしまって、正直恥ずかしくて…。
でもあなたが優しく言ってくれたおかげで、俺、救われたんです。」
そう言ったら、聡史は自分の何かが変わった気がした。
そしてひたすら今の自分を語り始めた。
あまりにも聡史が真剣なので、美桜は黙って聞くことにした。
「俺、今高3なんだけど、周りのやつら、どんどん内定取ったりしてて。
俺だけ全然決まらなくて、焦ってたんだ。
そんな時にやっと見つけた就職先が佐久間だったんだ。
あ…すいません、一人でしゃべってて…
聞いてくれてありがとう。」
「いえ、聞かせてくれてありがとうございます。」
美桜は長々と話した聡史にお礼を言った。
それが聡史には本当に不思議だった。
聞かずにはいられなくなった。
「あの…どうしてそんなに優しいんですか?
普通は嫌がるものじゃ…」
「う~ん…普通はそうなんでしょうね…
でも私にも分からないんです。
うちは小さい頃から、佐久間さんと間違われる事が多くて。
電話のほとんどが間違いだったから、電話取るのって、
楽しいんですよね。
…変、ですよね?」
どんな人からとか、間違いを楽しむことで、電話自体が楽しくなっていた。
佐伯家の総意が詰まった答えだと思う。
「そんなことないです。
間違い電話をかけてしまった方から言えば、
とても優しい対応をしてもらえて、間違いを赦されるという気分になれましたよ。
あなたの優しさは、そんな所から来てるんですね。」
「藤河さん、でしたよね?」
「聡史、でいいですよ。」
「じゃあ…聡史さんで。
聡史さんみたいに、電話をかけてくれた人は初めてです。
あ、私、美桜…佐伯美桜です。」
「みおってどういう字を書くんですか?」
「美しい桜で美桜です。
私が生まれた日、病室から見えた桜の木が美しかったからって、
母がつけてくれたそうなんですけど。」
「いい名前ですね。
俺はおじいちゃんが、聡明であれ、って願いを込めてつけてくれたんだけど。
思いっきり名前負け。」
「美桜って呼び捨てでいいですよ。
私は今高2ですから。
きっと今からでも勝てますよ。」
「そうかなぁ…」
ふと、聡史は、おじいちゃんがきっと生きていたら、
今の俺を見て悲しむだろうなと思った。
「自信持ってください。
私が保証しますから」
美桜の言葉は未来を見通しているかのようで、聡史は不思議に思った。
けれど、なぜだか信じられる。
「ありがとう、俺、頑張れそうな気が…」
言い切る前に電話がピピピと鳴った。
こんな時に充電切れか!?
「ごめん!!充電切れそうだ!!
…また電話してもいいかな?」
聡史は慌てて充電ケーブルを引っ張りながら、美桜に言った。
「もちろんです、いつでもいいですよ」
「ありがとう、じゃあ…また」
聡史は電話を切った。
そしてしばらく電話を見つめていた。
なんか、いろいろ恥ずかしい事言ったな、俺…。
どうしよう、変な奴って思われたかも…。
あ゛ぁーーーっ!
聡史の心の叫びはしばらく続いた。
「美桜姉ちゃん、長電話してたねー」
「うん、なんかね…間違い電話からの、電話?みたいな」
「なにそれ」
「未来はまだわからなくていいんじゃない?」
未来は変なお姉ちゃん、と思いながら、読んでいた漫画をまた読み始めた。
美桜は初めての電話に、まだドキドキしていた。
それを隠すようにちょっとだけ冷たい言い方を未来にした。
そして、自分の部屋へと入っていった。
あなたの声が聞きたくて、かぁ…。
初めて言われたその一言が、ずっと脳内ループしている。
美桜は、ベッドに仰向けになって目を閉じた。
聡史さん、また電話するって言ってたよね…。
美桜は聡史から電話が来るのを、いつの間にか待ち遠しいと思いはじめた。
―――次に聡史から電話が来たのは、その3日後のことだった。
「こちらは佐伯です。
佐久間にお掛けの方は、電話番号をお確かめの上、
再度掛け直してください。」
いつもは最後に言う言葉を、美桜はこの2日間、ずっと最初に言っていた。
いや、最初のうちはいつもどおりだった。
しかし、待っている聡史からの電話がかかって来ない。
それが美桜を少し苛立たせて、いつもと違う対応になっていた。
「あ、藤河です…けど…」
「え!?あ…聡史さん…?」
適当な対応をしてしまったことを、美桜は後悔した。
こんなタイミングで聡史さんから電話が来るなんて、と。
「ごめん、ちょっと忙しくて電話できなくて…。
面接に行ってきたんだ、佐久間の。」
「あ、そうだったんですか…」
美桜はほっとした。
もしかしたら、もう電話がかかってこないかもしれないと思っていたから。
でも、やっぱり期待して、ずっと待っていたから。
「あなた…美桜に励ましてもらったから、頑張ろうって思って。
ひたすら面接練習とかしてもらってて。
終わったら連絡しようって勝手に決めてたんだ。」
「そう、だったんですか…。
なんか、ごめんなさい、私…。」
美桜は余計なこと言ってしまったんじゃないかと心配になった。
「違うよ、違う。
美桜のおかげで、俺、絶対受かるって自信持てたんだよ。
だから、頑張れた。
ありがとう、美桜」
美桜は、聡史がこの前の聡史と少し違うように思えた。
「私、お礼言ってもらえるようなこと、何もしてませんよ。
それは聡史さんの持つ力ですから。
…今の聡史さんなら、きっと大丈夫です。」
「合否通知来るまでドキドキだけど、
この間までとは全然違う気持ちでいるよ。
焦ってても空回りばっかりで、良い事ないし。」
「悪いこと考えてると、悪いことばかり起きて、
良いこと考えてると、良いことが起きるんだって。
いつも物事はすべて前向きに考えていなさい、って昔おばあちゃんが言ってたの。
今の聡史さんにぴったりの言葉だよね。」
「確かにそうかも。
美桜のおばあちゃん、良いこと言うね。」
「うん。
そんなおばあちゃんがいたから、うちはみんな底抜けに明るいんだと思う。」
「あんまり落ち込んだこととかない?」
「言われると…あんまり無いかも。」
「俺は悩んだり落ち込んでばっかりだ…」
「それは今までの聡史さんでしょ?
今の聡史さんは違う。」
「かもしれない。」
「ねぇ、聡史さん」
「なに?」
「変なこと言っていい?」
「いいけど…」
何を言われるんだろ?
もしかして告白!?
なわけないよな…。
聡史は少しだけドキドキしながら言った。
「あのね…もう一度言ってほしいの…」
「なにを?」
「…あなたの声がって……最初に言ってくれた言葉…」
美桜は恥ずかしげに言った。
どうしても頭から離れない、聡史が言ってくれた一言を、もう一度聞きたい。
聡史は聡史でほっとしたような、残念なような気持ちになった。
そして、結構恥ずかしい言葉言っちゃったな、俺。と後悔した。
しかし、美桜の頼みなので、言わないわけにもいかない。
ゴホンと咳払いをして、言った。
「…もう一度、あなたの声が聞きたくて……」
聡史は電話でよかった、と思った。
真っ赤になった顔を見られなくて済むから。
美桜もまた、思わず受話器を置きそうになるくらい、顔を真っ赤にしていた。
「…たくさんの間違い電話の中で、初めて言われた言葉だから、嬉しくって。
変なお願いしてごめんなさい。」
美桜は本心を告げた。
「…こんな言葉でよければ、いつでも言うよ」
聡史は強がり半分で言った。
電話だったらいいか、と思った。
「本当はかなり無理してくれたんでしょう?
でも、嬉しいです、ありがとう、聡史さん」
「…なんでもないよ、こんなことなら。
あ、ごめん、母さんが呼んでる。
また電話するよ!」
「あ、待って…」
ツーツーツーと電話が切れた後だった。
美桜は、もう!と少し怒った。
こっちにも言いたいことがあったのに、と。
「美桜、どうしたの?
変な人から電話だった?」
「なんでもないっ!」
亮子の問いかけを適当にあしらって、自分の部屋に飛び込んだ。
「変な美桜…」
亮子の独り言は、当然美桜の耳には入っていない。
その頃の聡史は。
「嘘ついちゃった…もっと話せばよかったな…」
母に呼ばれたと嘘を言ったことを後悔していた。
想像以上に、恥ずかしい台詞を口にしたのが、響いている。
会話を続けるのは不可能と感じ、とっさに思いついた嘘で電話を切った。
聡史はごめん、美桜…と心の中で謝った。
―――3度目の電話は、1週間後だった。
「こちらは佐伯です。
佐久間にお掛けの方は、電話番号をお確かめの上、
再度掛け直してください。」
「藤河です…」
「あ…聡史さん…」
美桜はまたやってしまった。
聡史からの電話をずっと待っていた。
しかし聡史は、バイトや学校で、帰宅するのが夜遅くになってしまい、かけられずにいた。
「ごめんね、ずっとかけられなくて。」
「こうしてかけてくださったから、いいです」
「この数日間、ちょっと忙しくてさ。
…美桜、聞きたいことがあるんだけど」
「急にどうしたんですか?
私はかまいませんけど」
「あのさ…美桜に会いたいと思ってるんだけど…」
「え!?あ…はい…」
突然の聡史の言葉に美桜はとても驚いた。
「美桜ってどこに住んでるの?」
「あ、私は…仙台なんです」
「ええっ!?」
今度は聡史が美桜の言葉に驚いた。
思えば最初から、一度も美桜に聞いていなかった。
聡史はなぜか、九州には住んでるんだろうと思っていた。
美桜は、聡史との会話から、聡史が鹿児島に住んでいることは知っていたが、
自分が住んでいる所は一度も話していない。
というより、自分自身のことはほとんど話していない。
聡史の話を聞くことが、美桜の楽しみだったから。
「そういえば一度もこういうお話してなかったですね。
私は仙台市に住んでます。
聡史さんは鹿児島なんですよね?」
「うん、正確に言うと、日置市っていう、鹿児島市の隣にある街なんだけど。」
「そうなんですね。
でも…流石に仙台は遠いでしょう?」
「俺、勝手に鹿児島じゃなくてもせめて九州には住んでると思ってた」
「仙台の市外局番がね、フリーダイヤルに似てるんだって。
前に間違いでかけてきた人に教えてもらったの。
私は、佐久間に就職したいと思ってる聡史さんは、
きっと鹿児島の人なんだろうなって思ってた。」
「そうなのか…全然知らなかった。」
聡史は少し落胆していた。
近場に住んでるのなら。
せめて電車で1~2時間の距離なら、いつでも会いにいけるのにと。
「聡史さん、会いたいって言ってくれて、嬉しかったです。
でも…」
仙台までは来られないでしょう?
美桜はそう言い掛けて、言えなかった。
言う前に聡史が言ったから。
「俺、卒業したら、美桜に会いに行くよ」
嘘でしょう?
そう思いながらも、美桜はとても嬉しかった。
「本当に?」
「本当!
その時は美桜に電話じゃなくて、直接言うから。
…あなたの声が聞きたくて会いに来ましたって。」
「聡史さん…」
美桜は今、気付いた。
聡史さんに会いたい。
この気持ちは恋なんだ。
顔も知らないのに、電話で話しただけの人なのに。
認めたくないと思いながら、この思いは恋なんだと。
「聡史さん、私も会えるの、楽しみにしています。」
――――それから数日後。
聡史は無事に、佐久間への就職が決まった。
そして、その時、聡史は初めて知った。
佐伯家のもう1つの不思議を。
「何故か、うちに間違い電話をかけてきた人に、幸運が訪れるんだって。
前にあったのは、無くした財布が、中も全く盗られずに戻ってきたとかね。
凄かったのは、10年音信不通だった息子が連絡をくれたとか。
今回は、聡史さんに幸運が訪れたね」
聡史は言わなかったが、それはきっと、美桜自身の持つ力だと思った。
――――そして、今日。
聡史は仙台へとやってきた。
2人は初めてお互いの顔を知る。
「もしかして、聡史さん、ですか?」
聡史がきょろきょろ辺りを見回していると、1人の女の子が声をかけてきた。
すぐに聡史には誰なのか分かった。
「美桜、なの?」
「はい、聡史さん」
「こういうときってやっぱり…初めましてかな?」
「多分…そうですね」
「初めまして、美桜。藤河聡史です。」
聡史はぺこりと頭を下げた。
「初めまして、佐伯美桜です。」
美桜もつられて、ぺこりと頭を下げる。
「あなたの声が聞きたくて、鹿児島からやって来ました。」
粉雪舞う中で、聡史の頬が赤く染まる。
美桜は何も言わず、ただ微笑んだ。
―――たった1本の間違い電話で生まれた2人の絆は、結構強いかもしれない。
そしてまたきっと……。




