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机引き  作者: 鵜狩三善
2/3

2.

 結果から言うと、千広は見事に()せた。

 見る見る細くなって、綺麗になった。

 元々気にするような体つきではなかったのに、その変貌は劇的で、見違えるかのようだった。

 手足はすらりと申し分なく伸び、顔も輪郭のシャープな細面であるのが強調された。スタイルも一層にメリハリが効いて見えて、誰もが彼女に注目した。

 私を迎えに千広が来ると、教室の男子の空気が変わるのが、はっきりとわかるくらいだった。


 それで終われば、誰にとってもよかったのだろう。

 けれど変化はとどまらなかった。

 千広は、それからもどんどんと痩せていった。痩せて、()けていった。

 スプーンで(こそ)げるみたいに肉付きを欠き、やがて制服から覗く手足は骨に直接皮膚を貼り付けたような有様になった。

 相変わらず、誰もが彼女に注目していた。

 けれど少し前とは異なって、それは美しさではなく異質さが理由だった。

 私だって不安になって諫言(かんげん)をした。

 異常は千広が過日語った、「ちょっとだけ」の約束の所為に違いないと思った。だからそれをやめるようにと幾度も告げた。けれど彼女はただ不気味に精力的な光を目に灯らせて、


「大丈夫だよ、大丈夫。茅子は心配性だな」


 そう繰り返すばかりだった。

 やがて口うるさい私が嫌になったのだろう。放課後の迎えもいつしか絶えて、それどころか私の姿を見ると、露骨に目を逸らすまでなった。

 まるで、千広が別人になってしまったようだった。

 彼女に嫌われるのは、ひどく辛くて苦しい事だった。

 このまま目を伏せて、耳を塞いで。なるようになるまで俯いていようかとも思った事もある。そうすれば、これ以上自分は傷つかないで済む。

 けれど即座に首を振った。

 大事な友達に何か大変が起きているのに、自分の痛みに怯えて見て見ぬふりなんてできない。



 だからその日。

 私は意を決して千広を訪ねた。

 避けられないようにと、最初は彼女のクラスの下駄箱で待ち伏せていたのだけれど、下校する生徒が(まば)らになっても、彼女は一向に姿を見せない。

 思い直して教室へ乗り込むと、果たして彼女はそこに居た。

 夕暮れが赤く赤く染め上げるそこに、たったひとりで自分の席に着いていた。


「千広!」


 腕組みの格好のまま机に覆いかぶさるようにしていた彼女は、私の呼びかけに顔を上げ、それから面倒くさげに目を瞬かせる。


「しつっこいなあ、茅子は」


 懸命の面持ちで駆け寄る私へ、千広は「しっしっ」と言わんばかりに手を払ってみせた。露骨な仕草がずぎりと胸に刺さったけれど、それくらいで止まる気はない。


「しつこくもするよ。だって最近の千広、どう見てもおかしいもん」

「おかしい? おかしくなんてないよ。ただ綺麗になっただけ」

「初めはそうだったけど、でも今は違う。そんなの綺麗じゃないよ!」


 声を荒げるとそこでようやく千広は上体を起こし やっと正面から私を見た。


「綺麗じゃない? 綺麗じゃないって? なにそれ嫉妬? あ、嫉妬かぁ。嫉妬だよねぇ。だって今のあたしと並んだら、どうしたって茅子の方が見劣りしちゃうもんねぇぇぇ?」

「違う、そんなんじゃない! とにかくもう約束なんてやめなよ! 大浦君だって心配するよ!」


 思いもかけない事を言われて、ぐっと詰まった。言ってやりたい事が多すぎて、上手く反論が出てこない。

 だから頭が空っぽになった私は、切り札のようにその名前を持ち出した。

 けれど。


「大浦?」


 千広の反応は、恐ろしいほどに鈍かった。


「大浦って誰?」

「……だ、誰って、千広の恋人でしょ!」

「ああ……うん、ダイスケ、大介か」


 言い募る剣幕を受け止めもせず、彼女はぼうとした瞳で中空を見上げる。しばらくいてからどうにか思い出した風情で大浦君の名前を舌で転がし、吐き捨てた。


「うん、もういいや。あれは、もういらない」

「……え?」

「だって綺麗になったあたしに、大介はもう相応しくないもん。だから茅子、あなたにあげる。プレゼントしてあげる」

「千広、一体何を言って!」

「何言ってるの、は茅子の方でしょ。だって、ずっと見てたじゃん。あたしの事、ずーっと、いっつも羨ましそうに見てたじゃん」


 浅ましいものを見る瞳で、彼女は私を嘲り笑う。私はふらりと一歩を退く。

 確かに。

 確かに私は、大浦君が少しだけ好きだった。千広とクラスが別れて心細くて、その時にちょっと話をして、その後も幾度か縁があって、なんだか「いいな」って思うくらいにはなっていた。

 だけどそれは全部、彼と千広が付き合い始める前の話で。

 私はちゃんと気持ちに封をして。蓋をして、諦めて。

 誰にも知られなように隠しておいたその気持ちを、よもやこんな形で、親友の舌鋒に抉られるとは思ってなかった。


「あれー、図星すぎちゃった? でも何も、泣かなくてもいいじゃん」

「泣いて、なんか……!」


 よろめいた私の後を追うように、いつの間にか千広が立ち上がっていた。


「だけどさ、辛いんでしょう、それ? 痛くて、苦しいんでしょう?」


 無感動なのに強烈な黒い光を瞳に灯し。

 下から擦り寄るように近づいて、甘く優しい声音で囁く。


「だったらさ、その気持ち。ちょっとだけ、ちょっとだけ分けてあげようよ」

「ちょ、ちょっと千広!? 痛っ!」


 そのまま、ぐっと私の両手首を掴んだ。

 枯れ枝のような腕からは信じられない力の強さだった。骨が砕けてしまうのではないかと思うくらいの痛みが、電流のように体を貫く。


「そうだよ、それがいい。ね、茅子。そうしよう。そしたらあたしたち、またずっと一緒だよ? 仲良しに、戻れるよ?」


 千広は私を引きずって、無理矢理にでも彼女の席に座らせようとする。

 どうしてかそこに腰掛けたら取り返しがつかなくなるような気がして、私は必死で両足を踏ん張った。

 痩せこけたその体の所為だろうか。手首を握る力こそ強いけれど、引っ張る方はどうにか抗えるくらいだった。そうして二人、息を詰めて拮抗(きっこう)したところに。


 かり。


 微かな音が響いた。

 思わずそちらに視線を投げて、私は体を強張らせる。

 千広の席から。

 その机の中空から。

 着席した人のお腹を撫で回す位置に、指が突き出していた。

 それは紙粘土みたいに真っ白で、黒いひび割れがいくつも走っていた。爪はあれども関節はなく、好きな方向に折れ曲がりながら、もどかしむように机の木板をかりかりと掻いていた。

 そして指は、一本だけじゃなかった。

 海水に浸かると蔓脚(まんきゃく)を出すカメノテみたいに。

 幾本も幾本もみっしりと隙間なく机から伸び出して、辺り構わずに()(むし)る。指たちのひび割れは、その結果生じた自傷であるようだった。

 

 かり。

 かり。

 かりり。

 かりかり。かり、がりかり。

 がり、かり、がりり。


 音はやまない。止まらない。それどころか、ますますに増えて拡大していく。私の悲鳴は喉の奥で凍る。

 見回すまでもなかった。

 指の掻く音は、千広の机からだけではなく、教室中の机の中から聞こえ始めていた。

 急かすように。強請(ねだ)るように。

 期待に満ち満ちて私の鼓膜に轟いていた。


「ほら。皆もう待ちきれないって。お腹が空いてたまらないんだって。ね、茅子。ねぇ、茅子ぉ。ちょっとだけ。ほんのちょっとだけでいいから。ね?」


 きゅうっと三日月の形に唇を歪め、千広は虚脱した私を席に誘う。

 私から抗う力は抜け落ちて、もう駄目だと、そう思った時だった。


「カヤ」


 唐突に、千広の力が緩んだ。手首が解放され、自由になる。


「カヤ、逃げて!」


 あっとなって千広を見る。

 そこにあるのは変わり果てて、けれど私のよく知る友達の顔だった。


「ちーちゃん!」


 自分の胸に抱えかけた両手を、私は必死に千広に伸ばした。

 一緒に逃げよう。そう言うつもりだった。

 だけどそれは届かなかった。


「駄目だよ」


 次の瞬間友人の面影はまた消え失せて、私の知らない千広が言う。


「逃がさないから」


 あの真っ黒な目で、机の中の暗闇みたいな色の瞳で告げて、またしても私に掴みかかろうとする。

 豹変に(おのの)きながら、私は反射的に彼女を突き飛ばした。

 削り過ぎた鉛筆みたいになった千広は思ったよりもずっと軽くて、大した力ではなかったはずなのに、それだけで大きくよろめき机にぶつかり尻餅をつく。

 そして。


「あ」


 思わず漏れた声は、どちらのものであったかわからない。

 指が、指たちが、丁度いい場所に来たとばかりにその肩を、腕を、髪を、顔を、鷲掴みにする。

 最後の一瞬、私たちの視線が交錯した。

 千広のそれは助けを求めて怯えるようだったけれど、私には何をする暇もなかった。

 (まばた)きの半分の時間で、彼女の体は机の中に引き込まれていた。嘘のように、私の前から消え失せてしまっていた。


 多分。

 多分、だけれど。

 それまでの「ちょっとだけ」は、ちょっとずつ持っていくという行為は、指たちの咀嚼(そしゃく)だったのではないだろうか。

 少しずつ(むし)って。

 少しずつ千切って。

 やがて一口に飲み込めるように。一息に、引きずり込めるように。

 小さく、小さくしていく為のものだったのではないだろうか。


 それきり、夕暮れの教室にはまた静寂が満ちた。

 床に転げた鞄の他に、千広の痕跡はもうどこにもない。

 私はへなへなとへたり込み、ただ呆然と、彼女を飲み込んだ机を見ていた。

 どれくらい、そのまま自失していただろうか。

 やがて残照が失せて夜の暗闇が忍び入り始めた頃。


 かり。


 私の耳に、微かな音が届いた。ぞっと肌が粟立った。


 かり。

 かり。

 かり。


 バネ仕掛けのように跳ね上がり、後も見ずに私は逃げた。

 指の音が、どこまでも追って来るような気がしてならなかった。

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