クリスマスなんて……
街を彩る七色のイルミネーション。
誰もが幸せそうに歩く中、ミニスカサンタ姿の女子大生アルバイター、岬美咲の心は浮かないまま、沈みきっていた。
「クリスマスなんて大ッ嫌い!」
街頭でのティッシュ配りのバイトに励む女子大生アルバイターの岬美咲は、呟いた言葉とは裏腹にミニスカサンタのコスプレ衣装を着ていた。
街を彩る七色のイルミネーション、あちこちから聴こえてくるクリスマスソング、ドレスアップされた街路樹、手を繋ぎ、あるいは腕を組んで、仲睦まじく二人だけの世界を作り出しているカップル達。それらに一瞥をくれた美咲はボソッと呟く。
「リア充どもめ、爆ぜろ」
今から丁度1ヶ月前、付き合っていた彼――滝谷恭介と別れた理由が酷いものだった。恭介はアマチュアバンドのボーカリストなのだが、バンドの初ライブをクリスマス・イブにやるというのだ。恭介にとっては、夢を掴むチャンスなのだろうが、ないがしろにされた美咲にとってはたまったものではない。
何度もライブの延期を頼んだのだが、恭介はその言葉を頑として受け入れなかった。
クリスマス・イブと言えば恋人達の日だろうに、何故一緒に居られないのか? 美咲はその事が悲しくて、悔しくてたまらなかった。大粒の涙を目に浮かべ、恭介の頬に平手をお見舞いして以降、美咲は恭介との一切の連絡を絶った。
何度となく恭介からの着信はあったのだが、人差し指を左から右へスワイプする事は無かった。
ためらいは何度もあった。
恭介からの着信があると、まだ幸せだった頃の笑顔の2人がスマートフォンの画面に映し出される。その写真を見る度に、美咲の目には自然と涙が溢れてくる。
「恭介のバカ……」
別れてから3週間が経った12月15日。
都内のワンルームマンションに住む美咲の部屋のポストに一通の手紙が届けられた。
差出人の名前は明記されていなかったが、宛名にある自分の名前の筆跡を見て、美咲には手紙の主が誰なのかがすぐに分かった。独特の文字の払い方……彼は『美咲』の『咲』の最後の払いを少し長めに書くクセがある。
「今更……何よ。バカ」
すぐに開封する事はためらわれた。それは、プライドなどでは無く、まだ彼に未練がある自分を認めたくなかったのだ。
部屋の真ん中に陣取る小さな丸テーブルの上へと無造作に放り投げ、そろそろバイトへと向かう時間だと、慌てて準備をして出掛ける。しかし、バイト先へと向かう美咲の自転車を漕ぐ足取りは、鉛をつけたかのように重い物だった。
休日は、決まって恭介と2人で過ごしていた。しかし、今は違う。美咲が繋ぐべき手は何処にも無く、掴まるべき腕も隣には無い。
明日はクリスマス・イブ。本来ならば2人でプレゼントを選んでいたり、クリスマスケーキを選んでいたり、手を繋いだり腕を組んだりして歩いていたのだろう。なのに現実はミニスカサンタのコスプレ衣装を着て、ティッシュを配っている。
「リア充どもめ、爆ぜろ」
呪文のように呟く怨恨の言葉。
「今日は朝まで飲んでやる!」
バイト終わりに立ち寄ったコンビニで大量のビールとおつまみを買い漁り、小さな丸テーブルの上に隙間なく並べる。その際に紙切れのようなものがテーブルからひらひらとフローリングの床へと落ちていったのだが、今の美咲には到底気になるものではなかった。
「ベリーバッド・クリスマスーっ!」
本来ならば明日もバイトを入れる所なのだが、それは何だか悔しいので休みを取った。
テレビを見ながら1人でお酒を飲むなんて、女子大生のする事では無いだろう。
「そーだ! こんな夜は我が弟に電話でもしてやろう」
アドレスから選んだ「純大」の文字をタッチすると、3回目のコールで受話器から声が聞こえてきた。
『どうしたの、姉さん?』
「どーしたのじゃないわよ、ジュン! 姉さんからの電話はツーコールで出なさいっていつも言ってるでしょーがー!」
『……姉さん、もしかして酔っ払ってる?』
「当ったりー! さすがは我が弟! 伊達に本ばっかり読んでないわねー?」
『まったく……つーかさぁ、明日はデートなんじゃないの? 二日酔いでデートなんて有り得ないよ?』
「よけーなお世話よっ! それに、明日は一日引きこもるからいーの!」
『引きこもるって……恭介さんと一緒に?』
「もういいっ! 恭介も純大も知らないっ!」
『え? ちょ……』
スマートフォンを放り投げ、半分程残っている缶ビールを一気に流し込む。積み上がった空き缶の数はふた桁に到達した。
いつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていた美咲は、付けっぱなしのテレビとエアコンを目の当たりにすると、電気代の心配をしながらもそれらを消し、床に散乱している空き缶を片付けようと拾い集める。着替えなきゃ、ベッドに潜り込まなきゃ……朦朧とする意識の中、1枚の紙切れのようなものを見つけ、再び無造作に丸テーブルの上へと投げ出す。
「シャワー……明日の朝で……いっか」
上半身だけパジャマに着替えた所で力尽き、ベッドに這い上がった所で再び記憶を失った。
再び記憶を取り戻した頃には、時計の針はお昼をとうに過ぎていた。時計盤の12を指す短針と6を指す長針に驚いた美咲は、次に綺麗に積み上がった空き缶に驚き、そして姿見に映る自らのあられもない姿に三度驚いた。
「何で……下はパンティーだけなの……?」
昨夜はお風呂に入っていない事を思い出しバスルームへと飛び込むが、お湯を張る事が面倒になり熱いシャワーだけでも浴びる事にした。
バスルームから出た頃には、1時半を少し過ぎていた。軽い食事をとるためにトーストと目玉焼きを焼いて丸テーブルへと運ぶ美咲の目に、ふと1枚の紙切れのようなもの……手紙の封筒が飛び込んでくる。
「あ……」
忘れていたわけではない。思い出そうとしなかっただけ。開封するのが怖いわけではない。開封したくないだけ――そして、昨日の電話口の弟の声を思い出す。
『明日はデートなんじゃないの?』
それだったらどんなに良かったか……
「恭介も純大も大ッ嫌い……」
意を決して封筒の口を開くと、中から1枚のチケットが飛び出してきた。
「なんじゃこれ?」
チケットには【X'mas・LIVE】の文字と見覚えの無いバンド名らしき名前、そして見覚えのある名前が書かれていた。
Vo・恭介
「これ……!」
宛名の文字から見て、差出人は恭介に間違いない事は分かっていた。だが、まさかライブの招待だとはさすがに美咲にも分からなかった。そして、チケットの席の番号を見て、美咲は全てを悟った。
A―10
最前列真ん中。一番良い場所だ。
「ワガママ自己チュー男……」
チケットの上にポトッポトッと雫がこぼれ落ち、波紋のように跡が拡がっていく。
「あ! 開演時間は?」
チケットを確認すると14時30分と書かれていたが、時計の針は既に開演時間の30分前を過ぎる頃だった。美咲のワンルームマンションからライブ会場までは、電車を乗り継いでも1時間は軽く掛かってしまうだろう。今から行っても間に合わない。それどころか、着いた頃にはライブは終わっているかも知れない。
――それでもいい。
メイクをしている時間も惜しい。さすがにパンティーのまま行くのマズイしハズいと思った美咲は、お気に入りの青いカットソー・スカートを履き、これまたお気に入りの淡い白のニットチュニックにマスタードカラーのジップアップパーカを無造作にはおり、最寄駅へと自転車を漕ぎ出していく。
息を切らせライブハウスに辿りついた頃には既に日も沈み、辺りにはクリスマスを彩るイルミネーションがキラキラと輝いている。会場は既に静まり返り、宴の後の様相を窺い知ることができた。
「やっぱり……遅かったか」
徒労感に襲われた美咲は小さなライブハウスの入口の横に座り込む。
「ごめん……ごめんね、恭介……」
ライブハウスの前を行き交う、幸せそうに手を繋ぎ歩くカップルをぼんやりと眺める美咲の目には、もはや涙すら溢れる事はない。その時が来るまでは。
「おせーよ。もう終わっちまったぜ?」
ライブハウスの扉が開き、ダメージジーンズに白いシャツの上から淡いベージュのダウンジャケットを羽織った背の高い青年が、扉の横に座り込む美咲の頭に手を乗せる。
その声に顔を上げた途端、美咲の目からは大粒の涙が溢れ出す。立ち上がり、青年にすがりつく。
「うぇぇ……きょーすけぇ……」
「バカ、泣きてぇのはこっちの方だぜ? 最前列の特等席は空席だし……」
「ごめ……きょ……う、うぇぇ……」
まともに恭介の顔を見れずにいる美咲は、胸に顔を埋めたまま小さく震える。その姿を見て、恭介はやれやれと呟き、そっと抱きしめ、頭を撫でる。
「次のライブは必ず来いよ?」
「……うん」
消え入りそうな程の小さな声で美咲は頷いた。
「メリー・クリスマス……美咲」
「ぐず……うん……メリー・クリスマス……恭介……あと、ごめん……鼻水……ついちゃった……」
「……メリー・クリーニング……だな」
クリスマスを彩る七色のイルミネーションは、2人を優しく包み込んでいった。
ここまで読まれた方の中には「あれ?こいつって……?」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、お察しの通り「彼」です。
リンク短編集、としてシリーズ化出来たらなぁ、と密かに思ってます(^^;)