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星から来た人(祭り作)

作者: アザとー

 海というのは存外に寒いものです。砂浜に乾木を集めたアザとーは注意深く火を点けました。小さな枝を燃やしていた小さな火が少し焦げた太枝に燃え移れば、後は枝を足しながらゆっくりと炎を見守ってやればいいのです。

 僕はこの砂浜に星の撮影に来ていました。ですから本当は明るい焚き火は邪魔なのですが、目的の星が天頂に来るのを待つ間に、暖を取らなくてはかじかんでしまいそうでした。

 そういうわけで焚き火をはじめたのです。

 ぱちぱちと音を立てながら良い具合になった焚き火にあたっていると、背後で声がしました。

「あたっても?」

 振り向いた僕はとってもびっくりしてしまいました。古臭い飛行士風の洋服を着た、外国の人だったからです。

 でもその男の人は、僕にもわかる言葉でもう一度言いました。

「あたっても?」

 だまって場所をあけると、その人は僕の隣に座って革の手袋を外しました。

「海も寒いね。ああ、こうして砂の上に居ると砂漠を思い出すよ。砂漠というのは夜はとても寒いところでね、星しかない、寂しいところなんだ」

 不思議なことを言う人です。それに、なんだか知っている人のような心地です。

「それはカメラかい?」

 その人は僕が首から提げている機械にひどく興味を持ったようでした。

「ええ、コンデジですけどね。本当は星の撮影には向いていないのですが、僕はこれっきりカメラを持っていないものですから」

「こんでじ? ライカではないのですね。キャノン……ふむ、聞いたことのないメーカーだ」

 本当に不思議なことを言う人です。だから僕はこの人に本当のことを話してみたくなりました。僕と、その友達の本当のことを。

 大人の人に話すのなら簡単です。世の中で普通に使われている言葉を使えばいいのですから。『インターネットに小説を書いていて、その縁で仲良くなった人たち』といえば解るでしょう。

 だけど、それでは本当のことなど何一つ語れはしないのです。

 この不思議な人に話すのは、大人にするような説明などではいけません。僕が本当に聞いて欲しいことを、この人は聞いてくれるはずなのだから。

「例えば、あの低い位置に上がっているのはオリオン座。ほら、三ツ星が見えるでしょう? でも星座の名前を知っていて、あの中で一番明るい星がリゲルという名前だと知ってはいても、それは、その星の本当の姿を知るのには何の役にも立たないのです。僕たちはその星が熱いのか、冷たいのか、触ってみることすら出来ないのだから」

 彼は唐突な話を嗤ったりはしませんでした。焚き火に手をかざして静かにうなずいています。

 これで僕は合切を話してしまう勇気が出ました。

「触れられないほど高い空に星があるように、僕の大事な星たちも離れたところにあるのです。」

 僕は一本の太木を焚き火に足します。この物語が終わるまで消えないように……炎も、この不思議な男の人も……


 僕の居た星はひどく窮屈な星でした。あまりに窮屈なので四六時中、手足を縮めていなくてはなりません。長いこと小さくなって暮らしていたので、僕は上を見ることが出来なくなっていました。上だけじゃありません。下も、横も、膝を抱えたままの世界は真っ暗で、実に寂しいところだったのです。

 僕の星をインターネットという宇宙に押し出してくれたのは息子です。彼は『なろう』という小宇宙の中に僕を置き去りにしてどこかへ行ってしまいました。

 僕が今まで居たところに比べて、ここは明るくて、広くて、何より自由でした。その片隅で僕は物語を書き始めたのです。誰のためでもなく、ただ自分の欲求の命じるままに……

 ある日、僕の小さな星に足跡がついていました。

 空を見上げれば満天の星がちかちかと瞬いています。あの星のいずれかから、僕の物語を読みに来てくれた人が居るのです。

 そのうちのいくつかは幾度も僕の星へ来てくれて『見慣れた足跡』となりました。その星の名前も覚えました。

 名前というのは実に重要です。大人の人は何にでもすぐに名前をつけようとするけれど、そんなものは区別のための記号に過ぎません。

 でも僕たちにとって『区別できる』というのはそれが特別だということです。僕には特別な星が出来ました。曇天で姿の見えない夜があっても、僕の特別な星はどこかで輝いている。そう思うだけで僕は無我夢中で物語を書くことができたのです。


 ぱちっと火が爆ぜました。

 不思議な人はやっぱり笑ってはいません。大事な寄せ算をしているように真面目くさった顔をして、薪をもう一本、火にくべました。

「解るよ。たくさんの星を見上げたとき、あのどれかに僕の好きな花がある、そう思っただけで幸せな心地になれるのと同じだね」と、彼は言いました。

 やはり、僕の思ったとおりの人です。

 顔を見たことも、声を交わしたこともない星達を僕がどれほど大事に思っているのか、きっとこの人は『知っていた』のでしょう。

「だから……ここへ来てくれたのですか」

 彼は僕の問いかけに答える気などはないみたいでした。

「君のお話はそれでおしまいかい?」

 そうですね、『王子さま』はそういう人ですね。いつだって彼が知りたがったのは『本当のこと』だけだったのですから。

 ならば僕は、もう少しだけ僕の大事な星たちのことを話さなくてはなりません。


 僕が次に見つけたのは若い星でした。星に住んでいる女の子もやはり若く、可愛らしい娘であったのです。その子が僕にお話の続きをせがみました。

「僕のお話でいいの?」

 子犬のように甘え上手な女の子のお願いというのは無敵です。僕は一生懸命にお話を書きはじめました。難しくて途中でペン先がつっかえ、投げ出したくなったこともあります。

 僕だって大人です。辛いことは嫌いです。仕事は楽な方が良いし、うるさい人間関係に巻き込まれて愛想笑いするのもうんざりです。

 でも書くことを始めてしまった僕は、どんなに辛くても物語を作ることだけはやめられないのだと気づいていました。だから、どうにもならなくなったときには星を見ます。

「僕の大事な星はどんな人かしら」

 こんなに大事に思っているのに、僕は星のことをあまりにも知らない。顔も、本当の名前も、どんな声で笑うのかも……でも、知っていることもあります。

 僕は彼女が書く文章を知っています。文字で言葉をやり取りすることによって、その性格の一端を知ることもできます。実のところそれで十分なのです。

 どれだけ近くに居る友人だろうと、離れて顔も知らない友人だろうと、僕たちはその全てを知ることなどできないのですから。

 それは全く夜空の星を見上げるのに似ています。僕たちは地面の手触りや、その星に生えた植物に思いをめぐらせながら、星の光を愛でるものではありませんか。

 星達はどれも小さく光って見分けもつかないけれど、あのどれかが僕の大事な星なのだと思うと、僕の夜空は以前よりもいっそうに美しく見えるのでした。


 僕の星はもう、窮屈ではありません。地面にしがみつこうと膝なんか抱えるからいけないのです。立ち上がって両の手を広げれば、宇宙は果てしなく広がっているのですから。

 こうして他の星に手を伸ばすことを覚えた僕にはひとつ、また一つと大事な星が増えました。

 しっかり屋で働き者の星、おっさんで腐女子だと気さくに笑う星、ちょっと変わった色に輝くやたらと動く星、柔らかい星、真面目な星……

「それなのに、何が不満なんだい?」と、不思議な男の人が言いました。

 焚き火は既に灰に埋もれて、火は小さくなりはじめています。くべる薪も尽きました。

 あと少し、この人をここに留めておきたくて、僕は炭になった薪を小枝で突きます。

「ちっぽけな僕の星が、僕の大事なあの星たちからはどう見えているのか、最近では気になって仕方がないのです」

 色々な情報の断片を繋ぎ合わせるうち、僕の大事な星たちのことが少しずつわかってきます。既にたくさんの星から知られている星、文章の仕事をしていたという星、情報通で読書家の星……どの星から見ても、僕は自分の星が薄暗いものに見えて仕方ないのです。

「だから褒められるたび、嬉しい反面、恐ろしくもなります」

 自分が薄っぺらなことがバレるのではないか。そのとき、あの星たちは僕の目の届かないところに姿をくらませてしまうのではないだろうか。

 そんなことになったら、この星空はひどく哀しいものになってしまうことでしょう。

「僕は文章なんて正式に習ったのは小学校までで、今書いているのは自分の欲求と野生のカンのままに文字を連ねているに過ぎません。それでも僕は、大事な星に出会ってしまった」

 焚き火は残り少ない炭を赤く光らせています。

「書くことをやめるなんてできそうにありません。でも僕は人一倍遅読家だから、新しい情報を貪欲に貪りに行くこともできない」

 不思議な人はやはり黙っています。僕はちょっと意地悪な気持ちになって叫びました。

「あなたの本だって、一つしか読んだことはありませんしっ!」

 その人はにっこりと微笑みました。それは待ち焦がれていたおもちゃを与えられた少年のような顔でありました。

「だが、手元にあるのは同じものが三冊目だ。」

 今の彼はただの意地悪小僧です。嬉しそうな顔で僕をさらに責めました。

「猫の絵本も三冊目だったし、カラスがパンを焼く絵本は二冊買った。本棚の隅には未だに学生時代から何度も手にとっている詩集が……」

「やめてええええええ! 俺のおかしな読癖を晒さないでえええええええ!」

 がらりと口調の変わった僕に、彼は優しい声を出します。

「やっと正体を現したな、アザとー?」

………………そうか、これは俺の物語だったな。

 

 焚き火はあらかた灰になってしまった。彼との別れも近い。

 その前に、どうしても聞いておきたいことがあった。

「あの物語は、本当に離れた友のために書いたものなのか?」

 『飛行士』はあくまでも笑顔を崩しはしない。それは星の光のように静かな、だが心強い微笑だった。

「君はどう思った?」

「大人というものへの風刺とか……そうだ、戦争批判って説もあったな。うわばみが示唆するものは……」

「そうじゃない。『君が』どう思ったかを聞いているんだよ」

「ああ、読むたびに違うものが見えてくる、万華鏡のような物語だ。それに……」

 俺は初めてその物語を読んだときのちょっと後ろめたい気持ちを思い出して、すこし噛み気味に言葉を吐く。

「らびゅ……ラブレター?」

 静かな微笑は弾き飛ばされ、彼は腹を抱えて笑い出した。

「それはそれは……また……」

「うるさいなぁ、俺にはそう読めたんだから仕方ないだろ。百歩譲ってラブレターじゃないとしても、あれは誰かに宛てた『手紙』だ」

「そうして君は、その手紙を受け取った」

「ああ、そして今も、あんたからの手紙に励まされる夜もある」

 彼は立ち上がり、ズボンの砂を払った。

「ねえ、アザとー、君は今、幸せなんだろ?」

「そうだな、俺はここまで幸運に恵まれていた。いや、恵まれすぎているぐらいだ。好意的に受け入れられ、こうしてイベントを開けば参加してくれる仲間もいる。だけど、現実では一生会えないかもしれない友人達だからこその不安はある」

 俺は小心者だ。もしかしたら今の関係は俺が過大に評価されているがゆえで、いつか失望されるのではないかと不安にもなる。それ以前に、片思いなのではないだろうか……

「僕たちの時代とは違って、世界が見えないもので繋がってしまったがゆえの悩みだね」

 彼はきゅっと小気味良い音を立てて革手袋をはめる。

「でも、僕の手紙を受け取ったんだろう、君は」

「間違いなく受け取ったさ。肝心なものは目で見えない……ってヤツだろ」

「違うよ。星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるから……だよ」

「そうか。砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから……だったっけ?」

「大丈夫、君の友人達は君が隠している井戸を見つけてくれるよ」

「枯れてなきゃあいいけどな」

 鼻先で笑う俺に、彼は少し悲しそうに眉根を寄せた。

「大事な星を見つけてしまった人間はね、悲しくなることもあるよ。友人達といつまでも親交があるとは限らない。僕だって地上の友人たちとは別れたんだからね、僕の言っていることは間違いないよ。でも君の星たちは、まだ君の近くに居るんだろ?」

「もちろんだ。でも先のことは解らねえ。人にはそれぞれ事情ってモンがある。いつまでも変わらないモンなんかないさ。それでも一度大事だと思った星のことは忘れたりできない。夜空を見上げたときに『ああ、あの星はどうしているかしら』なんてセンチな気分になったりもするだろう。そのぐらい、俺にとっちゃあ大事な星たちなんだ」

 シリウスの近くで小さな星が流れる。ペテルギウスも高く上がり、夜空はいっそうに賑わって見える。

「ああ、僕はもう行かなくちゃ」

 すっかり飛行機に乗り込む支度を整えたその飛行士は、今一度だけ焚き火に目を落とした。

 既に最後のひとかけらを残してすっかり灰になった炭は、最後の一炎をあげて揺れている。

「僕の星を教えたら、君の大事な星にしてくれるかい? 僕の星は、ほら、そこの……」

 指差されて天を仰ぐ。だが小さな星が数多輝く夜空の一点を見つけることなどできない。星の彼方で、ひどく旧式のエンジンが、喘息もちの猫のように喚く音が聞こえる。

 それっきりだ。振り向いたときにはその不思議な男は消えていた。

 そして……

 燃え尽きようとしているその炎は、一筋の煙に変わろうとしていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] まさか星の王子様をつかってくるとは [一言] ……あの人、死体(飛行機)見つかったからなぁ
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