NO.5 やあ 著 喫茶店 『ホットミルク』
「喫茶店」 掌編小説
幼い頃の記憶の糸を辿っていくと、一軒の喫茶店に行き当たる。
遡るにつれてセピア色を帯びていく風景の中で、そこだけ妙に明るい光で彩られている。脳裏の中で四角く切り取られた店内で、わたしはホットミルクの入ったコーヒーカップを前に途方に暮れていた。向かいの席にはほぼ半年ぶりに逢ったであろう母の姿。
初夏の風が縁側を抜けて座敷を吹き渡るようになった頃、母は突然、家を出た。それからのわたしが保育所に途中入所させられ、帰宅間近に出される沸かした牛乳が飲めずにべそをかいていることを母は知らないでいたに違いなかった。
保育所で出される生ぬるくなった牛乳にはいつも表面に白い膜が張っていた。半分は飲むようにと、まだ若い保母は繰り返し強要した。同じテーブルを囲んだ子どもたちが当たり前の顔で膜の浮いた牛乳を飲んでいる間、わたしは絶望的な気持ちで自分の膝だけを見つめていた。わたしはさくら組の措置児童の中でただひとり、バスが来るぎりぎりの時間まで樹脂のミルクカップを睨んだまま座っていなくてはならなかった。
母は明るい店内で、わたしをこれ以上優しい目はないだろうと思えるような目で見つめていた。
「おなかがいっぱいなの」。
そうわたしはようやく手の届く場所に戻って来た母に甘えて訴えた。
「少しでもいいから飲んでごらん」。
柔らかく微笑む母。幼時からほとんど子どもらしい素直さを持ち合わせていなかったわたしは、意を決してその白い液体を口に含んだ。後に思うと、それは牛乳ではなくコンデンスミルクを希釈したものだったのであろう。初めて飲んだ喫茶店のホットミルクには白い膜など張っておらず、幼いわたしが驚くほど甘くて濃かった。わたしの中の母の笑顔は、今でもあのホットミルクとワンセットになって暖かい陽だまりに寝転んでいるような心地よさで胸の中にしまいこまれている。
母は店を出るとわたしを連れて県外にある児童養護施設に向かった。そして幾つかの事務手続きを終えると、その日のうちに探し出したデパートで多くの買い物をした。
パンダの柄のついたスプーン、ピンクの子ども用の歯ブラシ、複数の衣類や下着やタオルの類。母に手を引かれたわたしは、おしゃれだった母が決して可愛いとはいえないクリーム色の猫模様がついたパジャマを購入した時にひどく落胆した。わたしが知っている母は、それまでいつもフリルやレースがふんだんに使われた前開きのパジャマしか選ばなかったからだ。だがその時点になっても、わたしはまだ母と暮らせることを信じて疑わなかった。繋いだ掌の中で飽きることなく母の細い指を強く握ったり緩めたりして遊び続けた。
しかし母と一緒に過ごせたのは施設に戻るまでの僅かな時間だけであった。わたしが入れられたのは大勢の子どもたちが24時間、数名の保母に見守られて共同生活をする場であったのだ。好き嫌いが多く食の細かった私は、常に一番最後までテーブルから立つことを許されなかった。
やがてわたしは団体生活に適応できずに自らの髪を引き抜き、左手の親指をしゃぶらないと眠れない子どもになった。夜が来る度にひぃひぃと細い声でぐずり、時折、面会に来た母に全身でしがみついて泣きじゃくった。挙句、困った母はわたしを父の元に連れ帰った。そしてわたしを父方の祖母に託して数日後、今度はひとりで出奔した。
それから思春期までの日々は濃いグレイのセロハンで包まれてしまっている。覚えているのは小学校へ入ってからも暫くの間、ひとりで家へ帰ることが出来なくなったことだ。
家の中に誰かがいることを確認出来るまでは近所に住む幼馴染のそばを離れることが出来なかった。そして中学に入っても布団に潜り込んで指をしゃぶる癖は治らず、左手の親指にはいつも胼胝が出来ていた。当時の記憶は何故か、どれも断片的なものばかりである。
再び家を出た母とは以後、二度と逢うことはなかった。いつの間にかわたしは母の存在を自分の意識の中から抹殺してしまったように思う。それは慕うとか憎むとかいう感情とは離れたところにある心の動きだ。母の存在をそんなありきたりな言葉では表せない入り組んだ場所に片づけてしまった故である。
母の安否を人に尋ねられたりすると、あの喫茶店のホットミルクを思い出す。大人になってからも、わたしは相変わらず沸かした牛乳を飲むことが出来ないままだ。
今もわたしは新しい喫茶店に入る度にホットミルクばかり注文している。どこかであの時の味と再会することを無意識のうちに期待しながら。




