NO.7 BENクー 著 海 『変わらぬ海…変わる人』
マキエは、遠ざかって行く小船のエンジン音を聞きながら、艫と呼ばれる堤防の上に立ち、沈んで行く夕陽をじっと見つめていた。
船の舳先を舳と言い、後尾部分を艫と呼ぶ。この地域はどこも海の町らしく、陸地の後尾たる堤防域のことを艫と呼ぶのだ。艫に立って観る夕陽は絶景である。
だいだい色に染められた波が足下に広がり、右手には雲仙の山並みが、左手には三角半島の陸地が陰影で黒く惹き立てられ、左右の陸地に挟まれた島原湾の先へ夕陽が沈んで行くのだ。西風に吹かれていたマキエは、ふいに堤防の上にしゃがみこむと小さな嗚咽を漏らした。
「ちゃんと育てて行くから…バ、バカたれ…」
2003年8月15日。マキエ36歳。
この年の6月、夫・健一を事故で亡くしたマキエは、初盆に合わせて帰省した。実に13年ぶりのお盆休みだった。都会生まれの健一は、山海の自然が間近にあるマキエの故郷が好きだった。特に艫から観る景色はお気に入りで、ここに来るたびに必ず艫に上って夕陽を眺めていた。
ここで育ったマキエには何ら感慨も湧かなかったが、夕飯のたびに艫の上に立つ健一を呼びに来た記憶は強く残っていた。
何も変わらない海を見つめ、マキエはひとしきり泣きおえると、涙を拭いて海に背中を向けて艫を降りて行った。その日からマキエは変わった。それまで子供たちに対して細々と口うるさかったのが、鷹揚と言って良いほどの態度になった。まるで健一の悠長さが乗り移ったようだった。タケシが中学1年、ヒロシが小学4年の時だった……
-おしまい-




