第25話 m(・A・)m
目覚まし時計のけたたましい音が寝室にこだましている……起きなければ。
いつの間にか掛けられていたタオルケットを取り,リビングのソファから落ちるようにして起き上がる。
「はぁ……やけに頭が重い……」
軽い嘔吐感と頭に重くのしかかるような感覚に鞭打って二階の寝室へ行く。もっとも,原因は知っているのだが。
寝室の目覚まし時計を止め,布団の中に居る筈の二人の人物に声を掛ける。
「天音先生,天龍先生,朝ですよ。この音でも起きないとは……」
「いや,起きましたけど……二日酔いで…………」
ことの発端は昨日のことだった。
仕事が終わった後,職員室で天龍先生と談笑していると天音先生に呑みに誘われ,家でしか呑まないということを伝えると,
「じゃあ,酒を買って先生の家で呑みましょう!」
と言われ,興も乗ったので近所の酒屋でいろいろと買いこんで酒盛りをした結果,宵を越してしまったため,二人を寝室に案内して自分はソファで寝ることになり,結果今に至るわけだ。
「布団まで酒臭くなっていますからね。分かっています……おや,天龍先生は?」
セミダブルのベッドには天龍先生も寝ていたにも関わらず,天音先生しか寝ていなかった。
天龍先生が呑みすぎて寝込むとも,鳴る目覚まし時計を止めないとは思わないので一旦一階へ降り,キッチンへ向かう。
「おはようございます,クラフト先生。失礼ながら冷蔵庫の食材を拝借させていただきました」
「天龍先生……おはようございます。タオルケットもあなたですね?」
予想通り,キッチンでは天龍先生がなにかを作っていた。
「暖房を効かせているとはいえ,この季節は油断なりませんから」
鍋からは味噌汁の香ばしい香りが伝わり,小皿には既に均等に切られている卵焼きが黄金よろしく輝いていた。オーブンからは魚の焼ける匂いがする。
「いえ,私より数段有効に使っていただいてありがたいです。では,私は天音先生を起こしてきます」
いつもは起き抜けの一服を楽しむところだが,この料理の前では汚してしまう気がして,そんな気は起きなくなってしまった。
「あと数分もすれば出来上がりますので」
「では,間に合わせましょうか……」
「わんちゃ――先生。これを」
彼女の手には水の注がれたコップがあった。なるほど……
「ありがとうございます」
コップに注がれた水を手に再び寝室へと向かい,天音先生を起こしにかかる。
「う~……先生,水を……」
「天龍先生からの贈り物です,早く飲まないと朝食も冷めてしまいますよ」
持っている水を渡す。天龍先生の気配りも大したものだ……
「ところで先生」
「はい,なんでしょうか?」
「昨日,イカの塩辛を食べましたよね?」
「えぇ……食べましたが?」
それは確かに昨日買い込んだ中にあったので普通につまんだ記憶はある……しかし,それがどうかしたのだろうか。
「先程思い出せたことなのですが,あれは犬が食べるとお腹壊してしまうものですね……」
それは確かにそうだ,それは猫などの小動物の場合は大体がそうなる筈だが……
「一般常識として既知ですが……どういう意味ですか?」
「あ,いえ……何でもありません。ありがとうございました,コップお返ししますね」
「お礼は天龍先生にどうぞ。さぁ,行きましょう」
コップを受け取り,天音先生を支えつつリビングへと向かう。
「おはよう,天音」
「おはよう……」
「朝餉の支度は整いました。どうぞ,お召し上がりください」
机の上には茶碗に盛られた白米と味噌汁,焼き魚,卵焼きが2セット隣り合っていて,その他には牛乳の注がれた深皿とコーンシリアルが一つあった。
天音先生は前者に座り,天龍先生はその隣へと座った。
「天龍先生……?」
「どうかされましたか?」
「これは,何の冗談ですか?」
自分の朝食はそれということだろうか……まさか――
「探したのですが,ドッグフードが見当たらなかったもので……」
「はい?最初からそんなものはありません……というか,せめてスプーンを……」
手づかみで食べるものではないのは確実な話だ。二人のところにはきちんと箸が用意されていたのにもかかわらず自分のところには何もない。
「あ……!済みません。すぐに用意しなおしますので……」
何かに気づいたようにキッチンに戻っていった……用意の時点で気付いてほしいものだが……作ってもらっている手前そんなことも難しいと考えるべきか……
「クラフト先生,やっぱり交換してもらえませんか?これはきつかったです」
「二日酔いでもそれくらいはいけるものだと思いますが?」
「いえいえ,普段がちょっとあれなもので……」
「では交換しましょうか」
天音先生の日常は気になるところだが,朝食を食べることの方が大事なので手早く料理を胃に詰め込んでいく。
朝食を終え,鞄に必要な道具を入れる。
「天音先生,天龍先生,準備はよろしいですか?」
「私は大丈夫ですが,天音,しっかり……」
「ふむ……ようやくしっかりしてきました。それでは行きましょうか」
1
家から学校までは車で数分,道中は特に問題もなく,調子も戻ってきた。
「到着しました」
「ありがとうございます。天音,もう平気?」
「ふむ……全快には程遠いですが,もう大丈夫です」
朝はあんなざまではあったが,天音先生も一線は超えない程度に自制していたのだろう。二人はいつもと変わらないように校門へと向かった。
二人が遠くへ行ったことを確認して,煙草を取り出し,オイルライターで火をつける。
紫煙を吐き出すと,少しクラクラとした感覚になるので背もたれに体を預ける。これで仕事がなく,コーヒーでもあればいうことなしだが,現実逃避もここまでだ。
灰皿に煙草を入れ,カバンを持って職員室へと向かう。
2
どうやら気持ち遅めの到着のようでほとんどの先生が席についていた。
教頭がレジメを片手に話し始めた。
「さて……朝礼を始めます。みなさんおはようございます。今日もいつも通りよろしくお願いします。先生方から何か報告等ありますか?」
数十秒の沈黙を置いて,高校生ながら教員をしている七瀬先生が手を挙げた。
「あ、じゃあ……この前の行事で俺の授業が一回飛んだんで,放課後補習で部屋を借りていいですか?」
「そうですね……会議室は狭すぎますし……」
「失礼。図書館を使うというのはいかがでしょうか?」
ただただどこかの部屋を使うよりも図書館に来てくれたほうが少しでも本が借りられるかもしれない。それに,補習ならそれほどの人数も集まらないだろう。
「じゃあクラフト先生,お願いします」
教頭はうなずいている,七瀬先生も了承したようだ。
「はい,ホワイトボードも用意しましょうか?」
「お願いします」
「他に何かありますか…………では,朝礼を終わります」
行事もイベントもなければこんなものか。
自分はあくまでも司書なのでメモと配布資料を持って図書館を開けに行く。
図書館の司書といっても午前中に何かすることはほとんどない。
蔵書管理と机の清掃,時々カウンセリングか,まれに図書の貸し出しか返却の応対。多忙な先生の印刷代行や文書の代筆の方が多いので,ある意味事務といっても過言ではない。
今日も例にもれず元々きれいな図書館を掃除し,蔵書と貸し出し記録を確認する……残念ながら貸し出しは増えずとも減らず。
多すぎてはほしい本が借りられないような問題もあるが,余裕はまだあるのでもう少しは増やしたい。もっとも,数が多ければよいものではない。難しいものだ。
借りられる本というのは相場が決まっていて,貸し出し記録と照らしあわせても変な紛失は見当たらない。もしあったとしても,そんな本は“処分”という扱いで済む。必要になったらまた買いなおせばいい。
「わんこ先生」
不意に声をかけられ後ろを振り返ると,授業中にもかかわらず緋波奏音さんが立っていた。
「緋波さんですか。どうしました?」
勝手なイメージではあるが,成績は優秀で性格は温厚で分け隔てない。そんな彼女がこの場にいるのは大いに違和感のあるものだが……
「その……嫌な夢を見たんです」
相談――か……不思議なものだが,折角の来客を突き返すわけにもいかない。
「そうですか。私でよければ,お話を聞きましょうか?」
「お願いします」
彼女とともに司書長室へ移動し,お互い椅子へ掛ける。
「さて,話をするには飲み物が不可欠でしょう。お好みは?」
「ただの水をください」
「わかりました」
ミネラルウォーターをコップへつぎ,緋波さんの前に置く。
「緋波さん,嫌な夢といっても,色々ありますよね。例えば,恐ろしい怪物に襲われそうになったり,遅刻してしまった――どんな感じでしょうか?」
「え,と……うまく言えません。でも,起きた時にはすごく嫌な気分でした」
「そうですか。では,最近の調子はどうですか?きちんとご飯を食べていたり,夜更かしはしていませんか?」
「はい。今日もちゃんとご飯は食べていますし,夜更かしは……たまにしますけど,昨日は早く寝ました」
身体には問題はなさそうだ。それならば悪夢なんて誰しもが見て当然のものだから気にすることはない。と,言ってしまえばそこまでだが,もう少し発散してもいいかもしれない。
「そういえば,緋波さんは何か趣味がありますか?」
「はい。バイオリンを弾きます」
「バイオリンですか。素敵な趣味ですね。私はその道には詳しくありませんが,弾けなかったときなんか苦しいんじゃないですか?」
「……弾けない曲は今のところないんですけど,最初はそうだったかも知れません。もしかしたらこの先弾けない曲があったらすごく苦しいかも知れませんけど」
「なるほど。最近悩み事があったりしますか?」
「特には……ありません」
今なら,鵜呑みに信じていいだろう。
「緋波さん,きっと今日はいい夢が見られますよ」
根拠はない,ただの確立からの推測。昨日は悪夢,それと比べれば普通の夢も悪くない。いい夢ならなおのこといいが。
「少し気が楽になった気がします」
「それはよかったですね」
「あの,先生のことも教えてください」
自分は質問をし続けるたちだ。質問を返されるのは慣れている。
「答えられる範囲でなら」
「先生って恋したことありますか?」
少し不意打ちを食らったような気分だ。
「ありますよ。不思議な気分です,過ぎ去った過去ですが」
「じゃ,じゃあ……失恋したことは?」
「当然,あります。知り合いや友人以上に,とても悲しいです」
ずいぶん内面に踏み込んだ質問だったが,答えてみればわけもない。
「……ありがとうございました」
答えに満足したかはわからないが,緋波さんは帰っていった。
コーヒーを入れ,煙草に火をつける。PCを立ち上げてさっきの出来事の簡易的な記録をつけ,外付けHDの中に保存する。
3
メールを確認し,書類の代筆を始める。難しさは特にない事務的な仕事だ。一つ終えてはまた一つ。次,また次と進めていき,気が付くと昼になっていた。
「誰もいらしゃいませんね?」
授業時間中で声もかけた。十分だろう。
弁当の類は用意していないので,いったん図書館を閉めて学食へと向かう。
運悪くか,生徒の休み時間とかぶってしまったようで学食はかなり混み入っている。しかし,空席は存在するので構うことはない。
いつも学食名だけに少し変わりばえがほしいので日替わり定食を頼む。今日はアジフライか……ソースは趣味ではないので塩でもかけておこう。
ちょうど食べ始めようとしたところで,
「クラフト先生,相席よろしいでしょうか?」
「構いませんよ。え,と……どなたでしょうか?」
「1年B組の村野です」
村野……村野時雨さんか。天音先生から少し話を聞いてはいたが,顔を見るのは初めてだ。
彼女のランチは野菜炒めの定食だが,女性ということを前提にしても少なめだ。野菜炒めといえば確かにそうだが,にら玉に近く,“病院食よろしく”といったところだ。
「あの,クラフト先生はカウンセリングをされていますよね」
「はい」
「私がお願いしてもいいですか?もっと人と付き合った方がいいって言われて……」
「構いませんよ。いつでも,誰でも。個人的には自分で来れる内に来てほしいところです。ただ,今のあなたが来てもあまり意味がないかもしれません」
「え?」
「既に私に対してあなたから普通に接していますからね。今日び他人には会釈でなんでも済みそうな中,言葉がけができるなら満点合格ものですよ」
三無主義は自分が高校生だった頃からそうだった。今(高校生)の世界の価値観は今の人間(高校生)しかわからないことだが,崇高なことだ。
「……」
「意外と思うかもしれませんが,あなたは十分勇気も表現力も持っています。他人からの評価とは得てして自己評価と違ったりするものです」
「はい」
「それでは先に失礼します。もしもカウンセリングが必要なら予約はお早めに。急ぐ場合は“どうしても”と言ってください」
4
「さて,蔵書整理も終わって……今日はこれまででしょうかね」
図書館の司書長室で一服しながら確認すると,溜まっていた仕事も存外早く終わり,残業は当分なくなった。
煙草を灰皿でもみ消そうとした瞬間,司書長室の扉が勢いよく開かれた。
「オル先輩!時間来たから貸し出しはもう締め切ったよ!」
元気な声で司書長室に入ってきたのは,十波先生のクラスから選ばれた図書委員の佐倉 実月さんだった。
「お疲れ様です。あなたはいつも“先輩”ですね……とりあえず,ドアを開ける時はノックする癖をつけなさい……」
「先輩!」
「なんでしょうか?」
「煙草は体に悪いです!」
「既知です,やめるつもりがないだけですよ。それにしてもよく仕事をしてくれます,お疲れ様です」
煙草の火を消し,図書館へと向かう。
「それは……しょうちゃんのおかげです!」
「私は彼も図書委員の一人だと思っていますが……」
彼女の仕事ぶりは元々真面目な方だったが,時折気づいた時には弟の恭虎君が替え玉にされ帰られるということもあった。そんな中クラスメイトの佐藤 渉君も図書委員に加えてほしいという依頼を何故か恭虎君に頼まれ,図書委員助手という立場で彼を入れると,一層熱が入ったようで,今では彼女だけで2~3人分の仕事を賄ってくれるので重要な人材の一人だ。
学年が学年なら委員長もできたものなのだが,それは後に期待しよう。
「そう!しょうちゃんと仕事ができるんですよ!!」
「それはそれは。仲睦まじくされているのが分かりますよ」
確か彼と彼女は恋仲同士の筈なので仕事の効率が上がるというのも頷ける。
「あれ?知ってるんですか?」
「そうですね……多くを知っているのはあなただけではない。というよりもです,空気がそうなんです」
「お帰り実月。わんこ先生もお疲れ様です」
図書館に着くと,佐藤君がカウンターの整理をしてくれていた。奥の方では恭虎君が破棄する本を運ぶという重労働をしていた。彼に頼んだ覚えはないのだが,“立候補”してくれたということにしておこう。
「あなたこそ。それと,奥の彼にはそれに気持ちおまけをつけましょう。さて,後は私が引き継ぎます。三人とも,紅茶と抹茶,あとはコーヒーでお好みは?」
「私レモンティー!」
「僕はミルクティーをお願いします」
「俺コーヒ……」
ミルクティーは簡単にできるが,その他は少し難しい。三人の準備ができたことを確認して図書館を閉める。
「残念ながらレモンは用意していませんでした。一旦購買に行ってきますので私の部屋でゆっくりしていてください」
「は~い!行こ,しょうちゃん」
「うん,行こう」
そして,三歩下がったところでは当然のように恭虎君が三人分の荷物を持っていた。少し彼を不憫に思うが,嫌気もなさそうなので何も言わず購買へと向かう。
「オル=トロス先生,いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
購買の店長をしている逆騎君が迎えてくれた。いつも思うが,よく一人でこの店を切り盛りできるものだと思う。品揃えは普通のスーパーマーケットよりも多いにもかかわらず,綺麗に陳列されており,掃除も行き届いている。
「コーヒーと,できればレモンの果汁はありますか?」
「勿論。ここは鉛筆の芯から核ミサイルまで置いてますよ。両方とも出たことはないですが……とにかく,持ってきます」
前者はともかく,後者は色々と問題がありそうな気がするが,出ていないのならば平気だろう。
「済みません,それと軽いお茶請けもお任せしますが,構いませんか?」
「あぁ……せめて和か洋かでも絞っていただけますか?」
「それは失礼。洋菓子ですね。ケーキやドーナツを見繕ってください」
「了解しました」
待つこと数分,持ってこられたのは市販品のインスタントのコーヒーとレモン果汁,チーズケーキ,様々なタイプのドーナツだった。これだけあれば十分だろう。
「それと,キャスターマイルドを一箱」
「はい。合計で1860円になります」
普通に煙草を売っている購買というものもどうなのかと思うが,実際役に立っているので黙っておくのが吉だ。丁度細かい額まで揃っていたので丁度出す。
「丁度あります。では,お疲れ様です」
「ごひいきに」
司書長室に戻ると,実月さんが自分の席に座って,何故かパソコンが立ち上げられ,スピーカーから音楽が流れていた。
「実月さん……他人の,しかも学校関係者のPCを立ち上げないでください……」
もちろん電源をつけるだけでデスクトップは表示されるような甘い設定にはしていない。この面子でこんなことが可能なのは美月さんしか居ない。ことあるごとにパスコードは変えているのだが,ことごとく破られている。
「だいじょ~ぶ!大事なファイルは開けてないから!」
「大事なものは全て外付けハードに記録して常に懐中にあります。それと,今の雰囲気にその曲は合いません」
今流れている曲はテクノ過ぎて落ち着かない。
ファイルの中にあるトラックを変える。数秒経つと軽快なポップ音楽がスピーカーから流れてきた。
「まぁまぁいい曲ですね」
「これは随分手厳しいですね……」
「先輩もしょうちゃんとカラオケに行けば解かりますよ」
「惚気話ならまた今度にお願いします。さぁ,私の席を返してください。たば――」
「煙草なら,捨てちゃいました~!」
実月さんが全く悪意のない満面の笑みをうかべ,片手でハサミをちらつかせ,もう片方の手でゴミ箱を指差す。箱がきれいな横一文字に真っ二つに切られていた。紙巻にして吸うことすらできないのでゴミ決定だ。
「ご丁寧にありがとうございます……ですが,甘い」
自慢ではないが,自分はよく煙草を捨てられたり盗まれたりするので予備は幾つか所持している。さっき買っておいた箱の封を開け,オイルライターで火をつける。
「ずるいですよ~!」
「ふぅ……そうですか。他人の私物を不在の間に破損させ,あまつさえ捨てる。十分処罰は下せます」
「むぅ~……」
「意外かもしれませんが,大人とはえてしてそういうものです。アンフェアに生き,アンフェアから救いなさい」
「よく解かりませ~ん」
「それでもいい,そのまま歩むことができれば一層良いのですが」
肺の中に溜まった紫煙を吐き出し,灰皿に灰を叩き落とす。
「それで……先生,実月のレモンは買えましたか?」
佐藤君が袋を指差しながら訊く。この手の訊き方にしては不思議と催促のようには聞こえないが,早めに用意するべきだろう。
「ええ,普通に販売していました。あなたが作りますか?私よりは喜ぶでしょう」
「うん!しょうちゃんの作ったのがいい!」
面白い程一途だ。佐藤君にレモン果汁を渡した後,煙草を灰皿に押し込み,ほねっこクッキーを皿に移し,買ってきたケーキやドーナツを添える。
「恭虎君はブラックでよかったですかね?」
「大丈――」
「むしろ泥水で大丈夫だよ!」
「産業廃棄物でも大丈夫だからね」
素晴らしいコンビネーションで恭虎君が貶められている。漫談なのかそれとも本気で思っているのかは定かでないが,少なくとも人間扱いはされていない。
「姉やんや渉さんって何か恨みでもあんの?」
「ゆきちゃんだもん。当然だよ」
「……わんこ先生,今度カウンセリングの予約していいっすか?」
コーヒーを注ぎながら思う。自分の知りうる限りでは恭虎君はかなりの苦労人の筈だ。見た目に反して模範的な部分も見受けられ,一部とはいえ,他がための労働もいとわない彼には少なからずそういう場を与えてもいいのだろう。
「では,希望する日時を書いてください,優先はします」
コーヒーに記入用紙を添えて渡す。
「あざっす――熱ッ!?」
「紅茶用の温度になっていますからね……アイスティーも飲まないので氷の用意もありませんし,多少冷ましてください」
種類によって若干の違いがあるものの,紅茶の抽出の水の温度は摂氏約95度以上に対し,コーヒーの場合は摂氏7~80度なのでかなりの差がある。
「そうなんっすか……で,先生は何を飲むんっすか?」
「気分転換に抹茶です。洋菓子,和菓子関係なく抹茶は何にでも合いますからね」
冷蔵庫から抹茶の粉が入った缶を取りだし,器にお湯を注いで捨てて温めた後,茶杓で二杓入れ,適当な量のお湯を目分量で入れ,茶筅を振る。
「そういえばわんこ先生は茶道部の顧問をされていますよね?」
不意に佐藤君が声をかけてきた。
「ええ……あまり部員は居ませんがね。それが何か?」
「よく色々しているなと思っただけです」
「オル=トロス,そろそろ――やあ,後輩諸君」
突然扉が開き,鞄を持った僕が入ってきた。
「男二人はどうでもいいや,実月ちゃん――おっと,今は止めた。オル=トロス,あまり時間がないぜ」
壁にかけてある時計に目をやると四時半を回っていた。僕が来たということはヒイラギへカウンセリングに行く日ということだ。
「さて,後もう少しでここも閉めましょうか……」
PCや換気扇の電源を切り,ハンガーに白衣を掛け,司書長室を出る。
職員室のタイムカードに記帳した後,車に乗り込んでヒイラギに向かう。
「今日も大変そうだね,オル=トロス」
「そうかも知れません」
「ヒイラギに着くまで暇だから,君の話を聴かせてくれない?」
「さしたるものではありませんが,だからこそ暇つぶしにはいいのでしょうね。お話ししましょうか,私の一日を――――」
ずいぶん間が開いてしまったので完結のような感じにはなっていますが,扱いとしては連載中です。
私自身が多忙なのであまり応答できないかもしれませんが,なるだけ頑張っていきます。
次回投稿の方,がんばってくださいねー