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第十五話 「新天地で大活躍したい」

 主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。

 だが、いつも寄り添ってくれる妻ナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。


 俺は明日からランニングや筋トレを再開し動ける身体を作って行く予定だ。


 ナミは就職先が内定し、都内の大手広告代理店に決まった。

 勤務地は渋谷区か品川区となりそうな話しだ。

 俺達は十二月三十日~一月三日の年末年始は神奈川の温泉旅館で過ごし、俺は四日から自主トレに向けてトレーニングをしていた。

 自主トレにはマサトやケンも参加する事が決まり、昨年同様楽しくも厳しいトレーニングとなった。

 その後はYB球団のキャンプ地(沖縄)へ移動し、三月まで行われた。

 ナミは半月程近くのホテルに滞在し、一緒に過ごしていた。


 キャンプ初日、皆に挨拶をしてから練習に入ると、このチームはKさんと付き合いのある方が多く、俺の情報は筒抜けであり、やりやすい所もあれば、やり難い部分もあった。

 ナミは大学の卒業式のため、一足早く帰って行った。

 卒業式には母が出席すると話していて凄く喜んでいた。


 キャンプは終わり、俺はオープン戦に二回出場して開幕に備えた。


 五年目は新天地での開幕戦はホームで三連戦だ。

 初戦はスタメンで一番ショートとなった。

 一番の打順は初めてだが、初球から思い切り打って行こうと考えていた。

 初球をセンター前にヒットし、後続もヒットが続き一点が入った。

 二回以降も皆好調でスタメン全員安打の九対二で快勝した。

 打撃では五打数二安打二打点となった。

 チームは活気があり、雰囲気も良かった。


 二戦目は二番ショートで出場し、一試合五度のゲッツーを演出した。

 打撃ではツーベースヒット二本打ち、チームは六対一と勝利した。


 三戦目も二番ショートで打撃は三安打と好調をキープし、チームは七対四と三連勝で快勝し、幸先良くスタートができた。


 ナミは四月から大手の広告代理店へ就職する事が決まり初出勤となる。

 ナミは仕事を覚える事に必死だと話していて、今後仕事でのストレスが溜まると思うので、俺がナミを応援しサポートしようと思っていた。


 翌日から遠征があり、古巣チームとの試合もあり、四・五月とチームは好調が続き、俺も好調をキープしていた。

 休日は身体のメンテナンスを兼ねてスポーツドクターと会い、アドバイスを受けていた。

 ナミは会社の新入社員研修で四月中旬から一ヶ月程伊豆方面へ行くと話していて、少し寂しい生活を送っていた。

 しかし、遠征もあり過ごしてみればあっという間の一ヶ月間だった。


 ナミが会社の研修を終えて帰宅すると疲れた様子は見えるものの、研修での事を色々と話していた。

 ナミにとってはいい研修だったようで「今後も仕事を続けて行きたい」と話した。

 俺はナミの仕事を理解できなくてもナミからの話しをいっぱい聞いてあげ、相談に乗る事を心掛けていた。 

     

 六月に入り、チームは二位を推移し、俺の打撃成績は打率が四位で安打数は二位を推移していた。

 交流戦では、マサトやケンと初めて対戦し、高校からの仲間ではあるが、プロになればお互いライバルとなり気合が入った。

 マサトからはヒットを二本打ち、ケンからはノーヒットで試合後には三人で結婚式以来の食事に出掛け、親しい仲間として交流していた。


 オールスターは監督推薦で初めてベンチに入り途中出場したが、八・九回の守備と八回の打席で外野フライに終わってしまった。


 リーグは後半戦に入り、足腰の疲労を気にしてスポーツドクターから診断をしてもらい、身体のメンテナンスに心掛けていた。


 八月に入り、チームは二位で好調をキープしていた。

 西への遠征が六連戦と三連戦が続き、選手同士の交流もあり、色々な情報を共有できた。また、選手ならではの悩みや愚痴で盛り上がった。


 遠征を終え、自宅に帰るとナミは仕事から帰っていた。

 ナミの仕事を気にしていた事もあり、お互いの休日が合えばナミの好きな場所へ出掛けたりしていた。

 俺は遠征があり、ナミを癒す程のの時間が取れなかった。

 それでもナミは「ハルの活躍が元気の源だよ」と言ってくれた。


 九月に入り、リーグ戦も終盤を迎え、一位とのゲーム差は四ゲームあり、三位とのゲーム差は二ゲームと厳しい状況だった。

 チームの雰囲気は良いが少しピリピリしていた。

 俺はヒットを打つ事に徹していたし、その延長がチームの勝利に繋がると信じていた。

 投手陣の離脱(怪我等)もあり、チームは何とかリーグ最終戦を迎えた。

 監督から「今日を勝って二位で終わらせ、来季につなげよう」と話しがあり、俺達は気合を入れ、二対四で勝利し二位を死守した。

 俺の個人成績はリーグで打率で三位、安打数二位、二塁打数二位とキャリアハイで終わる事ができた。


 その頃、シゲさんの引退の話しが広まっていて、お世話になった方々から惜しまれる声が多かった。

 シゲさんはチームに関係無く、選手達から声が掛かると相談に乗り、アドバイスをして常に選手に寄り添ってくれた。

 シゲさんは野球用品の開発等に従事していた方だが、選手目線で仕事を続けて行きたかったが、シゲさん流の用品開発ができなかった事もあり、会社を退職して自ら野球用品の開発を行って来た。

 シゲさんに協力してくれるメーカーと一緒に選手に寄り添った用品作りとアドバイスで選手からの信頼は厚かった。

 球界ではシゲさんを知らない人は居ないと思うし、お世話になった選手は多いと思う。

 俺はシゲさんに出会わなかったらKさんと話す事もアドバイスされる事も無かったと思う。

 シゲさんは仕事を辞めても俺達選手の事を見て欲しかった。

 シゲさんは俺のチームに顔を出し、「ハルじゃあな!」と言い、俺は「シゲさん、俺はサヨナラは言わねーよ」と言うとシゲさんは「生意気言ってんじゃねー、たまには呑ませろ」と言って球場を後にした。


 俺は球団に頼み込み、シゲさんがシーズン中にいつでも試合が見られるよう特別席の「シゲさんシート」を設けて貰うよう、年間チケット代を自腹で球団に払う事で了解を得た。

 この話しを聞いたチームメイトから「俺にも参加させてくれ」と言われ、選手や監督・コーチや球団職員までがお金を出し合う事になり、球団は「シゲさんシート」をVIP席同様に創設する事になった。

 この話しはリーグ内で話題となった。

 その後は他球団でも「シゲさんシート」を設置されるようになり、シゲさんの偉大さを感じていた。 

 俺は「シゲさん、いつでも来てもいいよ」と言うと「おう、気が向いたらな、その時は呑ませろよ」と話していて「シゲさんOKだよ。野球見てから飲みに行きましょう。いつでも待ってるよ」と話した。


 シゲさんの後任は、後藤直樹ゴウさんで挨拶をしていた。

 グラブとバットを製作する小さな会社を経営していて、大手のスポーツ用品メーカーから独立したらしい。

 独自ブランド「GPJ」を掲げ、プロ野球選手を始め社会人・大学・高校へと近年浸透してきているメーカーだ。

 当然はシゲさんの三番弟子と言っていた。

 シゲさんは「ハル、ゴウに話せば何とかなるから注文付けて、いいグラブとバットを作ってもらいな」と話していた。

 ゴウさんはシゲさんからハルトさんの事は聞いていますので、色々ご相談くださいよろしくお願いします」と話していた。

 俺はゴウさんにバット五十本とグラブ二個を発注した。

 俺はこの年、初のベストナインに選ばれ、二度目のGG賞を受賞した。


 俺は今年も秋季キャンプに参加したかったが、母校(中学校、高校)からの依頼(大石先生と理事長)を受け、六件ほどの講演会に出席する事になった。

 俺は自分の経験等を色々話すとナミはその話しを原稿にしてくれて、講演会で話す事にしていた。

 子供達には何らかの目標や夢を持って取り組む姿勢の大切さを話させていただいた。

 その後は球団の室内練習場で筋トレや打撃・守備練習をしていた。


 十一月中旬にナミの誕生祝いを兼ねて三日間の小旅行に出掛け、心と身体の休養となった。

 帰宅後に球団から契約更改の連絡があり、球団事務所に行き来季の契約内容の話しがあった。

 球団から「来季は五年契約(出来高払い等)でお願いしたい」と契約書の提示があった。

 俺は思いもよらぬ大型契約に驚き、提示された契約金額に「凄い金額だなあ」と目を丸くした。球団からの期待の大きさを感じた。

 契約書の内容を確認してサインした。

 球団社長直々に「来季もよろしく頼む。来季は絶対優勝だ!」と言われ、ハードルが上がる一年になりそうだと思った。

 自宅に帰宅し、ナミが帰って来てから契約更改の話した。

 ナミは「えッ?ハル、凄いじゃん、凄過ぎだよ!」とビックリしていた。


 俺の名はマスコミ等でも取り上げられ、雑誌の取材や球界のレジェンド達等が俺の廻りに近づいてくるようになった。

 意外だったのは、行政や民間広告等の依頼があった。

 俺のオフはこんな感じで今までには無かった行事等が舞い込んで来ていた。

 それでもナミとの時間を優先し、年末年始を過ごしていた。


 年明けは、昨年同様マサトやケンと共に宮崎で自主トレに参加した。

 俺達は仲良しの同期だがお互いのレベルを高めながら刺激のある練習をしていた。

 二月は一軍のキャンプがあり沖縄へ移動した。

 キャンプでは、守備と打撃に重点を置いて練習をしていた。

 監督の提案で外野レフトの守備の練習を積極的に取り入れた。

 監督は「できれば開幕からレフトにコンバートしたい」との話していた。

 理由は昨シーズンまで居た選手が移籍した事と俺の遠投を見て決めたようだ。それからレフトの守備練習を集中してコーチがノックしてくれた。

 ショートにはサードだった先輩選手が入るようだ。


 キャンプは終盤を迎え、紅白試合を数試合していた。

 俺は三番でレフトだ。

 飛球の目測に少し不安はあったが試合ではミスもあったが、バッティングではヒット二本といい感触だった。

 その後、監督から「ハル、開幕からレフトだ」と指名された。

 入団から今までで右打ちから左打ちに変更。

 今度はショートからレフトへ変更だ。

 今の自分に最適なものを見出してくれた監督・コーチ・Kさん・シゲさんには感謝しかなかった。

 キャンプは終了し、打ち上げ後に自宅へ帰った。

 帰宅後は二日休んでナミと一緒に過ごし、リフレッシュしながら開幕に備えていた。

 ナミは仕事にも慣れ、精神的にもゆとりができ安定していた。

 一緒に買い物に出掛け飯を喰い、笑いの絶えない生活だった。

 

 六年目のシーズンが始まった。開幕戦はホームで三連戦だ。

 俺はスタメンで三番レフトで出場し、初回からヒットを打ち、初戦の勝利に貢献した。

 二戦目も三番レフトで出場し、三安打で初ホームランも飛び出し、二連勝となった。

 三戦目も三番レフトで出場し、この試合もホームランが出て三連勝に貢献した。

 その後、遠征が続き、レフトの守備でエラーもあったが、先輩達は「気にすんな。これから、これから」と励まされていた。

 

 中一日の休みはゆっくり休み、ナミと過ごしていた。

 考えてみれば、六勤一休の労働環境は今の時代では過酷のような気もする。

 選手の中には、日々の練習は軽めに行い、試合では力の入るところ、入れないところを考えながら取り組んでいるようだ。


 俺は二十四歳の誕生日を迎え、ナミから祝福して貰う事で明日の試合に弾みがついた。

 ナミは入社二年目だが、色々な資格を取得している強みを生かし、重要な仕事を任される事も多いという。

 いつも忙しい訳では無いようなので、ストレスもそれ程無いとの事だ。


 俺は翌日の試合では集中力を維持しながら力みの無い試合を心掛けていた。

 俺は一生懸命過ぎるところがあり、ショートからレフトへコンバートされ、守備に慣れてくると今までのような力みは無くなり、気分的に軽くなった。

 この瞬間からバッティングが好調になり、打撃成績が変わって来た。


 六月は交流戦もあり、マサトとケンとの対戦が待ち遠しかった。

 俺は二人に抑えられていた事もあり、「今年こそは」という思いで打席に立っていた。

 昨年はケンと一打席だけ対戦し外野フライに打ち取られ、マサトとは二打席でツーベースヒットを打った。

 七月はオールスターもあり、今年も監督推薦で出させて貰ったが、ケンに抑えられた。

 俺「ケン、打たせろよ!」 

 ケン「イヤだよ~」


 八月は二位ながら一位とのゲーム差は二ゲームで逆転のチャンスありだ。

 俺の後半は、打球の角度が上がり飛距離も伸びて、ホームランが量産するようになった。月間十六本と嘘のような数字となった。

 これは自分でも驚く程身体の調子が良く、精神的にも安定して試合に望めていたからだと思っていた。

 チーム内でも誰もが驚き、九月もホームランが十四本となった。

 しかし、チームは今年も二位に留まり、クライマックスシリーズはギリギリまでもつれたが敗退でシーズンを終えた。


 俺の打撃成績は、リーグ打率は二位、本塁打数は一位、打点は二位となり、リーグ最多安打と最多二塁打で三個のタイトルを取る事ができた。

 シゲさんは俺達の試合を六十回程試合を見に来ていただき、励みになったし、来年もシゲさんシートを用意すると話すとシゲさんは「ハルを心配して来る事も無くなったし、つまんねーから来年は要らねーよ」とシゲさんは俺を心配して見守っていてくれた事に感謝しかなかった。

 シゲさんが「心配して来る事も無くなった」と言う最高の褒め言葉を貰った俺は野球をやって初めて自信がついたような気がした。


 その後、今年のベストナインとGG賞が発表され、両方を受賞する事ができた。

 また、秋季キャンプは今年も参加できず、日程を調整して自主トレ(ランニング、筋トレ等)をしていた。


 ナミは仕事にやりがいを感じ「楽しい」と話すまでになっていた。

 また、俺の休み(オフ)に合わせて会社を休むと話していた。

 俺はシーズンを終えると手土産を持って大石先生宅と実家には顔を出し、お礼の挨拶と今年の報告(野球)をしていた。

 大石先生宅を訪問した際、息子さん家族が居らして、挨拶をし一緒に記念撮影やサイン色紙を書いて渡すと凄く喜んでいた。


 その後、球団からの連絡を待って、球団事務所に出掛ける予定だ。

 オフにはリーグから色々な表彰があり、ここ二年位の間に自宅の一部屋には表彰でいただいた記念品等を棚が埋め尽くしていた。


 十二月に入ってから球団から呼ばれ、五年契約以外の出来高払いのプラス査定(三個のタイトル等)で予想以上に高額な提示があった。

 球団社長から「君達の活躍で優勝と同様の経済効果を球団にもたらした評価は高い。来年も期待するし、ぜひ優勝を狙って欲しい」と話しがあった。

 俺はお金よりもこんなに充実し、皆に喜ばれる野球ができ、その場に俺が居る事で十分満足だった。

 また、監督から「ハル、来季からキャプテンをお願いする」と言われた。


 その後は完全にオフとなり、一月六日までナミと二人で旅行に出掛けたり、一緒に過ごす事が多かった。


 年が明け、昨年同様宮崎で自主トレを行い、マサトもケンも参加していた。

 自主トレの最終日にマサトはコトミと今年十二月に結婚すると話しており、ケンと二人で「おめでとう!」と祝福し、その夜三人で食事に行った。

 ケンは相変わらず決まった人は居ないらしく「オレは野球一筋」とかバレバレの嘘をついていた。


 明日からチームの一軍キャンプが沖縄で始まり、初日からチームの目標は「絶対リーグ優勝」と何時になく監督は気合が入っていた。

 理由は監督の契約最終年度との事で成績次第では、契約満了か契約延長となるらしい。

 選手を集めたミーティングでは主軸に俺が入り、三番固定と言われた。

 また、今年からKさんが一軍の打撃兼外野守備コーチとして二年契約との話しだった。

 しかし、キャンプが始まってもKさんの姿は見えず、五日後に姿を現した。

 俺はKさんが来ている事も知らず、レフトの守備練習をしているとノッカーとは別の方向から飛球が来て「何だ、何だ?」と思って振り向くとKさんのノックだった。

 「何ボサっとしている、ハル捕らんか!」とマイクでKさんが言うのだ。

 「来てたの?」と皆ビックリしてKさんのノックを受けていた。

 Kさんは二百球打ったと思うのだが、ケロっとして「ハル、夜付き合え」と言われ、俺を含め数人と呑みに行った。

 Kさんは呑みながらでも的確なアドバイスをしてくれ、皆凄く参考になった。

 また、監督やコーチの依頼を今まで散々断って来たKさんが何でコーチを引き受けたのか率直に聞いてみると「このチームなら優勝できるかな?と思い、もう一度優勝する景色を見たいし、美味い酒が呑みたくなった。ハル、優勝して一緒に呑もう!」と話していた。

 でも少しお口が悪いのでここに居る俺以外の選手は何人着いて来れるか心配だった。

 翌日もKさんのノックや指導が続き、今ではなかなか見ない熱血指導だった。

  キャンプ最終日に「ハル、呑みに行くぞ」と言われ、俺と他二人が一緒だった。俺は知らなかったが、この二人は元々Kさんが見込んだ選手のようで、このチームで俺を含め指導したかったと話していた。

 呑み会は穏やかに終わり、リーグ優勝をお互いに誓った。


 俺は、翌朝空港から自宅へ帰り、ナミが出迎えてくれた。

 ナミと話していると「赤ちゃん、できちゃった」と話し、俺は驚きながらも「やった~」と叫んだ。予定日は十月下旬頃の予定だ。

 ナミは、俺に話してから両親に報告するようで、俺もおとんやおかんに電話で話そうと思っていた。

 大石先生と奥さんにも報告し、両親のように喜んでくれた。

 こんな嬉しいニュースもあり、俺は開幕戦に向けて今まで以上に気持ちが高ぶっていたのだ。


 俺は七年目のシーズンに入った。

 三月下旬にホームで開幕を迎えた。

 身体の状態も良く、今日は大石先生と奥さんを招待していた。

     

 試合では何時になく身体の力みが無く、初回からヒットを打っていた。

 ピッチャーは内角を攻め、低めに落とし、タイミングがとり難かったが外に曲がり切れなかった変化球を叩き、左中間スタンドに運ぶツーランホームランとなった。

 その後、試合は接戦だったが、俺がフォアボールで四・五番の連続ヒットで勝ち越し、初戦を四対三で勝利した。

 試合後、先生の奥さんからメールがあり、「ハルト君の活躍を全部見てましたよ」と書いてあった。俺は少しだけ恩返しができればと思って試合に望んでいた。

 二戦目にも俺のホームランが出て、五対二で二連勝となった。

 三戦目は三試合連続ホームランとなり、俺は五打点を上げ、チームの三連勝に貢献した。

 次の遠征も二勝一敗でチームは好調だ。 

      

 四月もチームは好調が続き、選手全員に勢いがあり、四月は一位で終え、俺の打撃も今までで一番勢いがあった。


 五月に入り、GW前後はデーゲームだったので自宅には早く帰れるし、ナミの身体を気遣いながら短い期間だが充実していた。

 その後は雨天で試合が中止だったりで身体を休めながらの試合だった。

 五月も終わり、チームは一位をキープし、俺個人の成績も良く、リーグ打率一位、ホームラン二位、打点三位、最多安打となり、盗塁も意識して十五個だった。相手チームから警戒されていた。

 しかし、Kさんから「ハル、盗塁はしなくていい、怪我の原因になるから」と言われ、この日から盗塁は辞めにした。

 俺は何時しか長距離バッターになっていたので、怪我のリスクを最小限に抑える事を球団から望まれていたのだ。


 六月を過ぎ、交流戦でマサト、ケンとの対決を迎えた。

 マサトからは三安打、ケンからは初安打を含め二安打となり「今年は俺が勝ちかな?」となった。

 交流戦後は二人を誘い、食事に行ったりと出費は多かったが、いい思い出になった。


 七月は初めてオールスターにファン投票で選出され、マサトやケンも出場した。お互い意識して勝負するのだが、俺はマサトに三球三振に打ち取られたがホームランで打ち返した。

 ケンには二試合とも敵わず、内野ゴロとセンター前ヒットとなった。

 オールスターでは良くも悪くも同級生対決の迫力は観客にも講評で、俺もマサトもケンも頑張ったし楽しかった。


 八月に入り、チームは一位で折り返し、俺の成績も良く、リーグ打率一位、ホームラン一位、打点三位、最多安打と最多二塁打となっていた。


 自宅に帰ればナミのお腹は大きくなり、お産を控え会社に休暇を出し、実家に帰って母や家政婦等に身の回りのお世話をして貰いながら過ごしていた。

 俺は休みになるとナミに会いに行き、体調を気遣うがナミは俺を励ましてくれ、精神的にも安定して試合に望む事ができていた。

 たまに母がそばに居てくれる時もあるようだが、大きな会社を抱えている母はそう長くナミに付き添えないようだ。

 

 九月に入り、チーム内での主力選手の故障が一人二人と増え、戦力的に厳しい状況になっていた。

 チームは連敗が続き、ついに二位へとなってしまった。

 九月下旬になり、残り試合も少なくなり、チームは二位を死守するのがやっとだった。シーズンが終わってみればチームは二位だ。

 俺の個人成績はリーグ打率一位、ホームラン一位、打点二位、最多安打等の打撃タイトルを六個も取る事ができた。

 気づいてみれば何時しか長距離打者になっている事が不思議でならなかったが、Kさんは「ハルは努力して身体を大きく柔軟にしていった結果が打撃タイトルが取れるようになった」と分析していた。

 さらに「ハル、後はチームの優勝だぞ!」と話してくれた。

 球界全体が俺を注目するようになり、その中でもCリーグMVPにプロ七年目で選出され、驚きと感動で少しパニくっていた。

 Pリーグではマサトが最優秀防御率でケンが最多救援セーブで表彰された。

 その後、大石先生宅と俺の両親・兄いに報告し、感謝を伝え、後日訪問する事を伝えると、皆喜んでくれた。

 

 十月三十日、ナミの入院している病院に行き、シリーズの報告をしてナミの状況を聞いていた。もうすぐ生まれそうと話していた矢先、陣痛が起こり、そこから少し時間が掛かったが、十八時頃元気な男の子が生まれた。

 ナミに「良く頑張ったよ」と言うと「こんなに痛いとは思わなかったよ」とナミの大変さが伝わって来た。

 その後、ガラス越しに我が子を見て、病室に戻るナミを待合室で待っていた。

 ナミの母とおかんと大石先生の奥さんに連絡した。

 ナミの母は翌朝病院に来てナミと話し、子を見て帰って行った。 

 その後、ナミの父が来ていた。

 俺は子の名前を決め、「ユウマ(悠真)」と名付けた。

 ナミは四日後に退院し、今日から三人での生活となった。

 真新しいベビーベットにユウマを寝かせ、ナミとしばらく話していた。

 俺は子の出生を球団やナミの会社に連絡すると色んな方々から祝福を受けた。

 シゲさんやKさんからもお祝いの連絡をいただき、感謝しかなかった。

 マサトやケンからもお祝いが届いた。

 ケンは相変わらずで、ケンは「俺もマジで考えよう」と結婚への意欲を話していた。

 俺とナミは旅行も無く、自主トレまではユウマと三人で過ごし、ナミの両親やおとんとおかんも自宅に来て孫の顔を見て和んだ。

 俺は、子が夜泣きで起きてもすぐ眠れていたので、それ程睡眠不足では無かった。

 しかしナミは睡眠不足で昼寝をしていた。


 シーズンオフは外部との接点が多くなり、秋季練習は今年も無く、空いている時間でランニングや筋トレをしながら身体を維持した。


 その後、大石先生宅にお邪魔したり、実家へ行ったり、兄いとマサトの結婚式に行ったりと忙しかったが、ナミとユウマと一緒に過ごし十二月を迎えた。

 

 十二月は球団事務所に行き、五年契約以外の出来高プラス査定が凄い金額を提示され、確認しサインした。

 球団役員から「リーグ優勝は逃したが、君の貢献度が大きかった」と言う説明だ。

 何かと忙しく過ごしたが、二十八日~一月五日まではナミとゆっくり過ごしていた。 

 一月中旬からは自主トレが始まり、いつもと同じメンバーでいい刺激で練習していた。

 二月に入れば各球団のキャンプが始まり、俺は沖縄へ移動した。

 今年からナミはキャンプに同行しない寂しさはあるものの、自宅に帰る事を楽しみにKさんの鬼ノックを浴び、打撃練習等を行っていた。

 Kさんからは「ハル、行くぞ!」とゲキが飛び先輩後輩選手問わず、俺の練習を見に来ていた。

 Kさんは俺以外の選手二名にも鬼ノックをしていたが、他の選手にはなかなかKさんから声が掛からなかった。

 Kさんは見込みのある選手以外には指導しない徹底ぶりだ。

 他の選手はKさんから声が掛かる事を期待し猛練習をしていた。

 こんな雰囲気だが、Kさんを愚痴る選手は誰一人として居なかった。


 キャンプ最終日に打ち上げがあり、皆と大いに盛り上がった。

 その後、Kさんと共に呑みに行き、俺は「Kさん、今年でコーチを辞めるんですか?」と率直に聞くと「俺は次世代の野球選手を育てたいので、中学か

高校の監督をしたいと思っている」と言い、誘われている学校に今年中に返答すると話していた。

 ただ、一つ心配事があると話していて、今までのKさんの指導方針を変え、「今の子に合うようなフレンドリーな指導方法をしないと受け入れられないだろう」と話していた。

 「これがムズイんだよ」と呑みながら話していた。

 そりゃ「今の子だからネ」と俺は思うのであった。

 それでもKさんは「次世代の野球選手育成」を目指すところが俺は凄く感動していたし頼もしかった。

 俺は大石先生同様、Kさんも尊敬していた。

 ナミは産休育休だが、四ヶ月のユウマを見ながら仕事復帰に向けた何かを在宅で行っていた。

 休暇中でも同期入社や先輩社員と情報交換等の連絡を取り合っている様だ。

  

 俺は八年のシーズンに入った。

 リーグ開幕はホームで三連戦だ。

 最初は大変だった電車通勤が今では当たり前のように慣れ、以外と周囲には俺だとバレないのが良かった。

 

 開幕戦には昨年故障していた選手も復活し、監督も新たに二年契約となり、皆活気づいて「今年こそ優勝だ」といい雰囲気だ。 

 開幕三連戦は初戦から好調で、俺は三番レフトで出場し、三打数三安打一ホームランと絶好調でチームは六対一と勝利した。

 二戦目もチームは五対二と快勝し、俺は四打数二安打一ホームランだった。

 三戦目は両チーム投手戦で八回まで0封だったが、九回裏に俺のヒットと四番のホームランで二点が入り、三連勝となった。


 中一日空けての西へ遠征三連戦となった。

 遠征でも好調は続き、三連勝となり、今年は皆が何か違っていた。

 チームは一位で四月・五月と突っ走り、俺は打率二位、ホームラン一位、打点二位と好調をキープしていた。


 俺は二十六歳の誕生日を迎え、家族やチームメイトから盛大に祝福された。

 誕生日のこの日は、家族や大石先生夫妻とおとん、おかん、兄い夫婦を球場に招待し、俺は四打数三安打一ホームランで皆に好調をアピールし、チームも六対一と快勝した。

 試合後、皆に挨拶をして、球団から記念品が渡された。

 その後タクシーを呼び、家族や大石先生夫妻とおとん、おかん、兄い夫婦に乗ってもらい、それぞれ帰宅して貰った。


 六月の交流戦はマサトからは三安打と一本塁打、ケンからは二安打と二人から嫌がられるほど俺は好調だった。

 試合後、三人で食事に行き、二人に「今日はハルのおごりだな」と言われ、俺はまたおごらされてしまった。

 でも、こうやって会い、色んな話しができるのも同期だし、気のいい仲間の証拠なのだ。

 七月のオールスターではファン投票で選出され、再びケンとマサトと対決した。

 俺はケンとマサトからはヒットは打てなかったが、他のピッチャーから四本のヒットと二本塁打を打ち、初めてMVPを受賞した。

 オールスター後、ケンとマサトと食事に出掛け、マサトの奥さんが妊娠したとの話しを聞き「おめでとう」となった。

 ケンと二人でお祝いの品を考えていた。


 八月に入ってもチームは一位で折り返し、俺は打率一位、ホームラン一位、打点二位、最多安打と絶好調をキープしていた。

 しかし、身体の疲労感はあり、スポーツドクター等から色々な指導を受け、疲労が蓄積しにくいような取り組みをしていた。

 ナミが一番心配してくれたり、ユウマの笑顔で癒されたり、家族には感謝しかなかった。

 遠征先では特に気を使い、飲酒量は控えるようにしていた。

 俺はここまで来た以上、リーグ優勝の景色を見たかったし、今までお世話になった方々へ優勝と言う恩返しをしたくて、残り一ヶ月も好調をキープしたかった。

 九月もチームは一位をキープし、チーム内はリーグ優勝に向け一丸となっていた。

 中旬には、後二つ勝つとリーグ優勝となるところまで来ていた。

 俺の打撃成績も打率二位、ホームランと打点は一位、最多安打となっていた。

 俺は初のリーグ優勝を目指し興奮していたし、その先の日本シリーズも視野に入るのだ。

 チームはマジック一となり、ホームでの試合には多くの観客が訪れ、大石先生夫妻と兄い夫妻とナミとユウマが球場に来ていた。

 俺は久しぶりに緊張して試合に望んだが、試合が始まってしまえば、緊張はどこかへ飛んで行った。

 レフトの守備に着いたり、打席に入りヒットを放ち、試合は八回表が終わり、二対三とチームは勝っていた。

 八回裏、一番からの攻撃でヒットとフォアボールで二塁・一塁となり、俺の打席となった。

 俺は三球目をセンター前ヒットとし一点が入ると続く四番・五番の犠牲フライとヒットで二点を追加した。

 試合は二対六と逃げ切りムードとなったが、九回表にツーランホームランを打たれ、冷や冷やムードの中、何とか二点で抑える事ができた。

 チームはリーグ優勝となった。

 監督とKさんが胴上げされ、球場は大いに盛り上がった。

 俺は念願のリーグ優勝の景色をプロ七年目で見れた事が凄く嬉しく思い、今までお世話になった方々の顔が思い出された。

 選手と監督・コーチは球場を一周し、観客の方々に手を振り、応援してくれた方々へ感謝した。

 ベンチへ戻り、Kさんとがっちり握手し、Kさんから「ハル、お前の成長を見れて嬉しかったよ、俺に感謝しろよ」と言われた。

 Kさんらしい言葉に俺は感激していた。

 「Kさん、まだ終わりじゃないから、よろしくネ」と言うとKさんは照れくさそうにベンチ裏に消えて行った。


 皆、シャワーを浴び、荷物を持って祝賀会場のホテルへバスで移動した。

 各自、ホテルの部屋に荷物を置き、祝賀会場に移動した。

 会場には球団関係者が居て、俺達選手や監督・コーチ等が入室すると球団オーナー・社長から挨拶があり、監督の掛け声でビール掛けが始まった。

 皆、目にはゴーグルを掛け、ビールシャワーを浴びていた。

 俺はKさんや監督からのビール掛けに呑んでもいないビールで酔いそうになっていた。

 三十分位のビール掛けの後は別室でオードブルを囲み大宴会となった。

 ビール臭いシャツとズボンを着替え、試合後なので皆腹が減り、オードブルを食べながら談笑していた。

 そこにKさんがシゲさんを連れて来て「ハル、おめでとう、感動したよ」とシゲさんは祝福してくれた。

 そしてシゲさんから「ハルのサインボールと色紙をくれ」と言われた。

 シゲさんとビールで乾杯し、俺は「シゲさん、個数と枚数は?」と言うと「二個と三枚だ、冥途の土産にするよ」とか言うのだが、お孫さんに頼まれたのだろうと俺は球団職員に頼んですぐにサインしシゲさんに渡した。

 「シゲさん、来てくれてありがとう、今度ゆっくり呑みましょう」と言うと「ハル、待ってるぞ」と言ってタクシーに乗ってお別れした。

 祝賀会が終わり、俺はKさんと監督とコーチや同僚の選手数人と二次会に行った。

 Kさん行きつけのクラブで店半分を貸し切っていた。

 お姉さん達が集まり、俺達はたっぷりとイジられ、お姉さん達のオモチャになっていた。

 俺はそんなに呑んでいなかったが、皆はかなり酔っていた。

 俺は皆をタクシーに乗せ、最後に帰ろうとすると店のママさんと一人のお姉さん(ミク)から「ハルトさん、また来てネ」と携帯電話番号の書いてある名刺と紙袋を渡され、挨拶をしてタクシーに乗り込んだ。

 今日は祝賀会を行ったホテルに宿泊するのでホテルに着くとナミにメールをして今日の報告をした。

 その後、シャワーを浴び、テレビのスポーツニュースを見ると俺達のリーグ優勝が映っていた。

 「あッ、俺だ」と子供の様に見いっていた。

 ベットに寝ようとした時、クラブのママさん達がくれた紙袋を開けてみた。

 袋の中にはメッセージカードと箱に入ったクリスタルグラスが入っていた。

 メッセージカードには「ご来店、有難うございます。今度ご来店の際はこのグラスと同様のグラスでおもてなしさせていただきます。ご自宅でもお使いになり、私達の事を思い出していただき、ご来店くださいますよう、心からお待ち申しております。クラブ楓ママ(ミズキ)」と書いてあった。

 俺は初めての事で良くわからなかったが、高級なクラブで遊ぶ興味も無く「誰かの付き合いで行くぐらいならいいか」と思っていた。 

 電話番号を知らされてもこちらから電話するつもりも無いし、グラスは有難く頂戴してその後爆睡していた。

 

 翌日、九時にホテルをチェックアウトし、自宅へ帰って行った。

 その後二日間はゆっくり休み、リーグCSに向けての練習をしていた。

 自宅に帰るとユウマが飛んできて、抱きかかえリビングでナミが「お帰り、お疲れ」と笑顔で迎えてくれた。

 休みの日は家族三人でのんびり暮らし、身体と心をリフレッシュしていた。

 CSは五日後に行われるため、休み明けはホームで終日練習していた。

 Kさんは俺のために外野ノックをしてくれたり、バッティングゲージの後ろから俺のバッティングを見ていた。

 「ハル、少し右脇緩いぞ」とか俺のフォームチェックをしてくれた。

 「ハル、絶対日本シリーズに俺を連れていけ!」と声がデカかった。

 リーグのCSが始まり、俺は三番レフトで出場し、Kさんが三塁コーチャーで立っていた。

 「いつも居ないのにどうしてだ?」と皆不思議がっていた。

 特に俺が打席に入ったり、塁に出るとKさんのサインよりも声がデカく「ハル、行け~」と言うのだ。

 相手チームも驚き、うちのチームで一番熱かったのはKさんだった。

 Kさんがチームリーダーみたいになり、ベンチは活気があり、初戦は先発投手の好投と俺達三・四・五番の連続ヒットやタイムリー、ホームランで一対八と快勝した。

 Kさんは選手のように動き回り、試合が終わると俺はKさんに拉致され、夜の街へ連行された。

 その夜はホテルに泊まり、翌日の試合に備えた。

 二戦目は俺が五番レフトとなり、打順を変えて望む作戦だ。

 Kさんは大人しくベンチで見守り、ベンチから三塁コーチャーへサインを出していた。

 「Kさん、昨日呑み過ぎた?」と思いながら俺は守備に着いていた。

 試合は相手チームが二点を先攻し、俺達はすぐにヒットで塁を埋め、俺が左中間を抜くタイムリーツーベースを打つ等、逆転に成功し四点をあげた。

 しかし、相手チームとの点の取り合いで、八回表を終わり、六対六の同点だった。

 八回裏、九番がフォアボールで出塁し、一番がライト前ヒットで二・一塁。二番が内野ゴロで、三番がライトフライとなり、四番がデットボールで満塁となった。

 俺が打席に入ると内外角の低めばかりを投げきた。

 内野ゴロを避け、内野の頭を越すヒットを狙うのだがファールボールが続き、九球目に少し浮いた球をレフト方向に打ち込むとラインすれすれに落ちたタイムリーツーベースとなり、二点が入り、六対八と勝ち越した。

 九回表を三人で仕留め二連勝となった。

 Kさんはベンチから飛び出し、大喜びで選手達と抱き合っていた。

 その後俺のところに来て「ハル、よくやった、あと一つで日本シリーズだ」と俺はハグされた。

 「ハル、今日も付き合え」とシャワーを浴び、着替えて荷物を持ちタクシーに乗り込んだ。

 ホテルに荷物を置き、またタクシーに乗り、着いた先は「クラブ楓」だ。

 クラブに入るとママさんが出迎えてくれ、ミクさんが俺の手を引いて奥の部屋に案内された。他のお客さんとは離れた席だ。

 Kさんはソファの真ん中に座り、両脇にはお姉さんが座り、その横に俺とミクさんが座った。

 テーブルには寿司やオードブルが並び、シャンパンで乾杯した。

 俺はシャンパンが初めてで「これは呑み過ぎたらヤバいやつ」と思っていた。

 「ミクさん、俺ビールがいいな」と言うと例の箱に入っていたグラスと同じものでビールを吞んでいた。

 腹も減っていたので、寿司やオードブルを食べ、ミクさんや他のお姉さん達と話しをしていた。

 皆俺の事を知っているようで、サインを求められ、写真を撮られ「明日も頑張ってください」とか励まされていた。

 俺はビール少しと食い物で腹パンになり、少し眠くなっていた。

 ミクさんは俺の眠気に気づいて「Kさんハルトさんを先に帰すわよ」と話し、Kさんはご機嫌で「ハル、お疲れ、明日も頼むぞ」と言われ、俺はタクシーで先に帰る事にし、ミクさんとクラブを出て一階に降り、タクシーを待っていた。

 タクシーが到着し、俺はミクさんに挨拶してタクシーに乗り込みホテルへ行った。

 ナミに二日間もKさんに拘束された事を報告した。

 ナミはKさんと面識は無いが俺がお世話になり、信頼のある方と認識しているので「しょうがないよ、ハルの大事な人だから」と話してくれた。

 翌日の三戦目は今まで以上に緊張感があり、監督とKさんから「三連勝で日本シリーズに行くぞ!」と気合が入っていた。

 俺は三番レフトで出場し、初回からヒットで出塁し、後続の援護もあり二点を入れ、投手陣は七回まで無失点と快投を見せていた。

 七回裏には俺のツーランホームランも出て0対五と三連勝で日本シリーズに行く事になった。

 俺はKさんと抱き合い喜びを分かち合った。

 Kさんは「ハル、今日は帰るぞ」と言い、俺は「ラッキー」と声には出さなかったがシャワーを浴びてさっさと帰宅した。

 帰るとユウマとナミが微笑み「お帰り」と出迎えてくれ、「やっぱり自宅が一番」と俺は軽く何かを食べようとしていた。


 明日から二日間休み、その後は日本シリーズに向け、練習をする予定だ。

 身体は疲労感があり、スポーツドクター等のマッサージを受けたりしていた。

 ユウマの笑顔は心のリフレッシュに効果があり、癒されていた。 


 日本シリーズが始まり、アウェーで二戦、ホームで三戦、アウェーで二戦のスケジュールだ。

 ミーティングで監督から「確実に点が取れる作戦をしたい、チームは日本一から二十数年遠ざかっていて、オーナーや球団社長の熱いエールを感じた。それに答えられるようチーム一丸となって頑張ろう!」と話しがあり、Kさんから「頑張った結果はどうあれ、このシリーズを皆で盛り上げ、美味い酒を呑もうゼ!」とKさんらしい話しだった。

 チーム内の雰囲気も良く、Kさんがコーチとして最後の日本シリーズを俺達は盛り上げたかった。

 遠征に出掛け、明日の第一戦に向けて練習が始まった。

 身体を解し、守備練習と打撃練習を行うとKさんがやってきて「ハル、相手チームの明日の先発はH投手らしい。ハルの嫌いな外に逃げる低めのスライダーがヤバいから練習しといた方がいいぞ」と話して来たのだ。

 俺は打撃練習の時に「外に逃げる低めのスライダー」を重点的に練習していた。

 ゲージの後ろでKさんはジッと俺達の打撃練習を見ては「脇が甘い!」とか「重心が前のめりだ!」とか激を飛ばしてくれた。

 練習を終えてホテルに戻ると「ハル、飯行くぞ!」とKさんが誘ってくれ、路地裏の小料理屋に入って行った。

 そこは女将ケイコさん一人で切り盛りしているようで、カウンターのみの店だった。

 先客が一人カウンターの端に座っていたぐらいだ。

 Kさんは「ハル、お任せでいいな」と言い「ハイ、お願いします」と言うとケイコさんからビールを注がれ、Kさんと乾杯した。

 料理が色々と出て来て俺は箸が止まらず食べていた。

 ケイコさんは微笑み「久慈さんがお連れさんを初めて連れて来たので驚いたけど、あなたは久慈さんにかなり見込まれたのネ」と話していた。

 Kさんはここに来る時はいつも一人らしく、ケイコさんと話しながら呑むのが定番らしい。

 Kさんがケイコさんに俺の事を色々話していて「こいつ、ハルト。最近のプロ野球選手ではかなり優秀で将来指導者としてもいいと思う。俺はハルに期待している」とか話していた。

 俺は「何かプレッシャーだな」と言うとケイコさんは「そうよネ、いきなり言われてもネ、でも久慈さんは先見の目がある方だし、口は悪いが根は優しいし、私は信用しているの」と話していた。

 「やっぱりKさんは凄い人なんだ」と俺は思っていた。

 Kさんと呑みながら話しているとさっきからカウンターの端に座っていた方が俺達の方に近づいて来て「久慈、久しぶりだな」と七十歳位の方がKさんに話すとKさんは「五郎さん?」と言うとその方は二十年ぶり会うと話していた。

 五郎さんはスポーツ新聞の元記者でKさんが選手の時から引退するまで取材等でお世話になった方らしい。

 五郎さんはKさんのいい所を一早く気づき、取材しながらコーチのように指導する事もあり、Kさんが現役十五年続けられたのも五郎さんのおかげと言っても過言では無いと話していた。

 五郎さんは奥さんに先立たれ今は一人暮らしでケイコさんの店にほぼ毎日来ていると話していた。

 ケイコさんは五郎さんを気遣い、身の廻りや食事等の面倒を見ているらしい。

 Kさんは現役からコーチとしてチームに在籍して遠征とかで来た時は必ずこの店に顔を出していたらしいが、五郎さんの奥さんが無くなった事やここにほぼ毎日来ていた事は知らなかったようだ。

 Kさんは普段見せる表情とは全く違っていた。

 俺はこれが本来のKさんの表情なんだと初めてわかった。

 そんな事もあり、Kさんは「ハル、絶対日本一を目指すぞ」と気合が入り、五郎さんから「久慈、ハルト君、テレビで応援しているよ」と言われた。

 俺はこんな事もあるんだと思いながら五郎さんとケイコさんに別れを告げ、店を出て、Kさんとタクシーに乗りホテルへと戻った。


 翌日、十四時から初戦を迎えるため、十時には球場入りした。

 ミーティングがあり、俺は三番レフトとなり、身体を解し、守備・打撃練習をした。

 Kさんは「五郎さんとケイコさんを明日の試合に誘った」と言い「ハル、勝つぞ!」と話していた。

 俺は凄いプレッシャーを感じながらもKさんの期待に答えたいと気合が入っていた。

 監督やコーチも何かいつもと違う雰囲気で今まで以上に興奮してきた。

 初戦が始まり、初回の攻撃で相手ピッチャーのスライダーに悩まされたが、俺はスライダーが内側に甘く入って来た所を見逃さずセンター後方へ打ちツーベースとなった。

 続く四番・五番のヒットで二点を入れ幸先良かった。

 相手チームもホームランが出てすぐに同点となり、二回裏にも一点を入れられ逆転された。

 三回表には俺のホームランで二点を入れ逆転したが、四回裏に一点を入れられ同点となった。

 五回裏からピッチャーが交代になり、六回裏まで0封に抑えた。

 七回表には二番のヒットと俺のヒットで二・一塁となり、四番のタイムリーヒットで一点を返し逆転となった。

 しかし、最終回連打を浴び、二点が入り、五対六の逆転負けとなった。

 接戦のいい試合だった。

 俺は次に繋がると信じ、気持ちを切り替え明日の試合に望むのだ。

 俺はシャワーを浴び帰ろうとした時、Kさんが「付き合え」と俺の他二人も一緒にタクシーに乗り込んだ。

 「Kさん、どこ行くの?」と言うがKさんは「いい所」としか言わないのだ。

 着いた先は焼肉店で「ヤッター」となり、皆で腹パンになるまで食べていた。

 俺はビール一杯だけだが、皆結構呑んでいた。

 その後、Kさんは「呑みに行くぞ」と繁華街のクラブに連行された。

 東京のクラブとは若干違うがお姉さん達はいっぱいだ。

 俺達の間にお姉さん達が入り込み、お酒を勧めるが俺は薄い水割りをお願いし、余り呑まずに話しをしていた。

 皆は呑むははしゃぐはだが、俺には睡魔が襲って来た。

 気づいた時には居眠りしていたようで、お姉さんから「ハルくんは今日の試合でお疲れなのネ」とか言われた。

 俺は正直早く帰って寝たかったがKさんに付き合わないわけにもいかず、時々居眠りしていた。

 やっとお開きになり、皆タクシーに乗りホテルへ戻った。

 二十二時を過ぎていた。

 シャワーを浴び、ベットに入るとすぐに爆睡していた。


 翌朝、ナミからのメールを見て返信した。

 連日Kさんに誘われ夜の街に連行された事等を報告していた。

 ナミからは「お酒を余り呑まなければいいと思うよ」と返信があり、

お酒が残ると体調はすぐれないし、試合に影響する事を改めて思うのだ。

 俺はそれ程呑んでいなかったので体調は良かった。

 十時頃に球場入りするとKさんは呑み過ぎ感ありありな様子だった。

 一緒に行った二人はお酒が強いのか普段と変わらず練習していた。

 俺が練習していると二日酔いのKさんがやって来て「ハル、今日は絶対勝つぞ」とプレッシャーを掛けに来た。

 「了解ッス、俺は万全ッすよ」と言うとKさんは手を振ってベンチに座っていた。

 第二戦が始まり、今日は五郎さんとケイコさんが見に来ていると思い、気合が入る。

 俺は三番レフトで、初回一塁走者を置いてインコースの少し高めをホームランにした。 ベンチは大騒ぎだ。

 俺がホームインすると皆から手荒い歓迎を受け、Kさんは「ハル、ナイスバッティング」と喜んでいた。

 四回にも俺のタイムリーツーベースが出て二点が入る等、五対0とリードしていた。

 五回裏に一点は取られたが、六回表に俺と五番のソロホームランが出て七対一となり、そのまま九回裏を抑え、七対一で快勝した。

 試合後、五郎さんとケイコさんと会い、俺は二人にサイン色紙とサインボールを渡した。 

 Kさんは二人に「今夜ハルと店に行くから」と話していた。

 俺は「今日もか?」と思いながらもKさんと出掛けた。

 でも、今日の勝利はKさんが五郎さんとケイコさんに対しての恩返しみたいなものと思っていた。

 Kさんは日本シリーズを終えるとプロ野球での仕事は完全に終えると話していたので、本当に勝った試合を見て貰えて良かったと思っていた。

 十八時に店に入り、五郎さんとケイコさんと共に乾杯し、談笑しながら女将さんの料理を食べていた。

 楽しい時間もあっという間で明日の事もあるので、Kさんには悪いが俺一人タクシーでホテルへ戻った。

 翌日、十時の新幹線で帰り、帰宅するとユウマが飛んできて抱きかかえてナミに「ただいま」と言うと「ハルお帰り、何か食べる?」となり、家で昼飯を済ませた。


 その後、スポーツドクターのところでマッサージを受け、帰宅しユウマとナミと晩飯まで過ごしていた。

 明日からホームで三連戦はデーゲームで自宅から電車で行こうと思っていたが、ナミは三日間ハイヤーを予約し、俺を送迎してもらうと話していた。

 こんなに気遣ってくれて感謝しかなかったし、試合に勝って恩返ししたいと思っていた。「ナミ、ありがとう」


 三戦目はホームで十四時試合開始だ。

 俺は三番レフトで出場し、初回から敬遠され、二打席目も申告敬遠で全く打たせて貰えなかった。

 両チーム投手戦もあり、五回裏で0対0のままだった。

 俺の三打席目はフォアボールで四番・五番のヒットでやっと一点が入ると相手チームも連打で同点となった。

 このまま九回まで一対一で初の延長戦となり、十一回裏にランナー無しのツーアウトで俺の打席だ。

 今度は勝負してきて、ツーボールツーストライクの五球目、甘く入ったスライダーを打つとセンターへのホームランとなり、逆転勝利となった。

 ベンチは大騒ぎとなり、優勝したかのように球場内はどよめいていた。

 俺がホームインするとペットボトルの水を掛けられる等、相変わらず手荒い歓迎だ。

 これで二勝一敗と一歩リードで明日の四戦目を迎える事になった。

 試合後、Kさんは呑みに誘うが「Kさん、すみませんが今日明日は帰らせてください」とハイヤーが待機しているため、付き合えず明後日はKさんに付き合う約束をして帰ったのだ。

 Kさんは俺の代わりに誰かを誘って夜の街に消えて行くだろうと思って帰宅した。

 家に帰り、ナミの用意してくれた晩飯を食べながら家族団らんを楽しんでいた。

 翌日、ハイヤーで十時頃球場入りした。

 四戦目は十四時から試合開始で、ミーティング後各自身体を解し、練習していた。

 相手チームの先発は左投げのT投手で多彩な変化球が特徴だ。

 Kさんは「Tのチェンジアップは打ちにくいからカットし、その他の球種を打ち込め」との事だ。

 俺は五番レフトで出場した。

 相手ピッチャーは好投を続け、三回裏まで0封され二対0となっていた。

 俺は全く見せ場が無く、俺達のチームは一安打のみだった。

 その後も点が入らず、六回裏が終了し、二対0。

 七回から相手チームのピッチャーが交代し、左投手のオンパレードだ。

 しかし、七回裏に打てないわけがないと必死で喰らいついて三番がライト前ヒットで四番がフォアボールとなり、俺の打席だが、申告敬遠をされ、ワンアウト満塁。六番がセンターフライで一点を返し二対一となった。

 八回表に一点を入れられ、三対一。

 八回裏、八番がデットボールで出塁し、九番が送りバントで走者は二塁。一番がライト前ヒットで三塁・一塁となり、二番がレフトフライで一点を返し三対二。三番が三振となった。

 九回表は三人で抑え、九回裏の四番がフォアボールで出塁し、俺は申告敬遠だ。

 二塁・一塁で六番がレフトフライとなり、七番の所に代打が起用され、レフト前ヒットになり、一点を返し三対三の同点。

 三塁・一塁で八番がセンター前ヒットで俺がホームを踏み三対四の逆転勝利となった。

 ベンチは大騒ぎで球場内が騒めき、劇的な勝利だった。

 これで三勝一敗となり、明日の五戦目で勝てば日本一となる。

 俺は打たせてもらえない悔しさはあるが、チームの勝利が一番なので、明日も勝ちにこだわる試合を続けたかった。


 俺はシャワーを浴び、ロッカー室を出るとKさんが「俺も真っすぐ帰るわ」とKさんらしくない発言だった。

 本当は夜の街に行きたいところを明日のために我慢して、明日大騒ぎするに違いないと俺は思っていた。

 「Kさん、お疲れッス」と俺はハイヤーで帰宅した。


 帰宅するとユウマが飛んできて抱えながらリビングに行くとナミが「今日の試合凄かったネ、負けるかと思った」と言い、「ハルは強打者だから打たせて貰えないネ」と話していた。

 まあ、しょうがないけど俺の中では正直モヤモヤしていた。

 晩飯を済ませ、ナミとユウマに癒された。


 翌日、電車で球場に行くといつもより入場待ちの方や報道陣が多く球場に来ていた。

 俺達のチームは優勝に大手が掛かっているし、それを期待している方々が多い事は嬉しいし、感謝だった。

 俺は身体を解し、練習をしていると観客席にゾロゾロと観客が入っていて、いつもより一時間程早く開門したらしい。

 球場の廻りに人が多く集まり、トラブルを避けるために早く開門したと球団職員の方が話していた。それだけ皆の期待が高い証拠だ。


 監督のミーティングがあり「今日は超満員との事で、今日決めるぞ!」と気合が入っていた。

 Kさんは俺のところに来て「ハル、今日ミズキ(クラブ楓)の所に行くからな」と言って去って行った。

 「こりゃ益々優勝しないとKさんの顔がたたないな」と思った。

 俺は二番レフトで出場した。

 

 試合は始まり、初回から俺は繋ぐバッティングに徹し、ヒットで出塁し、後続に託していた。

 三番・四番・五番と繋いでくれ初回に一挙三点を上げた。

 相手チームも一点は返すがエースの踏ん張りで、六回表が終わり、一対四と俺達はリードしていた。

 七回裏、二塁・一塁の場面で俺の打席だが、やっぱり申告敬遠をされ、満塁となった。

 三番が内野フライ、四番も内野フライに打ち取られ、五番に大きな声援が飛ぶも外野フライに倒れてしまった。

 九回表、相手チームは反撃を見せ連打で二点を返し三対四となり、ツーアウト三塁・一塁で五番打者との勝負だ。

 監督がピッチャー交代を告げ、この打席に勝利を掛けた。

 三球目レフトを超えそうなフライを俺は必死で追いかけ、左手を伸ばしたグラブに球が吸い込まれ、ゲームセットとなった。

 四勝一敗で日本シリーズ優勝となった。

 俺はグラブの中の球を見てやり遂げた安堵感から身体の力がスーッと抜けた。

 皆マウンドに駆け寄るが俺は一番最後に駆け寄るとKさんが大喜びで俺とハグをした。

 「ハル、やったぞ、良くやった」となり、Kさんは有終の美を飾ったと喜んだ。

 監督とKさんを胴上げし、声援をくれた観客へ選手・監督・コーチ・関係者が整列して深々と頭を下げた。

 今日、大石先生夫婦と兄い夫婦を招待していたので、どこかで見ていると思うが、優勝できて本当に良かった。


 その後、シャワーを浴び、荷物を持ってバスへ乗り込み、祝賀会場のホテルに移動する事になった。

 今日はこのホテルに宿泊する事になっているようで、祝賀会は盛大に行われるようだ。

 オーナーと球団社長の挨拶の後、監督の乾杯の音頭で祝勝会(ビール掛け)がスタートした。

 デカいゴーグルを掛け目を保護してビールを掛け捲っていた。

 俺はビールは呑まなくてもビールを掛けられることで少し酔った感じがしていた。

 ビールで身体は冷たくなり、会場の隅でオードブルを食べていた。

 俺のところに他の選手も集まりオードブルを食べていた。

 その後、Kさんが来て「ハル、行くぞ」となり、部屋でシャワーを浴び、着替えてタクシーに乗り、クラブ楓に行った。

 お店からは大歓迎を受け、日本シリーズ優勝のお祝いとKさんの慰労会が始まった。

 何とママさんのご厚意で店は貸し切りとなり、後からKさんの知り合い数人が来て大盛り上がりだった。

 俺はビールをちびちび呑み、ミクさんと他のお姉さんが俺の両脇に座り、俺はイジられていた。

 「ハルトさん、プロ野球の選手なの?」と知らない方も居て色々と聞かれると何故かミクさんや他のお姉さんが俺の事を説明していた。

 俺は二時間位すると居眠りを始め、お姉さん達の肩にもたれ掛かると俺の顔を胸に擦り付けたりイタズラがたえなかった。

 俺は居眠りばかりするのでKさんに「先に帰りますよ」と声を掛けるとKさんは「ハル、有難うな」と言っていた。

 俺はタクシーに乗り、お姉さん達とお別れしてホテルに戻った。

 ホテルに着いてわかったが俺のポケットに色んな物が入っていて、お姉さん達の電話番号だったり、メッセージカード等が入っていた。

 俺は個人的にお姉さん達と遊ぶ事は無いし、ナミ以外には興味は無いのだ。

 一通り見てからお姉さん達には申し訳ないがゴミ箱の中に入れてしまった。

 シャワーを浴び、ぐっすりと眠った。


 翌日、九時頃にはホテルをチェックアウトし、帰宅した。

 やっと長かった野球も終わり、一週間程はゆっくりできると思う。

 ユウマと公園で遊んだり、一緒に風呂に入ったり、ナミと買い物したり、飯に出掛けたり、俺の中では完全に「オフ」になっていた。

 

 その後、各種表彰等があり、その中でも驚いたのが二年連続でのリーグMVPとなった。

 プロ八年目で二度のリーグMVPは球団初との事だ。

 昨年より色々と表彰され、夢のような出来事だった。

 Kさんやシゲさん、色んな方々からお祝いの言葉を掛けていただき、野球をやってて良かったと思っていた。

 我が家ではユウマが一歳の誕生日を迎え、親しい方々を招いてユウマの誕生日を祝った。

 ナミの両親と俺の両親や兄い夫婦、大石先生夫婦、マサトやケン、シゲさん、Kさん等が来てくださった。


 十一月下旬には球団事務所に行き、プラス査定の話しがあり、凄い金額にとにかく驚いていた。

 球団社長や役員からは「君の活躍により、球団が得たものは大きく、今後の活躍も期待している」と話された。

 俺は査定内容に納得しサインをし、球団の方々に挨拶をして帰宅した。


 今年から秋季練習は無く、自主トレと一軍のキャンプで身体を作って行く事になった。

 それまでは、マスコミや広告宣伝、講演会があり、家族との時間も大事にしていた。 

 年末年始は実家や大石先生宅にお邪魔したり、小旅行を楽しんでいた。

  

 一月中旬から自主トレに出掛け、毎日ナミと電話で話し、寂しさを紛らわしていた。

 二月からは球団の一軍キャンプで沖縄に移動した。

 今年はKさんは居ないが、今いる選手達はKさんの指導方法を継続していたので少し安心していた。

 体調も良く、特に心配する事無くキャンプ中のメニュー以上の事をこなしていた。

 俺の今年の目標は二年連続リーグ優勝と日本一を念頭に置き、打率一位、最多安打の目標と二段階だった。

 キャンプも終わり、身体は絞れ、筋力は増していた。荷物をまとめ、早くナミとユウマに会いたかった。


 飛行機に乗り、電車を乗り継ぎ、帰宅するとユウマは眠っていたが、ナミが笑顔で出迎えてくれた。

 ユウマが起きたら三人で晩飯に出掛ける事にした。

 ナミが予約した寿司屋に行き、個室の通され美味い海鮮料理を楽しんだ。

 キャンプ中は肉類が多かったので、あっさりした海鮮料理は身体が喜んでいた。

 俺はユウマを抱え店を出て、ナミを待ってタクシーに乗り帰宅した。

 明日からはユウマとナミにべったりな生活になりそうだ。




 子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。

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