妖しいスピリッチャー眼鏡 8
今回は軽めです。
文化祭の準備。謎の美少女が竜二を探してやって来た。
文化祭では、涼子が来て、謎のイケメンが現れる。
莉子に異界からの訪問者。なに者?
登場人物
岩見沢莉子。
十九歳。身長百五十八センチ。三十キロ台の痩せ体型。病弱で人見知り。トラウマがある。たまにブチギレる。
斉田心美
十八歳。身長百四十五センチ。『霊が見える眼鏡』の持ち主。元レアアイドル。今はダンスや歌の動画を配信。
神宮寺ニキータ涼子
十七歳。身長百六十四センチ。霊能者。先日でかい悪魔を祓った。新宗教系の女子校に通う。
猪瀬真理凛
十八歳。身長百五十七センチ。霊や人の声が聞こえる。成績学年一位。涼子と同じ宗教。チューバー。
松井礼良
十八歳。身長百九十三センチ。涼子のストーカー。空手二段。女性。テニス・バドミントンで全国優勝。
行雲寺観幸
十歳。身長百四十センチ。莉子のいとこ。霊能者。説教くさい。守護霊は尼僧の水蓮。涼子たちと同じ宗教。
岩見沢正人
十五歳。身長百七十センチ。莉子の弟。気が利く。アニ研と筋トレ部に入っている。生徒会長と付き合っている。
根岸竜二
十六歳。身長百八十三センチ。空手初段。剣道初段。正人の親友。アイドルおたく。霊力はすごい。
由結愛子
二十六歳。身長百五十六センチ。英語教師。元アイドル。昔、心美にダンスを教えた。今はライト・オカ研顧問。
岩見沢孝司
莉子の父。秩父で大学教授をしている。歴史学部。明治から昭和の歴史に詳しい。
1
十月に入った。
キラは、レイラによると『大麻の使用』で警察に自首したらしい。
でも身元引受人の田中教授が政財界のコネを使って不起訴にしたらしい。
でも、本当に中毒を治療する施設に入ったとレイラが言う。最近はレイラがラインしても既読にならないと言っていた。
私、岩見沢莉子は十九歳になった。
誕生日は十月一日。てんびん座。
一コ下の同級生たちに「ババア!ババア!」とはやしたてられた。
「うるさいっ!一コしか違わないぞっ」と言い返すが、みんなもあたしも笑っていた。
楽しいクラスなのでぜんぜん悔しくはない。後で安い誕プレをくれたし。
でも、たまたま私らの教室に来ていた隣のクラスの心美も「ババア!」と言ったのには怒った。
「コラァ!お前もダブっててもうすぐ十九だろが!」と追いかけたが、廊下で息切れして逃げられた。
体力お化けめ。
もうすぐ文化祭。
ライト・オカ研の方では、文化祭には『幽霊が出る民宿』に泊まった時の動画を見せるそうだ。大して怖い映像もないけど民宿の歴史と民宿のおばちゃんの話が怖いらしい。そこだけ見てみたい。
メグたちは、なんかの会話で「聖ニコで倒れた」ということが顧問のユイちゃん先生にバレたらしい。
お香がヤバかったのは言わなかったらしく「憑依だろ」という結論になった。そのせいで「体力をつけろ!『体力が強ければ憑依されにくい』と大崎の母が言っていた」なんて話になって、最近は毎日四人でロードワークしている。大崎の母の影響力・・・
一年のメグはエンジ色のジャージ。二年の男子二人は水色ジャージ。ちなみに三年は紺色だけど、これはローテーションするので、来年の一年生は紺ジャージになる。
先生は校庭五周しても余裕。いつも走っているらしい。昔トップアイドルだったが『腰痛で引退』という事になっている。ファンにすごく惜しまれていた。でも、今は大して痛くないらしい。先生のスタイルは現役当時と変わらない。
メグや大きい小林はへばっているが、あの時、武士が憑いた『小さい中野』は卓球部とかけもちだったそうで、走っても疲れない。あの素早い動き。そうだったのか。
ユイ先生は黒ジャージ。背中に『TANUKIZAKA13』と書いてある、グッズのジャージ。当時買えば三万円だったが、今はプレミア価格で十五万円もするという。でもユイ先生はそんな事に頓着する性格ではないらしく、現役時代に支給されたロゴ入りボールペンとかタオルとか手持ちレアグッズをバンバン使っている。
「家には売るほどあるよ」だそうだ。
トップアイドルで人気全盛時に引退。いまだにしつこいファンが学校に見に来たりするそうだが、ファン愛で大事にされているので画像が出回ったりはしない。ユイ先生が引退寸前の四年前、心美がアイドルデビュー前に『鬼のダンスレッスン』を受けた話は心美のネット配信でもたまに話題になっている。先生はアイドルデビュー前に世界ユニットダンス選手権で中学生と高校生で二回優勝しているが、アイドルデビュー後はグループもあまり人気が出ず、辞めることを考えて十九歳で大学受験して、二年遅れで大学に入った。その後、狸坂人気が爆発して、忙しい毎日でダンスが泣くほど嫌になって辞めたという。事務所と揉めたとか揉めないとか。狸坂13自体はまだ続いているので言えないのかもしれない。
先生は今日も走っている。
文化祭まであと三日。
私はクラスの模擬店『たこ焼きカフェ』の準備に忙しいクラスメートたちを、眺めている。
先日、男子に付いて買い出しに行ったところ、不覚にも倒れてしまったので、飾りつけぐらいしかやらせてもらえない。倒れた理由はいつもの貧血。美人に上から睨まれたトラウマのせいではない。面倒な体。
弟・正人のやつはアニ研の評論は仕上げてしまったそうなので、生徒会長の薫子の手伝いで実行委員として奔走している。
心美はダンス部に誘われて練習に明け暮れている。昨日、練習の動画を上げていた。
猪瀬は演劇部の主役が回ってきて白雪姫役をやる。猪瀬の白雪姫なんか見たくない。でも私の脚本のせいだ。私と同じクラスの演劇部の心菜ちゃんが美人魔女役をやる。
先日の聖ニコでの涼子とキラの戦いを、ライト・オカ研のメグが、ぼやっと覚えていたようで、それを元に猪瀬と三人で脚本を作って『戦う白雪姫』になってしまった。
メグは夢だと思っていて気づいていない。キラの催眠術の威力・・・恐るべし。
心菜ちゃんは「格闘なんかできないよ」と困っていたし、魔女役の方がなんか悲劇のヒロイン風になってしまったので、彼女は「そっちがいい」となって、主役は演劇部にも出入りしている猪瀬がやる事になり、こうなってしまった。
レイラのクラスは『駄菓子屋』だけど、レイラ自身はテニス部やバド部のイベントで忙しくなるらしい。『高校全国チャンピオンに挑戦』みたいな企画だそうだ。
涼子は『スカ女』の文化祭があるのでしばらく来ていない。でもノーデン付属高の文化祭とは別日なので、こっちの文化祭の日は来るようなことを言っていた。
放課後、教室に残って作業する。看板の字を書いたり、チラシのデザイン。ポスターを描いたり。
突然、竜二が教室に入って来た。
みんなざわつく。知り合いは私だけ。声をかける。
「おい〜。一年生。何やってんだ。」
竜二「莉子姐ごめん。かくまって。」
「は?」
マキコが笑う。声が低音だけど見た目がかわいい。
「ドゥフ。莉子姐だって。」
竜二はでかい体をロッカーの横の隙間に隠した。
みんな怪訝そうに見ている。
教室の外の様子を見た。
廊下に他校の女子生徒が歩いて来ている。
アレは見たことがある。クリームホワイトのセーラー服。下は真っ黒でテラテラした光沢のある生地のプリーツスカート。先日お邪魔したセント・ニコラウス女子学院の生徒だ。
長身の女子。正人ぐらいだから身長百七十ぐらいか。髪はロングストレートをハーフアップにしている。切れ長の目。顔は日本人形風の美人。体型はスレンダーで、外人の血が入っている涼子ほどのメリハリはない。でも胸の大きさで見たら涼子よりも、いとこの金髪三人娘の方が大きかった。食べ物の違いだろうか。ん?余計なこと言っている。
横にいるちっちゃい女。心美だ。
「ああ莉子。この人すごいのよ。全国高校ダンス大会で優勝したチーム・ミラクルの主将、鵤木広美さんよ。まだ一年生なの。」
おお、『イカルギ』とは初めて聞く苗字。かっこいい。
「あそう。」
その子は、お嬢様風に上品にニコッとした。
そして長身に似合わないコロコロした高音の声で挨拶した。
女子「こんにちは。ごきげんよう。」
「ああ、こんちわ。」
焦ってぶっきらぼうになってしまった。横に目をそらす。
不機嫌そうになってしまったが不機嫌じゃない。でもちょっと肩がすくむ。
心美「ああひろみん。この子は岩見沢莉子。同い年よ。不機嫌そうだけど不機嫌じゃないから。人見知りなの。緊張してるのよ。私の親友。ヌフフ。」
フォローサンキューだが、心美も付き合いが長いせいか、たまに無意識に私の心を読む。ハズイ。
イカルギは言う。
「心美さんはこの間の聖ニコの文化祭に来てくださったの。私、心美さんの踊りが大好きで、ドキシスのサユっぺ時代からファンですのよ。」
心美は、先日、聖ニコの文化祭にi行ってきた。向こうのオカルト部の『怪談会』に、ライトオカケンの三人と一緒にゲスト出演して『病院の話』とか『学園七不思議』とかを話して、語り部十人の中で最優秀賞を取った。観衆二十人に加えてネット配信もしていたので私も見た。
『七不思議』は校長が「言うな」と言っていたのに。心美は「この怪談会のコンセプトはフィクションもオッケーだから作り話って言っとけば大丈夫よ」と能天気に言っていた。
しかし心美のやつ、他校のダンス部なんかにまで知り合いがいるのか。
でも?・・・・
「ドキシスの?」
心美が赤くなって早口で言う。
「ドキドキシスターズよ!伝説のレアアイドルユニットじゃん!」
「なはは!そんなだったっけ。アハハハハ!」
「それより、ねえ莉子?竜二来なかった?」
「ええ、竜二ぃ?知らーん!」
嘘は苦手。こんなので誤魔化せるか分からない。案の定、心美が眉根を寄せて口を尖らせた。
鵤木「岩見沢さん。竜二さんに、広美が話したいと言ってたって伝えて頂けますか?」
「あ、は、はい。」
「では、ごめん遊ばせ」
心美「ごめん遊ばせ。」
「心美は違うだろ」
長身女子と心美は去った。後ろ姿は親子みたい。
と思ったら心美はこっちを向いてアカンベーした。
付き合いが長いので、身長差を見てることぐらい分かるのだろう。
クラスメートの太め女子「むっちゃん」こと井上睦美が言う。
「イカルギさんはうちのダンス部の練習を見に来てくれたんだって。心美ちゃんが呼んできたらしいよ。」
三年間一緒のクラスだった睦美。
身長は私よりちょっと低いのに体重は倍以上ある。よく意味もなく後ろから抱きついている。
む「こら。抱きつくな。」
「ちょうどいい大きさなのよ。」
む「何がちょうどいいんだ。重い。」
と言いながらも拒否されたことはない。
美人風の舞ちゃんが言う。
「子供っぽいわね。前から行けば?」
「前からはちょっと・・・」
舞「何赤くなってんの?」
む「見えん。」
舞「でも聖ニコの制服かわいいよね。どこにあるんだっけ?」
「西東京。この前行って来た。」
む「あれ?先週の聖ニコの文化祭は、莉子は家でネットざんまいで行ってないって言ってなかった?」
「九月に。ちょっと用事で」
舞「ええ?ねー、なんでお嬢様学校に用事があるの?」
「えっと、オカ研の用事」
二人はちょっと嫌そうな顔をした。
む「あそ。怖い話しないでね。」
私は霊の方面への恐怖心が欠落しているらしく、普通にモノスゴク怖い話をしているらしい。「自殺者の霊が駅でついて来て倒れちゃってさーミユキに祓ってもらっちゃったー。あははー」なんて言ってたら、睦美たちが「ヤダー!!」と叫び出してパニックしたこともある。
横を見たらロッカー横の竜二と目があった。言ってやる。
「で?竜二?これ『貸し』だかんね。」
竜二は「ええ?」とロッカー横から出て来た。
「当たり前じゃん。嘘ついてあげたんだから。」
竜二「あれ、バレてたと思う。」
「うるせ。貸し①な。」
マキコ「なんでヤンキー枠の竜二くんと友達なのよ。」
竜二「ヤンキー枠?」
「友達じゃないよ。正人と一緒にいるからだよ。」
む「莉子は意外と交友が広いのよね。」
「全然広くないよ。友達なんて呼べるのは心美ぐらいだよ。」
む「またそんなこと言ってる。」
むっちゃんを放して竜二に訊く。
「で、竜二なんで逃げてんの?」
竜二は角刈りの頭をかいて、短い髪をかきあげて言う。
「逃げてねえって。」
「逃げてんじゃん。」
竜二は身長もありマッチョで、ブ男でもないのでクラスの女子たちが心なしか注目して見ている感じがする。
男子は下を向いて作業しながらチラチラ見ている。
竜二「あいつ、小学校の頃からダンスが上手くて全国大会に出てたんだ。俺たちが小五の時にダンス指導の先生が知り合いだから連れて来たんだよね。でも正人と俺で色々言ったら泣かしちゃってさ」
「何よ最低じゃん。」
「先生が怒って怒ってブチギレちゃって平手打ちされちゃってさ。」
「体罰じゃん。」
「そうなんだけど、俺ら態度悪かったし、叩かれたってしょうがないから、みんな何も言わなかったけど、あの女、そのあと何度も俺に文句言いに来やがって、また泣かしたら大変だからずっと逃げまくってたんだ。」
マキコ「逃げてんじゃん。」
「んん?でも、ずっと?何年も?」
竜二「うん。しつけえんだよ。」
むっちゃん「それ用事があるんじゃないの?」
「良いツッコミ」
竜二「知らねえけど。」
「本当に文句なの?一回も話聞いてないの?」
竜二「なんか泣きそうだから。また泣かれたらオレ悪者じゃん。」
「かわいそうだろ?」
む「そうだよ。」
クラスの面々がうんうんとうなずいた。作業中の男子もうなずいた。
竜二「俺、あの時のことトラウマなんだよね。」
舞「好きなのかもよ?」
竜二「ええ?泣く女やだ。」
舞「ええ〜?それ竜二くんの方がやな奴だけど」
竜二「慰めるのめんどくさいじゃん。」
男子数人が静かに低い声で「おお〜」と言った。
そういう経験があるんか。竜二モテるねえ。それとも姉の薫子のことか?
「じゃあ、涼子はお前のタイプじゃないね。」
竜二「あの人は泣かないじゃん。きついこと言うし。」
「ふっ。認識がズレている。見てない。竜二お前、全然涼子に興味ないんだね。」
まあ竜二の女関係なんか全く興味はない。
む「涼子ってスカ女の?」
「え、なんで知ってんの?」
む「マリリンの配信にたまにスカ女の制服で出てる『マスク美人リョーコ』でしょ?」
猪瀬に出さされてるな涼子。
舞「あんたたちってなんでお嬢様学校に友達がいるの?」
腕を組んで考えた。
「友達なのかなあ。」
改めてしっかり考え直すと、涼子にとっては人助けだろうし、勧誘なのかもしれないし、私だってそんなに親しくしてやってない。『私たち友達!』と無邪気に言えるような近い関係なのだろうか。
舞と睦美が同時に「またまた〜。」と言った。クラスメートがみんなクスクス笑う。なんだよ。
む「莉子は付き合い悪いからねー。」
舞「よく話す人は友達だよ。舞と莉子ちゃんは友達だよ。」
ニコッとする舞ちゃん。ドキドキしちゃう。目をそらした。
マキコ「赤くなった!私も友達!」
む「私も!」
みんな冷やかしに「私も俺も」と言う。
「やめれ!ハズイ!」
顔を両手で覆ってしゃがみ込んだ。たぶん顔から湯気が出ている。
竜二「莉子姐カワイイじゃん。」
みんなドッと笑う。くそぉ。
「うるせ!」
立ち上がって言う。照れ隠しに腰に両手を当てて偉そうに目を閉じて言った。
「とにかくさあ、竜二。事情は分かった。あたしが真相を調べてやる。」
むっちゃんが言う。
「本当に莉子は、たまに男前よね。」
「やだ。心美が言うようなこと言わないで。」
体育館でジャージで踊る男女十五人。うちの学校のダンス部と心美。
体育館の半面を使っている。もう片方はバレー部とバスケ部がさらに半分づつ使っている。バレー部が部員三十人。トスの練習。バスケ部が部員二十五人。シュート練習。たぶん時間で使う広さを交代するのだろう。
私は体育館の入り口に寄りかかって見ている。
心美のダンスは手足の振りが大きくて、体も大きく見える。しかもキレキレ。手の動きがビビビッと速い。
鵤木広美は黒ジャージに着替えて、ダンスを見て腕を組んで指でリズムを刻んでいる。
なんか派手目のキラキラが付いた高そうな黒ジャージ。
音楽は再生回数がリリース一週間で数億回になったという最新ヒット曲。CDラジカセから結構な爆音でかかっている。
音楽をかけるとギャラリーが集まる。私の横にも三〜四名。全部の入り口で三十人程度。
ダンスは文化祭の午後の部で観せる予定。
ダンス部顧問の男の先生は端で笑顔で見守っている。
大体この学校の先生は生徒の自主性を重んじすぎて何も言ってくれないのだ。楽な仕事しやがって。
その点、生徒と一緒に走るユイちゃん先生はこの学校では『熱血教師』の方に分類されてしまう。
みんな集まってキメポーズになって止まり、音楽が終わった。
イカルギは言う。
「いいですね。仕上がってます。素晴らしいです。レベル高いです。でも直接お客さんに見せるとしたらちょっとアラが見えますね。動画でチェックされたりすると厳しいかも。みんなの腕の角度を揃えましょう。あと心美さんが目立ちすぎ。全体の調和が必要です。皆さんはキレを意識して。」
キビキビしている。本当に、この子が泣きそうな顔で竜二を追いかけているんだろうか。
信じられない。惚れてるのか?
心美から預かった『霊が見える眼鏡』をかけて見る。
かけている間は人の思いも聞こえるが、この間、これで人の過去の記憶も見ることができると分かった。
見て集中する。いかるぎと竜二の過去。見えて来た。
女性教師。服装は緑色に白い二本線が横に入ったジャージで下はスカート。
教師が紹介する。
「今回のクラスのダンス動画をコンクールに応募します。もう何回も練習してるから振りは覚えてるよね?今日はコーチとして、全国ダンス大会一位のセント・ニコラウス女子学院小等部の同じ五年生、いかるぎ広美さんに来てもらいました。」
いかるぎ「よろしくお願いしまーす!」
大きな声。高揚感が伝わってくる。気が強い。簡単に緊張したり泣いたりする感じではない。
教師が音楽をかけた。古い歌謡曲をロックアレンジにした曲。
場所は校庭。手が当たらないように等間隔で子供たち三十人ほどが六人五列で並んでいる。
みんな同じ振り付けで踊り始めた。先生も軽く踊っている。
私はこういう時は絶対踊りたくない。見られるのが恥ずかしい。
みんなの後ろに小学生の正人がいる。やっぱり腕を組んでつっ立ってて踊らない。
その横で竜二も腕を組んで立って踊らない。五年生の竜二。正人よりも手足が長い。確かもう百六十センチを超えていたはず。
鵤木が二人に注目した。「ノリが悪い子達ですね」と言った。
教師は踊りながら言う。
「ああ。まあ、あの二人はダメよ。」
鵤木は歩いてゆく。その周りの子達は曲に合わせて踊っている。
腕を組んで突っ立ってる二人に鵤木は言った。
いか「ねえ君たち。踊るのが恥ずかしいんですの?」
正人十一歳。感じ悪く言った。
「ええ?かっこ悪いじゃん。」
いか「踊らないでウジウジしてる方がカッコ悪いんじゃなくて?」
やっぱりこの子は気が強い。
正人が言った。
「だって大人の言う通り従って同じ踊りなんてかっこ悪いじゃん。「笑って踊れ」なんて大きなお世話だしさ。それって嘘の気持ちじゃん?やってられないって。」
横の竜二が『かっけえな』と感心している。
でもこいつのカッコつけは、たぶんマンガの影響。反骨心を貫く根性もなければ、反抗期だったわけでもない。
鵤木「同じ踊りじゃなくっても踊りたいように踊ればよろしくてよ?体動かすだけで楽しいですわよ?」
舌足らずなお嬢様言葉が可愛らしい。大袈裟にすると「よろちくてよ」みたいな感じに聞こえる。
竜二が言った。
「じゃあ言うけど、この歌の『切なくて』の時の手はピッと伸ばすんじゃなくて切なそうにしないといけないし、顔も笑顔じゃなくて切なっぽくしないといけないと思うよ。」
鵤木は意外そうな顔をした。『この子?なんかレベル高いこと言ってる。』と思っている。
竜二「それにサビ前のところは詩の流れから言って『悲しい』だけじゃなくって『悲しいけど嬉しい』が正しいと思う。だから動きも『悲しそう』じゃなくって『喜び』も入れないといけないと思う。」
なんか唖然。竜二らしくない。
正人「竜二ぃ?なんでそんなこと言うんだよ。かっこいいじゃん。」
竜二「空手や剣道と一緒で型通りやろうとしたら、ダンスは音楽の通りにやらなきゃいけないだろ?俺、歌と先生の振り付けが違うから踊れねえ。」
なんかすごいな。
でも音楽の通りに?それは単純そうだけど極めて難しいことじゃないのかな。小学生はまずは定型的にやればいいと思うぞ。
鵤木がキレ気味に言う。
「生意気言うじゃん?じゃあ、今の曲が何度もかかるから自分の思う通りやったら良くてよ。」
曲の一回目が終わって、沈黙の後、二回目が始まる。
竜二がくるりとターンした。
そして、音に合わせて両手をまっすぐ横に開いた。手のひらが前。ブラジルの山の上のイエス像みたい。
空気が変わった。
周囲の子供達はさっきと同じ振りを踊りながらチラチラ振り向いて後ろで踊っている竜二を見ている。
ダンス教師は前の方の子たちを教えていて見ていない。
歌の歌詞は、悲しみを背負った男女が、激しい試練を経て結ばれるという劇的なもの。
引いて考えてみたら、それ小学校でどうなんだ?というぐらいの内容。選んだ先生の『攻め』の気持ちが伝わってくる。入賞を狙ってたのかもしれない。
曲は8ビートながらもマイナー調が続き、転調して激しいラップから流麗なメジャー調になるアレンジだったと思う。
竜二は自分で言った通りに、切ない表情と切ない手先を作って、歌詞とメロディに没入する。
こいつ・・・踊れたんだ。そういえばこいつレアアイドルの心美を知っていたぐらいのアイドルオタだった。
正人は龍二の踊りに心を打たれ「かっけえ」とつぶやいた。
激しいラップパートでは、竜二は華麗なステップを踏み、転調してメジャー調になった瞬間、バレエダンサーのように伸びやかに踊った。表情は微笑み、恍惚感さえ感じさせる。小学生ながら手足が長くて、やっぱりカッコいい。今のマッチョの竜二からは考えられない。
鵤木が思っている。『ヤバい。この子は天才だ。私はこんなふうには踊れない。』
間奏で竜二はまた踊りを変えた。激しいギターソロに合わせて、激しく破壊的なキレを見せる。
没入した竜二。今と違う白く大きなオーラを出して踊っている。
鵤木の全身に鳥肌が立ち、胸が熱くなって涙が流れた。
竜二は鵤木を見て踊りを止めた。
「なに泣いてんの?」
その時、女性教師が走って来た。
「ちょっとそこ!なにやってんの!」
竜二は何も言わなかった。
教師は鵤木が泣いていることに気づいた。
その顔が怒りに染まった。
そして竜二はバチン!と平手でほほを叩かれた。
意識が現在の体育館に帰ってきた。
今の鵤木の背中が見える。
なんだか心臓がすごくドキドキする。息苦しい。また倒れそう。
どうも『先生』とか『体罰』とかに反応するようだ。あたしも先生に叩かれたんかな。
前にミユキが正人に教えたように、深呼吸しながらその数を数えた。吸ってイチ。吐いてニイ。
これは『数息観』という。仏教修行で心を鎮めるための技法だった。涼子にもらった本の仏教の瞑想法のところに書いてあった。
でも分かった。鵤木広美は文句を言いたいのではない。たぶん惚れているのでもないと思う。
竜二のダンスに感動して、もう一度、踊って欲しいのだろう。
しかし竜二があれほど踊れるとは・・・
でも小学校からダンスは必修科目だし、アイドルオタだから、あいつもダンスの基本はできるのかも知れない。
私は小学校の記憶があやふやだし、中学校からは病弱を理由にダンスの授業はサボっていたのでよく分からない。
「姉ちゃん?ダンスに興味あんの?」
振り向くと横に正人がいた。
「正人?お前こそ何やってんの?」
「僕は生徒会の広報の手伝いで写真を撮りに来たんだよ。」
正人は首にかけた一眼レフのカメラを少し上げて見せた。
正人「全国優勝チームのイカルギさんが来たって言うから。」
「正人さあ、竜二を連れて来てよ。鵤木さんは竜二のダンスが観たいんだよ。」
「ええ?姉ちゃんよく知ってんじゃん。あいつ昔っからアイドルオタだったから踊りにもうるさいんだ。あいつ格闘家だから動きを見てるんだってよ。昔アイドルの厳しいダンスレッスンの動画とか見せられたわ。「全然面白くねえ」って言ったら「泣けるだろ」とか言いやんの。」
「はああ、だから踊れるんだ。アドリブダンスにはバリエーションが必要だもんね。急に踊れるもんじゃないよね。」
「見たようなこと言うじゃん?東京に引っ越す前に、あいつ一回だけ踊ったことがあったんだ。カッコよかったあ。あいつはセンスで出来てるからな。いやセンスしかない。」
「うん。でも正人お前、鵤木さん知らないの?」
「知ってるよ。有名なんでしょ?」
「お前も会ってるはずなんだけど」
「会わねえよ。んな訳ないよ。あんな特徴的な苗字の人、忘れるわけないよ」
忘れてる。ばあちゃんの言う通り、子供の頃の記憶は鮮明な割にいい加減だ。
でも岩見沢家が忘れっぽい家系なのかもしれない。私の記憶もどっかに行って帰ってきてない。
体育館に正人に連れられて竜二が来た。
ボクシング部の赤ジャージ。やっぱりガタイが良い。ガタイだけは良い。
鵤木はびっくりした後でフルスマイルで目を潤ませた。
竜二「泣くなよ。泣くと帰るぞ。」
鵤木は横を向いて涙を手で素早く拭いた。
正人「あれ?竜二お前、何でイカルギさん知ってるの?」
竜二「お前も会ったろが。」
正人「会わねえよ。接点ねえだろが。」
竜二「まあ、お前はすぐ転校しちゃったしな。俺は年に二回ぐらい追いかけられてたんだ。」
正人「追いかけられた?」
鵤木が落ち着いて、自前のコロコロした高い声で言う。今も舌足らずな幼い喋り方。
「竜二さん。やっと私の前に立ってくれたのですね。私、毎年大きな大会の前に不安になって、あなたの踊りを思い出したの。私もあんな風に踊りたい。あなたの踊りが見たかった。そう思って四年経ちましたわ。一回も会ってくれなかったですわね。」
竜二「泣かれるのは嫌なんだ。」
鵤木「会ってくれたら泣かなかったですわ。」
鵤木はニコッとした。
そして竜二の耳にワイヤレスイヤホンを詰め込み、スマホを操作した。
竜二「・・・クラシックかよ。」
鵤木「インストロメンタルではどう踊ります?」
竜二「もうあんな風には踊れねえぞ。」
鵤木「それはどうかしら?」
ダンス部員たちと心美が、無言で二人に注目している。
竜二は注目の中、曲を聴いている。
心美が隅に置いてあるバッグに走ってスマホを取り出した。
竜二「曲はわかった。」
竜二はイヤホンを外して鵤木に返した。
鵤木「踊ってくれますのね?」
竜二「会ってやらなかったお詫びにね。」
竜二がニッと笑った。鵤木の「きゅん」が伝わって来た。
鵤木はスマホをCDラジカセにコードで繋いだ。
竜二は体育館の半面の真ん中に立って、半身に構えて音楽を待った。
自信があるのか?
ダンス部たちは離れて体育座りでラインの外に並んで座った。心美は膝立ちでスマホを構える。
クラッシック曲。バイオリン、ビオラ、コントラバスの劇的な始まり。
竜二は音に合わせて両手を広げて飛んでから倒れ込んだ。
そこからピアノソロ。高音でゆっくり。
それに合わせて竜二は立ち上がってくるりとターンした。
ダンス部が小さく「おお」と言った。空気が変わった。これだけでゾクゾクする。
ピアノに合わせてステップとターンを繰り返す。
え、かっこいいぞ。あのガタイだからドタドタするかと思ったら、軽やかだ。
あのでかいオーラを撒き散らしてダンスに没入しているから影響力は半端ない。ダンス部たちも首を伸ばして引き込まれている。
ピアノソロにバイオリンなどの音が絡みつくように加わってくる。
竜二はピアノの繰り返しのメロディに合わせてステップを繰り返しながら、腕と手は加わってくるバイオリンやトロンボーンのメロディを表現する。
正人は「やっぱ上手いね。」と撮影のため近づいて行った。
見ていたイカルギがジャージの上を脱いだ。下は真っ赤なTシャツ。
そして竜二に近づき、その正面で踊り始めた。
ダンスバトルだ!
バスケ部とバレー部が手をとめた。ダンスに注目し始めた。
鵤木も、さすが全国レベル。踊りのレベルの高さだけでなく、そのオーラも竜二と同じぐらい大きいのを放っている。
二人のダンスは違う。
あの眼鏡をかけているので、二人の思いが伝わってくる。
『そういう解釈か。』
『そこは悲しい笑顔するのね。』
『ここは『驚き』と言うより『恐れ』だろ?』
『あ、今のマイナーの音も落とさず手で表現した!』
踊りで会話している。かっこいい。
心美は撮影に夢中。抜け目ないやつ。
二人が一瞬同じ動きをした。
二人は踊りながら見つめ合いニヤッとした。
ダンス部の女子が「すてき」と小さく言った。
鵤木は踊りながらポロポロ涙を流していた。とても綺麗。
竜二は、唸るコントラバスのトリルに合わせて回転、他の楽器が加わる盛り上がりに合わせて、鵤木の腰に手を回して社交ダンスのように二人で回った。
その回転が止まった時、音楽が終わった。
ダンス部たちは「おおお」とか「キャア」とか「ふう!」だとか歓声を上げて拍手した。
二人はゆっくり離れた。
鵤木は涙を指で何度も拭きながらポソッと言う。
「惚れちゃいそう」
竜二「え?何つった?」
い「ふふ。ば〜か。ごめん。泣いちゃった。」
竜二「でも、踊るのも楽しいな。」
鵤木はフルスマイルになってから顔を崩して涙し、両手で顔を覆った。
いいなあ。
横に、いつのまにか黒ジャージのユイ先生が立っていた。
先生は「いいね」と言って、その目の涙を指で拭った。
先生の過去が見える。
野外のフェス会場。広さは東京ドームぐらいだから五万人は居る。
まだ今よりちょっと若い可愛いユイ先生が、右手をぶん回してドヤ顔で観客を煽った。
「お前らそんなもんかぁー!!」
客がワッ!!!と叫んだ。
その声が花火大会の音のようにドン!と腹と心臓に響いた。
楽屋。アイドルたちが着替えている。
スーツにサングラスの女性が腕を組んで言う。
「お前、目立ちすぎるなって言ったろ?センターより目立つな。」
ユイ「でも!私、そんな手加減なんてできないです!お客さんの前では全力って言ってたじゃないですか!」
他のメンバーたちが迷惑げに見ている。その思いも伝わってくる。
『あんたいつもチャカチャカして目障りなのよ』
『振り付けの先生がちょっと褒めたら偉そうになっちゃって』
鏡張りのスタジオでジャージで踊る由結先生
その後ろでメンバーたちが踊りを真似る。
『何であいつの踊りに合わせなきゃいけないの?』
『嫌味な踊り方。』
『やな女。大っ嫌い』
メンバーたちの黒い念が集合して槍になって先生の腰を突き刺した。
「あいた!」
先生がガクッと膝と両手をついた。
メンバーは『大丈夫?』と駆け寄る。思いは違う。
『やった!ザマアミロ!』
『辞めちまえ!』
メンバーたちは口々に心配そうな言葉をかけるが、目が笑っている。
先生はその目を見て一瞬口を開いたが、唇を噛み締めた。
『ああ。この子たち仲間じゃない。ライバル?でもない。』
サングラスの女性プロデューサーが言う
「おおい。気をつけろよ。振り付けの先生忙しいんだからお前が新曲のフリ習ってきて伝えるしかないだろ?」
由結「私やめます」
プ「ダメだよ。お前ダンス世界一なんだろ?代わりがいないんだろ?プロだろ?投げ出すな!」
「でも!・・・」
メンバーは周囲に立っている。ただ無表情に。
今の先生に戻った。
楽しかったけど、辛かったのかな。一人だけダンスがうますぎたという話は聞いていたけど。
先生はまた涙をこぼした。
それを見せまいとうつむいて帰ろうとした。
「待った」
先生の手首をつかんだ。
先生が驚いて私を見た。まだ泣いている。涙が下まぶたからぽたぽた落ちた。
私は横を向き、叫ぶ!
「竜二ィ!!」
竜二がこっちを見て、先生に気づいた。
ニヤッとした竜二は、中腰になって左足を横に伸ばして前傾姿勢で右手を握って肘からくるくる回した。
イカルギもそれを見て同じように姿勢を作ってこぶしをくるくる回した。楽しそうな笑顔だ。
「心美っ!音ぉ!」
心美はラジカセに走って膝で滑り込み、繋がっている鵤木の携帯を操作した。
ゆっくりと、それでいて泣き叫ぶようなギターの音が始まった。
狸坂13のブレイクヒット『恋のグルグルぱんち』だ!
国民的ヒット曲。みんな踊れる。
心美は音量を最大にしてから、私の方に走ってくる。
音楽雑誌の評論が大袈裟だったのを今も覚えている。『イントロのロッカバラード的なギターソロがマイナーコードで俺たちを地獄に引き込むようなブルータルさを醸し出し、その沈鬱な気分をスネアドラムが切り裂いて、底抜けに明るいLAロックテイストのメジャーコードに転調し、俺たちの心を楽園へと昇天させる』うんぬん。
爆音ギターソロの中、私は先生を引っ張って行こうとする。
抵抗するユイ先生が言う。
「ヤダッ!ダンス嫌いぃ!」
「だめっ!」
心美も来て二人で先生を引っ張ってゆく。
ダンス部員たちも竜二たちと一緒に並んでこぶしを回した。みんなニヤニヤして楽しそう。
先生をセンターに連れて来た。
爆音のギターソロ。この曲って前奏が二分もあるので校庭の運動部員たちまでどんどん集まって来た。百や二百は居る。この学校にユイ先生が居るのはみんな知ってるので、みんなの顔は期待で笑顔になっている。バスケ部とバレー部も、もう観客として周りに並んでいる。体育館の半分を生徒たちが埋め尽くした。
心美は自分の携帯を私の胸に押し付けて渡してから、みんなに加わり自分も低い姿勢でゲンコツをブン回した。
撮る!
ダンス部たちが拳をぐるぐる回す前で、ユイ先生は両手を腰に両サイドを見回している。
みんな期待で顔がにやけている。観客も期待で目がキラキラしている。
ユイ先生はちょっとだけ微笑んで言った。
「しょうがないわね。一回だけだよ。」
先生もサッと腰を落としてドヤ顔を作ってこぶしをグルグル回した。
全員が「ワッ!!」と叫んだ!
声が「どんっ!」と心臓に響いた。
先生がニヤリとした。
スネアドラムが、細かく速くタンタタタン、タタタン、タンタンとビートを刻み、ワンツースリーフォー!で、みんな踊り出した。
体育館に「ワアアッ!!」と歓声が響く。
踊れるユイ先生。カッコイイ。
いい笑顔。先生が大きな口を開けてフルスマイルを見せた。
2
心美はユイ先生の動画をその日にネットに上げた。
先生は「事務所から文句が来たら消してね。」と言ったが、機嫌は良さそうだった。
私にも「岩見沢覚えてろよ。」とニヒルな笑顔を作りながら言った。
「たぶんずっと忘れない。」と答えた。「それ意味違うし」と言われた。優しい笑顔だった。
「先生。ダンス好き?」
「・・・ふっ。教えてあげないョ。」
先生は綺麗にターンして向こうを向いて、トトンと一回スキップして歩いて去って行った。
文化祭の日になった。
わたくし岩見沢莉子は、調理実習室でたこ焼きのパックの箱詰め作業中。
忙しいが、体力を気遣ってくれた皆んなに感謝。
我がクラスのたこ焼きは調理実習室で焼いてダンボール箱に入れて台車に乗せて、エレベーターに乗ってクラスまで運ぶ。コーヒーもここで温めてポットに入れて運ぶ。
校内放送が聞こえた。
『三年六組の岩見沢莉子。職員室に来なさい。』
何ィ?あたしなんかしたかな?
「ええー?むっちゃんどうしよう。」
睦美はたこ焼きを焼いてパックに入れている。
む「行っていいよ。て言うか、行かないとまずいっしょ。」
調理実習室は新館の二階端っこ。
人が多い校舎内を歩く。
人混みは苦手。気分が悪くなりそう。
ここは二階の廊下。窓は開いている。いい風が入ってくる。
窓の下を見ると、色とりどりの制服。他校の生徒たちがたくさん歩いている。
校内でくつろぐ生徒たち。
みんなが、ざわッとした。
「何だ?」
見ると校門の方に注目している。
この辺では見かけない、黒っぽい紺色のブレザー。真っ赤な柔らかいリボン。スカ女の制服だ。
マスクしてるのに人目を引く美人。涼子だ。
うちの男子生徒だけでなく、他校の男子まで声をかけたそうにしている。
携帯で写真を撮っている奴もいる。ネットに上げられてしまうぞ。
大体、霊能者のくせにこんなに男子がいるところに来て、男子の生き霊が集中して来るんじゃないのか?大丈夫か?
でも横にいる長身の女が睨むので男子たちは近寄れない。
古いタイプのセーラー服。涼子のマブダチの松原アヤだ。
アヤは夏の柔道大会でまた全国優勝したらしい。身長はやっぱりレイラ並みに感じるが、体型はレイラより細い。レイラの方が体型に幅があって柔道部っぽい。でも腹はエイトパック。どっちが強いのか見てみたい。
そのレイラは午後からテニスコートで三点先取の勝ち抜き戦をする予定。生徒および一般客vsレイラ。一時間耐久だそうだ。やらせる方も物好きだが、やる方もやる方だ。体力お化けめ。
校舎内を歩く。職員室に行かねば。
校内には最近覚えたクリームホワイトのセーラー服の女子生徒がやけに多い。テラテラに光る黒い生地のプリーツスカートがひらひらと目に付く。聖ニコの女子生徒たち。去年は見なかった。連中はレイラの応援に来たらしい。
その聖ニコの女子三人が廊下を走る。
「三年一組でしてよ!駄菓子屋さんよ!」
レイラのクラスだ。大人気でウザイ。『でしてよ』も、なんかウザい。わざとらしい。理不尽だけどウザ。
先日、涼子を追って聖ニコにレイラが行ったので、転校先が我がノーデン大附属高校だということが伝わったらしい。うちの女子にも人気があるのは知っていたが、前の学校でもこんなに人気があったとは知らなかった。
男子はあいつを美人だと言っている奴もいるけれど、私はあいつの目は怖くて見れなかった。切れ長のツリ目。でも、あいつのガキっぽくて憎たらしい本性に気付かされてからは平気になった。
職員室に着いたら、ミユキが丸椅子に座っていた。泣きそうな顔している。
ミユキ「莉子ちゃんごめんね。迷子になっちゃった。」
ととっと駆けてきて抱きつくミユキ。カワイイ奴。
「このまえ来ただろ?まあ、しょうがないか。」
この混雑に加えてミユキの霊眼には、校内に溢れる生徒たちの霊まで見えているのだろう。迷子になってまた霊界に引っ張り込まれても困る。
ジャージ姿の担任。女性体育教師、地毛が茶髪の柏亜紀が言う。
「迷ってウロウロしているところを、この人が保護してくれたんだ。」
若草色のブレザーの女子。スカートはグレイを基調にしたチェック柄。この制服は進学校の恵比寿西高。偏差値で言うと都内トップ5に入る。顔も、頭が良さそう。誰かに似た切れ長の目。怖くなる前にお礼を言おう。
「ああ、ありがとう。」
女子「いいえ。もうミユキちゃんがいっぱい謝罪と感謝をくれたわ。いい子ね。」
その女子は優しくミユキの頭を撫でた。ミユキも嬉しそうに彼女に振り返った。
「先生すいません。ありがとう。」
三人で職員室を出た。
その子が歩きながらしゃべる。
「岩見沢さんね。わたし伊藤八重子。古臭い名前でしょ?私おばあちゃんの命日に生まれたの。おばあちゃんの名前をもらったんだって。」
「へえ。あれ?なんか聞いた話だな。」
「私、松井レイラのいとこです。」
「ええ〜?」
言われてみれば似ている。身長は涼子ぐらい。小さいレイラみたいだ。
そう思うと不思議と緊張しない。伊藤さんは言う。
「ウフッ。ええ〜ですよね?全くの偶然です。天文学的確率の偶然です。」
「ええ?難しいこと言う」
「あはは。」
猪瀬とどっちが頭いいんだろう。でもあいつは心を読むからカンニングかもしれない。いや、こんなことをもし言ったらきっと「自分の学力を知りたいからカンニングしない」ぐらいのことを言うだろう。
八重子さんは不思議そうに私を見ている。ああ話さないと。
「レイラならたぶん午前中は教室にいるよ。案内するね。」
これから階段を登る。新館の一階は職員室と中が階段になった視聴覚教室。広くて六十人程度入る。教育映像とかを見たり、合同授業とかでも使う教室。去年の文化祭では卒業生の漫才師が来てそこで十五分ネタを二本やった。
新館の教室は二階以降にある。一年生は二階。二年生が三階。
三年生は四階。そう四階なのだ。
両手をグッと握って気持ちを作る。私は四階まで階段を登るのに気合いがいるのだ。
二人は不思議そうに見ている。
「伊藤さん、私には体力がないから気合いが要るのよ。」
八重子「下の名前で気軽に呼んでください。ゆっくり行きましょう。」
気さく。レイラのあの、なんて返事するか分からないような、何が出て来るかわからない変な怖さはない。
階段を登りながら話す伊藤八重子。
「でもここは付属校だから受験がなくていいですよね。私なんか三年生だし一日十時間も勉強してますから。今日は息抜きです。」
「十時間はすごいね。でも一応受験はあるよ。レベルを見られるんだって。」
息切れしてきた。まだ二階。喋りながら階段登るのはきつい。
「でも落ちる人はいないんでしょ?」
「うん。うちの付属校のノーデン大進学希望者は原則全員合格だって言うけど。」
「いいなあ。私もここに編入しよっかな。」
「ええ?もったいないよ。せっかく進学校なんだから。もっといい大学行きなよ。」
「あっはは!」
ミユキもクスッと笑った。
喋りながらだと息が続かない。ゆっくり上がる。
「あれ、ミユキお前来ないって言ってたじゃん?」
ミ「だって、莉子ちゃんに女の子の霊がついて行っちゃったから気になっちゃって」
八重子さんがドン引きしちゃうかな?顔色をうかがった。
八重子「あ、レイちゃんからみんなのこと聞いてます。大丈夫よ。ゾッとしたけど。」
「ごめんね。でも、ミユキ?それどんな子?ミユキの小学校関係の霊だとか?」
ミユキはショートカットだけど、両耳の後ろで両側に髪をまとめる感じに両手を握って言う。
「こう両側で短くツインテにして」
「ミユキ、それは「二つ結び」だな。ツインテはもっと上の方だ。」
「でも何となく莉子ちゃんに似てたから、親戚とか先祖の霊かも」
「そんな人いるのかなあ?ああ、あれじゃん?子供の巫女さんがついてるってやつ?涼子とか猪瀬が言ってるアレじゃん?」
「え、でも服装は普通だったよ。赤いランドセルしょって。」
「う〜ん。誰だよそれ。」
ゆっくり上がっても息切れ。ハーハー言っててみっともない。
まだ三階。ミユキを探し回った時は息切れしたか覚えていない。
足を止めて八重子さんの顔色をうかがう。
平気そう。体力あるな、ってそっちが普通なのか。
八重子「あなたもオカルト研究会でしたっけ?」
止まって息を整えつつ答える。
「え、う〜んとね。はあ、ちょっと待って。」
ミユキ「莉子ちゃん一休みして」
「でも、だいぶ体力ついたよ。え、ってミユキ?お前体力あるな。」
ミユキ「私バスケットクラブだもん。」
「そか。あ、八重子さん?ごめん、なんだっけ?」
「オカ研のお話ですよ。岩見沢さんも?」
「そうだった。まあ、それは親友の心美がオカ研だから、私も巻き込まれてそうなっただけで、私はオカ研に入ってるわけじゃないよ。」
また階段を上がる。
八重子「それにしては?ずいぶん詳しいって聞いてるけど。」
「ん、まあ色々オタクだからね。それに涼子がやたら詳しいから、」
四階についた。ふ〜っと息をついた。
二人が目を閉じて、音のしない遠慮した拍手をパタパタした。
拍手に両手を上げて応える。そこにいた誰かが『何やってんの』みたいな目で見て通り過ぎた。
「レイラは一組だからすぐそこだよ。」
端っこの教室。
私とか猪瀬の『進学クラス』の教室は旧館。『一般クラス』では「エリートどもは旧館にいる」と冗談半分に揶揄しているらしいが、成績で言うと大して違わない。外部受験を希望するかしないかの違いでしかない。旧館も改修工事はされていて使い勝手は悪くないけど、新館の方がドアも窓も若干新しくてそっちの方が羨ましい。
私が進学クラスを希望したのは二年生の時の担任が狡猾で嫌なやつだったから。気が弱くてあまり話せない生徒を授業中にいじる。私も気が弱くて黙ってる方だけど言葉の当たりが強いので二回目はなかったが、他の子が大勢の前でいじられているのは、見ていてみんな居心地が悪かった。PTAから何度も文句が行っているらしく、二学期以降はトーンダウンした。一般クラスだと奴が担任になる予定だったので進学クラスを希望した。でも進路は農電大の予定。
一組は『駄菓子屋』。ソースせんべいもある。中にはお祭りの屋台っぽいのがいくつも作られている。
うちのたこ焼き屋もああすれば良かった。
レイラは中でデカい図体して段ボール箱を持ってお菓子の補充をしている。
中は聖ニコの女子でいっぱいだ。回転は悪そうだがコイツら金持ちなので売上は良さそう。
横の八重子さんは叫ぶ。
「レイちゃん!」
レイラ「あ!ヤンちゃん!あの子私のいとこ!」
女子たちが一斉にこっちを見た。怖ああ!
八重子「莉子さんありがとう。」
八重子は教室に入って行った。
ミユキと廊下を歩き旧館に入って『三の六』の教室に着いた。上に『たこ焼きカフェ』の看板が出ている。
中はイートインスペースとしてポットの温かいコーヒーとたこ焼きが頂ける。
廊下のゴミ袋には、プラスティックのパックが満載なので、たこ焼きの売り上げは上々のようだ。
「ミユキ、しばらくここに居な。後で一緒に回ろう。」
中で女子の会話が聞こえる。
「香水使ってる?フランキンセンスとか?」
「何それ。使ってない。レモンのシャンプーだけよ。」
「それ・・・安っぽそう。」
「やだ。失礼だなあ。」
ミユキが中をのぞいて叫ぶ。
「ああっ!涼子ちゃん!」
涼子とアヤが奥の席に向かい合って座っている。
中は男子ばかり。涼子目当てか。ほぼ満席なのに、みんな無言でキモい。
ミユキと入って行った。
涼子「あ、莉子さん。お邪魔してます。」
「来てくれたのね。でも、涼子は思いが伝わる体質だから、男子たちの念が来て苦しいんじゃないの?」
「あはは。失敗しちゃった。でもお兄ちゃんの『念を感じ取らない方法』を試してるの。」
「ほう。でもどっか別のとこ行く?落ち着かないっしょ。」
アヤが笑いを堪えて下を向いた。
「何よ。」
アヤ「いや『方法』って聞いて、莉子姐が『ほう。』って、ふへへ。ごめん。勝手にツボった。」
「おかしくないっしょ。シャレじゃねーし」
受付に居たエプロンの長身の男子が近づいてきた。学級委員長の桜庭アツシだ。
委員長が話しかけつつ、壁横に積み上げたイスを二つ並べて席を作ってくれた。
「あの、岩見沢ごめん。しばらくみんなで居てもらうと助かるんだけど。」
「ええ?涼子は客寄せパンダじゃねえぞ。」
「ごめん!売り上げが!今爆売れ中なんだ!頼む!十五分でいい!お願いっ!調理室に戻らなくていいから!」
両手を合わせる委員長。拝まれても困る。仏か。
涼子が「ふっ」と吹いた。心を読んだな?
「ん、じゃあ涼子ごめん。ちょっとここに居て。」
涼子「うん。」
委員長「やった!」
「たこ焼きおごるわ。委員長が。」
委員長「もちろん!」
入口の方に委員長は戻った。
私は涼子の横に座った。涼子目当てで中にいる見知らぬ男子たちの視線がうざい。
委員長が大声で言う。
「はい!食べたら出て行ってください!写真は撮っちゃダメ!買わない人は入っちゃダメだよ!」
アヤ「ひっひ。おかしい。」
涼子も笑った。
「でも、アヤって身長どれくらいだっけ?」
アヤ「は?伸びたよ。百八十!久々に練習ばっかしてるから腹へって食べすぎちゃって。そのせいだよ。」
「え、もう卒業でしょ?」
アヤ「涼子の友達のアメリカ人が柔道クラブに入ってて、そこで週三で練習してんだ。」
「へえ。」
涼子「アヤはいいなあ。食べ過ぎは普通は太るのよ。」
「でも、普通の女子は高校ではそんなに身長伸びないんだけどね。」
アヤ「莉子姐。なんかそれ失礼。あたしが普通じゃないみたいじゃん」
涼子「あら普通なの?」
アヤ「だから、それ失礼。」
笑う涼子を見てアヤも笑う。仲いいなあ。
「でもアヤ、さすがに百九十は行かないよね。」
アヤ「なんそれ。」
ミユキは私の向かいの席から涼子に見とれている。静かだと思ったら。
心の中で絶対『はわ〜』って言ってるだろ。家で何度も会ってるだろが。
委員長がたこ焼きの八個入りパックを四つ持ってきて机に置いた。
委員長「あ、ありがとうね。」
涼子「いいえ。」
涼子が笑顔を見せただけで男子たちが小さく「ほう」と言うのが聞こえた。ウザ。
委員長は赤い顔でそそくさと向こうに行った。
緊張するのか。まあクソ美人だからな。
涼子「莉子さん。その言い方はひどい。」
「ふ。ごめん。」
相変わらず心を読む。男子の思いだけ感じ取らないなんて出来るんか?
涼子「うん。難しいけど・・・訓練になるわ。めんどくさいことは感じ取らないのって重要よ。」
アヤ「相変わらず莉子姐の思いに直に答えてるんか。話の内容がわからん。」
「クソ美人だって言ったら怒ったのよ。」
アヤ「あっはっは!」
涼子「怒ってない。抗議したのよ。」
「同じじゃん。」
アヤ「へっへっへ。まあね。おかげでここも涼子目当ての男子ばっかでむさ苦しいから嫌味も言いたくなるわ」
涼子「私のせいじゃないもん。」
「いやあ、涼子の色香の責任だな」
アヤ「イロカ?はっは!」
アヤは笑うが涼子はムッと睨む。
アヤ「でも責任なんて感じたらやってらんないから。いいんじゃね?」
涼子「・・・アヤは優しいね。」
アヤ「バーカ」
てめえら。イチャイチャすんな。
マブダチかあ。私はこうはいかない。それは仕方ない。
涼子「でも心美さんとは親友でしょ?」
「あいつとは小学校からの付き合いだもん。」
岩見沢一家は私の中一の後半に埼玉から都内に引っ越したので、心美とは中三までは『メル友』だった。でも何度も遊んだし、お互いの家にも何度も行った。ノーデン附属を受験したのは心美が受かったからだった。
その時、背の高い男子が入ってきた。制服ではなくカジュアル。他校の高校生か大学生か。
「たこ焼き一つ。」
青っぽい灰色のジャケットに黒いシャツ。ズボンは黒のスキニー。革靴風の黒いスニーカー。
たこ焼きパックを受け取って教室の中を見回す。
「見ろ〜、あれまた涼子目当てだあ。」
男はこっちを見て私たちに気づいた。
でもいい男だ。先日、レイラの家で見た天使たちの中に居てもおかしくない。
髪は栗色っぽい少し長い髪をちょろっと後ろで縛っている。
身長は竜二に満たないぐらい。委員長ぐらいだから百八十前後。
胸板は薄くないし、曲げた腕には筋肉がありそうで細マッチョ系。私好みではある。
こっちを見て歩いてくる。
さすがイケメン。自信があるのだろう。こっちに来て涼子の隣にでも座る気か。
歩いて来る。マジで声かける気だ。でも美しい男。様になっている。
男がニヤけとる。まあ、その顔で女を引っかけてるのだろう。どうせ慣れているんだろ?
ミユキが小さく「違う」とつぶやいた。何が?
男は横の空いた席をガタガタ動かして、わたしの真横に座った。
は?
しばし私を見た。はあ?
当然、目を合わせることはできない。やめろ。緊張しちゃうだろ!
男「君、岩見沢莉子?」
はあ〜!?
固まった。言葉が出ない。
横の涼子が肘でつつく。前のミユキが膝をけってくる。答えろって?痛いってば。
ドキドキする。顔熱い。たぶん真っ赤だ。肩がすくむ。
「え・・・そう、です、けど・・・」
沈黙。・・・イケメン!見るのやめれ!心臓がバキバキ、いやバクバクだ。倒れるのか?
委員長始めクラスの男子や客の周囲の男どもの視線も集中。はっず!断罪だわ。いや公開処刑だわ。何の?
男「りっちゃん・・・だよね?」
「は?」
親しげに何を言い出すんだ?何モンだコイツ?
男「僕は」
「キャア!ジロー!」
顔を上げて向こうを見ると入口付近で女子三人がイケメンの様子をうかがっている。
アヤ「モデルのジローだよね。ローマ字でJIRO。今度映画に出るんだろ?」
イケメンのため息が聞こえた。
ミユキが「ちっちゃくなってないで目を見て話してあげて」とか言う。
「・・・」
女子がたこ焼きを買って次々に入って来る。
委員長「席ないよ。」
女子「立ち見で」
委員長「そういう店じゃないんだけど」
涼子が言う。
「ジローさん。この人、人見知りなの。」
涼子が言うか。前に『私も』とか言ってたろ。裏切り者!
涼子は一瞬驚いた顔をしたが。口を押さえて笑った。心読むな。
男「僕もそうだよ。」
アヤ「はあ?モデルなんかやってるのに人見知り?うっそだあ。」
男「・・・ふう。まあ理解はされないだろうけどさ。」
そう。ある程度、私も人に合わせてコミュニケーションも取れるようになったが、これは普通の人には分からない苦しみなのだ。人が怖いのはなかなか消えるものではない。慣れない。前にみんなの前でクラス会議の司会とかやらされた時には、一言も喋れなくて、みんなシラッとしてしまった。
ジロー目当ての女子がたくさん入って来るので、男子たちは居づらくなってだんだん出て行った。
ジロ「りっちゃん・・・連絡先教えて。」
ええ〜?初めてそんなこと言われた。顔あっつ!
いやいや、初対面でそれはない。非常識なヤローだ。
あのバカな転校生の例もあるぞ。詐欺師か?慎重に考えよう。
りっちゃんってのは小学校の時のあだ名。
こんなイケメンいたっけ?いや、みんな子供だ。大体、小学校の記憶はボヤッとしかないんだ。
誰だ?
いやいやいや・・・これはありえない。
涼子を差し置いて私がモテるなんて。これはない。怪しい。信じられない。
「あの、誰だか知らないけど、こんなの困ります。」
初めて近くで顔を見た。女性かと思うほどの美しいイケメン。
美形・・・
その目はウルウルしているように見える。しばらく見とれた。
とにかく美形。たまらん!
いや。いやいやいや。待ってくれ。ちょっと待ってくれ自分。
これはありえん。ありえへん。
こんなイケメンが私に声をかけて来るなんて。
私なんて見た目だってヒョロヒョロで、顔だってこの前男子と間違われたんだぞ。
騙される。遊ばれて捨てられる未来が見えるぞ。
あっ!わかったぞ!私に近づく事で涼子に近づこうってのか!なんて卑怯な野郎だ。
涼子が「違う」と囁いた。だから何が?だから私の心を読むなってば。
ジロ「じゃあ、僕の教えるから」
部屋にひしめく女子たちから「キャ」と声が漏れた。見るとすごい数の女子。こわ!怖〜っ!
立ち上がった。
「あの、こんなの困ります。」
ジロ「待って」
「誰でもあんたを好きだと思ったら大間違いだかんね!その辺の子引っかけてなよ!」
出口に向かう。
「どいて!」
女子たちをかき分けて進む。
3
とりあえず高校を出た。
街はまだ昼前。人は少なくいつもの感じ。ホッとする。
行く場所もないので地下鉄駅前の喫茶店に入った。
ボックス席から声。心美と猪瀬。居たのか。居ないだろうと思って来たのに。
心美「アレ?莉子?」
猪瀬「たこ焼きは?」
「ふう・・・居たの?」
心美「居たの?じゃない」
猪瀬「なんかお疲れのようだけど?」
「なぜいる」
心美「なぜいるじゃねー。私は午後のダンス部のイベまで暇だもん。クラスは模擬店じゃなくて展示系だから終わっちゃってるし。」
猪瀬「私は息抜き。演劇部の公演が午前と午後四十五分づつあるし、生徒会の仕事も部活動委員だから色々段取りで忙しいのね。」
「あそう。」
心美の横に座った。
ウエイトレスのお姉さんが言う。
「いつものでいい?」
「はい」
お姉さんが去るのを待って心美が言ってきた。
「どうしたの?泣いてるの?」
「う〜ん?あたしそんな顔してるの?」
説明した。
猪瀬「イケメンにナンパされて信じられなくて逃げてきた?にゃははは!」
「笑うな。」
心美「バッカねえ。こんなチャンス二度とないよ。」
猪瀬「そうだよ。有名人がわざわざ顔晒してクラスに来てみんなの前で連絡先聞くなんて、もう交際宣言じゃん。簡単に振られたりしないよ。」
涙が出てきた。
「知らない!分かんない!しょうがないじゃん!恋愛なんて考えてないもん!」
二人は黙った。
手の甲で涙を拭く。
心美「ああ。莉子はそっちは苦手か。」
猪瀬「莉子ピ。十代女子の一番の関心は恋愛だよ。」
涙が流れた。
「どうせ普通じゃないよ!うう〜ん!」
テーブルに突っ伏して泣いた。
心美「はいはい。泣くな泣くな。」
心美が私の頭を撫でた。
猪瀬がテーブルに置いたスマホの振動が伝わってきた。
猪瀬「涼子な〜に?ああ。ここに居る。はい莉子ピ。」
猪瀬が頭にスマホを「こつん」と当てた。
起きてそれを受け取る。
「はい。」
『莉子さん?あの人帰っちゃったよ。』
スピーカー設定になっている。猪瀬ェ〜!
「何?」
声が苛立たしげになってしまった。ごめん涼子。
『あの人、小学校の同級生だった人だよ。』
「知らないよ。あいつが誰だったとしてもどうせ覚えてないし。」
『校内放送で莉子さんの名前言ってたから、会いに来てくれたんだって。』
猪瀬「フゥ!」
フウじゃねえ!
「そんなのさあ、初見で連絡先教えるやつなんて居るの?常識ないよ。」
猪瀬「にゃははは!そりゃそうだ。」
心美「でも、好みの男だったらアリだよね。」
「そうしてさらわれて殺されちゃうのよ。」
二人が答えなかった。
ハッ。二人が引いたんだ。
心美「・・莉子ぉ・・・」
しまった。心美のお姉ちゃん行方不明だった。
ちょっと沈黙した。気まず。悪いこと言った。
携帯から涼子の声。
『あの人そんな人じゃないよ。』
涼子がしゃべってくれて助かった。でもまた涙が出てきた。
「知らん!どうせ私こんなやつだから嫌われるもん!」
席を立った。
『莉子さん聞いて!ナンパじゃなくて話があるんだって』
「知らん!もういいっ!もう遅いもん!嫌われること言っちゃったし!」
喫茶店を出た。
高校の隣のノーデン大学の校内に入った。
今日は日曜日。大学は休みで講義はない。でも部活動とかがあるので建物は開いている。
隣の高校の方からは、軽音部の演奏とかが聞こえる。卒業生のアーティストとかも来るらしいが、興味ない。
人が居ない大学の校舎の中を歩き、女子トイレに入った。
洗面所で手を洗う。
そのまま台に手をついて大きな鏡の前にしばらく立っていた。
一人になりたかった。
自分の顔を見ている。
このブサイク。いや、いつも見ている涼子とかさっきのイケメンと比べると不細工に見えてしまうが、平均的に整った顔を見る。
思えば恋愛のことなんて考えたことがなかった。
そんなもの、ラノベの世界のフィクションでしかない。
心美とか猪瀬とか、クラスメイトの恋愛話。そのお祭りはどこでやってるの?
たまに男子と話さざるえない時は、適当に話していて、私の口の悪さで気分を害して嫌な顔をしている奴も何人も見た。異性とどう話せばいいのか分からない。
中学校以来、本ばかり読んでいた。知識ばかり頭に詰め込んでいて、現実の人間と関わろうと思っていなかった。それは体調が割と良くなった最近も、変わっていない。
人見知りとかコミュ障とか言うけど、人と関わりたくない。
小学校時代は、思い出せないし、思い出したくない。
人と話せば小学校時代の話もしないといけない時もあるし、そうすると覚えていないとか説明しないといけない。そんなの言いたくない。
話が合う人が居ない。
今日のイケメンも私に普通のコミュニケーションを求めてきたのかも知れない。
私はそれが分からない。
私は人の気持ちが分からない。
涙が出てきた。
水を流して顔を洗う。拭かずに自分の目を見る。
あいつは私を探して、私と話したいから会いに来た。イカルギさんと同じだった。
その人に嫌なことを言って逃げてしまった。バカの竜二みたいに。
もう嫌われただろう。
人の思いを踏みにじる女。
恋愛も結婚もできやしないだろう。
熱い涙が出る。
涼子が言うように独りで死ぬのだろう。近いうちでなくても、いずれそうなるのだろう。
私のような、こういう人間なら分かってくれる。
でもそういう人間もコミュ障だから、家から出ないので私に会うことは決してない。
それにそんな奴とメールもチャットもしたくない。
また涙が流れる。
ああ嫌だ。涼子を自己憐憫な女だ、不幸が好きな女だと思っていたが、自分の方こそ不幸に酔っている。
キラに「不幸自慢やめろ」とか言ったけど、自分の方が不幸自慢なのだ。不幸な自分に陶酔しているのだ。
キラが自慢するから、私より不幸だと言いたそうだから、頭に来てしまったのだ。
また涙が出る。顔を洗う。
なんで泣く?
たぶん自分をいい奴だとか思っていたんだ。いや、いい奴じゃないけど正しい奴だと思っていたんだ。
ただの嫌な女。
また涙が。かっこ悪い。涼子みたいに泣いている。
涼子なら「これから良くなる努力をするしかない」とか言うだろう。
でも私の対人能力は?人より何年遅れをとっているのだろうか?
絶望的になる。死にたくなる。
ああ、嫌だ。
だいたいこの論理とパターンを自分の中で繰り返す。
それ自体が愚かで嫌になる。
また泣いている。顔を洗う。後で顔がパリついて荒れるだろう。
愚かで嫌だ。もう嫌だ。飽きた。
涼子は「反省は自分を責めることじゃない」とか言う。
鬱の時は自分を褒めることが大事だ。
涼子にもらった本にも書いてあったが、その前から知っている。
自分は「平均より上だ」と自己暗示にかける。事実は別にして。
自分の目を見て「カワイイカワイイ」とバカみたいに繰り返す。
泣きながら笑顔を作る。
バカみたいだけど『行動を先に作ると後から心がついてくる』と心理学者の本に書いてあった。
落ち込んだ時の思考パターン。
これが私の一連のルーティーン。バカみたいな繰り返し。
これで、また心美とかとバカな話ができる。
泣きながら笑顔を作って心がついてくるのを待っている。
「あなたはかわいいよ。」
は?
なんか聞こえた。
「聞こえた?」
あの眼鏡をかけた時の霊聴ではない。耳から直にハッキリ聞こえた。
涼子の本に「耳から囁くように聞こえる霊的な声は最も危険だ」と書いてあった。
だけどそれは『重度憑依』の話だ。
その時、鏡の裏から「トントン」とノックが聞こえた。
バッと鏡から離れて背中が壁に当たった。こわ!
「怖がらないで。聞こえてるのね?」
まただ。鏡の後ろから声が耳にハッキリ聞こえた。
いや鏡の後ろはトイレ。人が居ないのは確認済み。
霊だ。霊が来ている。
憑依か?涼子とかが言うように?
そんなに悩んでいるんだろうか。いや、今悩んでいたけどさ。
どうしよう・・・
その人は言った。
「待っててね。いまは波長を切り替えるからねっ」
明るい霊だな。しかしどっかで聴いた声。
先祖霊が来た?天国に行った人だったらいいな。
突然、鏡の景色が赤くなったり青くなったり、暗くなったり明るくなったりした。
怖い。体がすくんで動けない。
なんだこれは。
鏡の向こうに自分が写った。
鏡の下に手をついて自分を見ている。あれ?老けてる。
私・・・?、黒髪でボブにしている。枠の細い銀縁メガネの私。白衣で袖を肘までまくっている。
服装は医者みたいに長い白衣。その下は深い緑のワンピース。
でも違うけど私だ。どう見ても私だ。大人の私。
『私』が言う。
「見えた?老けたは失礼だわ。まだ三十四だよ。」
ううう、霊の人がしゃべってる。
霊なのか?ひょっとして宇宙人?ベガ星人は親しい人の姿をして会いにくるというぞ。
私に化けて会いにくるとは・・・ぶっ飛んでる。
鏡の人はニヤッと笑って満足げに言った。
「つながった。」
おずおず聞いてみる。
「あなたは誰?」
「あなたは私。私はあなた。」
4
「未来の私?信じらんない。」
「ちょっと違う。」
言うと女性はニコッとした。爽やかな笑顔。
「あなた、パラレルバースとか、マルチ世界とか好きでしょ?」
私は『私』に指を差した。
「異世界転生だ!」
「ふふ。まだ転生じゃないわね。『転移』でもないから『異世界遭遇』ね。」
「よく知ってるのね。」
「事前にリサーチしてるのよ。」
「え?」
「最近のあなたを調べさせてもらった。それから準備に何ヶ月かかかって、やっと今アクセスできた。」
調べられてた?・・・こわ。
「怖がらないでね。あなたは私だから。」
「異世界の私?パラレルな私?」
「もしもの世界だと思って。宇宙空間の同じ座標上に違う地球が存在する。それも一つじゃなくって幾つも幾つも無数に存在する。それはね、過去の歴史的条件が違っている世界なの。」
気が遠くなりそうな話。なんでこうなった?
メガネのせいかな。三日前に心美に返したけど。
「メガネって何?」
「あれ・・・なんで思ってること分かるの?」
「テレパシー・・・なんてね。そうじゃないの。こっちの世界では科学的に精神とか心とかがかなり解析されているの。脳波も解析されていてどの波形でどの思いと単語が出ているかがデータ化されて公の媒体に記録されている。だから私の頭にインプラントされたチップであなたの思いが言語化されて骨伝導で私の耳に伝わってくる。」
「あ、意外と物理的。」
「そうよ。そっちのスマホが小さくチップ化されて頭に入っている状態。こっちの思いも私の胸ポケットに入った機器で、あなたに伝達波を浴びせて脳に直接作用して、あなたの脳で翻訳されてる。口を見たら言葉と同じじゃないって分かるでしょ?でももう、三十年も前の発明よ。」
確かに口の動きと頭に入ってくる言葉が合っていない。
スマホで心なんか読めないが、今後技術の発達でそうなるのかも知れない。よく分かった。
「でもそれって怖い。電話も出たくない方だから。」
「ウフフ。やっぱり私そっくり。分かり合えそうだわ。ちょっとそっちに行くね。」
あれ?洗面台に登って?膝をついて?四つん這いでこっちに出てくる!
鏡なかったんか!髪が前に下がって、あんた貞子か!
「あはは。貞子ってそっちのホラー映画ってやつね。こっちは怖い映画なんて無いから売れるかも。」
『私』は足を横から出してこっちの洗面台に座ってから、こっちにタン!と降りた。
出口との間に立たれてしまった。逃げられない。
「えっと、何を売るって?」
「誰でも考えることは同じ。『利益』よ。」
「ん?」
「そっちの世界にないものをこっちから売り込む。逆にこっちの世界にないものをそっちから持ってきて売る。私たちの世界はパラレル世界の解析が進んでいて、そういう会社があるのよ。ある世界では金の値段がすごく安い。ある世界では鉄の値段がすごく高い。それを取引できたら大金持ちになるじゃない?」
「こっちの大航海時代みたいなものかな。あなたにできるのなら私も商売できるのかな。」
「私は商売はしてないけどね。でも成功には元手が要るのよ。何でもいいから何か武器がないとね。」
「物体を異世界から持って来れるの?弊害はないの?」
「そういう研究の第一人者が私。白衣着てるでしょ?言わば、あなたが最大限に成功した場合の姿が私よ。でも未来じゃないのよ。時間軸で言うと別ラインになる。視覚的に言うと磁石を砂鉄の上に置くと磁力線がいくつも見えると思うんだけど、ああいうように、幾つもの時間軸上に別空間が同時存在する。時間軸がいくつも並行に走っているからパラレル世界。」
「たくさんあるからマルチバース・・・」
「そう。大きな研究所も持っているのよ。最初は大変だった。でも私の数式でアクセスの技術が出来て、色々な価値のあるものを持ち帰れるようになってからは研究資金に困らなくなったわ。それから実験が加速して解析が進んだわ。」
「でもパラレル世界って、神隠しみたいな不安定なものでしょ?」
「神隠し、ってあれは『エネルギー世界』、そっちの言い方では霊界かな?そっちに行ってる場合も多いけど、パラレル世界に行ってる場合も多いのよ。そういうワームホール、細いトンネルが世界各地にあって、個人の意識状態によってはアクセスできると分かった。私たちの歴史では、帰って来れない研究者や冒険者の犠牲者がたくさん居たわ。でも私の数式が役に立って安全に行き来できるアクセスポイントを自由に作れるようになった。」
「『虚数の世界』っていうアレよね。」
「そうそう。」
理系女子。もし私が理系で成功した場合の存在。昔は数学ができた。行けなかった道。
「そうよ。文系になって落胆してたんでしょ?」
「それが原因でもないんだけど、」
「そこで相談。」
「は?」
「こっちに来ない?」
「はあ?」
「私って、あんまり他人を信じられない性格じゃない。分かるでしょ?」
「はあ。」
「研究手伝ってよ。数学わかるんでしょ?」
「まあ、だいぶ忘れてますけど。」
「大丈夫、研究機器も洗練されて簡単で使いやすいから。大した勉強は要らないわ。」
「はあ。」
「ね?ここって高校生の来ない大学のトイレでしょ?一人になりたかったんでしょ?」
「はあ。」
「秋で気温が低くなってきて、気が滅入ってるんでしょ?私もそうだし、寒さに慣れるまで一週間ぐらいは気持ちが落ち込むでしょ?」
「はあ。」
確かに秋口、気温が下がって寒くなってくると気持ちが落ちこむ。
寒さに慣れると元気になってくるので、これに気付いてからは心配していない。
でも最近は十月でも暖かいので落ち込むのは十一月かも知れない。
しかし分かり過ぎだ。神様じゃあるまいし。
いや、この前のでっかい悪魔が騙しに来ているのかもしれない。霊は不滅らしいから。
「そうよね。そっちは宗教があるのよね。」
「は?」
「あっちは昔、ソ連が冷戦でアメリカに勝った世界なのよ。世界を共産主義が覆って、ズバリの宗教は無くなっちゃったの。
「ええ〜?そんな世界滅びるんじゃないの?」
「うん。そういう説もあったし、ソ連も革命が起きて無くなったよ。でもその後、キリスト教国とイスラム教国の戦争があって、核戦争になって共倒れになって、その後、国連で宗教が禁止になったのよ。」
「う〜ん。でも、もしもの世界の話なのよね。」
「こっちでは現実世界。でも見えない存在の探究自体は禁止じゃなくって、宗教用語の科学的言い換えが進んだわ。」
「え、なんか微妙・・・」
「さっき霊界の事を『エネルギー世界』って言ったでしょ?でもそれって八十年前からの話だから、私の子供時代には定着していたから違和感はないけどね。」
「幽霊は?天使や神様の概念は?」
「死後の人間は意識エネルギー体が肉体から抜け出して、存在し続けることができると分かっているわ。意識には生前の性格が反映されていて、善なるエネルギー体も、悪なるエネルギー体も存在する。」
「神様は?」
「あなたって宗教的ね。」
「え、そうでもないよ。」
「意外。波長同通の法則というのがあって、精神エネルギー体は『エネルギー世界』に移行して似たような意識体が集まっている。」
「波長同通のって、涼子の本のやつ・・・」
「りょうこって誰?」
「う〜ん。友達。」
「まあ!友達いるの?」
「居るよ!失礼な。あいつに出会って色々人生変わったよ。」
「ふ〜ん。まあ、私もそんな人に会えるといいけど、えっと『カミサマ』だっけ?そういう、『ハイパワー存在』も確認されている。古い意識エネルギーだけど、色々なインスピレーションをくれて、私たち人間を幸福に導いてくれる。でも、同時にダークエネルギーの存在も確認されている。」
「それは『天使と悪魔』だよね。地球や宇宙を創った根本神とかは?」
「それねえ・・・初めのエネルギー存在ね。『ジ・オリジナル・ワン』を言うことは禁じられてるのよ。」
「ええ〜?それは良くない。」
「一般的には禁止なのよ。さっき言ったようなダークエネルギー存在が嘘を言って大混乱になったことが何度もあって危険だから禁止になったの。でも優秀な研究者たちが専門研究機関の中でその研究と探求をすることは禁止ではない。」
「秘密結社みたい。」
「そういう世界を視ることが出来る超能力者はそこに入る事になる。そこでは主に未来予測をしているわ。」
「う〜ん。神様ってもっと重要で近い存在だと思う。」
「でも、その存在を証明できた人はいない。逆に存在しないと証明できた人もいない。居るとも居ないとも証明できない。」
「でも居るよ。いると思うよ。証明できないから信じるんだよ。」
「ほら。あなた宗教的だわ。」
「あ、」
「ウフフ。でも最近は最高度に発展した宇宙文明なら宇宙や地球を創造することは可能だという説があるわ。」
「それは最初じゃないじゃん。その宇宙人たちを創った存在は?」
「それは言っちゃいけないのよね。だって分からないから。私たちの世界では宇宙旅行は難しいの。パラレル世界の旅行ほど簡単ではない。ただ、技術的には同じものだと分かっているから、そのうち、もうちょっと簡単に宇宙旅行もできるようになると思う。それよりタイムワープ?時間旅行の方が先に実用化しそう。」
「宇宙旅行で神が分かるのかしら?」
「そうね。先に結論ありきで神がいると仮定して論理を組み立てた方が早いのかも知れない。でも、私たちの世界では、宇宙の謎にもタブーが多いの。証明できないものを信じるのは危険視されている。そういう理由で色々禁じられている。証明さえされればすぐ教育から技術レベルまで降りてくるわ。」
「う〜ん。それは実業的と言うか、利益しか見ていない考え方だよ。でもそれは大事なものに到達できない恐れがある。たぶんその世界滅びるんじゃないかな。」
「一部の国ではそういうことも言われている。それは取り締まったりはされない。ソ連じゃないから、事件にならない限りは色々な意見と団体が存在するのは当然とされているわ。」
「ああ、そうなんだ。」
トイレの洗面所。パラレル世界から来た三十四歳の私と話している。
『私』が言った。
「でも、どうして?なぜ根本の神を信じないと滅びるの?意見を聞かせて。」
「う〜ん。」
ちょっと考える。父の書斎にあった何冊かの宗教書とか聖書とか?涼子にもらった本とかから論を組み立てる。
「確か、神様は『農場主』のようなものであると、キリスト教の聖書のどこかにあったわ。ならば神は地球の管理者であり、所有者であると考えられる。だから農場主を「いない」と否定して地球を私物化している雇われ人は解雇される。よって神を否定する国は滅びる。」
「やっぱり宗教的よね。でも高校生なのに理論的。あなたすごいわ。一応『三段論法』だわ。さすが文系。でも私たちだってハイパワー存在に実利だけを求めたりなんかしていないわ。彼らの指導を受けられる人の説に従って世の中をより良くしようと努力している。それに彼らにもこの世の法則を超えたサイキックな力があることは確認されている。」
「でも、こっちでは天使も悪魔も未確認存在なのに比べたら進んでるわね。」
「それでも私たちは簡単に人類が滅ぼされるとは思っていない。地震とか天候の荒廃とか小天体の衝突とかはコントロールする技術はあるから。あと病気もね。」
「あなたたちは科学技術に驕っているのかも。神は地球ぐらい消したり出したりできると言うわよ。」
「むふふ。そういう団体もこっちには存在するわよ。思想は自由だから。でも何か事件があったらすぐ禁止にされると思う。」
「もしかして、あなたたちの世界って『裏宇宙』じゃないの?」
「それとは明確に違うわ。その世界の存在はよく知られている。ダークエネルギー体、あなたたちの世界で言う『悪魔』がたくさんいるので、人類に害があるから裏宇宙へのアクセスは禁じられている。」
「結構こっちでの謎が解明されてるのね。でも信仰には否定的。変な感じ。」
「まあね。同じ地球という括りの世界だから、思想体系も科学的課題も似ているのかも。」
「でも、神を信じないのは危険だと思う。これはこっちの世界の日本人の一般的な意見とは違うけど。それに、何でもかんでも、いろんな邪教まで信じるということでもないけども、全ての世界の究極には神がいると思う方が思想的に安全だと、私は思う。」
「あなたすごく宗教的。文系的なのかな?いやあ、やっぱり宗教的だわ。こっちは理系が中心だから『不思議ちゃん』として人気が出ちゃうかも。」
「寛容ね。こっちだと考えが違う人はいじめられちゃう。」
「いろいろな世界があるとみんな知ってるからね。その世界の数だけ違った考え方がある。知識は人を寛容にするのよ。そっちでも『知識は人を自由にする』とか言うんじゃない?」
「あなたは他の世界の「私」にもアクセスしたの?」
「検索できるのよ。知られている全ての世界の中で、『自分』同士ならば簡単にアクセスできる。自分の情報を元に『相似率』で九十%以内なら準備はいらない。相似率が遠い、例えば自分がむさい大男の世界とか、結婚してお母さんしてるとか、お姫様やってるとか、そういう遠い世界は省いてる。」
「相似率って?」
「どのぐらい似てるか。そっちの世界では古い物の年代測定に炭素を使ったりするんでしょう?こっちでは空気中にDKNHというパラレル世界ごとにそれに含まれる微少放射線量が変化する物質が見つけられて、近い世界ではその数値が近くて、遠い世界は数字が遠い。それでパーセントが出せるようになってる。」
「なんて物質?」
「DKNHだってば。あ、認識できないのか。そっちにない理念は単語が翻訳されないのよね。」
「私は何%?」
「八十%。少し遠いからリサーチと準備が必要だった。検索条件は『独身、理系、、』ね。」
「ん?なんかもう一つあった?」
「鋭い。やっぱり私だ。もう一つは『短命』。行き詰まって長生きしなさそうな私。そういう自分を助けて回ってもいるのよ。あなた悩んでたじゃない。」
む。そんなところまで分かるのか?
涼子の予言と重なるからあんまり信じたくない。
「だけどさ、こういうのは危険じゃないの?たぶんこっちでは秘密裏に禁止されていると思うんだけど。」
「なんで?」
「ネットの未確認情報とかだけど。推測だけど。」
「ああ、そっちのネットは未発達で面白いよね。個人の意見が検閲されずにそのまま発表できるから、嘘と一緒に隠された重大な真実が公になってたりするのよね。」
「だいたいこっちでの話では、そういう異界の入り口みたいな、人間が入っちゃいけないような場所には、妖怪とか怨霊とか霊能者一族が代々住んで守ってると言うわ。」
「だから、そういうのが克服されて自由にアクセスできるようになったのよ。」
「克服なんて出来るの?」
「うん。今や高度に産業化されているのよ。」
「産業化?そんな商売していいの?」
「私が商売してるわけじゃないわよ。私は研究者。まあ、オタクみたいなものよ。」
「オタクは研究者とは違うよ。」
『私』は両腕を組んで言う。ちょっとイラついているのかもしれない。
「あなた、文系なじめないわけでしょ?」
「そうでもないよ。」
「楽しい?」
「た・・・楽しい時もあるよ」
「うそ。じゃあ、なんでここに来たわけ?」
「いつもは自分の部屋で考えて気持ちを整理するのよ。今日は急いでた」
「うそ。辛くて逃げてきたのよ」
「辛くても頑張るのよ。それが人生なの」
「マゾか。こっちに来なよ。きっと楽しいよ。」
「もう!絶対反論する。」
「当たり前でしょ?私はあなたなんだから分かるでしょ?黙ってて後悔なんかしたくない。」
「同じか。大人の完成された私」
「そうよ。大人。経験の量があなたとは違うから、言い負かすのは無理ね。やめときなさい。」
勝てない。涙がちょちょぎれる。
でも言う。
「でも、人間だから、言い負かされれば言うことを聞くわけじゃないよ。」
「うん?なんか違和感。」
「何が?」
「半年前のリサーチのあなたと違う感じがする。」
「そんなの知らない。」
「でも、行動心理学では人間は行動によって心を決めるのよ。まず行動すれば心はそれに従う。まずはこっちに来てみてよ。」
「さっきの私の論理・・・理屈じゃ勝てない。」
涙が出てきた。
「泣ーかないで。なんで泣いてるの?事前リサーチの結果だとそんなに嫌なわけないんだけど。こっちに来てくれた私も何人もいるわよ?」
よく『鬱の時に重要な判断をすべきではない』とか言うけど、鬱の時にそれが襲来することは多いらしい。
最近会っていない両親の顔が浮かぶ。不思議。
楽しかった思い出。両親も笑っていた。私が落ち込んでいた時は、一緒に心配してくれた。
走馬燈?死ぬの?
「そっちに行ったらさ、こっちの世界では行方不明ということになるよね?両親がかわいそう。」
「手紙置いておけば?」
「ええ?あなたってドライね。なんて書けばいいの?あんなに色々してもらったのに。急にいなくなったら申し訳ないじゃないの。」
口をついて出た言葉。こんな事考えた事なかったのに。自分の言葉に涙が出て止まらない。
疎遠になった両親。こんな自分にも、家族を想う気持ちがあった。
『私』は言う。
「独立ってそういうものよ。来てもらった『私』は、なじんで楽しそうだよ。私って向こうでは成功者だからね。私を奴隷にしたりしないよ。手伝いはしてもらうけど好きな事してていいのよ。いい暮らしさせてあげる。」
「でも、そういう異世界に行っておかしくなったという話も聞くわ。」
「そうね。パラレル移動には訓練と資格が要るけど、それは感情的に体力で生きてるような人たちの場合。私たちのように知性的で理性的な人間は大丈夫よ。あなたもかなり理性的でしょ?異なるものを理性に照らして受け入れることができる。あなたは事前リサーチでは色々な条件を満たしている。」
「私は怒りっぽいよ。今だって泣いてるし。」
「私だって怒るけど平気よ、連れてきたけど嫌になって帰った子もいる。でも追跡リサーチしたけどおかしくはなっていないわ。実証済み。大丈夫。あなたも、もし嫌になったら言って。ちゃんと責任を持って無事に帰してあげる。」
「う〜ん。」
「信用できない?とにかく来て、こっちを見てよ。しばらく居て、合わなかったら帰っていいわ。
『私』が私の手を取った。暖かい手。霊じゃない。実体だ。
「ねえ、行こうよ。」
「でも・・・」
「あなた・・・もうすぐ死ぬんだよ。」
怖い!手を振り払った。
『私』は驚いたが、両手を腰にため息をついた。
どうしよう、どう言おう、どう言えば、
「あの、あたし、あの、」
「もう。いいから来な。こっちにあんたの居場所はない。」
「あるよ!友達もいるよ!そっちには涼子もいないし!」
『私』が「ん?」という顔をした。
私も「ん?」だ。
は?自分ながら何言ってんだ。百合か!
なんなんだ!涼子に惚れてないぞ!私はレイラかよ!
「あのね、これはあっちには友達がいないということで、でも涼子は友達と言うには近づいて来すぎだし、えっと・・・」
『私』がちょっとイラッとした感じでいう。
「なんなの?あんたレズビアン?」
慌てて顔の前で手を振って否定した。
「違う違う!」
「向こうでは、少ない人類の生殖の障害だから同性愛は禁止。逮捕勾留・入院治療よ。」
「そうじゃない。違う。」
「違うの?違うのね?」
「お・・・異性が好きです。」
はっ!何言ってんだあたし!
「顔アッツ!何を言わせるのよ!変なこと言わさせないで!」
「じゃあ、その涼子ってあんたの何?」
あっそうか。でも、そういうことにすれば行かなくて済む。
『私』は、たしなめる。
「思いはわかるんだよ。嘘はやめて。」
「そうだった。」
「あんた死ぬのよ?分かってんの?それでも残るって?」
「そんなこと急に言われたって、」
「私は『死んでも残る』と言って死んだ子もたくさん見てるよ。助けたかったけど。出来なかった。」
「あのね、涼子は私が死ぬと言ってるけど、助けたいというの。出来そうな感じなの。」
「どうやって?」
「たぶんトラウマを治療すると意識が変わって運命が変わるんだと思う。」
「それを信じろと?」
むうっと睨む『私』。怖い。
「もし、死んじゃっても、たぶん天国に行くよ。だから、」
「死ぬほどのトラウマって何?こっちでもそういう治療はできるし、たぶんこっちの方が高度な治療ができると思う。」
「トラウマっても憶えてはいないんだけど。」
でも、心の中に『触れないポイント』がある。
これが無ければもっと・・・
この偏った性格を全て説明するような何か。それがある。
これをなんとかしたい。なんとかしたいと思っている。
でも、怖い。
記憶の中に、怖くて無意識的にも、意識的にも無視している一点がある。
涼子はここに触れようとしている。私を救いたいと思っている。
『私』がもう一度、「治療出来るよ」と言った。
読まれている。
でも、唯物論世界の人だから、ちょっと言ってることが浅い気がする。その治療どうだろう?
自分では思い出せない。美人が上から睨むと思い出す。
心の奥の漆黒の闇。
どんな人だっけ。
黒いスーツに黒いスカートに白いブラウスに、青い紐の教員証だから先生だろう。
長い髪の美人。
視線恐怖症の原因。たぶん睨まれたんだろう。
どんな顔だっけ。
顔はすごい美人だった気がする。優しい笑顔・・・何で睨む?
はっ・・・
震えが来る。
怖い!
顔を思い出しちゃいけない!
大変なことになる!
嫌だ!胸が苦しい。
息ができない!
助けて!
誰か!
涼子!
涼子の神様!助けて!
『私』が大声で言う。パニックを止めるかのように。
「だから涼子って誰よ!」
「・・・はあっ」
怒鳴られたらビクッとして胸に息が入って来た。息ができるようになった。
心臓がすごい速さで動いている。走った後のように息も早い。息を整えよう。また涙が。
「私も助けてよ。」
え?これ自分が言った?
あれ?そうじゃない。相手だ。
「は?」
『私』を見た。彼女は私を見て、目をぱちくりさせた。
「あの、あなた困ってたの?」
『私』は、一瞬目をそらしてから、びっくりした目で自分の口を手で押さえた。
意識が相手に向いたらだいぶ落ち着いて来た。
見ていたら『私』はため息をして両手を腰に当ててうつむき、目を閉じ少し赤い顔をして言い始めた。
「まあそうよ。前は称賛されてたけど、最近は学会で孤立しててね。助手の成り手がいなくて困ってるの。それは事実。でも今研究をやめても生活には困らない。悔しいだけだけどね。」
なんだか虚しそうに床を見ている『私』。
「負けず嫌いだもんね。私って。」
『私』はまた手を伸ばした。そして真剣に言った。
「助けてほしい。」
そういうことなら、少しなら、手伝ってもいい。
手を伸ばした。
その時、不意にパッと部屋が明るくなった。
誰かの声がした。
『見つけた』
上を見たら、でっかい光の玉。
よく見ると、あの時の涼子似の大天使が浮かんでいた。
ギリシャ風の肩を出した白い服の上に鎧。青地に金色の装飾の胸・胴から腰回りだけの簡単な鎧。金のスネ当てとサンダル。金の鞘の剣を腰に下げている。
天井は関係ない。十メートル上からスーッと降りて来た。大きさは涼子ぐらいに縮んだ。
今回はよく見える。後頭部に大きな車輪のような光を持ち、炎のようなオーラをまとった金髪美人。
『私』が天使を見て大声で言う。
「わあ!ハイパワー存在だわ!初めて見る!」
存在はドアの前に来た。床から十センチ浮かんでいる。
『私』はゆっくり後ずさって私の右横、鏡側に立った。
存在は言う。
「我は神の光の顕現。戦いの女神。大天使。如来とも言う。」
『私』「よくこの『中間領域』が分かったね。」
「?」
女神は言う。
「祈りは全ての世界から神に届くのです。」
「あの・・・涼子の守護霊?」
「ではない。しかし同じ霊流の中にある。彼女は数ある我が分光の一つ。我であり同時に我でない存在。我は本体にあたる。如来くらいの存在でないと併行世界への出入りは難しい。」
「・・本体?でも、厳密に言うと女性の如来はいないと、涼子にもらった本に書いてあったけど?」
「ふふ。それは宇宙魂まで入るのかしら?如来は本来、仏の光でしかない。男でも女でもない。我は真と善の光であると同時に美の光。美を顕現すると女性に見えるのかもしれない。我は数ある女神の中の一人。姿形は個性を表現したものでしかない。」
「おお・・・」
「全ての霊存在は神の分け身。彼我一体にして一即多。ゆえに全ての霊存在が自分を愛するように他を慈愛せねばならないのは当然至極自然なこと。我ら如来は衆生救済計画や地球文明計画にタッチしている。」
「う〜ん。それっぽいね。でも、もう少し簡単に言って欲しいけど。用語は神=仏でいいのね?」
「唯一神のことを仏と呼んでいる。神々と言うと如来、菩薩、諸天善神、大天使と天使を含む。」
『私』が、いぶかしげに言った。
「あなた?最近何を勉強した?半年前の事前リサーチと全然違うじゃない!」
「なんで怒られるの?何勉強したっていいじゃん!」
女神が『私』に言う。
「こちらの世界では、パラレル世界との交流は、精神に異常をきたすので禁じられている。」
『私』が気にせず反論する。
「だから、それは大丈夫だって言ってたのよ。」
その時、女神は霊力のこもった言霊で言った。
『あなたは悪魔だ!』
私は言葉に打たれてビクッとした。
『私』は、声の霊力にビリビリ打たれて肩をすくめたが、それでも言い返した。
「違う!私はダークエネルギー存在じゃない!」
女神「やっていることが悪魔だと言っている。彼女は、いまだ人生修行の途中である。あなたについて行けば、主体的人生を失うことになる。人さらいはやめて。パラレル世界の知識がない異世界に対してちょっかいを出さないで頂きたい。」
『私』は今度は声も出せない。
女神「あなたの世界にも私の分体は居る。困っているのであれば、手を回して助けてあげよう。」
『私』「本当に?」
女神「我は、創造主である地球神エルの霊流にある者。エルは全宇宙とパラレル世界全てを含む全世界の神でもある。あなたは信じることを学びなさい。それが今の立ち塞がる障壁への突破口になるだろう。」
女神はふわりとドアの前に着地した。そして言う。
「岩見沢莉子よ。どのような並行世界であっても、地球人の枠組みにある者は『生老病死、四苦八苦』の『苦』の中を生きているのは同じである。別の世界なら楽ができるということはない。『苦』の中で強くなれ。・・地上では一人でなく他者と助け合って修行を全うしなさい。」
言うことが仏教的。でも姿はギリシャ的。そう言えば涼子の宗教の建物はギリシャ風だった。
女神「HDIVTMよ。あなたは私を探しなさい。」
んん?なんつった?名前が聞き取れなかった。
その時、閉まったドアを通り抜けて、黒髪の涼子がダッと飛び込んできた。
その涼子は金髪の女神と重なって、女神は消えた。
涼子はまた半泣きだ。なぜか眼鏡をかけている。
「やっと見つけた!何やってるのこんなところで!・・・あれ?お姉さん?」
『私』は笑って言った。
「お姉さんって言ってくれるなんて嬉しいわ。でも、分かった。あなたはこの半年でだいぶ変わったのね。死なないのかもしれない。残念だけど、あなたを連れて行くことはしない。放って置いてみるわ。」
「うん。ありがとう。」
「私も何ヶ月も準備したんだけどね。でも自分のことは分かってあげられる。泣かせてごめんね。おばちゃんを嫌いにならないでね。」
「おばちゃんなんてやめて。若いよ。」
「うふ。嬉しいわ。お小遣いあげる。二千円ね。」
「いいよ。いらない。」
「言ったでしょ?異世界の自分を助けてまわっているって。」
彼女は私の手を取って、金色の硬貨を四枚渡して、手を握らせた。
手にずっしり重たい。また金貨かもしれない。
『私』「ハイパワー存在が来た場合そのルートは閉じられることが多いから、たぶんもう来れないと思う。」
「そう。ちょっと寂しいな。でも、成功した自分もあり得るんだって思えた。」
「若い時の失敗は取り返せるよ。あなたは大丈夫。じゃあね。」
言うと『私』は手をひらひら振って、洗面台に登って乗り越えて向こう側に行った。
涼子「えっ?ええええええ?キャー!!」
声を聞いてか、オカ研二人とレイラがなだれ込んできた。
『私』は鏡の下の『何か』を少し操作してから、向こう側のドアを開けてまた手を振って去った。
私たちを写していなかった鏡はゆっくり私たち五人を映し出した。
みんな愕然として鏡をしばらく見ていた。
あの時『私』の手を握ろうとした自分に、いまさらながらゾッとした。
5
三の六の教室。
莉子さんが「どいて」と言って、女子たちをかき分けて教室から出て行った。
その『JIRO』さんは茫然と莉子さんを見送った。
ジロ「ふっ・・・あははははは!」
周囲の女子たちが「ほう」と心の声を上げた。
ジローさんは笑顔が可愛い美しい人だ。
オーラも大きく黄色くて美しい。
「あの、」
ジロ「えっ?ああごめん。りっちゃんは変わらないね。言葉が強いや。」
「莉子さんを知っているの?」
ジロ「小学校の同級生だよ。」
ジローさんは爽やかに笑っている。
でも心の中は、さっきの高揚感は消えてビジネスモードになっている。
心は閉じていて何のイメージも伝わってこない。
ミユキちゃんが聞いた。
「ねえジロさん。本名は?」
ジロ「本名は非公開なんだ。特にこういう場では言いずらいよね。」
周囲の女子たちが全員注目している。
アヤ「今日はなんで来たの?まさか莉子姐を探しに来たんじゃないよね?」
ジロ「う〜ん。りっちゃんのお父さんって大学教授なんだよね。僕はあの大学に通ってるんだ。今一年生。りっちゃんはまだ高校生なのはちょっと羨ましいな。」
「え、あんな遠い大学に?」
アヤが『まだ質問に答えてない』と思っている。でも聞かずにいられなかった。
ジロ「うん。車なら一時間のところに住んでるよ。」
「莉子さんの小学校の頃ってどんな人でした?」
ジロ「・・・」
彼は『どうしようかな』と思っている。
ミユキ「莉子ちゃんが五年生の時に何があったか知ってますか?」
おお・・ミユキちゃん、核心を・・・
ジロ「僕もあの大学に受かって、あの時以来初めてお父さんに会ってさ。あんまり思い出させたくないんだって。大変だったんだって。」
じっとその目を見た。
ジローさんは私の目を見てニヤッとした。
『この子は心を読む子だ』と思っている。
見抜かれた?
『お父さんが言ったとおりだ』
そうか。莉子さんのお父さんとだいぶ話しているらしい。詳しく聞きたい。
でもアヤが先に聞いた。
「この学校に莉子姐が通ってるって、親父さんに聞いて来たの?」
「いやあ、お父さんは言わなかったけど、僕のいとこが色々検索して、弟の正人くんのSNSとか、今はチューバーの斉田さんだとかが学校名言ってたから分かった。」
アヤ「あっちゃああ。そりゃダメだ。こわ。」
どういう人なんだろう。今の普段の感じや過去が見えてこない。霊眼に集中する。
でも、なんだか伝わってこない。なんだろう。読みずらいなこの人。
アヤ「でも、莉子姐が嫌なこと思い出しちゃうかもしれないのに、なんで来た?」
「ちょっと顔だけ見たかったんだ。校内放送で呼んでたでしょ?ちょっと様子を見に来たんだけど、見たら話したくなっちゃってさ。」
ミユキ「仲良かったんですか?」
ジロ「う〜ん。そうでもないかな。」
アヤ「涼子?怖いよ。眉間に皺が寄ってる。」
「え?そう?」
両手で眉を伸ばした。
ジローさんは私を見た。
思いが言葉で伝わって来た。
『好きだから。助けになりたい。伝わる?』
心で言った言葉しか読めない。この人、普通じゃないわ。
ジローさんは答えを待っている。
私は小さくうなづいた。
ジローさんはまた人懐こい笑顔を見せた。
その様子を見たアヤは、腕を組んでしかたなさげにため息をして黙った。
沈黙した。
ジロ「じゃあ。帰るね。」
立ちあがろうとしたジローさんに言った。
「待って。」
ジロ「ん、何?」
「莉子さんを助けてあげて。ダメなら祈って。」
ジローさんは、しばらく言葉の意味を考えていたが、ニコッとしてうなづいた。
ミユキちゃんが立ち上がって携帯をジロさんに渡した。
「私、いとこです。」
ジローさんは「あそう」と受け取って素早く打ち込んで携帯を返した。
周囲の女子たちがザワザワした。嫉妬の想念が渦巻いて苦しい。
ミユキちゃんは携帯を見返している。
でも、心の中は『やった!ゲット!』と思っている。飛び跳ねたいのを必死に耐えている。
嫉妬の念に鈍感なのは羨ましい。私には女子たちの嫉妬がきて、冬の風のように寒々しい。
ジローさんはニコッとして立ち上がり、去って行った。
女子たちが彼を追ってザザッと教室から一気に出て行った。
アヤ「あいつ、あんまり喋らなかったね。心は読めた?」
首を振った。
「全然。でも莉子さんが好きらしいよ。」
ミユキ「ええ?すごいじゃん!」
アヤ「でもさ、莉子姐は小学校の時が思い出せないぐらいひどい目に遭ってるんだよ?親父さんが思い出させたくないぐらい。」
「うん。そうよね。」
「じゃなくて、あいつ莉子姐をいじめてた人かもよ?」
「違うよ。心の中では『好きだから』って言ってたよ。」
「フッそんなの、男の好きなんて全然信用できないよ。逆に莉子姐が昔いじめてて、仕返しに来たとか?」
「そういう嘘つきじゃないと思う。」
「でも、親父さんに聞いて、教えてもらえなくて、いとこと調べてまでして来たんだろ?放送聞いてクラスに来るとかキモすぎる。危ないよあいつ。執念深いよ。」
ミユキが泣きそうに一生懸命言う。
「そんなに悪口言わないで!違うの!女の子の霊が彼の手を引いて連れて来たの!」
莉子さんのクラスの子たちが注目している。
アヤ「涼子はそんなの見た?」
「私、ジローさんが入って来た時は見てない。てゆうか入口見てなかった。」
ミユキ「入って来た時消えちゃったもん。嘘じゃないもん!」
泣きそう。目をうるうるさせて必死にこらえている。莉子さんのために・・・優しい子。
手を伸ばしてミユキちゃんの手を握って言う。
「嘘なんて言ってないよ。どんな子だった?」
ミ「二つ結びにした子。赤いランドセルの」
ミユキちゃんのイメージが私の霊眼に映った。
この子・・・最初に喫茶店で莉子さんと話した時、現れたわね。『助けて』って。
「ああ、この子知ってる。この子はね、たぶん莉子さんの子供時代の人格だと思う。『インナーチャイルド』って言うのかもしれない。二人を引き合わせたかったのかも。」
ミ「ええ?・・・そうなの?」
ミユキちゃんは手で涙が出そうな目を拭いた。落ち着いて来たみたい。
アヤ「まあ、いいんだけど、莉子姐ってこういう時ほっといて大丈夫なの?」
やっぱり学校を出た。莉子さんが言ったとおり、人が多くて落ち着かないから。
色々な念が来るのを、意識して無視しているのも、もう疲れた。
アヤとミユキちゃんと校外に出る。
歩きながら、まず真理凛に電話する。
電話の方が文章を打つより速い。そう言うと真理凛に「ババアだ」と言われるけど、悔しいけど仕方ない。
「ああ、真理凛?」
『涼子な〜に?』
「莉子さん知らない?」
『ああ、ここに居る。ハイ莉子ピ』
霊的に集中する。向こうの喫茶店の景色が見えた。
莉子さんは仕方なさげにテーブルから起き上がって真理凛からスマホを受け取った。目が赤い。
『はい。』
「莉子さん?あの人帰っちゃったよ。」
莉子さんがなんかウザそうに言う。
『何?』
莉子さんは機嫌が悪いと怖い。でも言うしかない。
「あの人、小学校の同級生だった人だよ。」
『知らない。あいつが誰だったとしてもどうせ覚えてないし。』
怒り、と言うか自己嫌悪の気持ちが伝わって私も心が痛い。
「校内放送で莉子さんの名前言ってたから、会いに来てくれたんだって。」
『フゥ!』
真理凛だわ・・・気持ちが和らげようというのは助かるけど、莉子さんに悪いよ。
莉子『そんなのさあ、初見で連絡先教えるやつなんて居るの?常識ないよ。』
マリ『にゃははは!そりゃそうだ。』
心美『でも、好みの男だったらアリだよね。』
莉子「そうしてさらわれて殺されちゃうのよ。」
向こうの空気が変わった。凍りついて固まった。
莉子さん『しまった』と思っている。
心美さんのお姉さんは行方不明。でも霊が来てるから死んでる。
心美『莉子ぉ』
沈黙している。私も気まずい。莉子さんも心美さんも辛そう。真理凛はなんとかしようと考えている。
なんでもいいから言おう。
「あの人そんな人じゃないよ。」
莉子さんがほっとしたのが分かった。でもまた自己嫌悪の気持ちが伝わって来た。
莉子さんが泣いてる。あの莉子さんが?
『知らん!どうせ私こんなやつだから嫌われるもん!』
莉子さんが立ち上がった。引き止めなきゃ!
「莉子さん聞いて!ナンパじゃなくて話があるんだって」
『知らん!もういいっ!もう遅いもん!嫌われること言っちゃったし!』
莉子さんが走って喫茶店を出た。
すごく感情的になっている。
霊がついている感じではなかった。でも胸の辺りが黒く見えた。
なんだろう。ちょっといつもの莉子さんぽくないから心配。
でも私のイメージでよく見る落ち込んだ莉子さんの雰囲気に近い。
嫌な感じがする。
『ごめん。莉子ピ出て行っちゃったよ。』
「心美さん。こういう時は莉子さんてどこに行くかわかる?」
『さあ〜?でも莉子はこんな事で死んだりしないよ。』
「私もそう思うけど、でもたぶん過去の傷に触れたんだと思う。心配なの」
『探す?』
「うん。」
『涼子ちゃん優しいね。』
「優しくない。わたし莉子さんを救うと言ったのに、まだ出来てない。何も進展してない。もっと真面目に、もっと何か出来たと思う。」
『涼子は真面目だよ。私たちも探すわ。』
泣けてくる。
横のアヤが言う。
「涼子っ。どう?莉子姐は?」
「え、ああ、ごめん。えっと・・見失った。霊眼で追っかけてれば良かった。」
ミユキちゃんも言った。
「私うちに帰る。莉子ちゃん帰ってるかもしれない。」
午後になってしまった。
私は喫茶店で待つようマリリンに言われた。帰ってくるかもしれないと。
心美さんはダンスの出番ギリギリまで探してくれた。今、踊っている最中だと思う。心配させて申し訳ない。
携帯が鳴った。
『莉子姐まだ帰って来てない?』
「うん。」
『じゃあ引き続き駅前の店をもう少し探すわ』
「ごめんアヤ。ありがとう」
携帯を切ると、すぐにまた鳴る。
『ミユキです。莉子ちゃんは?』
「まだ見つからない。」
『私も探しに行く。』
「ありがとう。でも家で待ってて。帰ってくるかもしれない。」
『・・・うん。』
「莉子さんが帰って来たら電話して。」
『うん。』
切るとまた携帯が鳴る。
『莉子ピは?』
「まだ見つからない。」
『みんなに言って体育館も部室もグラウンドも探してもらったけどいないわ。教室も居なさそうだね。』
どこに行ったの?
私の霊的なセンサーにもかかってこない。
私の守護霊の天使さんが見えた。この人は私の前前世にあたる人。千三百年代のギリシャやローマあたりにいたシスター。私より背が高いけど痩せて見える。あの時の大天使とは別の存在。あの人は光の量が圧倒的に大きい。
この人も首を振っている。
これはおかしい。霊的に何かある。
こうなったら屋上から探そう。
学校の屋上。
金網があって生徒が落ちないようになっている。
階段とエレベーターの機械が入っている一段高くなった所を見る。
手が届かないところから階段がついている。
学校の施設管理室に行けばハシゴか脚立があってそれを持ってくれば手が届く。でも時間はない。
ジャンプしてハシゴを掴む。
私の自慢。三回ぐらいなら懸垂ができる事。前にお兄ちゃんが三キロのバーベルを二つくれたので毎日お風呂上がりにやっていたら最近懸垂できるようになっていた。
ハシゴで懸垂。一段目を首の下にひきつけたまま、壁に膝や足をついて、なんとか片手ずつ二段目を掴んでもう一度懸垂。同じように三段目を掴む。懸垂三回目でなんとか足を一段目に無理やり乗せる。腕の力が落ちてるからハシゴを腕で抱え込む。足を伸ばしてハシゴを登る。腕が震えるけどなんとか登れた。
上に出て息を整える。いい風。
下でワッと声が上がった。
テニスコートでレイラの試合をしているからだと思う。
盛り上がっているのだと思う。なんかザワザワしているのが聞こえた。
でも、莉子さんの方が気になる。
床に座って瞑想に入る。
自分の肉体を抜け出して、上空から高校と大学と街を視る。
私は今、霊体。下に座っている自分が見える。
霊には肉体的制約がない。基本的に思ったように何でも出来る。
でも考えられない事はできない。
これは幽体離脱能力。仏教で言う『六大神通力』の一つ『神足』。
でも体から出るだけではない。
自分の『視る』能力を最大限に発揮する事が可能になる。
眼、耳、鼻、舌、身、意の認識が最大になって、さらにそれを超え、全ての霊的認識を最大にする。
自分の魂の形を超えて、自分を光の玉だと認識して、それを拡大してゆく。
この辺りの街の全てを自分の光の玉に収めるようにイメージする。
たくさんの生きている人たちのオーラが感じられる。
死者の魂も感じられる。
人の念が溜まった場所が感じ取れる。
人の念力が人から人へと行き交う様子もはっきり直覚的に感じ取れる。
みんなの全ての思いが私に同時に入ってくる。
人間でない霊体が思う事も。
動物や植物の思いも。
宝石に宿る意識。古い道具に宿る意識。
想念を持つ存在が全て感じ取れた。
それも一対一で話しているように。
無数の人たちと同時に話している。
大学の一室にある呪物。でも、あの『土偶』以上のものはない。
そこにも莉子さんはいない。
街は一人一人から出る欲望や怒りや嫉妬の思いが黒い煙のようになって、山火事のようになっている。
これは一人一人が反省して考え方を改めて、神から見た『いい思い』を出さなければ、解消されない。
でも・・・いないわ。
莉子さんはいない。電車に乗ってどこか遠くに行ったのかも。どこに?
これ以上の認識の増大は難しいし、ここでそれをやるのは危険だ。体に戻ろう。
その時、下のドアがガアン!と開いた音がした。誰かがハシゴを上がってくるのが分かる。
タッと足音。
座ったまま横を見上げて見ると黒いテニスユニフォームのレイラだった。
「涼子ちゃん!何やってんの!」
「莉子さんを探しているの。」
「何で?ここから見てるの?涼子ちゃんの不思議な力で?」
涙が出た。
「私のせいなの。私が、もっともっと莉子さんの心の傷を早く治療してたら・・・」
レイラは大きな口を開けた。
「レイラ?」
「あ、涼子ちゃんは莉子ちゃんを探しているのね?私、涼子ちゃんが飛び降りるんじゃないかって、びっくりして、すぐに上がって来たのよ!」
「わたし死なないよ。よく下から見えたわね。」
下を見るとテニスコートから数百人の視線を感じた。こっちを指差したりしている。
レイラ「目は良いの。莉子ちゃんを探すのね?任せて!」
「レイラ?試合は?」
「それどころじゃないよ」
レイラは屋上に飛び降りた!
「キャ!危ない!」
下を見るともうドアから降りて行った。
入れ替わりに屋上に心美さんが来た。服装は紺色のジャージ。
「大丈夫?レイラが必死な顔して降りてったよ。」
私もゆっくりハシゴを降りる。降りる方が怖い。
心美さんが下に居る。
「ウフ。青か。パンツ見えちった。」
床に着地。心美さんを睨む。
心美「ごめん」
「あ、そうだ。あの眼鏡持ってる?」
「あるよ。」
心美さんはスカートのポケットからメガネケースを取り出し渡してくれた。
「ウフ。あったかい。」
心美「涼子ちゃん?」
心美さんが眉をひそめて怖い顔をした。
「ごめん」
眼鏡をかけて祈った。
「眼鏡の霊さま。お願いです。莉子さんの居場所を教えて下さい。」
脳裏にすうっと大学の一階のトイレの映像がズームされた。
そこにもいない。でも、トイレの洗面所に歪んでグルグル巻いているところがあるのが見えた。
そこは周囲の景色が歪んだ黒い穴になった。
「何これ?異世界トンネル?」
心美「ええ?異世界?でもマンガでは面白いけど、異世界の実話って怖いの多いのよね。帰ってこなかったとか、意識を持って行かれたとか」
思わず走っていた。
ああ、早く莉子さんを助けてあげれば良かった。
莉子さんが向こうに行ってしまうかもしれない。
景色が涙でぼやける。走りながら眼鏡を取って涙を手で拭いた。また眼鏡をかける。
座り込む莉子さんのイメージがまた見えた。西日の差す部屋で両膝を抱える莉子さん。
間に合って!
大学の校舎に入った。人はいない。
一階の大講堂の横のトイレ。
ドアを開けて中を探す。誰もいない。
「居ないわ」
膝に手をついて息を整える。
一回トイレを出て、ドアを閉める。
中から声が聞こえる。何かボソボソ言っている。
ドアを開ける。聞こえない。
閉じる。耳を澄ます。
もしゃもしゃと何か言っている、聞き取れない。
ドアを開けると聞こえない。閉じると声が聞こえる。二人が話している声。
「不思議。パラレルワールドだわ。並行世界がここで交差しているようだわ。」
どうにもできない。
祈るしかない。主よ。
閉じたドアの前でひざまづいて祈った。
しばらくして真理凛と心美さんが走ってきた。
真理凛「走ってどうしたの?莉子ピいたの?」
「ここに居る!でも見えない!」
真理凛がドアを開けた。でも居ない。
心美「メガネかけてるのに」
「そうだ!」
祈った。
「眼鏡の霊よ!お願いです!莉子さんに繋いでください!」
ドアを開けた。
灰色のまだらの空間が渦巻いていた。
「何これ」
私は呆然と渦巻きを見ていた。
でも、見ると同通するはず。
中から声が聞こえた。
『助けて!誰か!涼子!涼子の神様!助けて!』
「聞こえた!」
両手を上げてジャンプして飛び込んだ!
水中のような抵抗があった。
体がぐにゃりとねじれて、引き伸ばされる感じがした。
気づくと中に莉子さんがいた。
「やっと見つけた!何やってるのこんなところで!・・・あれ?お姉さん?」
莉子さんに似た女性がいる。莉子さんと喋っている。
二人で『もしゃもしゃ』と喋っている。寝言のようで全然聞き取れない。
思いと思いで話してる?
『お姉さん』の胸ポケットから時々『キリキリ』と小さいけど嫌な音がしている。
それに対して莉子さんが返事を?
莉子さん?何かもらっている。
女性が、洗面台に乗って?どうする、え?向こうに?
「えっ?ええええええ?キャー!!」
声を聞いてか、ドアから真理凛と心美さんとレイラが飛び込んできた。
誰もいない鏡にゆっくりと私たちの姿が、色が濃くなってくるように現れた。
しばらく誰も何も言わなかった。
莉子さんも驚いた顔のまま立っていた。
莉子さんがこっちも見ずに言った。
「涼子・・・」
「会えた!よかった」
思わず莉子さんに抱きついた。
莉子さんが言う。
「涼子のおかげで助かったよ。もらった本の知識も役に立った。あの神様も来てくれたよ。何とかこっちに踏みとどまれた。ありがとうね。」
嬉しい。泣いちゃう。
膝をついた。莉子さんを抱きしめてお腹に口を押し付けて泣いた。
泣いて止められない。しばらく泣いた。
莉子さんは頭を撫でてくれた。
レイラが「いいなあ」と言った。
ちょっと気持ちが冷めて、泣くのがおさまってきた。
逆に助かる。
6
涼子たちと学校に戻ったら、聖ニコの女子たち数十人に囲まれてすごく抗議された。
私が行方をくらませたせいで、涼子が屋上に上がって、それを見たレイラが試合を投げ出して中止になったという。そんなこと知らん。
レイラが「続きやろー」とみんなを連れて行ってくれたので、助かった。聖ニコのみんなも機嫌がなおった。
心美は、ダンスの方は済ませてから、また捜索に加わったという。ダンス部にまで抗議されなくて良かった。
猪瀬は事の顛末を見届けてから、笑顔で「これからまた白雪姫。」と走って行った。
結構な迷惑をかけてしまった。
涼子はアヤと横須賀に帰った。心美はダンスのみんなと文化祭を回るそうだ。
一人で家に帰ると、ミユキが泣きながら説教してくる。
「どうして莉子ちゃんはヤケになるの!みんなと相談して!私なんにも出来ないけど、ついて行く!言ってくれたら何でもするから!ひとりにしないで!」
怒ってるけど可愛いことを言う。
私も泣いてしまった。
みんなに相当心配をかけた。本気で反省した。
夕方、心美が帰ってきた。
リビングで話す。
「莉子は本当に昔のジローのこと覚えてないの?」
「いつも言ってんじゃん。小学校の時の事はあやふやで全然覚えてないんだってば」
「卒アルないの?」
「父さんが持ってっちゃったよ。私が見てトラウマのせいで倒れたら困るって」
「過保護。私のがある。莉子だけ五年生の写真のやつ」
「そうなんだ。一応私も卒業扱いなのね。」
「いまさら?」
心美は自分の部屋から青色カバーに金字で『轍』と書いた小学校の卒アルを持ってきた。
「私が六年生の時の写真はないはずよ。五年生の二学期から不登校だったし。」
ミユキ「心美ちゃんは莉子ちゃんに何があったか知らないの?」
心美「別のクラスだったし。五年生の時は、莉子が美人の先生に夢中だったから私寂しかった。」
心美の話す中のある単語に「はうっ」となった。
「・・・美人の先生?」
「親友だったのに、ほったらかしなんだもん。「聞いて!」って言っても、いつも「忙しいの!」って走ってっちゃうし。そのうち学校に来なくなっちゃって、その先生も辞めちゃったし、そのこと聞くと私の担任の先生も微妙で話そらすしで、何があったかなんて、よく知らないの。」
「ねえ、美人の先生って黒い服の?」
「黒かったかな?美人だとは思ったけどあんま覚えてないの。ちょっとしか見てないの。莉子を取られたから面白くなかったし。一学期だけで居なくなっちゃったし。」
なんかゾワゾワして鳥肌が立つ。
ミユキ「先生の写真は?」
心美「ないよ。わたし色々余計なこと聞いてみたんだけど、私の担任の先生が「クビなんだ」って言ってた。」
心臓がドキドキする。
心美「けっきょく、大人はみんなとぼけてて、わたしは本当のことは知らないの。いろんな無責任な噂は聞いてるけど、噂って興味本位で大袈裟じゃん?倒れるかもしれない莉子にそんなこと聞けないし。」
そうなんだ。私だけじゃなく、心美も心美なりに私の事で傷ついていたのかもしれない。
「ごめん。ありがとう」
心美は目を閉じて「ごめんじゃねーし。ありがとうじゃねーし。」と言った。
ミユキは卒アルを見ながら言う。
ミ「心美ちゃん?何で不機嫌なの?」
こ「・・・」
「不機嫌じゃなくてテレだろ。親友は気遣いは当然だから、謝罪も感謝も要らないのよ。」
心美「言葉にすんな」
心美からクッションがふわりと飛んできた。
ミ「でも卒業アルバムにジローさんっぽい人はいないね。」
こ「じゃあ転校生かもよ。転校しちゃったとかさ。」
「なんか知ってるの?」
心美「知らんよ。莉子とも五年から六年の時は音信不通だったじゃん。家に行ってもお父さんもお母さんも会わせてくれないし。私が中二の時、せっかく一年遅れで入学して来た莉子が半年で引っ越しちゃったからまた寂しい思いしちゃったわ。」
「悪かったね。でも中学では連絡取ってたじゃん。何回も遊んでやったでしょ?」
心美「偉そう。莉子が中学に入学してきて保健室で会った時、絶対ライン聞いとこうと思ったのに「ライン怖い。メールがいい」って言うから「たいして違わん」って言ったけど『あの莉子が?怖い?』ってびっくりしちゃった。」
ミユキ「あっ。この子!この子がジローさんを連れて来たのよ!」
心美「どれ?・・・なあんだ。莉子じゃん。」
「どれ?」
心美「四年生の時の運動会の写真。優勝してんじゃん。」
「覚えてねえって。」
心美「うふふ。あたしも覚えてねえって。」
二つ結びにした私。少し太っていた。いい笑顔。体操服で一位の表彰台に立っている。
ミユキ「涼子ちゃんが『インナーチャイルド』って言ってた。」
「ほ〜お。心理学で言うインナーチャイルドが?霊みたく独立して活動するっての?涼子も不思議ちゃんなこと言うね。」
心美「ぷはは!あんたの方がよっぽど不思議ちゃんよお!巫女さんの霊が憑いたり?子供が憑いたり?今日は異世界の自分にスカウトされた?莉子?やっぱあんたは『歩く怪談』よ!」
「心美それはひどい!もう、ぶつよ!」
心美を捕まえてくすぐる。
「ヒャハハ!やめい!でも、また金貨もらったって?」
「うん。異世界金貨。五百円って書いてあるけど、他の字が読めない。」
ポケットから金貨を一枚、心美に渡した。
心美「ほんとだ。文字化けみたい。すご〜い。」
ミユキ「私も見せて!」
心美は金貨をミユキに渡した。
「ちょっと今度の日曜に父さんの大学に行くわ。これも見せたいしジローのことも聞きたいし。」
心美「あ、ごめん。私行けないわ。」
「デートか」
「う・・・うん。」
「恥ずかしげにしてェ。かわいいじゃん」
「うるさい莉子」
心美は私のお腹を人差し指でぐりぐりした。
ミユキ「私、行ってもいい?」
西武秩父駅に着いた。
ミユキと降りてゆくと、駅前に古いグレーのアルファロメオが停まっていた。
父は白髪混じりのオールバック。金縁メガネだが顔は正人に似ている。身長も体型も正人とほぼ同じ。
カーキグリーンの細かいタータンチェックのジャケットがお気に入り。今日も着ている。
父を見てホッとした。でもそんな気持ちがあることにハッとした。異世界の『私』に追い詰められたせいだ。
父「あの時以来か。優利くんは元気か?」
「うん。今日は心美とデート。」
父「ミユキちゃんも大きくなったね。利勝くんは?」
ミユキ「元気です。」
利勝さんはミユキのパパ。父さんの弟。父さんはずっと「利勝くん」と呼んでいる。父より七歳も下だけど、確かに子供っぽい人だ。
車に乗って大学へ。
父には不登校の時にすごく世話になった。
父は音楽療法とか映画療法とかを知って、「トラウマ治療には別の情報を、それも毒の少ない情報を、脳にたくさん入れることだ」と音楽、映画、マンガの、名作と言われるものをたくさん選んでくれた。おかげで事件のことは記憶の底に消えて忘れてしまった。感謝している。
この前それをキラに言ったら「はあ?」だった。あいつは相当そっちに詳しいらしい。最近は父の映画療法のことを思い出すと、セットでキラのことを思い出す。嫌な悔しい記憶。
最近は毒のある映画も見るしきつい内容の本も読む。でも思い出せないことに不安になることもある。
大学の父の研究室に入った。家の書斎と変わらず大量の本が本棚に並んでいる。
テーブルを囲んで話す。
父がポットの温かいコーヒーを淹れてくれた。飲むと学校のコーヒーより香りがあった。
ミユキにはパックのコーヒー牛乳をカップに注いでくれた。
そして冷蔵庫から、ホールから八つ切りされたチョコレートレアチーズケーキを出して、私たちの前に置いた。
ミユキ「わあ!すごーい!」
父も椅子に座って、コーヒーをブラックのまま、ちびりと少し飲んで、口の中を苦くしてからケーキにフォークを入れて少し口に運び、口の中でゆっくり溶かすようにして食べた。
ミユキ「ウフフ。やっぱり莉子ちゃんと同じ食べ方。
父「頭を使うから糖分が必要なんだけど、元々は甘いものは苦手でね。コーヒーと一緒ならば食べられるようになった。でも最近は甘いものなしにコーヒーは飲めなくなってしまったよ。」
「私とは逆なのよ。私は甘いものが先。コーヒーは後。」
私は『金貨らしきもの』を父に見せた。
父「また変なものもらってきて・・・」
異世界の『私』がくれたやつ。五百円と書いてあるのは分かるが他の文字は読めない。
父は小さいルーペで裏表をよ〜く見てから言う。
父「物質組成を解析してもらおうか。」
父と私とミユキとで理工学部の研究室に行き、父が無理を言って金属解析機を使わせてもらった。
「それ」をヤスリで削って機器に入れて金属構成を調べると、硬貨は純金だった。
歴史学部の父の部屋に戻って、父に今までの経緯を話した。
ミユキはまたコーヒー牛乳を飲んでいる。
父「パラレル世界ねえ。いや、疑ってはいないよ。そういうことは聞いたことがある。でも、これって一枚三十グラムで四枚。こっちでは今のレートが大体グラム二万円だから、売れれば二百四十万円だね。」
「え、スゲ」
父「金がグラム五百円の世界か・・・」
ああ、そういうことね。こうやって儲けるということだ。
異世界の『私』が「成功には元手がいるのよ」と言ったのを思い出した。
父は意外なことを言った。
「知り合いが秘密結社に詳しくてね。世界的に有名な団体がこういうものを、裏で買い取ってくれるのではないか、という説をとっている学者だ。いや、学説ではなかった。彼が言っているだけだ。」
「父さんはオカルトにも詳しいの?ナチスのUFOの話も知ってたし。」
「仕事上、歴史の噂話の真相を調べないといけないことも多くてね。その『秘密結社がオーパーツを買い取る話』もあくまで推測と噂でしかない。それはオーパーツを世間から隠す、隠蔽するのが主な目的だというが、その団体は、こういうものの研究機関も持っているらしいから儲かるのかもしれないね。まあ、真相は分からない。でもその硬貨もレート以上で買い取ってくれるかもよ?」
「ええ?そこに売ったら私が研究されちゃうんじゃないの?」
「あっはっは!そうだね。異世界のその人は向こうでは第一人者だったね。その結社が目をつけてもおかしくない。」
「父さんが売ってきてよ。私はレート通りでいいから。差額はあげる。」
手を伸ばして金貨四枚を父の前のテーブルに置いた。
「ほほ。いつから商売人になった?商学部にでもいくのか?」
父は全然動揺しない。そこが好きだ。
父のオカルト好きは知ってはいた。論文にもそんな記述が散見された。
でも今日は聞いてみよう。
「父さんは神を信じる?」
「ん?信じるよ。何で?」
「え、即答だ。意外。」
「何が意外?利勝くんだって宗教やってる恵子さんと長いこと付き合って結婚したし、母さんだって神社仏閣は好きだったし、何の違和感もないけどな。」
「聞きたいのは『信仰』の考え方。」
「そっか。前に涼子さんとかがグイグイ来るって言ってたな。」
「そうよ。」
ミユキ「お父さんとそんな話もしてるの?」
「良き相談相手。」
私の言葉を聞いた父はニヤッとした。
父は言う。
「まあ、ミユキちゃんが居るから言うんじゃないが、信仰を持つのは良いことだ。基本的に神を信じれば謙虚になれる。ミユキちゃんや涼子ちゃんを信頼できるのなら、そこは信頼できる団体だと思うよ。」
「うん・・・」
ミユキが不服そうに聞いた。
「ママも信者ですけど?孝司伯父さんはうちの教団信じてないの?」
父「いやごめんごめん。莉子自身が判断するために客観的な言い方をしようとしただけだよ。」
言いながら父はスマホを出して金貨の表裏両面の写真を撮り、ロッカーから工具箱を出してハンマーを取り出した。
「ええ?何?どうしたの?」
「金貨の表面を潰して『金地金』として、どこか普通のところで買い取ってもらうよ。莉子に危険が及ばないようにね。お金はまた振り込んでおく。」
「そう。ありがとう。」
父は金貨を床に置いてハンマーでガンガン打って表面の模様を潰した。
父は無欲だ。「半分よこせ」とか「全部よこせ」とか言われても私は構わないけど。
ばあちゃんの時の百万円とちょっとはいまだに手をつけていない。今度のお金もたぶんそうなる。
父は表面の模様がなくなった金貨をポケットにしまった。
父は一仕事終えて座ってコーヒーをちびりと飲んだ。
ミユキ「そのケッシャって日本にもあるの?呪物を買い取るとか?」
父「呪物?」
「ミユキい、」
ミユキ「だって私、農電大の研究室のトンネルに引き込まれて呪物の地獄にいたんだよ?莉子ちゃんが戦国の怨霊さんに言ってくれなかったら水蓮さんも分かんなくって帰ってこれなかったんだから。」
「ミユキちょっと待って」
父の顔色を伺う。
「ふふ。それは霊的に引き込まれたんだね?」
ミユキ「うん。」
父は少し口を歪めて嫌そうに言った。
「う〜ん・・・知らない」
これは知ってる感じの知らないだね?
父「危ないことはあんまりしてくれるな。」
危ないんだね?
ミユキ「莉子ちゃんのところにジローさんが来たよ。」
「ちょっとミユキちょっと待って」
父さんの顔色を伺う。
「ふう・・来たか。」
ミユキ「うん。好きなんだって。」
「待ってって!ミユキ!」
父「チッ・・しょうがねえな。」
どういう意味の「しょうがねえな」だろう。呆れただけか、何か行動を起こすという意味なのか・・・
父の言葉を待った。
「莉子、倒れなかったかい?」
「うん。」
ジローに対処不能で落ち込んだことは、父には言わない。
父は腕を組んだ。
「あいつとは会うな。これは父としての意見。色々様々な学生を見ている教授としては別意見だが。」
「それじゃ分かんないよ」
「莉子のトラウマに関係あるからあまり話したくない。」
「え、あそう。」
こう言ったら父はもう語ってくれない。それは何度も経験している。
本当は聞きたいし、聞かないと私は何も変わらない。でも、聞くのが怖いから今日も流される。
父の研究室を出て帰る。
また父は車で駅まで送ってくれた。
車中でバッグの中のスマホを確認したら母からの着信が十件。リダイヤルした。
母・莉沙子は、日曜は所沢のカルチャースクールにまで行って写真や手芸を習っているので、帰りは夕方になるのだそうだ。今回私が突然来たので予定がキャンセルできなかった、と私に会えない母が怒っていた。連絡は三日前にしたのに。ミユキが「ママはどれだけ莉子ちゃんが好きなの?」と言ったら黙ってしまった。今度ゆっくり話そうと言って電話を切った。
駅に着いて父と別れ停まっている電車に乗る。
しばらく待つ。この駅が始発。
ミユキ「あの大学って、ジローさんが通ってるんだよね?」
「父さんは『会うな』って言ってたね。」
そう言われると会いたい。だから父は『教授としては別意見だが』なんて言ったのだろう。
ミユキ「ねえ、莉子ちゃんはさあ、小学校の時のことは全然おぼえてないの?覚えてることはないの?」
「う〜ん、もやっとしてるんだよねえ。」
「パパやママに可愛がってもらったことは?」
「中学の時はすごく良くしてもらったよ。」
「その前は?」
「う〜ん、えへへ。もやっとしてるんだよねえ。」
「・・・」
見るとミユキは泣いていた。
「ええ?ばかミユキ、泣くな。小さい時の記憶はあるよ。カワイイカワイイしてもらったよ。」
「莉子ちゃん・・かわいそう」
「ばかやろ。私はかわいそうじゃない。」
ミユキはしくしく泣いている。
電車のドアが閉まり、動き出した。
ミユキが顔を上げた。
ミ「はっ?ええっ?」
ミユキが窓を見た。
窓がバンバン叩かれた。
ジローだ!居たんだ。来たんだ。
「りっちゃん!愛してるよ!」
「えええ!」
イケメンが必死な顔して・・・
すぐジローは見えなくなった。
窓に張り付いてプラットホームを見た。
ジローは両手を膝に息を切らしてうつむいていた。
ミユキが急いで携帯を出して凄まじい速さでフリック入力して沈黙した。
ミ「莉子ちゃんと付き合いたいんですか?って送った。既読ついた!」
「ええ!ミユキやめてえええ!」
思わずミユキの肩の服を掴んでゆすった。
ミ「電車の中は静かに」
「くうう」
手を放し座って両膝を掴んで縮こまって耐える。動揺とか屈辱とかに耐える。
「返信キタ!『うん』」だって!フウウ!」
「フーじゃねえ!猪瀬みたいなこと言うな!」
「もう付き合っちゃいな。」
「うるさいっ」
こいつ子供のくせに年上をからかいやがって・・・
ミユキ「ねえねえ返事は?返事は?」
「あっ」
返事しなきゃいけないのか?ええええええ?
顔が赤くなる。嘘だ嫌だ恥だ。
心臓がキュウッと絞まる。
「いてててて心臓痛い。」
「ええ?大丈夫?倒れちゃう?」
「いや、たぶん違うやつ。・・・返事はちょっと待ってって送っといて。」
「はあ〜い」
ミユキは「はあ〜い」の間に、すごい驚異的な速さで文章をスピード入力して、言い終わると同時に送信した。
すっげ。ふだん友達と相当やりとりしてるんだな。
ミユキは言う。
「でも莉子ちゃんのパパは何でダメだって言うの?なんで思い出しちゃダメなのかなあ。昔のことでしょ?」
「嫌なことを思い出した時に、その時と同じ行動をとっちゃったりするから危ないだって。それに、過去があまりにも嫌だったらやる気なくなっちゃうでしょ?」
「それは怖いね。」
「でも他のいいことも思い出せないのは勿体ないかな。」
「そうよ。それに人生は修行なんだもの。悪いことにも教訓があるはずよ。その教訓はその人だけの宝物になるの。だから過去を振り返ることは必要だわ。」
んっ・・・ミユキ説教モードに入ったな。池袋まで一時間二十分。これはキツイことになるかも。
ミ「それに莉子ちゃんは巫女さんの守護霊がついているからそれは前世なのよ。よく気を失うのは巫女さんの霊媒能力で霊が入りやすいからよ。」
「そうなのかなあ。」
「反省してみよっか。」
「お?ええ?」
「過去を反省して申し訳なかったって思ってるだけで悪霊は嫌がるのよ。しっかり反省して心を明るく正しくすれば悪霊はかかって来なくなる。良い霊が来るようになるよ。」
「でも、思い出せないのに反省できないでしょ?」
「覚えている部分が全部ちゃんと反省できたら思い出すかも。」
「それにさ、私、反省させられるほど悪いことしてないと思うんだけど。」
「反省は自分を裁いたり責めたり罰することじゃないの。過去を振り返って、執着を去ること。心に刺さった棘を抜くこと。神仏にお詫びして新生を誓うこと。反省は神仏の子供としての正しい心を取り戻すことなの。私の守護霊さんの水蓮さんは『心の掃除』って言ってるよ。」
「ああ、尼さんの?」
「そう。悪い記憶は心に沈ませたままだと後悔とか怒りとか恐怖心が湧いてきて手に負えなくなるけど、本当に反省できるとその記憶も自分のものになって、思い出しても気にならないようになるの。」
「ミユキお前そんなに苦労したことないだろ?生意気言うんじゃねえ。」
「だって水蓮さんがそう言ったんだもん。」
「厄介なやつだなあ。」
「ちょっとだけやってみよう。仏教の『四諦』って知ってる?」
「普通の小学生も高校生もそんなの知らないぞ。『苦・集・滅・道』だろ?あたしは教養が深いから知ってるけどな。苦は四苦八苦、集は原因を探すこと、滅は苦しみを無くそうと思うこと。で、それには道。八正道に入れ、ってことだね。」
「詳しい!感心しちゃうわ!」
「うるさい。上から言うんじゃない。」
「他の宗教でも仏教と言っているところの人は知ってるはずよ。『釈尊の四諦・八正道』の教えよ。」
「え?やるの?」
「八正道の一番目は『正見』正しい見方。先入観のない正しい見方で過去を見てみましょう。ありのままに、仏様がいて莉子ちゃんの人生を見たとして、どう見えるか見てみましょう。」
「うお。やるの?池袋まで一時間二十分?」
「八正道だから十分ずつやろうか。」
「慣れてんな。いつもやってるの?」
「うん。子供向け研修でならったもん。」
「猪瀬が研修に行くと見えるようになって帰ってくるってアレか。」
「うん。」
「うひょええ、何が悲しくて小学生に人生を反省させられなきゃならないんだ。」
ミユキ「反省はさせられるものじゃないわ。自分の意思でするの。反省すると憑依霊がとれるだけじゃなくて、悟りが深まるのよ。」
「悟りと来たか。」
「釈尊は反省的瞑想をして仏陀の悟りを得たのよ。」
「へえ。それは初耳。」
「やろうよ。時間がもったいないよ。」
「うわ。天国から地獄。」
「えっ?天国だったんだ。」
「うるさい。」
そんなこんなで自分を振り返って見る。考え事は得意だ。
仏様の見方というのはよく分からないが、過去を客観的に再検証してみる。
涼子や正人が言った『埼玉最強の四年生』を名乗る自分。
心美が言うように『調子に乗っていた』かも。
でも、子供って調子に乗るよね。
ミユキがよく言う「欲が深いか」と言ったら、まあそうだったかも知れない。
承認欲求。でも、だいたいの子供ってのは欲深いものだ。不可抗力でもある。
怒りっぽいか。でも正人や涼子が助けてもらったそうだから、自分がいじめっ子だったとは考えにくい。
でも『正義の味方気取り』だったのは想像に難くない。
勉強はできた感じはしない。でも中学では数学ができた。あれは積み重ねなので小学校でも出来たかも。
今も口は悪い。正人も違和感を持っていないから、小学校でも口が悪かったのだろう。たぶん、ばあちゃんと母さんの影響だろう。
心美の卒業アルバムにいた小四の自分は運動会で優勝していた。体力もあったのだろう。
でもあの笑顔は屈託なく、いい笑顔だった。あの笑顔を思い出すとなんか悲しくなる。今あんなには笑えない。
父さんの言い方は『五年生の二学期にあることがあって不登校になっていた』であって、いじめられたとかそういう話ではない。いじめというのは多くは一ヶ月以上の長期間にわたる話なので、そこに違和感はない。
あとは髪の長い女に上から睨まれると過呼吸になることぐらいか。ここは怖いので今は考えない。
目を閉じているので寝てしまうかもと思っていたが、父さんのコーヒーが効いて眠れなかった。
ミユキ「心が平和になりましたか?心が自由になりましたか?」
「どうだろう。大した違いはないな。でも多少落ち着いたかな。」
ミユキ「う〜ん。手ごたえないかあ。ここじゃだめかなあ。指導霊が来ないか。」
「でも記憶が整頓される感じはあるよ。繰り返せば心がキレイになるっていうのは分かる気がする。」
ミユキ「慣れると忘れていたことも思い出すって。」
「それ、涼子に聞いた気がする。」
ミユキ「でも、本式の反省が出来るには『三宝帰依』って、仏陀に信仰を誓って弟子になる必要があるから、莉子ちゃんももう信者になっちゃいなよ。」
「う〜ん、ってええ?ミユキお前うまいな。」
「え、何が?」
勧誘じゃなくて本気で言ったのか。いや本気の勧誘か?
でも涼子もそうだが、自分の手柄のためにやっていない感なのは好感が持てる。
ミユキ「反省の前に信仰が必要なのよ。」
「ほ〜お。」
でもまあ、本当にそういうことなのかもしれない。
以下9へ
次回は修学旅行。
少し戦争に触れますので。




