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妖しいスピリッチャー眼鏡 その3  作者: 山田ヤマダ


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妖しいスピリッチャー眼鏡 7

今回シリアスで重いです。物語全体の前半の山場になると思います。

レイラを呪うキラと対決。


登場人物

岩見沢莉子

高三。今年で十九歳。身長百五十八センチ。体重は三十キロ台。髪はショート。小五後半から中ーで不登校の時期があって、中学に入るのが一年遅れた。読書量が自慢だが実は父の書斎の本とラノベぐらいしか読んでいない。父は秩父の大学の教授で、書斎に置いていった本が四千冊。買ってもらった DVDもたくさんある。守護霊は江戸時代の巫女。その前の守護霊もいるらしい。学校は農電政経大附属高校。性格はオタクでコミュ障。たまにブチ切れる。

斉田心美

高三。今年で十九歳。身長百四十五センチ。髪はショートボブ。『霊が見える眼鏡』の持ち主。高一でアイドルデビューしていたが、事務所と揉めて引退。出席日数が足りず一年生を二回やった。今はネットアイドルをやっている。フォロアーは多くない。基本怖いものがない。農電大附属高の元祖オカルト研究会の会長を名乗る。お姉さんの霊がしばしば憑いてくる。莉子とは小学校からの親友。

神宮寺ニキータ涼子

高三。十七歳。遅生まれ。身長百六十四センチ。ワンレンロング。昔は金髪だったが祖母に海藻を大量摂取させられて黒髪になった。霊能者。中一の時にニキータの名前でお祓いをしまくっていた。半年で引退。今は天使が呼べる。守護霊は天使風だったり観音様風だったりする。莉子の命の危機を予知して押しかけて来ている。高校は新宗教系の女子校。

猪瀬真理凛

高三。十八歳。乙女座。金髪ポニーテール。身長は百五十七センチ。霊の声や生者の心の声が聞こえる。調子が良い時は霊視ができる。色々部活を掛け持ちしている。チューバー。フォロアーはそこそこ多い三十万。涼子と同じ宗教をやっている。成績は学年トップ。一言でも話した相手は友達。

松井礼良

高三。くせ毛セミロング。身長百九十三センチ。女性。スポーツ万能。涼子のストーカー。実は空手二段。見た目の割に幼い。涼子に将来自殺すると予言された。それは回避された模様。原因はキラの呪いらしい。

宝田めぐみ

高一。身長百六十八センチ。ライト・オカルト研究会の部長。怖がりだが気は強い。

根岸竜二

高一。莉子の弟・正人の親友。空手初段。剣道初段。身長百八十三センチ。マッチョマン。

阿久津キラ

レイラの後輩。レイラに呪物の呪いをかけている。涼子が「やめさせる」と立ち上がった。

  

 1

 私は阿久津明星。キラと名乗っている。

 十六歳。高校二年。高校は名門セント・ニコラウス女子学院。まだ今は通えている。

 『明星』は、本当は『みほ』なのだが、学校で名前を漢字で書き始めた頃から、漢字を見てそう呼んでくれる人がいないので『みほ』と名乗るのをやめた。『キラ』の方が『ああ〜』と納得される。

 背は百六十センチ。髪は昔はショートにしていたが、最近はボブ。大体は短く縛っている。毎朝前髪を作るのが面倒なので真ん中わけになっている。後れ毛がプラプラ目にかかるが気にするほどでもない。

 幼い頃から霊が見えた。霊だけでなく妖怪の類も見えていた。

 でも私の場合、地獄から這い出してきたような悪口しか言わない霊ばかりが視える。

 自分中心で他人が嫌いな恨みがましい霊たち。人間への憎しみすら持っている。

 気を抜くと連中が憑依してきて勝手に何かを口走り恥をかかされる。

 霊と歩きながら話していたら、赤信号を渡ろうとしていて、隣のおばさんに引き戻されたことがある。

 殺されかけた事は何度もある。人の不幸が好きな嫌な連中ばかりだ。

 でも別に怖いということもなかった。

 母は「怖くないのは明星が前世でも前前世でも霊能者をやっていたからだ」と言った。

 母も霊能者で、よく私に憑いた霊を取ってくれた。

 母が取れない重い霊は、それ系の神社や寺に連れて行かれてお祓いを受けた。

 母は「憑依する霊と、される人は同じ考え方なんだよ。」と言う。

 それでは私が「自分中心でうらみがましくて悪口ばかり言っている人間」になってしまう。母が嫌いだった。

 父は私たちのそういう霊能力を心底嫌っていた。

 父には武者の霊がついていて、酒を飲んではよく私たちを殴った。酒を飲まなくても怒りっぽい性格で、私も母も何度殴られたか分からない。

 表向きは幸せそうな家庭。でもそれを演じる毎日に私は不幸を満喫させられていた。

 父は中規模な建設会社の社長だった。

 三十歳で設計事務所を開業して以来、かなり無理をして会社を大きくしてきた。

 母は昔は『大学一の美人』と言われた人で、見栄っ張りな性格で、かなり要求が厳しかった。

 それは霊的予知能力のようなものであり、父が母の要求に応えるには、毎回、崖を飛ぶような勇気を奮うことが必要で、それを達成するうちに自然と武者の霊がついたらしい。でも、そのおかげで会社が大きくなった。

 かくいう私も霊が見えるだけでなく人の思っていることや、過去・現在・未来が見えてしまうので両親の過去が分かるのだった。

 

 昔は姉がいた。五歳上だった。

 私の最初の記憶は、姉が嫌な目をして私の手や頬をつねっている痛みの記憶だった。

 歩けるようになってからも、姉は私の頭を上から握りこぶしで殴り、時には突き倒した。

 姉は心の中で『お前なんか生まれてこなければよかったのに』と思っているのが分かっていた。私に『父母を取られた』と怒っている。これは私にはどうしようもない事だった。

 それは何年も続いた。私が小学校に入ってからは理由を見つけては上から殴ってくるようになった。

 それは『親の代わりに「しつけ」をしている』という『主張』だった。

 その頃、よくお腹をこわした。『おなかが弱い』ぐらいに思っていたが、ある時、姉が私の味噌汁に何かを入れているのを見た。たぶん下剤か、それ以外の何かか。

 姉はおかしい。そんなに私が憎いのか!

 私は選択しなければならなかった。耐えるか、無抵抗で抗議してイエスのように死ぬのか。それとも戦うか。

 姉を煙たく思っていた。しかし身長が一・三倍ある姉に暴力で対抗することはできない。

 姉を裁いて遠ざけて欲しい。

 私はわざと姉に殴られて泣くことで父母に姉を裁くよう促した。

 でも母は霊能者なので私に騙されることはなく、私のことを「歳の割に悪知恵が働く狡猾な子」と思われてしまった。母は姉妹関係に取り合ってくれなくなった。またそれは姉の願う展開でもあった。私の言うことはもう通じない。

 ある時、「また、みほがズルをした」と言って姉が私を叩いた。私が泣く。「うるさい!」とまた叩かれる。

 酔った父が「お前がうるさいんだよ!」と姉の頬をピシャン!と張った。

 ちょうど、玄関先だったので、姉は段の上から倒れてコンクリートの床に頭をぶつけた。

 姉はあっけなく死んでしまった。

 家族で口裏を合わせて『事故』だった事にした。

 それは家族にとっての『禁句』となった。それが私の心をさらに重いものにした。

 しかし私は姉の死に、何の悲しみも感じなかった。むしろ邪魔者が消えて歓喜の思いすらあった。

 『実際、事故のようなものだ』とずるく思う事にした。

 でも、姉の霊は毎夜現れては私の首を絞めた。『お前も死ね!お前のせいだ!』と言っている。

 母はそれが視えているはずだった。

 でも、ショックで落ち込んでいて、何もしてくれない。母にとっては、姉も『可愛い我が子』なのだ。

 私は毎晩、姉の霊を罵って耐えた。


 私は霊が見える。

 幼稚園の時はよかった。私が霊のことを言っても園児たちは素直に感動して聞いてくれた。

 公立小学校に入って、児童たちに同じように喋っていると、馬鹿にされ無視されるようになった。

 変な奴。危ない奴。色々言われ毛嫌いされた。

 人は自分の心の中を知られたくないものだとは知らなかった。みんなも心の中が読めるものと思っていた。

 その頃、姉が死んだ。

 小学校では高学年になり、熾烈ないじめが始まり、毎日遊び道具にされていた。

 眉毛を無理やり剃られた時には血まみれになったし、殴られた事は多かった。棒で叩かれた時は小指の骨が折られていまだに少し曲がっている。

 私をいじめるグループの子供一人一人に黒い霊がついていて『次は何をしろ』とか嫌なことを言いながら影響するのを見ていた。姉の霊も近くにいて『ざまあみろ』と言っている。

 何度泣いたか分からないが、彼らや霊たちを喜ばすのが嫌で泣くのをやめた。

 無感動で無関心な性格はここで出来上がった。

 しかし、私の生きる原動力は、この当時から『怒り』だった。それは今も変わらない。

 母は霊能者だ。私の状況を知っているはずだった。

 でも「それはお姉ちゃんじゃない。私は毎日冥福を祈っている」と言っていた。

 姉の死で現実逃避になっているのだと思った。

 その頃、父も母も家を空けるようになった。二人別々の時間に別々の所に出かける。二人とも異性の生き霊がついてくることもあったので浮気だという推測はついた。

 

 その日、夢を見た。姉の夢だった。

 姉が白い服で立っていた。

 『みほちゃんごめんね。そんなつもりじゃなかったの。私の嫉妬心のせいです。』

 「わたしもごめんね。冷たくしてごめんね。」

 なぜか私も謝った。夢だったせいか。

 姉は言った。

 「ありがとう。許してくれたから、上に行けます。」

 姉が天にスーッと登ってゆくのを見た。

 単なる夢だと思った。

 

 クラスメイトからの暴行は二ヶ月続いていた。

 その日の放課後、校庭の隅でそのグループの男子三人が私を犯した。防犯カメラに映らない場所。

 女子たち二人が携帯片手にそれを撮影していた。

 性行為の最中、声を出させまいとして相手が私の口を押さえるので窒息死しそうになった。

 前に、保健体育の授業で先生が「未発達のうちに性行為すると破ける」と言ったのを思い出し、本当に死ぬかと思った。

 姉の霊がせせら笑っているのを見た。やっぱりだ。あれは単なる夢だ。姉は成仏なんかしていない。

 その霊をじっと見ていた。すると顔が真っ黒になって口から牙が生えた。顔は変形し、狼のようにも猿のようにも視えた。誰?

 『フ。やっと見破ったのか。我々はお前の家系を憎む怨霊。お前の七代前の先祖が武士どもをよこして、我が村を滅ぼした。男どもは皆殺し、女は犯され、子供は切り刻まれ、最後は皆ゴミのように焼かれた。お前たちを絶対に不幸にしてやる!お前の姉は前世が巫女だったから嫉妬心を利用して取り憑いて狂わせてやった。もっと暴れるつもりだったが殺されてしまったな。』

 獣のような霊を中心に昔の農民のような質素な服装の人たちの霊たちが見えた。

 『我は村人二百人の呪いが作った怨霊。お前たちを惨たらしく殺すまで付きまとうのだ。』

 そうだったんだ。母は知っていたんだ。

 かわいそうなお姉ちゃん。

 姉の霊もこれを知っていた。だから夢で私に本当の気持ちを伝えたんだ。

 姉にも嫉妬があった。

 私にだって嫉妬があった。あそこまで私をいじめても許される姉。

 姉を恨んでいた。

 生前は心の中では「死ね」と呪っていた。

 死後も毎晩現れる姉の姿の怨霊に「不幸になれ!地獄に堕ちろ!」と呪っていた。

 違っていたんだ。ごめんね。お姉ちゃん。

 呪いは成就し、それを放出した私の元に戻ってきた。呪いの代償。それが毎日の暴行。

 姉の霊も毎日苦しかったのだろう。

 天に登った霊。あれは姉だったと思いたい。証拠はない。信じるしかない。

 その時、久々に泣いた。暴行が苦しいのよりも姉への罪悪感に泣いた。

 今も姉との関係をどうしたら良かったのかを考えている。


 暴行していたあいつらは倒れている私をそのままにして去った。

 霊が耳元で叫んでいる。

 『死ね!お前の恥ずかしい姿が晒されるぞ!死ね!死ね!』

 ずっと死ねばかり言っている。この霊たち、死ねしか言わない。

 自殺者は『死ね』ばかり聞こえてきて錯乱して自殺に至ると母に聞いたことがある。

 頭に来る。

 七代前の先祖なんか知るか。

 こんなバカどもの思い通りになんか絶対にしてやるもんか。

 霊の言葉を無視する事にした。

 家に帰ろう。

 起き上がって破れた服を着てランドセルを拾った。霊たちの『死ね』の声を聞きながら。

 その時、いつもは校庭の隅にいる黒くてベトベトした霊が話しかけてきた。

 『助けてあげるよ。』

 「だれ?」

 それは『学校創立時からいる妖怪だ』と自己紹介した。それが事実かは知らない。

 「妖怪なんかにそんな事できるの?」

 『馬鹿にするな。妖怪というのは霊力だけが取り柄さ』

 「じゃあ、助けてよ。」

 他の霊たちはいなくなった。

 ネバっとした霊が『すごいだろ?あの「猿オオカミ」は俺の念力でぶっ飛んだ。他の村人風の霊たちは追い払って、しつこいのは封印した。』と言った。それが本当かは知らない。

 『交換条件だ。授業中に担任に『音楽教師は井戸の中』と言え。そうすればあいつらからも助けてやる。』

 

 どうやって家に帰ったかも、母がどんな顔で出迎えたかも覚えていない。

 ただ「お姉ちゃんは悪くなかったのよ」と言ったのだけ覚えている。それを聞いて気持ちが急速に冷めたことを覚えている。母はやっぱり姉の方を愛している。

 翌日、何も考えずに学校に行った。その日は、姉のことも暴行のことも考えないと決めた。

 クラスメイトたちが嫌な目と思いをたくさん向けてきた。言葉でも嫌なことを言ってきたが無視した。

 担任の男性教師。確か三十代前半だった。

 私はベトつく霊が言ったように、何度もそのセリフを大声で言った。

 一回で良かった。でもなぜか自分でも止めることができず、何度も何度も泣きながら繰り返し叫んだ。

 担任が青くなって出て行くまで自分でも言葉を止められなかった。

 担任は一週間学校を無断欠勤した。

 その間も暴行は続いたが、無視した。

 あいつらも、酷い目にあっても人ごとのようにしている私を気味悪く思っていて、動画を見せられることと殴られること以上の辛いことはされなかった。怨霊たちがいないので、あいつらもそれほど気乗りしていないのを感じた。

 そして担任は学校に出てきた。

 私に暴行していたグループの児童たちを包丁で次々に刺した。

 怯えるクラスメイトの中、担任は私に言った。

 「喜んでくれましたか?」

 担任はそのまま学校を出てゆき警察に自首した。

 いじめグループのメインの五人は入院した。でも五人とも死ななかった。保健の先生の応急処置が的確で、救急車が早く呼ばれて病院の処置も早かったからだそうだ。

 その後、ネバつく黒い霊は『な?』と言って、以後親しげに付きまとった。

 担任は逮捕、心神喪失ということで今も治療施設に入っているらしい。

 担任は私へのいじめを知っていた。なぜ放っておいたかを刑事に聞かれて「生意気で一学期に自分を馬鹿にしたから」と言っていたという。べつに馬鹿にはしていない。

 でも私は不幸感覚が強いから、その裏返しで自己顕示的に何かを言ったかもしれない。また我慢できずに独り言で誰かや自分を罵ってつぶやいているのを、担任は「自分のことを言っている」と被害妄想的に受け取ったのかもしれない。人が思う事は止められない。

 母が前に『天狗は愛されない』と言ったのを思い出した。それはその時は気づかなかったが、私に言ったのかもしれないと、後で気づいた。腹立たしく思った。

 

 幸い妊娠はしなかった。TVでよく南米やインドで『十歳の母』とかが居るとか言っていたので、私もそうなるかも、としばらく不安な日々を送った。母が霊的直感で大丈夫と言っていたので病院にも行かなかった。

 私をいじめていた五人は退院した。でも事件がトラウマになって、不登校になったり転校したりしたらしい。私も転校したので、その後の消息は知らない。

 私は両親が転校させた。二人の見栄で学費の高い女子学院に入った。

 それでも、この学校のクリームホワイトのセーラー服は好きだ。昔はシスターの服のように真っ黒で襟だけ白い制服だったが「喪服っぽい」と言われたので、上がクリームホワイトになったらしい。スカートは今も黒い。

 ネバつく黒い霊は本当にあの学校の妖怪だったようで、ついては来なかった。

 セント・ニコラウス女子学院。

 ミッション系の小中高一貫校。短大もある。今はそこの高校二年生。

 校内に教会もあるが今まで天使を見た事はない。死霊ならいっぱいいるが。

 小等部五年の三学期から途中転入した。いじめの対象にされそうな雰囲気もあったが。そういう校風ではないらしく、無視されたり意見されたりする事はあったが、それ以上のことはなかった。

 それに私の方も霊能力でクラスメイトの背後にある家庭の問題や、その家の憑依霊とか怪異やらが全部分かっているので、問題を避けることは簡単だと気づいた。

 彼女たち自身の最も嫌がる秘密を言えば、黙ってくれる。裕福な家庭の子が多いので小遣いももらえる。

 教室

 小五にしては大人っぽいハーフアップにした女の子が話しかけてきた。

 「ねえ、あなたのその暗い態度は問題があると思うの。ちゃんとコミュニケーションを取ってくださる?」

 「話しかけてくれればそれなりに話せるよ。」

 「そういうのは自分の方からするものではなくて?」

 面倒になった。

 「ふ〜ん。そういうのは『みいちゃん』と相談してから言ってるの?」

 女子が黙った。目を見開いて、頬もひたいも紅潮して真っ赤になった。

 女子は「ちょっと来て!」と私を廊下の隅に引っ張っていった。

 「どうして知ってるの!」

 「霊能力」

 「・・・え?」

 「かわいいのね。毎晩ぬいぐるみとお話ししてるなんて。でも、考えをまとめるという面では、いい方法かもね。私もやってみよっかな。」

 女子はまた真っ赤になって、泣いた。

 「やめて!言わないで!コレあげるから!」

 彼女は自分のネズミキャラの時計を外して私に差し出した。

 「こんな高そうなカワイイものいらない。取ったと思われるじゃない?」

 彼女はポケットから財布を取り出して二千円の端を握りつぶしながらグッと差し出した。黙って受け取った。

 女子「ね、ねえ?他の子の秘密もわかるの?」

 と、気づけば私はクラスの裏権力者になっていた。

 彼女たちは、困ったやつがいたら私に頼ってくるようになった。

 私はそいつを黙らせ、言うことを聞かせることができる。


 2

 中等部になり、一学期も過ぎ、夏休みになりお盆に入ったころ、事件は起きた。

 父は霊など全く信じていない男だった。工事の時に古い家によくある祠や社を壊すこともよくあったらしい。

 それは祟る。でも母はそういうものへの対処法を知っていたようで、霊たちのために遠くの寺社まで行って供養や祈願を行なって事無きを得ていた。

 父はそれを知らず「祟りなど無い!」と豪語していた。

 その日、社員たちが遠くの山の小さな社まで行って肝試しをするという事を、父は聞いて激怒した。

 「そんなもの燃やしてやる!」と言って、父は出かけて行った。

 母は何か予感したようで近くの神社に行って祈祷を受けると言っていた。

 翌朝、父は帰ってきた。

 背に山の怪異を乗せて。

 詳しい人の話では、明治時代に日本神道の神の名前を各地の神社に割り振ったので、山の上の神社などは、もともと何を祀っていたか分からないらしい。昔の人は災厄をもたらすものも「神」として祀ることで鎮めていたという。

 「それ」は白い木のような、土管のような円筒形のもので出来た人形のような、なんとも言えない「もの」だった。目も鼻も口もない。ところどころ塗装が剥がれたようにベージュ色の生地が見えている。

 『妖かし』『怪異』とでも言うのだろうか。大きさは大人の人間ぐらいある。

 母は「それ」を見ただけで、一瞬にして心を病んだ。ヘラヘラ笑いながら座り込んだ。母は今も治療施設に入っていて、まともな事を話すことはない。

 父はそんな母を力任せに殴り続けた。父のその顔も口も表情も気味悪く歪んでいて今だに忘れられない。狂人の目を見てはいけないというのは真理だ。

 忙しい父。たまに無断で外泊して帰ってこなかった。

 そんな父に母は愛想を尽かし、夜にめかし込んで出かけるようになっていた。母に男の生き霊が憑いて来ていたのを見た。たぶん浮気だ。二人とも言いたいことが溜まっているのを私は知っていた。

 母を殴り続ける父。

 そんな光景を見て、手を叩いてあざ笑っている霊たちがいた。我が家系を呪うという村人姿の怨霊たちだった。あのベトつく霊が居なくなって封印が解かれたのだろう。

 それだけではなく、父に解雇された社員の死霊と生き霊もいた。父に不当解雇処分にされたせいで人生がダメになったと言っている。それが真実かは知らない。それは私たちのせいにしているだけかもしれない。でも彼らは確実に私たちを呪っているのだ。

 私はその時、それでも、母を愛していると気づいた。

 父が趣味で集めていたナイフの一本を取って父の背を刺した。

 今はめったに手に入らない『バタフライ・ダガーナイフ』という両刃のナイフだった。

 何度も何度も父が動かなくなるまで。自分でも不思議なくらいに父への憎しみが込み上げた。

 なぜなら怪異の標的は私だったからだ。その瞬間、怪異は私に憑依したのだった。

 私は、刺されながら一瞬正気になった父の眼を見た。

 娘を見る優しい眼だった。今も思い出すと涙が込み上げる。

 父は死んだ。母は血まみれのまま仰向けでヘラヘラ笑っている。

 私は全てを失った。学校も退学だ。刑務所、いや少年院に入るのだろうか。

 その後、どう生きるのだろう。どう生きろというのか。

 そう思っていたら「それ」が言ってきた。口もないくせに。

 『死体がなければ分からない。』

 怪異は、霊的存在のくせに、口も無いくせに、父の亡骸を、床の血を、スポンジのように、吸い取るように、でも味わうように残さずキレイに食べた。父の服も食べた。私の服は食べず、それについた返り血を舐めとり、ナイフについた血もキレイに舐め尽くした。

 その後、そばで見ていた怨霊の一人を怪異は吸い込んだ。それを見た他の怨霊たちは震え上がって逃げ去った。

 怪異が言う。

 『お前は生きて償え。』

 「いやよ!もう嫌!」

 『お前の父と母が背負った分では足りぬ。』

 神、ではないにしても、コレは知的生命体の霊的存在らしい。


 死体が見つからなかったので、父が母を殴って失踪したということになった。私も何も見ていないことにした。

 私は自宅を出ることになり、九年前に死んだ祖父の弟である『大叔父』が私の身元引受人になった。祖父と同じく大学教授をやっている。学費や生活費は出してくれるが同居は許されず、私は下宿を転々としたが、今は大学の寮に住んでいる。

 前に父が酔って得意げに「俺は生粋の唯物論者だ。親父たちは大学教授として唯物論教育を推進しているくせに、裏では霊とか予知とかのいかがわしいオカルトの研究をして金をもらっていやがる。あんな偽善者たちと一緒にするな」と言っていた。

 大叔父は、宗教歴史学の権威だが、確かに表向きは宗教を批判している。しかし実は『神秘思想の研究組織』に属していて、私の霊能力に興味を持っていた。その組織は教祖がいないので宗教とは言えない。

 大叔父は、私に図形を書いたESPカードを伏せて並べて当てさせる実験をしたり、霊視で見たものを絵に描かせたり、心理学や精神療法、催眠術の勉強をさせたりと、私の霊能開発のメンターになった。今はその組織の会合で巫女役をやらされたりもしている。

 その男は呪物を集めるのが趣味だそうで、自宅や大学の研究室は禍々しいものでいっぱいだった。

 

 父の死から二週間。二学期になってまた学校に通い出した。

 中等部では、若い男の担任だったが、裏の顔は性的なことしか考えていない男だった。

 私のように両親に問題があって弱い立場の生徒を何人も食い物にしている。

 霊的に見ると、あいつには、数百の小さい蛇が大量に憑依していて、ニョロニョロとうごめいていて本人が見えない。でも、女を見るための目だけは実物より大きなものがついていて、私の霊眼では遠目にはナメクジが立って歩いているように見える。

 私の父の事件の前は、前年転校してきた長身の女子を狙っていた様子だったが、事件後、私を見る目が変わった。両親がいなくなった私を狙い始めた。

 そのやり口は、小等部からいる生徒は噂を先輩から聞いてみんな知っていた。相談相手が少ない女子を狙って、あの手この手で肉体関係を求めてくる。持ったが最後、それを隠し撮りされて「顔出し投稿」を言ってさらに脅してくる。あとは奴隷だ。学校側は知らない。

 「あれ」が赴任してきて四年。何人かの生徒が自殺していると聞いた。その霊たちは遠くから「あれ」を睨んでいる。私に初めて話しかけて来た女子も死んでしまった。

 同級生たちには、私もあいつにやられれば良い、と思っているやつが多かった。私が彼女たちの秘密を知っているからだった。

 教師は怖い。教師というものは、実際にやるかは別にして、いじめを誘発する方法を知っている。

 そうやって自分が嫌な生徒を、不登校や転校、自殺に追い込んで去らせるのだ。教師が子供の『頭を撫でた』ぐらいでハブられる事はよくある。過去の事例や児童心理学を学んでいればいじめ誘発は簡単だ。先の公立小学校では、私だけでなく、一学期に教師に生意気な態度をとったため、二学期の席替えで不良グループの隣の席にされて地獄を見たやつを何人も見ている。

 その嫌らしい教師は、まず私を色々と特別扱いしてきた。そして、みんなに私の事を気遣うように強く言い。親代わりをアピールしながら、クラスでの孤立を誘発した。そこで『仲間はずれにするな』とまた強く言い、クラスの反感を煽り、頼れるのは教師だけと思わせる。そして選択を迫る。「このままではいじめになる。もし肉体関係を持つなら、いじめを防ぎ卒業まで面倒を見てやる」と。

 この学院にいじめはない。シスターである校長の外部宣伝のようにキリスト教的な『愛の精神』が行き渡っているなどと言う気はない。授業でタブレットが貸し出されるので、いじめの始まりのようなことの通報がしやすいからだと思う。それに生徒たちも『金持ち喧嘩せず』で、そういう、集団でやる悪いことへのノリが悪い。

 そういう中でその教師は孤軍奮闘。「このままではいじめになるぞ」と脅してくる。姑息に私の私物を隠して騒いだりもした。そんなことは霊能力でみんな分かってしまう。素知らぬふりのクラスメイトたちも内心は面白がって見ている。しかしその教師がいくら頑張ってもいじめは起きない。私は彼女たちの秘密を知っているし、もともと孤立しているのだ。

 あまりにも毎日うるさいので殺意が出てきた。今思えばその殺意は『怪異』の誘導だったと思う。

 何を思ったのか、私はそいつに抱かれてみた。別に全然好きではない。むしろ蔑んで嫌っていた。でも『まともな性行為に興味が出て』やってみてしまった。

 性行為を描写する気はないが、その教師は変態プレイはしないことは分かっていた。性犯罪者のくせにプライドが高く「俺は正しい人間なんだ」と強く思っている矛盾した変人だった。その心の中は『俺は子供達を助けてるんだ。対価をもらうのは当然で、貰わないのは偽善者だ』などと自分に言い訳している。どれほど重いものを生徒に背負わせるかを考えていない。いや、それを指摘してもまた言い訳をして他者が悪いと言うのだろう。

 大体の悪霊は全ての不幸を人にせいにして譲らない。こいつも「生ける悪霊」だ。

 こいつはもちろん避妊は忘れない。生徒を孕ませたらクビだから。逆に姑息で笑ってしまう。

 大体こういう性犯罪者は妙に頭が良く、表の紳士然とした仮面の下に、妖怪じみた裏の顔を隠している。

 でも私には通用しない。

 行為のその後、私は父を刺したナイフで、また動かなくなるまで刺し続けた。

 刺している時は自分が自分でない。体が勝手に動いている。憑依されている。

 その死体はまた怪異の霊が、私から離れてから、うまそうに平らげた。

 場所は教師の自宅。飛び散った血も、そのスマホとパソコンまでも怪異は食べて吐き出した。

 『同じような映像データでいっぱいだった』と怪異が言う。

 怪異が全てを分かってやっていることに、恐れおののいた。

 警察もデータを復元できなかった。

 でも警察は私に疑いを向けた。私の下宿に任意で家宅捜索が行われ、半年間も尾行された。

 でも、証拠がなく、彼らは来なくなった。

 押収されたナイフも、怪異が舐め尽くしたので血液反応が出なかったらしい。

 でも、その半年間の尾行の恐怖はますます私の心を凍り付かせた。

 その教師がいなくなって、同級生たちも困惑したが、私が『何かした』ということは確実なので、私を恐れた。警察に言った奴もいることを知っている。

 しかし、面識のなかった何人かが話しかけてきたり、無言で私の手を握って涙したりした。彼女たちが何をされていたかも分かってしまう。

 この時以来、女子生徒の霊が遠巻きについてくる。自殺した生徒の中の一人。制服が違うので他校の生徒だろう。あの教師に付きまとっていた霊だろうと思う。調べる気もない。この霊は、私の思いを受けて、勝手に行動している。私の『使い魔』のようなものだ。恩返しのつもりなのだろう。

 今もたまに殺人課の刑事が来るが、まだ捕まっていない。たとえ自首しても『死体は怪異が食べた』では、母と同じ精神科施設に隔離されてしまうだろう。

 殺した父の霊は私の前に出てこないが、教師の霊はしばらく居た。怨霊たちと同じく『お前を不幸にしてやる』とつぶやいていたが、ある時、地面に霊的な穴が開いてどこまでも落下していった。最近、ある霊に聞いたところ『動物地獄に堕ちて出てこれない』との事だった。

 でも、他にも様々な霊が私について来ていた。家系の怨霊だけではない。霊的に私が目立つのか、見たこともない霊たちがたくさんいた。しかし怪異が怖くて憑依するほど近くにはこない。怪異は死体も霊体も物体も食べる。『生きた人は『まだ』食べられない』と言っていた。徐々に大きくなっているのが気色悪かった。

 実際困っていた。怪異は人を殺させようとする。『実体化するためには滋養が必要』とか言っていて罪悪感はない。その上、他の遠巻きに付きまとう霊たちは、罠を仕掛けてきて、常に狙っていた。彼らを霊視できなければとっくに事故で死んでいただろう。

 私は荒れて街に繰り出していた。薬物にも手を出した。

 警察に補導された時に、大叔父は人前で私を大声で叱った。

 でも後で『薬物には憑依を促進させるものがある。もっと上手くやれ。良い薬なら手に入るから教えてやる』と、悪人の本性をさらけ出した。

 この男は組織的に霊的な何かで金儲けをしている。人に言えない何かで、と思った。

 その後、その職場である大学に行って見つけたのが『悪魔の土偶』だった。

 それに触れただけで、あんなにも強かった『怪異』の霊は吹っ飛んでしまった。付きまとう霊たちもその呪物の霊の念に縛られて自我を奪われて使い魔たちとなった。

 でも、その日以来、人を責め殺すようなイメージと考え方が次々に自分の頭に入って来て、自分の考え方が急速に暗く残忍に悪くなっていくのを感じた。

 しかし、これに対して祈れば出来ないことはない。気に食わない教師や、街の有名なチンピラ、近所の嫌なジジイは、土偶に念じただけで入院して帰ってこなくなった。

 その土偶の霊は『なんでも自由だ。ギャンブルでも、上手く相手側を殺して勝たせてやる。世界を治めることも、破滅させることも自由だ。』と言う。

 その代わり、私は十八歳からは、土偶の霊を身体に憑依させ続けて『依り代』として生きねばならない。いや、すでに憑依されているのだろう。

 その上、私を早めに殺すつもりらしい。死後は使い魔にされるのだ。拒否はできない。

 大叔父はそういうことを知っていて、私に土偶を見せたらしい。

 土偶の霊のせいで認識力が増大して、それまで見えなかった大叔父のことが見えるようになった。

 多くの霊能者を呪いに使うことで殺して来た人物。所属しているのは権力の裏で暗躍する組織の一つ。数々の人間の命を奪う『霊的実験』。過去は、あの教師のような行いをしていた。

 でも、権力の手先なので誰もそれを裁けない。本当に殺したい人物。

 しかし、土偶にいくら念じても祈っても、大叔父は土偶の霊と何かの契約をしているらしく、殺す事は許されない。霊的にでなくこの手で殺すにしても怪異はいないので死体の処理はできない。殺人で捕まる決意はできない。しかも大叔父はいつも他の多くの呪物の使い魔に守られ、私の殺意など見抜かれてしまっている。

 本当に殺すべき人間を殺せない。しかも、経済的には頼るしかない。大叔父が死んだら生きる道はない。

 怒りと憎しみを抱えたまま生き続ける。


 昨年転校して来た長身の女子。

 動きに合わせて流れる乱れ髪。その凛とした表情。長く伸びた手足。そこから発する美しく大きなオーラ。

 空手の演舞。張りのある澄んだ声。何もかも全てが美しい。

 全身に鳥肌が立って涙が出た。初恋だった。

 でも、その長身の女子の心の中は『私って、かわいそう。世界で一番不幸』と思っている。

 何を言うか。お前ほど恵まれた人間はいない。

 人がうらやむような容姿。経済的に困ってもいない。憎い家族もいない。しかも兄や家族の霊が守ってくれる。

 無性に腹が立った。大好きなのに殺したい。

 その上、高等部には進まずに、外部受験して二流大学の附属校に行ってしまった。

 その後、私が何度誘っても断るくせに、私のような『霊能者の女』にストーカー行為までしている。

 私はあの人を徹底的に不幸にしてやる事にした。

 好きだけど、現実社会を知らないお嬢様だ。

 私のように不幸にして殺す。そう決めた。

 

 しかし、その『霊能者の女』には、天使が憑いている。そんな奴は初めて見た。

 私は宗教をやっている人間には、ろくな奴がいないと思っている。

 しかしアレは一万人に一人の『霊が見える人間』の、さらに何百に一人の『霊が祓える人間』の、さらにその中でも希少な『光』に属する人間だ。

 アレは私に挑んでくる。確実に挑んでくる。

 私の土偶の霊も『あいつをやれ』と言っている。

 罠を張る事に決めた。


 3

 猪瀬「ねえ莉子ピ?涼子が『来るな』って言ってなかった?」

 「私も来るつもりはなかったんだけど、眼鏡かけてたら『かけている間は守る』って声がするから行くことにしたのよ。」

 自分で言っていて気がついて、あの眼鏡をかけた。

 猪瀬「へえ、危ない眼鏡だねえ。じゃあ、どうなっても知らないよ。」

 猪瀬とバスに乗っている。後部の座席に二人並んで。心美はまた優利に会いに行ったので来ない。

 金曜日の放課後。東京郊外に向かっている。

 キラの学校『セント・ニコラウス女子学院』、通称『聖ニコ』に行く。

 今日は五時から七時まで聖ニコのオカルト部が『怪談の会』をやる予定。

 うちの学校からメグたちライト・オカ研も参加する。顧問のユイ先生は用事があって来ないらしい。

 そこにヤバイ呪物が置かれるという。

 涼子はキラの呪いをやめさせるために、その呪物をなんとかする気だ。

 バスは私たちの他は数人。

 「猪瀬知ってる?竜二が入院したって。」

 「急な頭痛と腹痛だってさ。」

 「あいつ、体力が取り柄だよね?」

 「それが霊障らしいのよ。」

 「ええ?嘘お!」

 前の女子高生がこっちを向いた。声のトーンを下げる。

 「あいつには不動明王がついてるのよ。霊障なんてありえない。」

 「涼子によると正しくは『不動明王のような仕事をしている守護霊さん』だってさ。」

 「ん、ああ。あの霊の人もそんなこと言ってた。」

 「竜二の守護霊さんは霊界での仕事が忙しいから、竜二本人は『不動結界』で守られてるのね。普通は霊にやられることはないって。でもその代わり竜二の霊感はゼロなんだって。」

 「でも霊障?不動明王って強いんでしょ?」

 「如来を護る役目だって。でも竜二の結界は破られたらしいよ。」

 「なんで?おかしいじゃん。それってありうるの?」

 「明王自体は強いけど、結界は想念だからより強い念が来たら破れることもあるって。でも普通そんなことないよ。相当強い呪力だって涼子が言ってた。昨日祓ってあげたってさ。」

 「え、明王の念より強いもの祓えるんだ。」

 「だってうちらの宗教は明王・菩薩・如来より上の光が降りるから。」

 「え、本当なのそれ?」

 「信じるなら、光が流れるってさ。」

 「うひぇ、信じられん。

 「でも憑いていたもの自体は普通の邪霊だったてさ。竜二に何でそうなったか聞いたら、電車で背中をペとっと触られたら急に寒気がしたって。女の小さい手だったってよ。」

 「何それ。怖いね。」

 「涼子は「あの子に関係ある霊だ」なんて言ってた。」

 「キラってあいつ危ないなあ。」

 バスの自動アナウンスが流れた。

 『次はセントニコラウス学院前です。』

 ボタンを押した。

 バスが止まって降りた。

 正面に教会。ちょっとした大きさ。中学の体育館ぐらいある。入学式もここでやるらしい。

 歩いてゆくと教会の向こうに三階建ての長い建物が見えた。

 教会の横に校門がある。

 セント・ニコラウス女子学院。小中高一貫校だけど、一般受験者の中途編入も可能。短大もあるけどそれは都心にある。

 涼子はまだ来ていない。教団の支部で祈願を受けてから来ると言っていた。

 「猪瀬、松井は?」

 「レイラ?さあ?また涼子の尾行してるんじゃないの?」

 校門横の受付に行く。

 猪瀬は中の警備の人に言う。

 「農電大附属高のオカ研です。」

 警備の人は無言でボードを差し出す。そこに名前を書いた。

 すでにメグ、中野、小林の名前があった。

 警備の人は校内見取り図の紙を渡してくれた。

 校内は広い。最初に見えた三階建ては入り口に『高等部』と看板があった。

 隣にも三階建て。これは中等部。その隣にまた三階建てがあって小等部と書いてあった。

 体育館と武道場もあり、体育館ではバスケットボールが床に当たる音。武道館から竹刀の当たる音と床に踵が当たる音がしていた。グラウンドは野球場になっていて中等部らしい女子たちの「バッチ来いぃ!」の可愛い甲高い声が聞こえる。見取り図によると、土手の向こうには陸上競技の四百メートルトラックやサッカー場にテニスコートがあるらしい。聖ニコはお嬢様学校だけれどスポーツにかなり力を入れている学校みたい。

 猪瀬「女子野球や女子サッカーではノーデン附属は聖ニコには勝ったことがないんだよ。」

 「で?キラってどこに居るの?」

 「この校舎の向こうに旧校舎があって、そこだね。」

 「でも、涼子って祈願受けてから来るって言うけど、それってしないとダメなの?」

 猪瀬「それだけ相手が強いって事だろうね。人間の力で何でも出来るわけじゃないし。信仰心がない人は憑依霊や悪霊には勝てないよ。生半可に祓ったって後で霊に仕返しされる事だってあるし。」

 校舎と校舎の間を歩く。

 やがて旧校舎が見えて来た。二階建てのコンクリート製。教室が一階につき五つ。そんなに大きくはない。

 そこだけ雰囲気が暗い。

 校舎は壁が黒っぽく汚れていて嫌な雰囲気を醸し出している。

 心美の眼鏡のせいで、形をなさない黒い霊体がいくつも見える。それらは活発に動いていて、あたかもゆっくりと校舎を中心に大きく渦を巻いているように見える。旧校舎の周りがレンズを通したように少し歪んで見える。

 「確かにキモいねえ。ライトオカ研の子たちは怖がるんじゃないかな。」

 猪瀬「取り壊し予定なんだって。でも作業は中断していて作業員はいないってさ。幽霊が出たっていうもっぱらの噂。ニヒヒ。」

 「今日は見える日?」

 猪瀬はうなづいた。

 「今日のために準備して来た。」

 旧校舎入り口には『立ち入り禁止』のボードが貼り付けてあるが、観音開きのガラスドアの南京錠と鎖は外されて横に置いてある。

 ドアを開ける。ガラスは汚れていて経緯のわからない手形がたくさんついている。

 暗い廊下を歩く。電気は点いていない。眼鏡には黒い影がたくさん端っこに座っているのが見えて気持ち悪い。

 猪瀬「ココミンは?」

 「さあ?デートでしょ?」

 この前は、優利くんとはラブラブの様子だった。心美のやつ子供みたいに小さいくせに。いや、小さい同士だからか?まあでも心美の体型はセクシーだし。優利くんもなんだかんだ言ってもオスなんだな。

 しかし私に寄ってくる男がいないのは納得がいかない。別に男が欲しいわけではないが、この学校に入学したときに先生が「三年居れば誰かしら相手ができるものだ」などと余計なことを言っていた。あれは嘘だ。誰も寄ってこないぞ。最近はあまり学校を休んで無いのに。男子は見る目がないんか。こんな可愛いくて、か弱い女子がいるってのに。ムカつくわ。

 猪瀬「にゃははっ!莉子ピは涼子に絡んだ大学生殴ったでしょ?あれ有名だよ?男子は怖いんじゃないの?」

 「ええ〜?あれは仕方なくじゃん。あれぐらいで敬遠されちゃうのかなあ。」

 「あいつら「附属に暴力女がいる」って言いふらしてたもん。」

 「何い?あいつら〜!」

 「てゆうか、男ほしくないんでしょ?心美ンへの嫉妬で言ってるでしょ?」

 「ん?確かに妬ましいけどね。あいつ小学校からずっとモテる女だから。」

 「にゃはは。ねえ莉子ピィ、嫉妬を感じる時は、相手の良いところを認めてあげるといいんだよ。」

 「それ涼子にも言われたかも。同じこと言うな。心も読むな。」

 「同じ宗教やってんだからしょうがないじゃ〜ん。」

 教室のドアの一つに『オカルト部会場』と書いたA4の紙が貼ってあった。

 「ここだね。」

 開けてみると煙が充満していた。

 「え、火事?」

 真ん中に机が置いてあり、その上に古めかしい黒っぽい陶器の香炉があって『お香』が焚かれている。

 周りには登山用のランプが四つ吊るされてあり明かりが取られている。

 猪瀬は腕で口を押さえて言う。

 「莉子ピ!窓開けて!これ大麻よ!」

 「えっ?何で知ってるの?」

 ハンカチで口を押さえつつ、奥に入って立て付けの悪い古い窓をガタガタ開けた。

 不意に声がした。

 「正確には大麻だけじゃないけどね。ネットで買った催眠性の薬草も。」

 気だるそうな声。

 少し暗い室内に、ランプで黄色く見えるホワイトのセーラー服の女子がボーッと立っていた。

 低めの位置で短く縛った髪。真ん中分け。まとめきれなかった前髪が長い。解けば肩までのボブになる感じ。ソックスはたぶん紺色。靴は白のスニーカー。眼鏡で見た姿より成長している。

 煙がだんだん薄くなって部屋の様子がはっきり見えて来た。でも完全にクリアにはならない。白く煙っている。

 香炉の机の周りに椅子が並べられて五人の男女の生徒がいる。ぐったりとうつむいて椅子に座っている。

 猪瀬「あんた何してんの?素人が薬のお香なんか焚いたら死んじゃうよ。」

 窓の前から猪瀬の横に戻った。

 その子は言う。

 「ふふふ。わたし詳しいから大丈夫。そんな濃度じゃないの。催眠に入りやすくしただけ。でも、霊的に意識を奪うのは簡単なのよ。」

 怪しい女。うつろな目。黒目が大きい。いや黒目しかないように見える。

 「あんた・・阿久津キラ?」

 「猪瀬真理凛と岩見沢莉子だね?」

 「呼び捨てか。年上だぞ。何で知ってる?」

 「ふふ。マリリンさんとは会ったことがあるよね?」

 猪瀬は三メートルは離れているキラに、首を傾けてキラを覗き込むようにして聞いた。

 「キラ?うちのオカ研の子たちに悪いことしないでくれる?」

 メグたちは椅子にもたれて眠っている。

 キラ「真理凛さんはわたしの事、松井さんに聞いたの?何しに来たの?連絡があったのはノーデン附属のライト・オカ研の三人だけだよね?二人ともライトオカ研じゃないよね?」

 猪瀬「あんたと話に来た。今、何やってたの?」

 キ「SNS見てないの?みんなで怪談。でも実は催眠術の実験。霊が憑依するかどうか。その人をわたしが動かせるかどうか」

 「本人の意思は?」

 「あはっ。そんなことより机の上を見て」

 「ん、」

 黒い・・・土偶?・・さっき気づかなかったぞ。

 香炉の横に、高さ三十センチぐらいのでっぷりした女性の像がある。

 松井が言ってたやつか。やばい呪物。

 なんだか黒々していて周囲から浮き出して見える。

 歴史の資料集とかに載っているものに似ているが、これには顔と二本のツノがある。裸ではなく頭と体は黒く塗られていて、顔は白く、細い目が印象的。顔がでかい。デフォルメされた四頭身。

 重い存在感がある。すきま風のせいか香炉の煙が像から出ているかのように見える。

 キラが言う。

 「不用意に触ると魂持っていかれるからね。」

 猪瀬「何これ?」

 キ「知らないの?あんたたちの大学に田中名誉教授って居るでしょ?」

 猪瀬「いやあ、田中教授はたぶん神奈川キャンパスだと思う。普段はいないよ。」

 キ「バカね。名誉教授だから東京キャンパスにも研究室持ってるのよ。彼がトルコの市で見つけて、珍しいから買って持って来たの。それを箱に入れてここに持って来た。」

 「あんたは触って平気なの?」

 「フフフ。平気みたいよ。」

 煙は、像から出ていることが分かった。

 これは煙のような禍々しい想念だった。

 たまにそこから黒い影のような霊体がポコッと出てくる。

 「これ・・・香炉の煙じゃないのね。」

 猪瀬「これ・・・地獄に繋がっているのよ。ここに霊がうじゃうじゃいるの、きっと、これのせいだわ。」

 「松井の部屋にあった写真のやつと同じ?」

 猪瀬「あたしは写真は見てないって」

 キラがピクっとした。

 「あんたたち、部屋ぁ入ったのよね。」

 キラから怒りの赤いオーラが出ている。すごく怒っている。

 「よく人を入れたじゃないの。私がずっと断られてるのに。」

 すごく睨んでくる。怖いやつだな。

 猪瀬「あんた手癖悪いからいれないって言ってたよ?」

 キラ「は?・・・あははっはっは!そっちか!なあんだ。それ聞こえなかった。」

 猪瀬「ん?聞こえなかったって何?霊能力?」

 キラ「フフフ。バカね。手紙に薄型の盗聴器入れてたの。」

 「ええ、それって犯罪」

 猪瀬「それにさあキラ、普通自分の手癖が悪いのって気づかない?」

 キラは一瞬、黙った。

 「猪瀬真理凛。あんた『渋谷のまりあん』の妹だよね?」

 猪瀬「そうだよ?」

 キラ「自慢の頭のいい妹。あんたの前の家に行ったことあるよ。大麻吸ったら追い出されたけど。あんたあの時いたよね?」

 猪瀬「姉ちゃんに昨日、あんたの事聞いたら覚えてたよ。」

 キラはゆっくりと身を伸ばし両手を腰に当て偉そうにして聞いた。

 「へえ。なんて言ってた?」

 猪瀬「いい子だよって。でもかわいそうな子って言って黙っちゃった。」

 キラは「チッ」と舌打ちした。

 真っ赤なオーラ。彼女が燃えているかのように見える。

 キラ「へっ。楽しそうな高校生活送りやがって。私には縁のない生活。」

 あ、それ涼子に言ったことがある。私と似たことを言う。

 キラ「ああ涼子?あの気持ち悪い清純ぶった嘘つきの宗教女?どうした?来ないのか?」

 思考を読まれた。

 「でもひどいね。ひどい言い方。あ、でも私はあいつを清純とまで思ったことは一度もないけどね。」

 猪瀬「あはは。莉子ピもひどいよ。でも私も『冷たい女』と呼ばれたことがある。」

 「ふふ。」

 キラ「先輩たち?何笑ってんの?馬鹿みたい。」

 猪瀬は笑っているのに身構えている。戦いが始まりそう。怖い。

 キラも腕を組んですごい目つきで猪瀬を見ている。

 なんかすごい雰囲気。ちょっと嫌だ。

 「まあ、話そうよ。レイラにしつこくしてどうするつもりだったの?」

 キラ「あいつ、兄貴の霊がうるさいんだよね。」

 「あんたも霊とか見えるの?」

 キラ「何度もこっちに引き込もうとしたけど、あいつの兄貴とか、古い背後霊とかが邪魔するし、最近は猪瀬妹の守護霊が九字を切ってくるし、あんたの式神の鬼まで来るから頭に来てた。」

 「?」

 キラ「だから、まとめてあんたたちを直に殺すことにした。」

 何を言ってるのか理解できない。

 猪瀬「殺す?あんたクレイジーだわ。あんたって変だわ。」

 言われたことを反芻する。守護霊がどうのと言っていた。

 キラ「あの涼子ってやつも殺す。みんなあいつが悪いのよ。私からレイラを奪った!」

 猪瀬と顔を見合わせた。

 「・・・なんだ。嫉妬なの?」

 キラ「嫉妬じゃない!レイラは私の思い通りになるやつなの!この『先生』の依り代にしてから殺そうとして色々やってたのに、全部潰しやがった!」

 キラの赤いオーラはさっきよりも激しく燃え上がって怖いくらいになった。

 でも、霊が見えるみたいに言っているけど、同じ霊能者の涼子も猪瀬も人間的だし理性的だ。こいつは違う。

 「あんたさあ、先生って?その土偶のこと言ってるの?」

 キラはニヤッとした。邪悪な笑み。ゾッとする。

 猪瀬が言う。

 「それってさ、悪魔の像だよね。」

 「へ?悪魔?」

 猪瀬「あいつの上。見えない?」

 見上げる。

 レイラより大きな二メートルを超える黒い服の女がいた。髪をシスターのように黒い頭巾で覆っている。

 背中にはカラスのような真っ黒い翼があった。

 猪瀬「ダメだこれ。問答無用だわ。」

 

 4

 猪瀬は背筋を伸ばして身構えた。

 「あんたに祓えるの?」

 「やるしかない!神に勝てる悪魔はいない!」

 両手を合わせて祈りに入る猪瀬。

 「主よ我に力をお貸しください・・・」

 小声で早口で聞き取れないが必死な感じ。

 キラが言う。と言うか、上の二メートル越えの霊の言葉を伝えてるらしい。霊の口も動いている。

 「フッ。私を祓おうというのか。やってみせろ。お前の命と引き換えにこの女から私を剥がしてみせろ。」

  キラからブワッと黒いオーラが吹き出した。

 寒気がする。猪瀬も震えている。

 足がすくむ。剣の達人が発するという『剣気』のようなものか?いや『殺気』の方がふさわしい。

 猪瀬は自分がしていたペンダントを外して私に投げ渡した。キラッと光った。

 「莉子ピはそれで自分を守って」

 「どう守れってのよ」

 言いながらペンダントを首にかけた。大きいコインのような金色のペンダントヘッドがついている。

 猪瀬は腰に左手を置き、右手で手刀を前に構えた。

 その時、キラが後ろの霊と同時に手をくるりと回してこちらに向けた。

 すると座っていた子たち五人がムクリと起き、立ち上がった。

 この学校の女子が二人。あと三人はうちのオカ研。

 五人とも真っ黒いオーラが出ている。

 気のせいか周囲がかなり暗くなったように感じた。

 メグが、猪瀬に向かって歩いてきた。

 背中にはでっかいヤクザの霊がいる。黒いスーツに黒の丸首シャツ。広い肩幅。

 猪瀬は手刀で二回十字を切って、そして叫んだ。

 「エエエーイッ!!」

 手のひらをヤクザ霊に向けた!

 手から光の束が出た!すご!

 ヤクザ霊は一瞬に十字に縛られて手からの光に押されて後ろにボーンとぶっ飛んだ!

 メグは膝から力が抜けて崩れるように倒れた。

 私には小林が来た。百八十センチ超えた大きい小林。見える小林。グラビア集める小林!

 後ろの霊はもっとでかい。二メートル超えた軍人の霊。半袖の外国の兵士だ。

 猪瀬がこちらに振り向いて手から光を撃った。

 「エエイッ!」

 軍人の霊は一瞬で光に押し出されるようにぶっ飛んでどこかに消えた。小林は倒れた。

 甲冑の黒い武士が憑いた坊主頭の『小さい中野』が猪瀬に半透明の刀で斬りかかった!

 猪瀬はよけたが、前髪の金髪が少し切れた。

 「えっ?切れるの?うそ!」

 猪瀬「エエイッ!」

 中野は猪瀬の手から出る光線の束をよけた。動きが早い。

 武士の中野が斬りつけてくるのを猪瀬はよける。

 他の二人はキラの両サイドに、側近のように立っている。その後ろには西洋の甲冑の騎士と中近東の黒服の女が立っている。両方とも二メートルを超えている。顔は黒くてよく見えない。

 猪瀬「エイッ!」

 中野は光を大きく飛びよける。そして斬りつけてくる。

 キラ「そいつはレイラをテニスで全国優勝させたやつだよ。勝てっこないからね。」

 猪瀬は肩で息をしている。でも中野の刀をよけながら反論する。

 「嘘だね。高校大会の時はいなかったよ。」

 キラ「へへ。騙されないねえ。ま、別の手もあるけど。」

 キラがあごをクイッと振った。

 武士の中野が私に向かってくる!

 思わずよけた。

 両腕を振り下ろした中野。こっちを向いた瞬間に思わず右ショートフックが出た。

 反射的にあごに一発。

 中野は頭をカクッと振って後ろによろけて数歩下がった。

 格闘技オタクでもあるので正人で動きだけは練習していた。チンピラ大学生の時も手が出てしまった。

 昔、一時期、激ヤセ体型に似合わず格闘家を目指していたが、同時期に柔道漫画にハマっていた心美に、人前でキレイに一本背負いで投げられたので、嫌になってやめた。

 猪瀬「へえ。やるじゃん。」

 「中野くん殴っちゃった。うで痛え。」

 猪瀬はキラを見て警戒しながらこっちに来て、ボソボソ言った。

 「そんなほっそい腕で無理すると折れちゃうよ。」

 「勝手にパンチ出るんだもん。顎にうまく当てるとパンチが弱くても倒れるって。これ漫画の知識。」

 「倒れてないけど?でもこわー。莉子って暴力のセンスがある女だ。引くわー」

 「しかし、やばいね。逃げる?」

 「超絶ゲキやば。賛成。」

 キラは笑う。裏返った甲高い声で。

 「キャハハハハ!逃げるって?ハハッ!先輩たち弱いなあ。私の霊がやる必要ないね。」

 キラは土偶に手を向けて、くるりと回して言う。

 「先生お願いします。」

 土偶からバッと爆発したように黒いものが周囲に吹き出した!

 それは黒い霊体。すごい数の霊体。あっという間に私と猪瀬を覆い尽くした。

 あの時のセーラー服の霊もいた。

 霊は体重もないはずなのに、背中に重みがかかって床にうつ伏せに倒れた。

 霊の数が半端ない。部屋いっぱいに霊がひしめいている。

 それを押しのけて、さっきのでっかい軍人の霊がうつ伏せの私を押さえつけてきた!

 息が出来ないッ!潰れるっ!

 その時、ぎゅるっと自分が前に押し出された。

 え?

 振り向くとわたしが、て言うか『自分が』ゆっくりと立ち上がっているところだった。

 自分の頭からもうもうと黒い煙のようなオーラが出ている。

 うそ?体とられた?

 猪瀬は黒い武士が憑いた中野に仰向けに押さえつけられて抵抗している。

 猪瀬「やめろー!」

 猪瀬の手から光が出ていて、武士の霊はそれを嫌がって猪瀬の二の腕を掴む。

 掴まれた猪瀬は目をつぶって言う。

 「光よ!」

 手が光って武士霊が怯んだ。

 それを見てキラは手を前に伸ばした。

 キラの後ろの黒いシスターの手がギュンと伸びて、中野ごと武士の霊をはたき飛ばした。

 強い。でも助けてくれたの?

 唖然とした猪瀬。

 霊の手はその猪瀬の頭をつかんだ。

 猪瀬「うあ!」

 手は猪瀬の霊体を引きずり出した。

 猪瀬の肉体は脱力して床に倒れた。

 猪瀬の霊は投げ飛ばされた。

 キラの後ろのでっかい霊が猪瀬に入った。

 猪瀬が立ち上がる。その背に真っ黒いカラスの翼が生えた。

 真っ黒なオーラ。猪瀬の体が周囲から浮き出して見える。

 猪瀬本人の霊は私の横に来てふわりと空中で止まった。

 前に黒い猪瀬と黒い私。二人とも猫背で姿勢が悪い。

 もうもうと黒いオーラが煙のように吹き出している。

 やっべ。どうしよう。

 

 5

 その時、後ろの引き戸がバーンと開いた。

 制服の涼子が立っている。

 そのオーラは黄金にビカビカに光っていて、周囲が明るくなったように見える。

 来た!助けて!体とられた!

 涼子「分かってる」

 言うと涼子は両手を合わせて祈った。

 私じゃない『莉子』が言った。

 「来たな?気持ち悪い宗教女!莉子はお前のことを『自己憐憫だ』と思ってる。不幸を愛する女。決して幸福になれない女。人の不幸を見ては、嬉し涙を流して寄ってくる。」

 涼子は合掌を解いて脇に挟んでいた長さ四十センチの木刀をまっすぐ前に構え『莉子』を見た。

 涼子!!それは私じゃない!そこまで思ってないよ!涼子聞かないで!

 涼子「そこまで、って何?」

 ええ?

 涼子は短い木刀を振り上げ、離れた『莉子』にピュンと振り下ろした。

 バチーン!とすごいラップ音がした。

 軍人の霊が真っ二つになって、黒い煙を吹いてすごい速さで両サイドに吹っ飛んで消えた。

 オオオと空気が震えている。いや室内にひしめく霊たちの声だった。

 涼子「学校の必修科目で剣道やってるの。」

 そういう問題じゃないと思う。

 「早く体に戻って!たぶん見れば戻れる。」

 倒れた自分を見た。

 気づいたら床が見えた。

 起きて、ズレたメガネを直す。室内は黒い霊が充満している。

 涼子「ええーいっ!!」

 大声がビリビリと私を通り抜ける。地声が大きな猪瀬よりもくる!霊的パワーが乗った声!

 振り下ろした木刀と同時に『光の剣』が伸びて、部屋に充満するあまたの霊体を、映画『十戒』のモーゼが紅海を割るシーンのように両サイドに吹き飛ばし、空気を『ゴオオ』と振動させて消えた。

 私はゆっくり立ち上がる。体が重たい。

 「うう、すげえパワー。」

 涼子「パワーとか霊力じゃない。私の力じゃないの。主の光を通すのよ。」

 黒い猪瀬が言った。

 「宗教女。よく来た。ヒヒヒ。お前をみんな狙っていた。学校をやめさせ!食えなくして堕落させ!いやらしい不倫事件を起こし、お前の教団を追い詰める計画だよ!ヒヒヒ!」

 涼子「悪魔が彼女を通してしゃべっている。悪魔よ。なぜレイラを陥れる?」

 猪瀬「くひひ。お前は霊視で知っているだろ?あいつは霊力が強い。あいつを有名にしてから、こいつを使って狂わせ!自殺させて色情霊にし、多くの人間に憑依させてまた自殺させて似たような霊を大量に作る!プハハ!」

 「かあ、最低。こんな霊いるんだ。」

 涼子「これが悪魔の考え方よ!漫画とかでは悪魔もかっこいいけど、基本、欲と怒りと呪いの塊の悪党よ!人間の悲しみと苦しみを喜ぶ狂った変態よ!」

 「兄ちゃんが言ってた『キメエ奴』ってこいつか!」

 猪瀬「うるさい!黙れ!黙って死ね!お前も発狂させて自殺させてやるからね!」

 「ほんと最悪。嫌なことばっかり言って!サイコパスかよ!」

 猪瀬「ウフフ。この金髪は教祖にしてから集団自殺事件を起こさせてやるわよ!」

 涼子「そんなこと出来ない。させない!」

 涼子が猪瀬に駆け込んでゆく。

 立ちはだかる武士霊と中野。

 涼子はスッと曲がって、土偶に短い木刀を振り下ろした!

 バーン!と音がして土偶は爆弾のように爆発して黒い煙を吐いた。

 中は空洞だった。床にバラバラと破片が散らばる。

 その中に小さい茶色っぽい白いものがあった。

 「ひゃ!骨!」

 たぶん指の骨だ。

 涼子はそれをローファーでパチン!と踏み割った。

 「って、ええ?」

 骨は粉々になった。引いた。涼子に引いた。

 涼子「縁のある呪物はもうない!悪魔よ!消えなさい!」

 すごい声。言葉が頭から背筋にビリビリくる。

 言いながら涼子はピュンと片手で木刀を振って猪瀬に向けた。

 涼子の後ろには鎧を着た大きな観音様が立って、涼子のように剣を向けていた。

 猪瀬「かかれ!」

 武士霊の中野が走りながら言う。

 「我は魔軍先鋒隊侍頭!あ」

 言い終わる前に、鎧の観音姿の守護霊と同時に涼子が光の剣で武士を斬った。

 バチン!とラップ音がして、武士霊が両サイドに真っ二つに弾け飛んだ。

 涼子は突っ込んでくる中野を木刀を持ったまま両手で横に受け流して倒した。

 中野はそのまま起きない。

 キラの横の、騎士の霊が憑いた聖ニコの女子が来た。

 「我は魔導騎士団・・」

 涼子は振り向きざまに一歩出て、伸びる光の剣で一撃で真っ二つにした。

 またバチン!とラップ音がして霊は飛び去り、女子は膝から床に崩れ落ちた。

 もう一人がキラの横からこっちに来る。中東風の黒服の女性霊がついた女子。

 黒いオーラが一回り大きい。

 女子「私はそうは行かないよ。私だって邪教の一つや二つ作れるんだからね。私は黒い森の魔女」

 もう振りかぶっていた涼子は、光の伸びる剣でその霊も真っ二つにした。

 バツン!と重いラップ音がした。女子は倒れた。

 涼子は何も言わずに、猪瀬に向けて光る剣を下から斜め上にピュンと振った。

 あの黒いシスターすらも真っ二つになって斜め上に吹き飛ばされた。

 天井がバリバリ鳴った。

 猪瀬は両膝をついてバッタリと倒れた。

 猪瀬の霊が急いで肉体に飛んで行くのが見えた。

 「涼子めっちゃ強いじゃん!涼子は関羽?三国志の?」

 涼子は何も答えずにキラを見ている。

 猪瀬が床に手をついてゆっくり起き上がった。そしてため息のような声で言う。

 「遅いよ」

 涼子「ごめん。下がって。あとはやる。」

 私の横に来た汗だくの猪瀬に聞く。

 「大丈夫なの?」

 「ひ、久々に幽体離脱した。いやさせられた。」

 猪瀬はひたいの汗を手の甲で拭いた。

 「霊はどこに消えたの?」

 猪瀬「知らない。でも涼子に飛ばされた霊は二度と来ないよ。」

 前にいる涼子はジッと三メートル先のキラを見ている。

 「何してるの?土偶の霊はやっつけちゃったんでしょ?」

 猪瀬は口を開けたまま上を見た。私も見る。

 キラの上に天井は関係なく、でっかい太った人が立っているように見えた。

 「なん、何これ?」

 土偶はデフォルメかと思ったら写実だった。

 でっぷりした体。四頭身。二本の黒いツノのある頭。四角くでかい顔。

 細く釣り上がった切れ長の目。コウモリの翼と、尖った尻尾。黒革のような服。

 でかい頭と体以外は典型的な悪魔のスタイル。

 校舎で言うと二階の天井あたりに頭がある感じ。五メートルはあるだろうか。

 キラは言う。

 「私を引っ張り出したのはお前が初めてだよ。」


 涼子は何も言わずに短い木刀を、右下から斜め上にビュンと振った。

 涼子の守護霊の観音様が木刀の先と同じ速さで飛んで、剣で悪魔の腹を斬った!

 バキン!と音がして、悪魔の太鼓腹が裂けて、バフッと黒い煙のようなオーラが吹き出して部屋を覆った。

 「げえ、すげえ」

 キラの声がする。

 「霊魂不滅って知ってる?」

 煙が消えた。上を見ると悪魔の腹は再生している。

 涼子「知ってるわ。霊は死なない。傷つかない。想念エネルギーだから。私が斬った霊たちも飛ばした霊もどこかで生きている。」

 キラ「そう。だから私を倒せる者はいないの。フフフフフ。」

 悪魔から出た黒い煙が部屋を暗くしてゆく。

 キラ「治るけど、でも霊同士の戦いでは霊も傷つくし痛いのよ。だからお前に斬られた霊たちは怖くなってもう出てきたくないだろうけどね。」

 「これって悪魔が憑依してしゃべってるの?」

 キラ「フフフ。痛かったよ。おまえ、ここまでしたら、どうなるか、分かってるよね?」

 悪魔の目がギン!と光った。

 すごい風が吹いた。

 キラ「ウハハハ!私が太ってるのなんでか分かる?これはね、死霊や呪力を溜め込んでるのよ!」

 風がどんどん強くなってゆく。

 涼子の後ろの剣を持った観音様が風にバッと持って行かれて遠く後ろに小さく消えた。

 「うわ!つええ!」

 風がやんで行く。

 キラ「金髪に憑いたシスターが居たね。あれも私に戦いを挑んだ聖職者。あれは千二百年前だったかねえ。」

 涼子は立っている。

 猪瀬「涼子逃げて!こんなの人数集めなきゃダメだって!」

 「ひえ、涼子が勝てなかったらどうするの?」

 キラ「ふはははは!恐れろ!恐れろ!恐れは地獄のものだ!お前たちみんな狂い死にさせてやる!そのあと地獄に引き込んで毎日毎日遊び道具にしてやる!奴隷になるまで調教してやる!お前が斬った霊たちのようにな!あっはっはっはっは!」

 「うえ、もう悪魔って本当に最低!」

 涼子は横にカランと木刀を捨てた。

 「ええ?降参なの?涼子ぉ・・・」

 涼子は両手を合わせて祈った。

 「主よ、我に力をお貸しください。主よ、我に悪霊撃退の力をお与えください」

 「あれ、これって猪瀬がやったやつ?」

 猪瀬「ええっ?ここで来る?」

 キラの裏返った高音の失笑が聞こえた。

 「あっはははは!末端信者どもが!お前らごときの祈りが神に届くものか!調子に乗りやがって!お前もおしまいだ!慢心は悪魔の性質だ!我らはお前にも入り放題だ!あはははは!」

 キラの笑い声の中、猪瀬も両手を合わせて祈った。

 私もそれを見て手を合わせた。神よ。

 その時、パカッと『上』が裂けて光が差した。天井がなくて雲が垂れ込めた『空』に見える。

 上空?よくヘリが飛んでいるぐらいの高さに見える『雲』の裂け目から、天使が十人、二十人、三十人と降りてくる。

 これって?本物なの?本当に天使?こんなに居るものなの?

 さらにパッと明るく霊光が差した。

 上から十メートルぐらいの光の球が降りてきた。

 それをじっと見ると、大きな翼を両側いっぱいに広げた天使に見えた。周囲の天使より一回り大きい。

 女性の天使。長い金髪。後光が大きく光っていて顔がよく見えない。その後光は自転車の車輪のように大きい。ギリシャ調の白服に仏像彫刻で見るような装飾をつけている。その上に簡単な胸と腰回りだけの鎧。色は青と金色の鎧をしている。その腰には金色の鞘の剣をつけている。

 前に見た涼子のギリシャ風の守護天使か?いや、あの人はもっと華奢だったし、光の量が違う。

 と思っていたら天使の一人がこっちを見た。黄金の鎧と兜をつけているが、中はあの女性天使だと思った。

 声が聞こえた。

 『我は戦いの女神。』

 キラがうろたえた。

 「くそ!なんでだ!その光の量!大天使レベルがなぜ来る!こんなの末端信者だろが!」

 降りてきた女神は後頭部からの光輪の光を波紋のように周囲に放っている。

 そして燃えるような黄金のオーラに包まれている。

 女神は光の中で目立つその紅色のくちびるで言う。

 『こんな末端信者だから。彼女たちが、神を「信じた」という、その、ただ一つの、事実に、報いるために。』

 その言葉が胸を熱い光の水で満たしたように感じた。

 知らないうちに涙が流れた。

 涼子も祈りの言葉を唱えながらも涙している。

 女神のさらに上に、黄金の巨大な人影が見えたような気がした。

 天使たち数十人は、空中に浮かんで大きな黒い悪魔を囲んだ。

 そして一斉に両手を上げてから胸の前で合わせて合掌した。

 涼子が手刀で二回十字を切った。気合いと共に。

 「エーイッ!エイッ!エイッ!エエイッ!」

 天使たちも同じ動きをした。

 悪魔は沢山の縄で縛り上げられた。

 女神が剣を抜いた。

 バリバリと光って天にそれが届いている。

 涼子「悪魔よ!去れ!エエエイッ!」

 涼子が手のひらを悪魔に振り向けた!

 シンクロしたように女神の剣が悪魔に向けられた。

 女神の上の、天上にある巨大な神姿の差し出した右手から滝のように光が降り注いだ。

 大きな黒い魔は眩しすぎる上からの光に焼かれた。

 「ギャアアア」と断末魔の悲鳴があたりに響いた。

 光は、視力の限界を超えて、周囲を真っ白に変えた。

 魔は細く枯れて消えて行った。

 

 6

 周囲が見えてきた。

 涼子「主よ。ご指導、まことに有難うございました。」

 すげえ・・・これが神の光・・・

 涼子が振り向いて言った。

 「莉子さん。神は救ってくれる。これが信仰の意味よ!」

 ニカッと笑う涼子に光が差してめちゃめちゃ綺麗だ。

 女神は微笑みを見せて上に帰って行った。

 天使たちはそのまま周囲に消えて見えなくなった。

 周囲は暗くなっていつもの見え方に戻った。

 暗い旧校舎。ランプに照らされる教室。静まり返っている。

 でも空気は清浄になって、黒い影たちは一つもいなかった。

 もう夜だろう。でもランプの灯りの部屋が明るく感じられた。

 キラは仰向けで床に倒れていて起きない。

 五人も倒れている。

 入り口からレイラが入ってきた。来てたんか。見てたんか?やっぱ涼子の尾行か。

 レイラはキラの横に膝をついて座った。

 「キラ。起きて。体、大丈夫?」

 キラは目を覚まして少し体を起こしてレイラを見た。今はちゃんと白目があるように見える。

 あれ?ちょっとかわいい。

 キラ「松井さん?」

 キラは身をひねって両手を床について身を起こした。

 涼子は落ちていた木刀を拾った。

 そしてキラの方を見た。

 その時、入り口から聖ニコのクリームホワイトの制服の女子が三人駆け込んできた。

 そして二人が、床に座るキラにガツッガツッと抱きつき、残りの一人が両手を開いて涼子の前に立ちはだかった。丸顔で軽くパーマのかかったショートボブの子。

 「え、何この子たち?」

 立ちはだかる女子は言う。

 「キラちゃんが何をしたかは分かりません。でも、罰は私たちが受けます!許してあげてください!」

 すごい真剣な目。まるで、殺されても構わないぐらいの覚悟の座った目をしていた。

 すごい気迫。涼子にも決して負けていない。

 キラに抱きついていた二人もキッと涼子を見ていた。

 彼女たちは、もしもキラが「一緒に死んで」と言えば喜んで死ねる。そんな目をしていた。

 眼鏡に彼女たちの過去が見えた。

 若い教師に脅され犯され、ゆすられ金を取られ、親に頼れない子は中学生なのに風俗バイトをさせられていた。そんな過去が見えた。最低の奴。

 そいつをキラが刺した。飛び散った返り血がキラの目から涙のように流れ落ちた。

 涼子も見えたらしい。目を伏せて鼻をすすった。

 涼子は涙を手で拭きながら言った。

 「違う。罰しないわ。みんなの催眠を解いてほしい。」

 キラは抱きつく二人を見て微笑み、それぞれに対してうなづいた。

 二人はキラを放した。

 キラは倒れていた一人一人の近くに座って、両肩を持ってガッとゆすってから目の前で指をパチンと鳴らして覚醒させる。

 涼子は私の横で「主よ。みんなの魂が戻ってきますように」と祈っている。

 起きた中野が言う。

 「はーっ。なんだよ。寝ちゃったよ。」

 聖ニコの女子が言う。

 「んん頭痛い。キラ様ぁ、お香に何か入っていたのではなくて?」

 お嬢様言葉。さっきの三人よりも関係は遠いのかもしれない。

 お香は燃え尽きている。

 起きたもう一人はレイラを見て驚いた。

 「え、松井さん?」

 レイラ「あ、お久しぶり。」

 ニカッと笑うレイラに戸惑う女子。

 最初の『頭痛い』の女子が強目に訊く。

 「キラさま?なんだったんですの?」

 キラは何も答えない。『どうなっても構わない』と思っている。

 心美がしれっと入ってきて私の横に来た。デートは?

 猪瀬が急に怒鳴った。

 「こらあ!阿久津!変なお香買ってきたせいで怪談会が台無しじゃないか!」

 ん?

 涼子も猪瀬を見る。

 キラは唖然。「え?」と聞き返した。

 猪瀬「そんな演出要らないって言ったのに!全くいつもやりすぎなのよねー。呆れちゃうわ!」

 ごまかす気か。

 心美「なあんだそういうこと?みんな倒れてるから、どうしちゃったのかと思った。」

 心美も乗ったな?

 でも確かにこれは事件だ。顧問の先生が来てないからいいけど、騒ぐと退学になる。

 嘘をついてごまかす気か?

 レイラはみんなの表情をキョロキョロ見回して戸惑っている。

 キラ「アハッ!」

 キラは上を向いて片手をひたいに当てて半笑いの声で言った。

 「ごーめんねマリリンさん。みんなもごめぇん。ネットで買ったやつダメだったわ。」

 キラも乗った。

 心美「どうする?続きやる?」

 キラ「なんか興醒めしちゃったね。また今度やろうか。連絡します。」

 小林が言う。

 「その不思議なお香を調べる方がオカ研らしいと思う。」

 やめとけ。

 メグ「んん、眠い。なんか不思議な夢見た。中野先輩が『魔軍先鋒隊!』とか叫んでるの。」

 やばい。ひょっとして起きてたのかも。

 中野「知らねえし。」

 猪瀬「ええ?面白そう!」

 メグ「あ、マリリンさんだ♡」

 猪瀬「あとで聞かせて!それ劇にして文化祭でやろう!」

 メグ「面白そう!」

 キラ「この怪談会も、来月の文化祭でやろうと思ってたんだけど、ごめんね。」

 キラをかばうために入ってきた三人がうなづいた。

 軽パーマショートボブの子が言う。

 「大丈夫。今度またやろう。みんなも大丈夫よね?ね?」

 倒れていた聖ニコの子二人は仕方なさげにうなづいた。なんか関係が複雑そう。

 キラ「彼女は小等部から生徒会なのよ。偉いの」

 ショートボブの子は少し口が緩んだが、心の中では『ええ?偉いって言ってくれた!初めて♡』と叫んでいる。

 普段のキラはツンケンしてるらしい。ま、あんまり深入りしたくない。

 中野「俺なんかアゴ痛え。倒れた時ぶつけたかな。」

 あ、私が殴った。

 猪瀬「とにかく解散!まずいまずい!大麻パーティと思われちゃう!」

 心美「ライトのみんなは?お腹空いてる?最近の活動聞かせてよ。」

 聖ニコ女子「あなたは誰ですの?」

 心美「ノーデン附属の元祖オカ研会長よ!」

 メグ「ココミ先輩ファミレス行こ!来る時ガステ見えた。」

 もう一人の聖ニコオカ研の女子が「ヒャ!」と悲鳴をあげた。

 みんな注目した。

 女子「この破片ってあの土偶ですよね?キラさま『百万円する』っておっしゃってたのではなくて?」

 小林「粉々やん。」

 涼子がサッと青くなった。

 キラはしゃがんで土偶の破片と骨のかけらを拾い集め、木の箱に入れながら言った。

 「大丈夫よ。私が落っことしたって言うから。骨のかけらが出てきたって言えば教授も興味が湧いて許してくれるよ。ね神宮寺さん?」

 涼子はホッとした。

 キラの信奉者の三人もしゃがんで拾い集める。破片と骨は大体全部木箱に入った。

 でもそれ、触るとやばい呪物だよね?大丈夫なの?

 レイラはキラの横でキョトンとしている。事態が分かっていない。

 心美「また来ようねー。早く出ようよ。」

 みんなノリが良すぎる。でもうちのオカ研も、向こうの子達も納得したみたいだ。

 猪瀬「みんな?黙っとこうね。もう!キラ気をつけてね!」

 キラ「ハイ先輩。顧問の先生には私から言い訳しとくわ。」

 キラはニヤッとして猪瀬を見た。キラも完全に猪瀬の嘘に乗った。

 私はこういう芸当はできん。黙ってる。

 

 みんな旧校舎を出た。

 もう外は暗くなっている。

 聖ニコ女子のオカ研二人は「土偶のことお任せしましたわよー」と言って帰って行った。

 レイラが無表情に言った。

 「キラ。うちに来て。みんなも来て。」

 なんか怖い。レイラにまた何か憑いたかも。でも眼鏡には何も映ってない。

 心美「ウチらはファミレス行くわ。ごめん。」

 「心美?デートは?」

 「優利さんの友達に霊が憑いたとかで祓いに行ったわ。私は行っちゃダメだって言うからこっちに来たの。」

 「兄妹でそんなことやってんの?」

 レイラは優しくキラに聞く。

 「キラ?来る?」

 不安だな。キラがまた悪魔の霊能力を発揮したらやられちゃう。

 キラをかばった三人の女子も不安そうにしている。彼女らは逆にキラの心配か。

 キラは優しく言う。

 「大丈夫よ。松井さんは優しいから。前から松井さんのうちに行きたいと思ってたの。みんなは帰って。あとでラインする。」

 三人は仕方なさげにうなづいた。


 7

 レイラのマンションに来た。キラは呪物の破片の入った木箱を駅のコインロッカーに預けた。

 リビングの床に無造作にみんな座っている。ソファーが一つしかないから。

 レイラがクッションを投げ渡した。

 途中のマクドで買って来たポテトをほおばる。牛脂の匂いが食欲を刺激する。

 猪瀬「莉子ピって関西?関西の人てマックのことマクドって言うじゃない?」

 「また心読む。前も言ったじゃん。マクドの方が気取らなくて好きなだけよ。」

 「聞こえちゃうんだもん。」

 眼鏡は電車に乗る前にバスの中で外した。電車に大勢乗っていると憑依霊も大勢いるので面倒だった。

 レイラは電車で、小声でキラと話していた。笑うでもなく真剣というほどの表情でもなく。

 食べているとレイラが言った。

 「涼子ちゃん。キラのことも見てあげてよ。キラも色々ある子だから。」

 キラは平然そうにコーラを飲んでいるが、手が少し震えている。怯えている。

 キラ「松井さん。私のはダメよ。」

 でかい霊がいなくなったせいか、キラはちょっとかわいい。レイラの気持ちが分からんでもない。

 レイラ「お兄ちゃんの霊はまだいるみたいだけど、私、涼子ちゃんと話して、みんなとも話して、心が落ち着いたの。」

 レイラは一生懸命言ってから、ニコッとした。

 笑顔が苦手だったらしいレイラ。何かを伝えようとしている。

 キラはそれを呆然と見ていたが、仕方なさそうに笑ってから言った。

 「そういう松井さんのバカなところ、好きだけど嫌いだわ。」

 レイラは戸惑う。

 涼子「レイラ。彼女の場合はちょっと難しいの。あれだけ大きな魔が憑いていた人は、反省して考え方と生き方を変えないと、また地獄に引きずられてしまう。阿久津さん。自分の人生を変えようという決意と、覚悟がおありかしら?」

 キラは黙ったが、沈黙を置いてから話し始めた。

 「・・・そうね。・・・周りはあんたたちの守護霊やら、訳の分からない天使がいっぱい居て、私の『先生』も、従魔たちも居なくなっちゃったから、もう降参。その上、退学で逮捕だったかも知れないのに助けてもらっちゃったから正直に話すよ。」

 眼鏡をまたかけた。確かに部屋に天使たちがたくさん居た。キラにまた悪魔が来ないか警戒しているらしい。

 十人ぐらい?いやいやいや!部屋が超イケメン天使でいっぱい!美しいぃ・・・

 ここは何だ?映画のオーディション会場かよ。

 天国かよ・・・

 猪瀬「ああ〜莉子ピも女の子だったんだねえ。イケメンを見て『美しい』って思う男は少ないもん。」

 「あったりまえじゃん。もう!やっと分かったの?心の中読んで嫌な言い方するな。」

 猪瀬「あとさ、天使たちはさ、この世的な欲望とか嫌いだから思う内容に気をつけろよ。」

 「ん?」

 あっ。これ『褒めてから注意するテクニック』だ。私の感想を勝手に読んだくせにイラッとしてたんかよ。

 感動してただけじゃんよ。もう。

 涼子は、私たちの下りが終わるのを待っていたかのように話し始めた。

 「・・・で、阿久津さんは今日は何をしようとしてたの?」

 キラは平然とした感じで答える。

 「みんなやっつけようと思っただけよ。この前、このマンションにみんな来てたよね?大体の事情は分かってた。封筒に紛れさせた薄型盗聴器も捨てられちゃったし。」

 「ごめん。それどんなやつ?」

 キラ「葉っぱの形した「しおり」があったでしょ?」

 レイラ「ん・・・覚えてない。」

 猪瀬は「くっ」とわずかに吹き笑いした。

 キラは冷ややかに笑って話を続ける。

 「あんたたちが来るようにノーデン附属のライトオカ研を誘って迎え撃つつもりだった。」

 涼子「竜二くんも?」

 キラ「あいつって変にパワーがあるじゃん?あいつが来ると面倒だったから先にやっといた。」

 「計画的犯行。」

 キラ「みんな憑依にして狂わせてから死なそうと思った。」

 猪瀬「ひどい発想するね。」

 キラ「えでも『先生』が憑いてからはそういうのが当然だったよ。」

 涼子「どう思うかは自分の選択。霊にそそのかされても行動は自己責任よ。」

 キラ「はいはい。」

 ちょっとムカつく。キラは涼子を見ようとしない。

 涼子「レイラをどうする気だったの?」

 キラはレイラをチラッと見てからポテトをかじりながらそっぽを向いて涼子とは目も合わせずに言う。

 「あら?知っているのではなくて?自殺させる気だったわよ?」

 レイラはそれを聞いて涙ぐんだ。『騙してたの?』と思っている。

 「何で?」

 キラ「松井さんは道連れ。あたしね、もう少しで死ぬの。若年性の病気でね。何回か手術したけど、再発するの。松井さんとか、あと、マリリンさんのお姉さんのマリアンさんとかも知ってるはずよ。」

 「何で?」

 私の言葉が少しキレ気味に聞こえたのか、猪瀬がチラッとこっちを見た。そこまでキレてない。

 キラは少しこっちを見てから言う。

 「何を聞いてるのか分からない。病気の名前?それとも松井さんを道連れにって言ったこと?」

 「ごめん。松井の方。」

 眼鏡を通じてキラのドス黒い緑っぽい嫉妬の思いが伝わって来た。

 いつも家で一人でいるレイラが夜に『私ってかわいそう!』と泣いている姿を、キラは霊視して忌ま忌ましく思っている。『お前の不幸なんて偽物だ。本当の不幸ってものを教えてやる!』

 これは何て言うんだろう。これこそ涼子の言う悪霊や悪魔の考え方じゃないのかな。

 キラ「フフフ。いい眼鏡ね。面倒なこと言わなくて済んだわ。」

 「お前さあ、病気でもしっかり生きてる人はいるよ。道連れとか嫉妬とか、良くないよ。」

 キラ「ふふ〜ん。先輩わかってないなあ。マリリン先輩は、本当は私の事、知ってるよね?」

 猪瀬は沈黙。本当のことって何だよ。あ、あれか。先生刺したってやつ?

 キラ「学校では公然の秘密なのよ。私が悪い教師を殺したらしいって。」

 ゾッとした。殺人にではない。キラの自慢げなその目に。

 キラ「色々悪いことしてる奴だったし、私も巻き込まれてたから殺そうと思った。でもそんな酷い目に合わすんだから可哀想じゃん?一回寝てあげてから殺した。」

 うわ・・・

 涼子が不満げにした。『ウソ。みんなへの罪悪感もあったからよ』と思っている。なんかよく分かんないが。

 キラは私たちの顔色をうかがって、小さく「チッ」と舌打ちしてから、話を続けた。

 「中学の時。その後は気晴らしに渋谷とか新宿に出て、盗みしたり、ケンカしたり、人をちょっと刺したり、クスリやったりで何回か補導された。その頃マリアンさんにお世話になったわ。高校になって病気が分かってからは出てないけどね。」

 すごい不良。違う世界の住人のように感じる。涼子とはまた別の世界の。

 キラはニヤッとした。私たちにそういうふうに思わせたかったかのように。

 「松井さんなんて、お金にも困ってないし、昔から学校のスターだったし、昔っから大っ嫌いだった。私そういう格好つけた人めちゃめちゃにしてやりたいの。こんないい家住んでさ。絶対許せなかった。」

 涼子が首を捻ってうつむいた。『何で嘘つくかなあ』と思っている。悲しげなような呆れたような感情で。

 キラ「あんたもだよ。神宮寺さん。あんたもメチャメチャにしてやりたい。」

 「待って。涼子は格好つけてないし、それは嫉妬だよ。レイラだって家族死んじゃって苦労したんだし、そ」

 キラ「ハイ!あんた幸せ!」

 「え、は?何だよ。」

 キラが私の話を大声でさえぎった。聞いていられないかのように。

 何だこいつ。

 キラ「まだ話の途中だよ。」

 落ち着いて余裕かましている。さっきは震えてたくせに。ムカつく。

 キラ「でもね。松井さんかわいいの。優しいの。」

 レイラが言う。

 「私なんかを好きって言ってくれたんだもん。わたし、精一杯応えたいの。」

 キラは嘲笑するように片口で笑って言う。

 「へっ、バカで、何でも言う通りにしてくれるの。だから好き。」

 レイラは不服そうに口をぎゅっと結んで目をうるうるさせた。

 キラ「好きだけど許せない。苦しくて殺すしかないと思った。」

 「何でだよ。支離滅裂だよ?」

 理解できない。でも、やっぱりこれって恋の苦しみなのだろうか。私はあんまり恋愛しないから分からない。

 涼子がハラハラと涙を流している。

 キラがハッとした。

 『読まれた』と悔しそうにした。

 私は眼鏡でもそんなに深くこの子の人生は見えない。と言うより、あまり深く感情移入したくない。

 キラは悔しそうに笑ってから言う。

 「へっ、へへっ。見た?私の過去。私の不幸は美味しいかい?」

 涼子は泣いたまま静かに言う。

 「やめて。私は悪魔じゃないわ。」

 キラ「悪霊たちは、私が泣けば泣くほど喜んだね。だから泣かなくなった。松井さんなんて恵まれた人なのに、毎晩泣いてるし「死にたい」なんて言ってるから、私が本当の不幸を教えてあげてから死んでもらうことにしたの。」

 ゾッとした。でも思わず言ってしまった。

 「ひでえよ。」

 キラ「何が?これが私の普通だよ。」

 嫌な目つきで私を見る。本当に嫌な蔑んだような目つき。

 我慢ならない。もう言ってやる!

 「自分の方が不幸だってか?みんな許せないことはある!それを抱えて、みんな頑張って生きてんだ!不幸自慢やめろや!」

 涼子が私の肩をそっと掴んだ。見ると涙ぐんだまま首を振った。

 キラが静かに言った。声の裏に怒気を感じる。

 「あんた、ちょっとうるさいね。ぶっ殺すよ?」

 これ、マジのやつ。怖い。

 猪瀬「莉子ピ。キラは酒乱の父親を刺し殺したとも言われてるんだよ。」

 黙った。

 キラ「ははは。マリリンさんやっぱ知ってんじゃん。でも、私は苦しくても死んだりしないよ。松井さんみたいにうろたえない。わたしは復讐する。ああ『した』の方が正確かしらね。岩見沢先輩?家族に愛されて育ったあなたには分からないでしょうけど、世の中には、子供を殺したい親も、親を殺したい子供も居るのよ。」

 「くっ、そのぐらい知ってるよ。」

 それでも言いたいことはある。でも涼子が止めるから言わない。

 キラ「最近、あの土偶を見つけて喜んだわ。あれに祈れば何でも出来た。世の中に少し復讐してから死のうと思った。でも、大したことはできなかったけどね。病気も治してはくれなかった。」

 キラをじっと見る。霊はいないが、頭や胸の辺りが黒く煙っている。霊のせいじゃなくて、自分の心からこういうことを思っているのか?

 黙る。でも正しくはない。

 これ、思い出すと何年も悔しいやつだ。

 どうしても一言だけ言い返したい。でもキラがベラベラ喋って私が喋る隙間がない。

 キラ「だから、かわいいお嬢様たち?あんたたちに私は救えない。楽しげに高校生活送って満足してるあんたたちに、私の気持ちは理解できない。」

 みんな黙った。

 悔しい。でも半分わかる自分がやっぱり悔しい。

 私の『軽薄嫌い』は、やっぱり自分の不幸自慢なのかも知れない。

 でも、『あんたたちに私は救えない』と言うということは、逆に『本当は救われたい』という事?

 涼子はチラッと私を見た。もう泣いてはいない。

 見たのは私が「分かる」と言ったせいか。

 まあ、でも、穏やかに知性的に言い返すよ。

 「分かったよ阿久津。でも言うよ。」

 涼子「やめなよ」

 猪瀬「莉子ピ、やめな。」

 「復讐しても楽にはならない。加害者の自分が余計苦しいだけ。苦しみは薄めるしかないんだよ。痛い記憶には、それとは違う『良い』経験を自分の中に入れて薄めるしかない。マイナスを消すプラスの経験ね。人間は知識と経験に支配されるから。」

 涼子たちは黙った。

 キラは不満そうだが、怒鳴らず冷静に言い返してきた。

 「ど素人が何言ってんの?あんた精神科医?」

 睨むキラ。殴られそう。言うんじゃなかった。泣きそう。

 「違うけどさ。」

 じっと睨むキラが、フッと嘲笑を浮かべて言う。

 「あんたの親父が『音楽療法』とか『映画療法』とかを知って、あんたに色々見せたんだろ?それが、みんなに通用すると思ったら甘いよ。適当言うと相手が死ぬよ?」

 過去を読まれた。コイツすごいのかも。

 「霊能者に説教なんて百年早いんだよ。そういうのはさ、苦しみが、ある程度癒えた相手に言うんだよ。」

 キラがフッと横を見た。

 眼鏡に一瞬、何か見えた。

 女子の部屋。

 ベッドで涙する女の子。

 顔は、さっき涼子に果敢に立ち向かった子だった。

 ショートカットのキラはベッド横に座って、ベッドにもたれかかるようにして頬杖をついて、うつむいた女子を見ている。

 女子も何も言わずにただ泣いている。ひたすら泣いている。

 キラは黙ってそこにいる。

 『何も言わないんなら呼ぶなよ』と思っている。

 でもただそこに居る。ひたすらに。

 

 キラは・・・悪ぶってる?

 キラ「・・・嫌な眼鏡だね。」

 何も答えなかった。

 キラ「他にも『物語療法』ってのもあるよ。不幸な過去とは別の理想的なストーリーをイメージする方法。これも効果は高い。私の方があんたなんかよりずっと詳しいよ。それに、あんたみたいに引きこもってた場合、ちょっとボケるから知性を落とさないように好きなことを勉強した方がいい。だから本を読ませたあんたの親父は正しいわ。正しい。」

 悔しいな。あんたの評価なんて要らない。

 言い返そう。後で『言えばよかった』って後悔はしたくない。自己嫌悪は嫌だ。

 でもキラが先に言った。

 「先輩?それって自分のためでしょ?」

 「あんたも心が読めるんだったね。」

 そう。これは所詮、私のポリシー。所詮、自分のため。

 キラ「先輩?自分の方が不幸だって言いたいんでしょ?言えば?みんなに聞いてもらいたいんでしょ?同情して欲しいんでしょ?そんなんで心が楽になりはしないけどね。」

 うん。返しようがない。同情されてもキリがなくて楽にならないのは知っている。

 キラ「先輩が言い返したいのだって、所詮は一つの復讐でしょ?」

 何でだっけ。何で言い返したいんだっけ。言えば苦しくないのは何でだっけ。

 そう。思い出した。

 たとえ言い負かされても、どっちが悪いかだけは相手に言っておくべきだって、思ったから。

 「ふう。阿久津さあ。私は不幸自慢なんてしないよ。『私ってカワイソー』みたいな考え方は嫌い。」

 キラは「チッ」と舌打ちした。すごく睨んでくる。赤いオーラが燃えている。視線が痛い。

 キラ「先輩さあ、さっきみたいのはさあ、もう答えを出した私には意味ないんだよ。あんなのただの音だよ。」

 「・・・うん。まあ、ごめん。参考にとりあえず言っただけ。」

 力尽きた。

 キラの出した『復讐』の答えが違う、と続けたかったが、無理。負けた。

 これ思い出すと辛いやつだ。だめだ。失敗した。

 キラが『まだなんか言いたいのかよ』と睨んでいる。

 震える手でポテトを食べた。口が乾いて味なんてしない。

 キラ「なに被害者ぶってんのよ。あんたの言ったこと絶対許さないからね。」

 うう、呪われる。やめてー

 

 8

 長い沈黙。辛い。

 クッションからはみ出たくるぶしが床に当たって痛い。戻すのも怖いような沈黙。

 涼子が私に言った。

 「莉子さんはすごく勇気があるね。言える言葉があるんだね。」

 キラが涼子を見た。涼子は一瞬、眉をひそめた。

 私のフォローなんかいいのに。

 霊能者は人の悪意を実際に痛みとして感じると言うから、涼子もキラの視線が痛かったのだろう。

 ごめんね。

 涼子は、おずおずと言い始めた。

 「キラちゃん。私はあなたの苦しみは分からない。生きた環境が違うから。」

 キラ「だろうよ。」

 そうかな。同じ霊能者だし、私なんかよりは共感する部分は多いはずなのに。

 涼子はしっかりキラを見て言う。

 「でも、私から伝えたい事、言ってもいい?」

 キラは下を見たままため息混じりに答えた。

 「ああ、言ってみな。ダメだって言っても言うんでしょ?どうせ私負けたし、正直に話すって言ったもんね。聞いてやる。」

 涼子「ごめんね。ありがとう。」

 涼子は優しい。でも、こんなヤツにそんなにへりくだると、なめられるぞ。

 キラは苛立たしげにせかした。

 「で何!言えよ。」

 涼子はおずおず言う。

 「本来は宗教って薬と同じ役割もしていたのよね。」

 キラ「宗教やってる人間なんて臆病でろくでもない連中ばっかりだよ。」

 涼子「あなたも臆病な人間の一人ではなくて?」

 ちょっと強めの声に、キラはとりあえず黙った。そして涼子の言葉を待った。

 涼子「あなたには、信仰が必要だよね。あなたは悪魔じゃなくて神を信じるべきだわ。神が人生を見ていると思えば、自分を客観的に見ることができる。そしたら心は楽になるよ。」

 キラは腕を組んだ。

 座っている涼子の後ろにはインド風の服の観音様が立っている。

 鎧は着ていないが、密教風の祭具を手に持っている。あの時飛ばされた人。戻ってきたんだ。

 キラ「神が見ているだって?は?それじゃあ、神はあたしに不幸を与えて、それを見て楽しんでたって?」

 キラは言っていて苛立ってキレた。

 「神なんかいない!少なくとも!あたしの人生には神なんか居なかった!なめんじゃねえ!」

 すごい声。破壊的。ちょっとだけハスキーな声がかなり破壊的に聞こえる。霊的にも破壊力があるかもしれない。

 涼子はキラの激昂に耐えて静かに言う。

 「神は人間を創ったの。人間の魂を創った。あなたの魂もね。神は魂の親なの。あなたも神の子。」

 キラ「フハ。じゃあ悪魔も神が作った神の子かよ。」

 涼子「悪魔は病気になった魂です。だから地獄に隔離されているんです。」

 キラ「そんなの知らねえ。それ洗脳?あたしも宗教とか詳しいからね?私の養父は宗教歴史学の権威だからね?説教は無駄だよ?調子に乗ると痛い目見るからね?」

 涼子「だから・・」

 涼子が息を吸い込んだ。そして叫んだ!

 「神はあなたを愛している!!!」

 言葉と声がガーン!と来た!

 ショックで目から涙が出た。

 霊力の乗った声。いや、涼子の切実な『救おう』という願い。

 全身全霊で心の底からそう願って。その感情が私にも伝わった。

 私の何かが崩れ落ちたような、ガガガッとした衝撃があった。

 キラなんかは霊能力があるせいか、ショックで傾いて床に手をついて首をすくめて身を固くしている。

 涼子の背後の観音様の光で部屋が光る。

 言葉が重い時空を貫いて、私たちを一歩向こうの世界に進めた感じがした。

 言った涼子すら涙している。

 涼子はさらに言葉をたたみかけた。

 「あなたの不幸な人生は、あなたがあの世で計画し、選択してきたものです。天国は喜びの世界です。みんな自由自在で苦しいことをする必要はない世界です。人は天国から試練を求めてこの地上に生まれてきます。魂の修行のために。この世は修行場です。」

 背後の観音様の光がわんわんと波紋のように広がっていく。

 「この世の人生は苦しみです。しかし神はその人が乗り越えられない試練を許可しない。神はあなたを見守り、導き、生かしているのです。その魂に必要な知識と経験を与えるために。」

 すごい光のパワー。猪瀬が前に『涼子はパワープレイになる』と言ったけど、これ・・・

 それでもキラは反論を試みた。

 「か・・神が見ている?そんなのは道徳だ!嘘だ!洗脳だ!」

 「いいえ、真理よ。真実には力があるの。」

 涼子が神々しい。

 それでもキラが果敢に言う。

 「私は生まれてからずっとずっと苦しみと不幸の連続だった!それも神が『耐えろ』って?修行だって?そんなきつい神を誰が信じるか!」

 涼子「あなたは天使の魂です。」

 キラ「は?」

 涼子「普通の人はそんな苦しみの人生を選択しない。普通の人は潰れてしまうわ。でも、普通の人も選択を間違え続けて不幸になる人はいる。でもあなたはそれではない。あなたは天使になるために、あの世で苦しみの連続の人生を選んで降りてきた。どこまでが計画で、どこからが引き寄せたものかはわからないけど、少なくとも、その人生にふさわしい両親を選んで生まれてきた。」

 キ「あんな親を?そんなの信じない!」

 涼子「苦しみには苦しみの意味があります。悲しみには悲しみの意味があります。苦しみや悲しみは人を謙虚にします。苦しんだ人は人の苦しみが分かります。悲しんだ人は人の悲しみに涙を流すことができます。苦しみを、悲しみを、愛に変え、多くの人に尽くす人生をあなたは望んでいる。」

 キ「そんなの・・・決めつけるな!」

 涼子「あなたがあなたをかばう子たちを見る目は優しかった。」

 キラはまた舌打ちした。

 涼子「あなたは類まれな能力を持って生まれてきた。あなたは神仏に代わって人を愛しなさい。あなたはそのために生まれてきたのです。その不幸と苦しみを乗り越えて天使になるために、その運命を背負って生まれてきた。苦しみと悲しみの中で真実の愛を悟るために。」

 キラ「神は救ってくれなかった!もし神が居るなら来たはずだ!あたしは一人で戦ってきた!」

 「いいえ、神はいつもあなたの隣にいます。神はあなたと共に悲しみ、あなたと共に苦しんでいる。あなたと一緒に涙を流している。あなたが最も苦しい時に、一歩も進めず立ち上がる気力もない時に、あなたに入ってあなたを勇気づけ、あなたの代わりに立ち上がり、あなたの代わりに歩いていたのは神よ!」

 言葉が胸に入って涙が出た。

 涼子の本気。

 私の言葉なんて吹っ飛んでしまった。

 涼子の言葉は本物だ。言葉に光が乗っている。

 猪瀬やレイラも泣いている。

 キラに言っているのに私が泣いてしまう。

 キラは泣いているかのように囁くように反論した。

 「そんなの知らない。あの世のことなんて知るか。」

 涼子「覚えていたら修行にならないでしょう?でもわずかには覚えている。そういう修行なんです。」

 キラ「神はいない!」

 涼子「神と人とは一体です。神と人とは常に繋がっている。人間は被造物であるけれど同時に神の魂を分けたものでもある。神は魂の親です。幼き者は親に頼っていいのです。それは弱さではない。」

 キラ「わ、私は天使なんて目指してない!」

 涼子「魂はみな、修行して天使になることを望まれています。また、それは誰が望んでもいいのです。魂は神仏を目指すように宿命づけられた存在です。そうでなければなぜ向上を目指すのでしょう。」 

 キラ「言っただろ!私の人生で私を救ってくれた人は居なかった。ろくでもない霊たちだけだ。呪われた人生だよ。神に呪われた人生だよ!」

 涼子「それは違うわ。呪っているのはあなた自身よ。神は人の手を通じて人を助けるの。お母様はあなたを救おうとしていた。」

 キラ「そんなことはない!あいつはそんな奴じゃなかった!浮気もしてたし、」

 涼子「思い出して。小学校の時もお母様はすごく前から『転校する?』って何度も聞いたはず。あなたは心を閉ざしていて聞かなかった。」

 キラはハッとする。


 眉の絆創膏を気づかれないように剥がした。

 夕方。家に帰ってきた。

 廊下を歩くと隣の部屋の方から声がする。

 長い髪に派手な服装の女性が口紅を差しながら、鏡越しに言う。

 「ねえ、みほ?転校する?」

 キラは立ち止まった。女性を見たりはしない。

 女性は口紅片手に立ってキラの方に来た。

 「みほ・・・そのままだと、」

 キラは走って階段を上がって自室に逃げた。

 心で叫ぶ。

 『何言ってんだ!浮気してるくせに!何が転校だ!死ね!』

 座って枕を下に何度も叩きつけた。

 

 涼子「それでも、お母様はあなたを愛している。」

 キラは黙っている。

 涼子「あなたが危ない時には、ちゃんと家にいてあなたを待っていた。」

 キラは明らかにトーンダウンした。

 「そんなヤツじゃない。分かってて止めなかった。」

 涼子「あなたが反抗したの。分かってて行ったの。ご両親への復讐のために。」

 キラが黙った。長い沈黙の後、言った。絞り出すように。

 「それでも止めなかった。」

 涼子「だからあなたの代わりに前に立ってお父様に殴られたのよ。」

 キラ「っ・・・そんなこと望んでないっ」

 重い沈黙。

 涼子「お母様は今もあなたの無事を祈っている。」

 キラ「はァ?はっは!何言ってんだ!あいつは今、精神病院だ!」

 涼子「だから、日夜、眠らずに二十四時間あなたの無事だけを祈っている。ただひたすらに。」

 パッと一瞬、長い白髪の白い服の女性が床に座って祈る姿が見えた。

 キラは涙した。

 「・・・ずるいよ・・・親のこと言うなよ。」

 涼子「お母様はあなたを愛している。」

 キラ「知らないよ!ウソだ!私には見えない!」

 涼子「人は物事をありのままに見ず、見たいものを見たいように見ているのよ。」

 キラは泣きながら激しく首を振った。言葉に飲まれまいとするように。

 「関係ない!関係ないよ。あたしもう死ぬから」

 うつむくキラ。

 涼子の後ろの観音様は燦々と暖かい霊的な光を供給し続けている。

 横から女性の天使が、座っている涼子に耳打ちした。金髪を短くまとめた綺麗な天使。

 涼子が優しい言い方で静かに言う。

 「天使が言ってるわ。あなたの『病気の元』は、あの光が降り注いだ時に取り除かれたって。それはあなたが悟って改心する可能性が出てきたからだって。もうその病気にはならないよ。後でわかるよ。」

 キラ「改心?あたしが人殺しだから?」

 涼子「釈尊の弟子には、九十九人の人を殺した人が居る。彼が改心して殺人をやめて、釈尊に帰依して出家して、民衆から石を投げられながら修行した結果、彼は誰でも知っている立派な弟子になったそうよ。」

 キラは力なく笑う。

 「はは。宗教に入れようっての?」

 涼子「必要ならね。」

 キラは首を振った。

 涼子「でもまず神に祈ろう。何とかなる。神を信じて。神様を信頼して。神の愛を感じ取って。」

 キラは首を振って立ち上がった。そして言う。

 「神じゃないのが来ることがある。」

 涼子「ちゃんと真剣に信仰を立てると約束すれば大丈夫。必ず神は救ってくださる。」

 キラ「いいよもう!」

 涼子「私はあなたを救いたい。」

 キラは何か言おうとしたが、手で口を押さえた。

 キラがまた涙した。口を押さえて必死に嗚咽をこらえている。

 みんなでそのキラを見守った。

 キラが鼻をすする音だけが静かな部屋にしばらく響いていた。

 キラは鼻をすすりながら震える声で涼子に聞いた。

 「何で救いたいとか言うのよ。」

 涼子は言う。

 「それが、霊能力を持って生まれた私の使命だから。」

 キラは泣いたまま口を開けた。涼子の言葉に唖然とした。

 キラは言う。泣き叫ぶように。

 「自分を救えるのは自分だけ!救いたいとか上から言うな!」

 涼子は言う。

 「いいえ。あなたは絶対救いたいの。」

 キラはまた泣き叫ぶように言った。

 「もういい!帰る!ここは私の居場所じゃない!」

 レイラが立ち上がった。

 「キラ居なよ。・・・居てよ。」

 キラは腕をワナワナ振るわせて泣いている。

 そして震える喉から声を絞り出した。

 「私、自首する。施設に入るわ。クスリ中毒だから。さいなら。もう来ない。」

 レイラ「来なよ。いつ来てもいいよ。好きなもの持ってっていいから。」

 キラ「バカ!嫌いよ!」

 走り去るキラ。

 呆然と見送る私たち。

 静まり返った部屋。

 涼子は両手を合わせて「ご指導ありがとうございました。」と祈った。

 観音様は光の玉になってシュワッと上に飛び去った。

 涼子「天使たちよ。彼女が救われますように。彼女をお導きください。」

 中央の女性の天使がうなづいた。

 天使たちは羽ばたいて去って消えていった。

 不意に涼子が私に言った。

 「莉子さん、莉子さんが何も言わなかったら、私もあそこまで言えなかったよ。ありがとう。」

 「う、」

 言葉が心に入った。思わず嗚咽が出てしまって口を押さえた。

 恥ずいので横を向いて、涼子に片手を向けてそれ以上の言葉を制止した。

 

 9

 レイラは無言でキラを追って出て行った。

 沈黙の部屋。

 猪瀬は勝手にキッチンに行って冷えたポテトとバーガーをレンジで温めた。

 ピロピピーヨ、と緊張感のない音が静かなリビングに響いた。

 猪瀬が温まった照り焼きバーガーを幸せそうな笑顔で食べる。

 涼子「莉子さんも思い出すと辛いことある?」

 「え、ええ?やめてよ!」

 そうだった。涼子は私のトラウマを狙っているんだった。油断した。

 涼子「ふふ。狙ってる?何もしないわ。でもキラちゃんの言った『物語療法』って莉子さん向きだと思うの。」

 「キラちゃんて、ウッフ。でも、そんなのに何で詳しいの?」

 ポテトを食べる。

 涼子「宗教って心を扱うから、わたし心理療法も参考程度だけど勉強してるの。」

 「何で私向きなの?」

 涼子「だって莉子さん小説書くんでしょ?」

 「うきゃ!やめて!恥ずい!」

 反射的に床に横に転がって小さく丸くなってうずくまった。

 猪瀬「にゃははははは!」

 床から猪瀬に怒る。

 「笑うな!」

 猪瀬「ふふっ、ごめんよ。ああでも、あれねー。私も知ってる。失恋なんかにはテキメンだよね。」

 なに?心美だったら「真理凛!失恋したんだ!」と突っ込むところだけど?

 猪瀬が私の心を読んでさっと青くなった。そしてその顔を見られまいと座ったまま足で床をトコトコ蹴って、後ろを向いてバーガーを頬張った。

 私は横に寝たまま両足を抱えて言う。

 「へえ猪瀬かわいいじゃーん。」

 猪瀬は向こうを向いたまま「今さら気付いたのかね?にぶい子だな。」とダンディぶって言った。

 「ふっ。」

 涼子「やってみようよ。苦しい過去とは別の選択をしたと仮定して、続きを考えてみよ。」

 座り直して体育座りになった。

 「でもあたしのは、核心的なところを覚えてないからね。」

 涼子「覚えてたとしよう。」

 「ん、じゃあ、五年生から六年生は記憶がないから、そこは普通に学校に通ったとしよう。」

 目を閉じて思い浮かべる。

 「んで、中学も普通に、ああ、でも、そうすると高校では心美がダブるから一個下になっちゃう。高一の時、私一年遅れで入ったから心美が留年してて同じクラスだったのよね。今みたいに親友でいられるかな。学年まで別だとあいつも忙しい奴だから私と会う機会が減るかも。それに今のクラスメートとは会えないのかな。それはちょっと寂しいな。一年上のクラスメートが居るだろうけど、」

 涼子「じゃあ、莉子さんは今、幸せなのね。」

 「あああ、そうかもね。」

 目を開けた。

 涼子「ちょっと変わった?」

 「ははっ。こんなすぐに変わんないって。」

 食べ終わった猪瀬が言う。

 「でもしっかり時間かけてやると手ごたえあるよ。」

 「でも事実は変わんないでしょ。まやかしだわ。」

 涼子「あの世には思いしか存在しない。思い即行動。思い即事実。だから別のストーリーを考えたら、それも『事実』なの。地上だってあの世の一部だから効果は高いわ。だから過去の経験には『書き替え』が効くのよ。」

 猪瀬「被害とかの事実は変わんないけど、心の苦しいのは何分の一かは減ると思う。『こういう選択と結果があり得た』っていう認識が大事なんだよ。」

 「言ってることが難しいよ学年一位。それに私のは覚えてないんだから催眠療法のがいいんじゃないかな。」

 また目を閉じる。小五後半から一年間ぐらい。母が『何も食べなくて色々気を遣った』と言っていた。それではない日々を考える。

 でも両親は大変だっただろうな。ありがたいな。しみじみ。

 私が色々動けるようになってから両親は嬉しそうだったな。言い争いも沢山したけど、基本、優しかった。

 愛された記憶は捨てたくないし、捨てるもんじゃないな。

 涼子が横に立つ気配がした。

 目を開けて見上げた。

 無表情に上から見ている。

 あ、やばい。怖い。

 心臓と息が、意識が、涼子って私のこんなことも知ってるのか。

 涼子がスッとしゃがんで、ニコッとして体育座りの私をキュッと抱きしめた。

 「ちょ、ちょっとやめて。」

 恥ずかしくて涼子を押し返した。

 しゃがんでいる涼子はコロンと後ろに転んだ。

 猪瀬「にゃはははは!あはははは!」

 倒れたまま涼子が聞く。

 「どう?」

 ああ、涼子め、トラウマの記憶に別のエピソードを入れようとしたな?

 「もう。たいして変わんないよ。」

 涼子「何回もやるとトラウマも薄くなるかも。」

 猪瀬「魂の九割は潜在意識だって言うじゃない?なんだからあと九回やったらいいかもよ。」

 「だから覚えてないって。」

 涼子「死んだ後は潜在意識部分が逆にメインの意識になるから、地上のことはあんまり思い出さなくなるんだって。でもそれは天国の霊の場合ね。地上の特有のことが深く刻まれちゃってる霊は地獄で修行が必要になる。」

 「特有のことって何?」

 涼子「肉体に基づく欲望、肉体を守りたいことから来る怒り。霊じゃないから分からなかったことの愚かさ。」

 「は〜ん。」

 猪瀬「は〜んって。ひゃはは。」

 「でもそういう何とか治療ってのはキラが言ってた通り、心がかなり楽になってからだよね。辛くてギャーギャー言ってたり、ふさぎ込んでる時はどうかな?時間がたった人には有効かもね。」

 猪瀬「人ごとみたい。」

 涼子「こういう療法と反省は似てるわ。反省って自分を責めることじゃなくって、過去を正しく捉え直すこと。本当に反省できると一年後には人生変わるから。」

 「そこまで言う?」

 「うん。思ってることは実現するから、トラウマで意識が止まってる人はそれが繰り返し実現してるの。意識が動き出せば人生変わる。」

 レイラが玄関から入ってきた。

 「ダメだ。見失った。」

 「大丈夫かなあ。あいつ死んだりしない?」

 猪瀬「しないよ。あいつは仕返しするまで死なないよ。」

 「やな奴だねえ。」

 涼子「じゃあ、わたし帰るわね。」

 レイラ叫ぶ!

 「ヤダあ!!涼子ちゃん泊まってって!みんなも泊まってってよー!」

 「声でか!」

 猪瀬「うるさい!」

 レイラ「やだやだやだ!!」

 「黙れ!」

 猪瀬「しょうがねえなぁー。あたし泊まってってやるよ。だから二人は帰して。」

 レイラ「やった!やったあーっ!!」

 耳をつんざく爆音。

 「うっさいなあ。苦情が来るよ。」

 猪瀬「あたし人質か生けにえみたいね。涼子。莉子ピ。なんかちょうだいね。」

 涼子と顔を見合わせた。

 レイラ「何よ〜人を化け物みたいに。」

 猪瀬「でも、あたしレイラに襲われたら勝てないなあ。ヤラれちゃう。」

 「ここの三人は誰も勝てない。」

 レイラ「襲わないもん。マリリンは私の好みじゃないもん。」

 猪瀬「ちょっと待って、何であたし振られてんの?」

 「アハハ!」

 猪瀬「な〜によ。じゃあ涼子なら襲うのね?ひどい奴。」

 レイラ「襲わない。ただ抱きしめて欲しい。」

 猪瀬「フゥ」

 涼子は強めに「や〜よ!」と拒否した。

 「あは!そんなに言う?」

 レイラ「んもう。涼子ちゃんのケチぃ。」

 猪瀬「じゃあ、しゃあない。あたしが抱きしめちゃる。」

 レイラ「や〜よ!」

 猪瀬「だから何で?」

 レイラ「好みじゃないもん!」

 猪瀬「また振られた。二度も振ったね?・・親父にもぶたれたことないのに!」

 「アハハアハハ!ファーストGだ!」

 レイラ「何それ?アニメネタやめて分かんない。」

 涼子「ウフフ。」

 笑う涼子を見た。

 「莉子さん楽しそう。」

 「こういうわちゃわちゃは嫌いじゃない。」


 以下8へ

 

 

次回は文化祭です。少し軽くなると思います。

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