【アップ✨】2025年12月28日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
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【男山教会ホームページ】
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【YouTube】(星のカケラ)
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【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=S5AU8NExvlA
聖書
『ルカによる福音書』(第二章二二〜三八節)
『イザヤ書』(第一一章一〜一〇節)
讃美歌〜♫
讃美歌370番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=vcmpElVPdro&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yT77yX77yQ55Wq
2025年12月28日 礼拝説教 聖書箇所
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。」
ルカによる福音書2章28,29節
その日が来れば エッサイの根は すべての民の旗印として立てられ 国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。
イザヤ書11章10節
はじめに
主の降誕の恵みを覚え、二人の老人の信仰と預言の証しに聴く。神の顔を仰ぎ見つつ。
1
「さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」当時、男子は出産後40日間は家にいなければならなかった。八日目に割礼を受けられたイエスと名付けられた幼子は、聖霊によって堕落ゆえの罪の汚れと無縁のお方でありながら、罪の汚れを負う身となられた。「御子は罪を除くために現れた。御子には罪がない」(ヨハネ一3章5節)。「神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者として遣わされた」(ガラテヤ4章4節)。「両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った」。「それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるから」。聖別とは、神に近づく祭司の務めを果たすために定められた。いわば、割礼と聖別は一つの祈りを証しする。洗礼は、キリストの割礼(コロサイ2章11節)であり聖別ゆえに、わたしたちの祈りは、今日、幼児洗礼は、幼子の内に、聖なる救いの命を確信する。「また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった」(レビ記12章6,8節)。貧しい家族を配慮した規定どおり。
2
「そのとき、エルサレムにシメオン(シモンと同じ、「聴いている」という名)という人がいた」。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。」シメオンはその名のとおり、神の約束に聴き従う者として生きた。「そして、主が遣わすメシア(主のキリスト、救い主)に会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」。死の時は、神が定めておられる。シメオンの平安は、地上の生涯の終わりにおいて、幼子イエスに「主の救い」を見ることにおいて果たされた。「シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た」。シメオンが「主の救い」を見る時を、聖霊なる神が備えておられた。
「シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った」。「主よ、今こそ、あなたの言葉どおり この(あなたの)僕(=奴隷)を安らかに去らせてくださいます。わたしの目があなたの救いを見たからです」。主の救いは、神への賛美と恵みの告白において証しされる。「これは万民の顔前に整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れ(栄光)です。」今日、わたしたちは、シメオンの預言と神の約束(契約の言葉)のとおり、救いを見る者とされた。「父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた」。
「シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った」。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」十字架の主、救い主を、罪人のひとりとなられたお方と信じるか、否か。
3
「また、アシェル族のファヌエル(「神の顔」(創世記32章31節))の娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らし」「夫に死に別れ、八十四歳に」。「彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」。「そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。」300年途絶えた預言が、幼子イエスの降誕において新たに。まことの神賛美へ。
おわりに
真の預言者イザヤは、キリストの到来を蔑まれた契約の名「エッサイの株からのひとつの芽」「その根からひとつの若枝」に見た。今日、キリストを貧困と侮辱の中に見る人はどこに。
(Mynote)
二〇二五年一二月二八日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「主なる神様に仕える事の、信仰に続く二つ目の原則はなんですか。」
「それは、従順です。」
イエス様がエルサレムへ行く時、様々な病人の間を通った。その病人はイエス様を見付けるや否や、「私達を憐れんで下さい!」と叫んだ。するとイエス様は「祭司達の元に行きなさい」と教え聞かせた。その通りにすると病人達は全て癒された。癒された全ての人は、イエス様に感謝した。この救いは、それぞれの人の信仰から来て居る。サマリヤ人とイエス様は仲違いして居り、これはサマリヤの人々が一方的にイエス様を嫌った事による。またイスラエルの偉い高官達は全て、自分達が神様の様に振る舞って居た。皆は、この唯一誠であるキリストの真実、その真実から来る信仰に注目せざるを得なくなった。
(公同礼拝)
『ルカによる福音書』(第二章二二〜三八節)
『イザヤ書』(第一一章一〜一〇節)
この『ルカによる福音書』では、ヨセフとマリアの間にイエス様が生まれた後、モーセの律法による彼らの清めの期間が過ぎた時、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った際のエピソードが記される。
ヨセフとマリアがこの様にエルサレムへ上ったのは、、主の律法に「母の胎を初めて開く男の子は皆、主に聖別された者と、唱えられねばならない」と書いてある通り、幼な子を主に捧げる為である。
その時、エルサレムにシメオンと言う名の人が居た。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んで居た。また聖霊が彼に宿って居た。そして主の遣わす救い主に会うまでは死ぬ事はないと、聖霊の示しを受けて居た。この人が御霊を感じて宮(神殿)に入った。すると律法に定めてある事を行う為、両親もその子イエスを連れて入って来たので、シメオンは幼な子を腕に抱き、神を褒め称えて言った、
「主よ、今こそ、あなたは御言葉の通りにこの僕を安らかに去らせて下さいます、私の目が今あなたの救いを見たのですから。この救いはあなたが万民の前にお備えになったもので、異邦人を照らす啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
シメオンは彼ら(ヨセフとマリアと幼な子のイエス様)を祝し、そして母マリアに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ち上がらせたりする為に、また反対を受け入れるしるしとして、定められて居ます。…そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。…それは多くの人の心にある思いが、現れる様になる為です」。
またアセル族のバヌエルの娘で、アンナと言う女預言者が居た。彼女は非常に年を取って居た。むすめ時代に嫁いで、七年間だけ夫と共に住み、その後やもめ暮らしをし、八十四歳になって居た。そした宮を離れずに夜も昼も断食と祈りとを以て神に仕えて居た。この老女も、丁度そのとき近寄って来て、神に感謝を捧げ、そしてこの幼な子の事を、エルサレムの救いを待ち望んで居る全ての人々に語り聞かせた。
『イザヤ書』では、天国の事が描かれる。この世でも、罪が無ければ人は天国の内に居り、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏し、子牛、若獅子、肥えたる家畜は共に居て、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、獅子は牛の様にわらを食い、乳飲み子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手を蝮の穴に入れる。彼らは我が聖なる山のどこに於いても、損なう事なく、破る事がない。水が海を覆って居る様に、主を知る知識が地に満ちるからである」(『イザヤ書』第一一章六〜九節)とその通りになる。これ等は例えを以て記される様だが、そのまま受け取って良い程、神様の成さる事は人の合理・常識を超える。
「その日、エッサイの根が立って、諸々の民の旗となり、諸々の国びとはこれに尋ね求め、その置かれる所に栄光がある。」(『イザヤ書』第一一章一〇節)
実は全ての人々は神様から生まれた事により、その正直はこの天国を求める。
このイエス様が誕生した時、人々の世界はまだモーセの律法により信仰が担われ(示され)、地上の信仰者はこのモーセの律法しか知らなかった。しかしシメオンやアンナが「救い主を待ち望んで居た」通り、その律法の世界で人々はその罪の内から救われる事なく、新約で示された、救い主・イエス様の存在により初めて罪から救われる契機を得た。詰り旧約の時でも救われる者は定められる様に居たが、多くの人は堕落し、罪の内に自由に走り、神様(唯一の救い)に目も耳も心も向けなかった。
人間は「自由に生きる」とよく言うが、その「自由」は得てして欲望から成っており、本能・欲望の儘に生きる事を正当化する。その果てにソドムとゴモラが在る。
例えばルターの言った「信仰に依る自由」とは、人の常識に縛られず、この人の世で神様の教えに羽ばたく様に走る事、即ち、信仰に生かされる事への自由を指す。その場合、人の常識(俗世)に埋もれ、欲望(罪)の虜になって居る人々からすれは、この「自由」はかなりハードルの高い自由への道となり、自分達が思い願って居た自由」とは、全く違った内容になるのだろう。
子供でも、心から魂を賭し、神様に祈り願い求める事は出来る。神様から生まれた子供(存在)であり、その「唯一誠のキリストである神様に祈る心」を具えられて居るからである。得てして欲望を多く知る大人より、神様から生まれた命に近い純粋な子供の方が、この「心から祈り願う姿」に近いかも知れない。誰でも人は、純粋な子供の様に、神様の真実、信仰に近付かねばならない。人の世で人の知識を自分に積み重ねた者達は、この時のサマリヤ人やイスラエルの高官達の様に、自分達が「神になった」かの様に振る舞い、目的を外れた邪教に走り易い。この点に気を付けねばならない。
信仰に就く時と言うのは、シメオンに定められた時の様に、聖霊を通し、神様から定められる。人は誰でもこの時に気付く。その時に同時に与えられて居る自由の選択肢に就き、正しい信仰の道に就く事を選ばねばならない。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
星野富弘さん「特集 詩画作家・星野富弘 ③」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=c-ywYmKQ0YQ
榎本保郎牧師 ミニ説教20 「今日 全力を注いで」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=E25Gc6LYmOQ
「そればかりはでなく、患難さえも喜んでいます。」
THE DAILY with Arthur Hollands 2024/07/28
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=RKGRFhrAY6s&t=332s
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
星のカケラ
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
(お暇な時にでもどうぞ♪)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




