第2章:夜の掃除人 盗賊と貴族への報復
夜の森は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。僅かな風が木々の葉を揺らし、擦れる音がざわめきのように聞こえる。ワタルはブッシュの陰に身を潜め、息を潜めた。
目の前には、ぼんやりと焚き火の光が揺れる盗賊のキャンプ。粗末なテントが二つ、その周りに汚れた男たちが数人たむろしている。鑑定スキルが、彼らのステータスと所持品、そして「悪意」を正確に示していた。
「……やっぱり、お前らか」
ワタルは独りごちた。あの時、両親の死体から金品を漁っていた男たちの腕には、特徴的な蛇の刺青が彫られていた。このキャンプの連中も、例外なく同じ刺青を持つ。
「さて、掃除の仕方だが……」
短剣を抜く気はない。血飛沫一つ立てずに、全てを終わらせる。それがワタルの流儀だ。
最初の標的は、焚き火の番をしている男。酒瓶を片手に、ウトウトと船を漕いでいる。 ワタルは意識を集中した。念動力が、男の手に持たれた酒瓶に微かに干渉する。
ギシッ、と不自然な音がして、瓶の首がひび割れた。男が訝しげに瓶を見つめ、傾けた瞬間、ヒビが深まり、冷たい酒が彼の顔に盛大にかかった。
「うわっ、なんだこれ!」
男が慌てて瓶を落とす。酒が焚き火に散り、ジュッと音を立てて炎が小さくなる。他の盗賊たちが何事かと目を向ける中、ワタルは次の標的へ意識を向けた。
次は、テントの入り口で座っている男。彼は友が酒をこぼしたのを見て、大声で笑っている。 ワタルの念動が、男の喉仏に触れた。微かに、ほんのコンマ数ミリ、喉の奥にある小さな骨を、通常動かない方向に「押し込む」。
「ひゅっ……!?」
笑い声が途切れ、男は突然、胸を押さえて喘ぎ始めた。顔がみるみるうちに苦悶に歪み、酸欠で青ざめていく。まるで、急に喉が詰まったかのように。
「おい、どうした!?」 「ゲホッ……ゲホッ、ごほっ……」
別の盗賊が駆け寄るが、男はもはや言葉を発することもできない。意識は混濁し、全身が痙攣を始める。
「やれやれ、やりすぎたか……」
ワタルは内心で舌打ちした。致命傷を与えるつもりはなかったが、この世界では少しの油断が命取りになる。それに、苦しんで死ぬ方が、彼らにはお似合いだ。
喉が塞がれた男は、もがき苦しみながら倒れ伏した。そのまま、ピクリとも動かなくなる。
「おい、死んだぞ!?」
仲間の叫び声が響き渡り、キャンプは一気に混乱に陥った。 ワタルは、その混乱の隙を突いた。 テントの中の寝袋に潜り込んでいる男の、頭上にある岩を「わずかに不安定」にする。 見張りの兵士が、首の骨を「不自然な角度」に捻ってしまう。 食事のスープを温めていた鍋の「取っ手」だけを、高温のまま保ち、掴んだ瞬間に皮膚が焼け爛れるようにする。
誰もが「事故」や「病気」を疑う。だが、その背後には常に、ワタルの見えない指先があった。 やがて、キャンプの全ての灯りが消え、静寂が訪れた。
ワタルはアイテムボックスから取り出した袋を手に、キャンプの中を歩いた。 鑑定で有用なものだけを選別し、躊躇なく収納していく。金銭、食料、そして武器。 特に、彼らの短剣や鎧は、ワタルの貧しい装備を補うには十分だった。 全てを回収し終えると、ワタルは残された血痕と痕跡を念動力で消し去った。
「よし。これで終わりだ」
まるで、最初からそこにキャンプなど存在しなかったかのように。
不遜な貴族の転落
森を抜け、小さな街道に出たワタルは、やがて視界に入ってきた豪華な馬車に眉をひそめた。馬車の周囲には、鎧を着た護衛が数名。そして、その前方には、街道を塞ぐように横木が置かれている。
「ちっ、よりにもよって貴族か」
鑑定スキルが、馬車の持ち主である男爵のステータスを表示する。 【バルド・フォン・グラウベン 男爵 レベル15 傲慢】 なるほど、わかりやすい。
護衛が、ワタルのような旅人を見つけると、傲慢な態度で声を上げた。 「おい、そこの汚い旅人! ここはグラウベン男爵様の領地だ! 通行税を払え!」
ワタルは足を止めた。通行税など、この街道には存在しない。ただの強奪だ。 「通行税? そんなものは聞いたことがないが」
「貴様、我らが男爵様に逆らうつもりか!? 殺されたくなければ、さっさと金を出せ!」
護衛の一人が、剣の柄に手をかけた。 ワタルは冷静に護衛と馬車を鑑定する。護衛の剣、馬車の車輪、そして馬の足。 馬車の車輪は、確かに頑丈な造りになっている。だが、「車軸」の素材は、表面の装飾に比べてやや脆い。
「通行料は……お前らの『信用』でいいか?」
ワタルの言葉に、護衛たちがギョッとした表情を浮かべた。 「何を言っている! ふざけるな!」
「いや、ふざけているのはお前たちの方だろう」
ワタルは顔色一つ変えずに、彼らの背後にある馬車に意識を集中した。 車輪と車軸の接合部。その一点に、念動力の全てを集中させる。 ミシミシ…… 音は、誰にも聞こえない。ただ、ワタルにだけ、車軸の木材が軋む微かな振動が伝わってきた。
車輪の取り付けが、ほんのわずかに、しかし確実に緩む。 男爵が馬車の中から顔を出し、ワタルを指差した。 「無礼者め! 捕らえろ! 奴隷として売り飛ばしてやれ!」
その声と同時に、護衛たちがワタルに向かって駆け出す。 ワタルは冷静に、馬車へと目を向けた。 男爵は窓から身を乗り出し、高笑いをしている。
「さあ、通行税を払うがいい! あるいは、痛い目に遭うか!」
ワタルは、微かに口の端を吊り上げた。 「痛い目、か……。それは、お互い様だろう」
その瞬間、馬車の御者が馬を動かし、進み始めた。 ガタ、と馬車が街道の小さな窪みを乗り越えた時、**キイィィィィィィン!!**と、耳をつんざくような金属の軋む音が響き渡った。
次の瞬間、馬車の左後輪が、まるで意志を持っていたかのように、突然外れた。
「なっ!?」
車輪を失った馬車は、バランスを大きく崩し、傾きながら街道脇の泥沼へと突っ込んでいく。 「ぎゃあああああ!!!」
男爵の悲鳴が、街道に木霊した。 馬は混乱し、御者は手綱を必死に引くが、時すでに遅し。 馬車は泥と水飛沫を上げ、車体が大きく横倒しになった。
護衛たちは呆然と立ち尽くしている。 ワタルは、彼らから目をそらすと、何事もなかったかのように歩き出した。 泥沼の中で、男爵と護衛たちが悪態をついている声が聞こえる。 「……まったく、不運な奴らだ」
誰も、ワタルの見えない指先が引き起こした「事故」だとは気づかない。 それが、ワタルの望む、静かなる「不条理への反旗」だった。
ワタルは街道を外れ、人跡稀な深い森の奥へと足を踏み入れた。 ここなら誰の目もない。「静かに生きる」ためには、今のままの「なんとなく動かせる」レベルでは心許ない。何より、念動力は俺がこの世界で唯一、誰にも邪魔されずに育てられる「自分だけの武器」なのだ。
巨木の根元に腰を下ろし、ワタルは深く息を吐いた。
「ステータスオープン」
呟きとともに、空中に半透明のウィンドウが展開される。前世のゲームで見慣れたUIだが、この過酷な世界ではこれが唯一無二の命綱だ。
【ステータス】
名前: ワタル(南雲 亘) 年齢: 22歳 レベル: 8 HP: 120 / 120 MP: 45 / 180
【スキル一覧】
アイテムボックス(容量無限・時間停止・鮮度保持)
鑑定(全対象対応)
念動(魔法):消費MP 1~(出力に依存)
「レベル8か。盗賊キャンプを壊滅させたのと、道中の魔物を間引いた分で少し上がったな」
ワタルは画面をじっと見つめる。 このシステムにはレベルの上限がない。そして何より大きいのは、レベルアップ時にHPとMPが全回復するという特性だ。死の淵に立たされていても、あと一歩、レベルを上げればその瞬間に万全の状態に戻れる。これは実質、戦場での「予備の命」を持っているに等しい。
「MPの消費も、以前より明確に見えるようになった。念動は便利だが、調子に乗って使いすぎるとすぐに枯渇するな……。今のうちに少しでも効率を上げる訓練をしておくか」
ワタルはアイテムボックスから、いくつかの「実験道具」を取り出した。 それは、先ほどの盗賊キャンプから略奪した錆びた投擲ナイフ、極細の縫い糸、そして数粒の豆だ。
訓練:多重並列処理と微細干渉
ワタルは五粒の豆を宙に浮かした。 「ただ浮かせるだけなら簡単だ。だが……」 彼はそれぞれの豆に、異なる動きを命じた。一粒は時計回りに、一粒は反時計回りに。残りの三粒は上下左右、バラバラの軌道を描かせる。
「……くっ、頭が割れそうだ」
前世の事務作業で培ったマルチタスク能力をフル稼働させる。 脳の裏側が熱くなる感覚。これが「魔力」を消費している証拠だ。 一粒でも落とせば失敗。視覚ではなく、空間に広がる「感覚」で豆の座標を把握する。
次に、ワタルは錆びたナイフを浮かせた。 「鑑定」で見ると、刃の表面には微細な凹凸と錆がこびりついている。 彼はナイフを浮かせると、その表面に「念動のヤスリ」をかけた。 物理的な砥石は使わない。金属の表面を念動で強引に「平らにならす」イメージだ。
キリキリと、耳鳴りのような音が脳内に響く。 錆が粉となって剥がれ落ち、鈍色だった刃が、鏡のように光を反射し始めた。
「……ふぅ。これができれば、戦闘中に敵の靴紐を結んで転ばせることも、服の隙間から心臓に極小の針を送り込むことも可能になる」
数時間の訓練を終えたワタルの視界で、MPの数値が残りわずかを示していた。
「MPがもう一桁か。……よし、あと一回レベルを上げれば全快する。なら、今日はこのまま『実戦』でレベルを上げてから休むか」
ワタルは立ち上がり、鑑定スキルを周囲の森へと広げた。 訓練したばかりの「微細操作」。これを使えば、今まで苦戦していた魔物も、もっとスマートに、もっと「チンケ」な一撃で仕留められるはずだ。
「……いた。あの巨体、Dランクの俺が一人で挑む相手じゃないが……今の俺ならいける」
木々の隙間に、巨大な牙を持つ**「フォレストボア」**の姿を捉えた。 ワタルは気配を消し、アイテムボックスから磨き上げた投擲ナイフを静かに浮かび上がらせた。




