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リキッドサンシャイン~わたしたちのひと夏~  作者: 毛糸ノカギ
第一章 蝉の声、夏の始まり
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第4話 熱に浮かれて

 僕がここを調べて、インターネットで園内マップを見たとき、たしかにここには滝があると書かれていた。

 だが、ここはあくまで室内なので、きっと小さな滝なのだろうと正直侮っていた。小さくても子供の視点なら大きく見えるだろうし、小さいことは問題にならない。


 だから今、こうして聞こえてくる雄大な水の音を前に、僕は呆気に取られてしまっていた。


「意外にちゃんと滝だ……」

「ねー…すごいでしょ。この滝を見てると、ここが室内だってことを一瞬忘れちゃうくらい迫力があるよね」


 僕と違い、鈴夏はなんだか見慣れた感じだ。さすがに三回目というだけのことはある。


「確かに。音もすごいし、目立つもんね。これだけ存在感があると、他のものが霞んじゃいそうだけど」


 実際、僕は植物よりも目の前の滝ばかり見ている。忘れちゃいけないが、ここは植物園だ。


「そう? わたしはこの滝以外も好きだけど……ほら、このノッポな木とか、あっちのジャングルみたいな草とか。さっき見た小さな滝も好きだったなぁ」

「さっきの滝って、あのちょろちょろ水が落ちてきてたやつ?」

「そうそう。あの感じ、なんだか可愛くなかった? 滝のあかちゃんみたいで」



 まぁ、そういう捉え方もあるのか。僕は『なんだかショボい滝だな……』なんて捉え方しか出来なかったので、彼女みたいな捉え方を少し見習いたくなった。


「なら鹿威しとかも好きそうだね」


 そういう捉え方が出来るなにか可愛らしいものを考えてみたら、それが浮かんだ。

 すると鈴夏は満足そうに頷いた。やっぱり好きなようだ。


「うん! 正解! もしかして、わたしのこと、だんだんわかってきた?」

「はは、鈴夏検定三級くらい?」

「準二級をあげてもいいよ。将来性込みで」

「うわー……準二級かぁ……取れるか不安だなぁ……」


 大抵どの検定でも準二級から急に難しくなるものだ。だからそんな期待しないでほしい。


「じゃあ、そんな君に練習問題です!」


 鈴夏は道脇にあった何本かの花の前に立つと、僕に向かって仁王立ちをした。いたずらな笑みを向けてきている。


「ここに咲いてる二つの花、わたしはどっちの方が好きでしょうか?」


 言われて彼女の背後を見てみると、ヨーロッパにありそうな純白の花と南国にありそうなピンクの花が咲いていた。ぱっと見て、どっちも鈴夏が好きそうな花だなと思った。


「わかるかな~?」

「うーん……どっちも正解ってことは?」

「ないない。ちゃんとどっちか一本だけだよ」

「ヒントとかは?」

「ないよ」

「うわぁ……難問だな……」


 確率的には二分の一。なにもわからないので勘で答えるしかない。どうしたものだろう。


 白色の花は、女の子が好きそうな花だ。可愛さと綺麗さが合わさったような花で、高潔さを感じさせる。童話に出てきそうなイメージだ。


 ピンクの花は、おしゃれな花だ。大きめな花弁を持つこの花からはどこか親しみやすさを感じることができる。何かに似てる気がしてよく見てみるとシュシュのように見えた。これをつけているのは、ハワイや沖縄なんかでフラダンスを優雅に踊る女の子たちな気がする。


 なら、きっとこっちだろう。


「―――白い花、かな」

「……へぇ。なんでそっちだと思うの?」

「なんかこっちの方が鈴夏っぽい気がする」


 ピンクでもいいんだけれど、なんだか鈴夏らしいと感じるのは白い花の方だったのだ。こっちの方がなんだか特別っぽい。


「……ふーん。英雄から見たわたしってこんな感じなんだ」


 鈴夏はひとりごとのようにそう呟いていた。僕にはあまりはっきりとは聞こえなかったけれど、多分そんなことを言っていたと思う。


「けど残念。正解は赤い花でした!」

「うわっ。二分の一外した」

「この花、ハイビスカスって言うんだけどね、いつ見ても南国の潮風の匂いがするの。それが、昔家族で行った沖縄の匂いみたいだから、わたしはこの花が好き」

「わかるわけないってそんなの」

「でも、次また同じ問題が出たら解けるでしょ?」

「忘れてたら解けないけどね」


 といっても、正直忘れる気はしなかった。

 きっと十年先でも覚えていると思う。こんなことを言ったのは、僕の困る顔をみて楽しんだであろう鈴夏への仕返しといったところか。


「えー……じゃあ、ちょっと待ってて」


 何かを思いついたのか、鈴夏はバッグからスケッチブックと鉛筆を取り出すと、ハイビスカスの方に向き直り、鉛筆を持った手をせわしなく紙の上で動かし始めた。


 というか、スケッチブックなんて持ち歩いてたのか。


「なにしてるの?」


 聞いても鈴夏は反応しない。ちらりとスケッチブックを除いてみると、どうやらハイビスカスを絵に描いているみたいだった。


 どういう意図があるのかは知らないが、仕方ないので僕は近くにある花や木を見ながら待つことにした。



***



「できたよ」


 僕が近くにあったコーヒーノキを見ながら、コーヒーって木の実から作られるんだ、なんてささやかな驚きを感じていると、鈴夏が一仕事終えたような顔つきで、僕の服の袖をちょいちょいと引っ張ってきた。


「はい。これあげる」


 差し出してきたのは、今描き上げられたばかりのハイビスカスの絵。写実的に描かれたハイビスカスは、なんだか鈴夏らしくない普通の絵のように思えた。


「くれるの? なんで?」

「それがあれば忘れないでしょ」

「なるほど。ところで、これどうやって持って帰ればいい? あいにく、クリアファイルとか持ってないんだけど……」

「ん? 別に折っちゃっていいよ。あ、でも無くさないようにね」

「あ、そうなんだ。じゃあそうさせてもらうよ」


 僕はもらった絵を四つ折りにしてポケットに入れた。


「でも、どうせなら鈴夏らしい特別な絵が欲しかったなぁ」


 と、なんとなく思っていたことが、ついぽろっと口から出た。


「――……んー…その絵じゃ不満?」


 鈴夏は急に真顔になった。僕は焦って弁明の言葉をつづけた。


「いや不満ってわけじゃないんだけどさ。せっかく鈴夏が描いてくれたんなら、ほかの人でも描けるような絵じゃなくて、鈴夏にしか描けない絵の方がよかったなぁ……なんて」


 早く内容を伝えるためにずいぶんと早口になってしまった気がする。


 しかし、鈴夏は真顔を崩さない。真顔のまま、なにか考え込むように顎に手を当てている。どうするべきだ、これ。


「あの、怒ってる?」


 恐る恐る聞いてみた。


「ううん。怒ってるんじゃないの。ちょっとどうしたらいいかなぁって考えてて」


 それ、怒ってるやつじゃないか。一番怖い怒り方じゃないか。


 狼狽えてる僕を傍目に、鈴夏は「よしっ」と意気込むと、教師が教え子を諭すように言った。


「今から美術館に行きます。そこで君には、絵というものをちゃんと理解してもらいます」

「えぇ…? 美術館…?」


 問答無用とばかりに歩き出す鈴夏。僕は彼女についていくしか選択肢はなかった。



***



 この植物園の隣には、美術館がほとんど隣接しているかのように構えられている。


 さすがは市営の施設なだけあって常設展示だけなら入館料無料なので、植物園のついでに寄ってみようと思う人も多いのではないだろうか。


 館内はそれほど大きくないものの、それがむしろゆったりとした空間創りを担っているように思う。暖色の室内灯と、館内に流れるクラシック音楽のおかげで、気分はなんだか心地が良いから居ようと思えばいくらでも過ごせる。


 とはいっても、ピカソやダヴィンチみたいな有名どころの絵は飾っていないので、僕みたいな絵をかじってこなかった人間が来ても、あまり有意義な時間を過ごせるとは思わない。

 右から左へ流れていく絵を見て、馬鹿みたいに口を開けることしかできないだろう。


 しかし、鈴夏のような人間は違う。展示された一枚一枚に対して時間をかけてゆっくりと思いを巡らせることができる。


 現に今、鈴夏が目の前の絵を眺めはじめてから十分ほど経っていた。その間彼女は何一つ言葉を口にすることはなく、僕から見れば茫然と立ち尽くしているだけのようにも見えた。


 美術館に入る前、彼女に「絵を描いた人のことを考えながら見てみてね」とだけ言われた。


 僕はそのことを意識しながら絵を見ているが、どうにも彼女のように没頭してみることはできていない。ただ彼女が満足するのを待つ間、暇つぶしに絵画の鑑賞をしている感覚だった。


 そんな風に館内をめぐりながら、あるギャラリーにたどり着いた。


 どうやらここは、著名な画家や芸術家の作品ではなく、一般人によって作成された作品を飾っているギャラリーらしい。展示は時期によって異なり、今は阿賀野川を描いた絵を何点か展示しているようだ。


 僕は全く期待していなかった。描いたのは凡人だし、題材も川なんて代り映えのないもの。見ていて面白さなんて感じないだろうし、そもそもこれらよりも優れた絵なんて探せばいくらでもある。


 けれど、意外だったことが一つだけ。


 一言に阿賀野川といっても、同じ絵は一つとしてなかった。


 どの絵も同じ川を描いているはずだけど、川の表現が違ったり、描いている景色が違ったりした。


 当たり前なことではあるけど、描いている人が違うのだから当然描く場所も変わってくるわけだ。

 その日の天気や時間によっては、川の色だって澄んでいたり濁っていたりするかもしれない。


 ふと、鈴夏の言っていたことがわかったような気がした。


 鈴夏は相変わらずじっくりと絵を見ていた。おそらく彼女は、匂いを嗅いでいるのだろう。受け取った手紙を読むように、何度も読み返すようにして、色々な匂いを感じ取っている。


 それはやっぱり僕にはわからないけれど、わかってあげたいと思った。


 だから、僕も彼女と同じように、彼女と同じ絵を見てみる。


 その絵は、親子が釣りをしている様子を描いていた。楽しそうに釣竿を川へ垂らしている。


「この絵からはどんな匂いがするの? やっぱり川の匂い?」


 ふと、そんなことを聞いてみた。鈴夏は絵を見たまま答えてくれる。


「ううん。潮風とお菓子の匂いがする」

「……どゆこと?」

「潮風の匂いは親子から。お菓子の匂いは隅の方に描かれた男の子から。どっちもいい匂い」


 言われてはじめて気が付いたが、絵画の隅の方には親子の遠く離れたところで釣りをしている男の子が描かれていた。

 これに気が付かない人も多いんじゃないだろうか。


「…お菓子の匂いねぇ」


 というか、潮風の匂いってのもおかしい気がする。だって、この絵に描かれてるのは川だ。潮風が吹くのは海であって、川で吹くにはまだ早い。


「潮風とお菓子って、どっちか片方だけで良くないか?」


 なんなら、混ざって双方の良さが打ち消されてしまってる気がする。まぁ僕が匂いを感じることはできないんだけれども。


 だが、鈴夏は迷いなく首を横に振った。


「ダメ。この絵にはどっちもなくちゃダメ。潮風とお菓子の匂いが描いた人が描きたかったものだもん」


 言っている意味がよくわからなくて首を傾げていると、鈴夏が説明を続けてくれた。


「置き換えるとわかりやすいかも。潮風は親子で、お菓子は男の子って考えてみて」


 そう説明されると、途端にわかりやすくなった。なるほど、たしかにどちらも必要だった。

 そう思ったとき、僅かに鈴夏と同じものを見れた気がした。この絵は、この作者にしか描けない絵だったのだろうと思えた。


「ねぇ。ちょっと寄ってこ? 立ちっぱなしで疲れちゃった」


 展示を見終わった後は、鈴夏の提案で美術館内にあるカフェで余韻に浸った。

 僕は自家製バウムクーヘンを、鈴夏はプリンを頼んでいた。


「それで。どうだった?」


 プリンを半分ほど食べた鈴夏が聞いてきた。僕はバウムクーヘンを一口食べてから答える。


「やっぱり鈴夏の絵ってすごいんだなぁ、って思った」

「え? わたし?」

「うん。鈴夏の絵が一番きれいだと思った」

「うぅ……そう言ってくれるのはうれしいんだけど、わたしが聞きたかったのはそういうことじゃなくてぇ……」

「わかってるよ。他の絵が下だって言いたいんじゃない。ただ、僕が一番好きなのが鈴夏の絵だってだけだよ」


 少しクサかっただろうか。若干口説き文句かとも思える。鈴夏が顔を赤くしてるのを見ると、余計にそれっぽく思えた。


 けど、これは本心だ。だから、鈴夏への答えとして包み隠さず回答するべきだと思った。


「阿賀野川の絵がそうだった。誰でも描けるものだけど、それぞれの絵は描いたその人にしか描けない。だからつまり……」


 僕はポケットを軽く叩いた。中にはちゃんと四つ折りにした鈴夏の絵があるのがわかる。


「これも、鈴夏が描いた絵だから、鈴夏の絵なんだよね」


 その答えを聞いた鈴夏の顔は、あの満開の花のような笑顔だった。


「―――正解! よくできました!」


 店内だから控えめだけどぱちぱちと拍手をしてくれた。安心したのかほっとため息が出た。


「うれし~! わかってもらえるんだ、これ!」

「そんなにうれしいの?」

「だって、自分を知ってもらえるんだよ? それってすごく幸せなことじゃない?」

「そうかな? 結構当たり前なことのような気がするけど」


 少なくとも、人を知ることはコミュニケーションの基本だと僕は思っている。


「でも、簡単なことじゃないよ。人はどうでもいいことを知りたいとは思わないから。だから、興味を持ってもらうには工夫が必要なの」

「工夫? おもしろいことするとか?」

「んーどうだろ。わたしとは方向性が違う気がするけど、そういうのも工夫なのかもね」

「じゃあ、鈴夏はなに工夫してるの?」

「絵だよ。わたしは、わたしの見てる世界を知ってもらうために絵を描いてるの。世界はこんなにきれいなんだって、みんなに知ってほしいから」


 そういえば、以前ちょろっとそんなことを言っていた気がする。今まで、僕はてっきり賞を取るために絵を描いているものかと思ってた。


「それでも、きっかけにしかならないけどね。だから、君が頑張ってわたしを知ろうとしてくれたことが、すっごくうれしいんだよ」

「そ、そう? ならまぁ、悩んだ甲斐はあったよ」


 それからカフェを出た後しばらく経っても、鈴夏はずっと上機嫌だった。彼女が喜んでくれているのを見ると、僕も気分が良かった。



***



 夏は日が落ちるのが遅い。

 冬なら今頃の時間だともう日は沈んで、星が見え始めるころになるはずだ。

 だというのに、夏になると日はいつまで経っても落ちるのを拒み、灼熱の光を照らし続けてくる。


 そんな太陽のせいで、一日がいつまでも終わらない気がした。


 けれど、ゆっくりと着実に終わっていく。帰りの電車が僕たちの町に近づくにつれ、僕はじわじわと感じていた。


「―――でね、そのあと主人公が髪を切って登校してくるんだけど。そこがあの漫画で一番きれいなシーンだって思ってて―――」


 鈴夏との何気ない会話の一つ一つが楽しくて。


「―――英雄はどんな漫画が好き? やっぱりバトル系? ………あー今度映画化するやつでしょ? おもしろそうだもんね。わたしも読んでみよっかな―――」


 鈴夏の笑顔を見るとつられて僕の口元も緩んで。


「―――あ。駅、ついちゃったね。残念。もうちょっと話したかったんだけどなぁ―――」


 鈴夏が寂しそうな顔がたまらなく愛おしく感じた。


 そんなことを、じわじわと感じていたのだ。


 たった一日。いや、二日だろうか。どちらにせよ、短い時間であることには変わりない。

 彼女と共に過ごした時間は、十時間いくかいかないかくらいだ。


 そんな僅かな間で僕がこう思ってしまったのは、やっぱり彼女が特別だからなのだろうか。


 こんな夏の夢みたいな時間も、改札を出てしまえばもう終わる。

 僕と彼女の帰り道は逆方向で、景色探しも今日一日探しただけで終わるかもしれない。学校で接点がない僕らが、次に話す機会は果たしてあるのだろうか。


 いや、ないだろうなぁ。

 そう思いながら、駅の改札を抜け、流れるように駅舎外に出た。


「……ねぇ。あのさ、そのさ…………」


 隣を歩く鈴夏が、突如立ち止まり口を開いた。さよならを切り出すつもりだと思った。


 だから僕は心して鈴夏の言葉を待った。けれど、彼女はなんだかもじもじと言い淀んでいるようで、十秒ほど間が開いた。


 そして、大きく深呼吸した後に「よしっ」と意気込んで、考えこんだ言葉を口にし始めた。


「今日、すっごい楽しかった! 英雄のおかげで、わたしはずっと楽しかった。君はどう?わたしと一緒にいて楽しめた?」

「……そりゃ、もちろん。楽しかったよ」

「ならさ! ら、来週も、また一緒に探してくれたり、しない……?」


 彼女がそう言ったとき、遠くで蝉の声がした気がする。ひぐらしかミンミンゼミか、蝉に詳しくない僕にはわからないけど、夏が聞こえた気がした。


「……じゃあ、また行き先を考えなきゃか。今度は行ったことないところに行こう」

「ん……そうしてくれると、うれしい……」


 僕はどうにも彼女の顔を見たくなったけれど、彼女の顔は深く被られた麦わら帽子に隠れて見えなかった。


「…それじゃ、わたしあっちだから! 帰るね!」

「あぁ……それじゃあ、また来週……」

「うん。また、来週……!」


 結局彼女はそのまま顔を見せることなく帰ってしまった。パタパタと小走りのようにして歩く後ろ姿が、この問題のヒントなんだと思った。


 六月十三日。夏の日差しに照らされて、体も心も暑い日だった。


第一章はこれでおしまいです。

続く第二章は明日公開。



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