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リキッドサンシャイン~わたしたちのひと夏~  作者: 毛糸ノカギ
第五章 それでも。何度でも。
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第17話 灯台下暗し

 そんなある日。

 この日はお父さんも仕事が休みで、今は四人で昼食を取っていた。


 最近は、この家で食事を頂くのが当たり前になって来て、もう僕用の箸や皿などが用意されているくらいだ。それが普通になるほどにはこの家に馴染んでいた。


 今日のメニューはオムレツ。ちなみに、僕のよりも鈴夏のものの方が大きい。最近の鈴夏はよく食べるのだ。

 曰く、「おいしいんだからしょうがないじゃん!」とのこと。


 しかも、これでいて食後はアイスを食べる。

 そのため、この家の冷凍庫には買い貯めたアイスがいっぱい詰まっている。


「あれ…?お母さーん。アイス無いよー?」


 オムレツを食べ終えた鈴夏が、冷蔵庫を漁りながら聞いていた。


「あぁ。アイスなら昨日お父さんが食べちゃったわよ」

「えー……お父さん、食べちゃったのかぁ……」


 しょんぼりしている。


 この間見たときはまだ結構あったのに、もう無くなっていたのか。


 毎日食べてたらあっという間なんだなぁと、しみじみと思った。


「はは。ごめんよ。代わりに今から買って来るから、そう落ち込まないでおくれ」

「ほんと? なら、わたしも行くよ」

「いや、鈴夏は待っていなさい。その代わりと言ってはなんだが、英雄くん、一緒に来てくれないかな?」

「え? 僕ですか?」


 突然のご指名に少し驚いた。


「なに。沢山買ってくるつもりだから、男手が欲しいだけだよ」

「あぁ、確かに。わかりました。行きます」


 どれだけ買うつもりなんだろうか。なんて思いながら、僕はお父さんと一緒に買い出しに出掛けた。



***



 お父さんは、とても穏やかな人だ。


 この人が怒るところが想像できないほど、普段からニコニコしていて物腰が柔らかい。最近は、この人がいるとどこか安心感を覚えていた。


 だから、そんな人が今、僕の目の前でため息をついているのが意外だった。


「あの……どうかしましたか?」

「いやぁ。ちょっとね、悩んでいることがあるんだよ。実は、君についてきてもらったのはそれを相談したかったからなんだ。ちょっと、聞いてもらってもいいかい?」


 そうだったのか。まったくわからなかった。

 この人が僕に相談って、一体何のことなのだろう。


「もちろんです。力になれるといいですけど……」

「それは大丈夫。君の考えが聞きたかったんだよ」


 そうして、お父さんは話し始めた。


「……実は、少し前にある手紙が届いてね。その差出人が、森田安茂という人だったんだが、君はこの名前を知っているかな?」

「……もちろんです」


 森田安茂。あの評論家の男の名前だ。


 ずいぶん前に、僕たちが戦って勝ったはずのあの男。

 まさか、性懲りもなくまだ鈴夏に関わるつもりなのか。


「それで、手紙にはなんて?」

「……謝罪文だったよ。丁寧な字で、紙一枚びっしりと書かれていた」


 それを聞いて、ほっと息を吐いた。


「悩んでいるのはそれのことでね。この手紙を、あの子に見せるべきかどうか。君の考えが聞きたい」


 僕は即答する。


「見せたくないです。僕たちにはもう関係ないことなので」


 それを聞いて、お父さんは穏やかに微笑んだ。

 多分、この人も見せたくないと思っていたんだろうなと、勝手な推測を立てた。


「……では、あの手紙は捨てておこう。……ありがとう。おかげでスッキリしたよ」

「はは。よかったです」


 そして、ほんの少しの間、僕とお父さんは無言で歩いた。

 ふと、風鈴の音が聞こえた。近くの家で吊るしてあるのかもしれない。


「―――英雄くん、風鈴の音は好きかい?」

「はい。好きですよ」


 僕が一番好きな季節は夏だ。

 風鈴の音を聞いていると、そんな夏を感じることができる。


 だから、風鈴の音も好きだ。

 今、そう思った。


「そうか。私もあの音が好きなんだ。同じだね」


 そして、また無言で歩く。

 そのうち、スーパーの看板が見えた。このまままっすぐ歩いて行けば、スーパーに着く。大量にアイスを買うなら、目的地はあそこだろう。


 なのに、お父さんは道を曲がった。そこはちょっと大きめの公園だ。もちろんアイスなんて売ってない。


「あの、スーパー、行かないんですか?」


 不思議に思って聞いてみる。


「いや、スーパーはもう少し後で行こうかな。その前に、君に見せたいものがあってね」

「見せたいもの、ですか?」

「まぁ、ついたら教えるよ」


 そう言って、公園の中を歩いて行く。

 よくわからなかったが、僕も後に続いた。



***



 この公園には、以前一度来たことがある。ここは、だいぶ前に景色を探しに来て、やっぱりここではないと判断した場所だ。


 滝はないし、あるのは何本か木が生えた丘と渓流のイメージとはかけ離れた小川。

 一応鈴夏にも確認はしてもらったが「もうちょっと山っぽかったはず」と否定されている。


 そんな公園で、お父さんは僕に何を見せたいのだろうか。

 そう疑問に思いながら、芝生の広場を抜けて、丘の上を歩いた。


「――――この音……」


 ふと、水が落ちる音がした。

 前回は聞かなかったはずの、水が落ちる音。


 なんで、と逸る気持ちを抑えて、お父さんの後ろを歩く。

 どんどんと、その音は大きくなっていった。


「この間、あの子から君がここを探していることを聞いたんだ」


 丘を下ると、それは見えた。

 音の正体は、噴水だ。

 小さな、滝みたいな噴水だった。


「な、なんで……? 前は水なんて出てなかったのに……」

「ここの噴水はね。十時から十四時の間しか稼働しないんだよ。きっと以前英雄くんが来たのは、それ以外の時間だったんだろう」


 言われて、僕は前回何時に来たのかを思い出す。

 前回ここに来たのは………ちょうど十八時だ。家路が聞こえてきたから間違いない。


 あぁ。そうなのか。こんな近くにあったんだ。


「実を言うと、この場所は隠しておきたかったんだ。ここは、あの子が期待していた山の中ではないからね。あの子の特別な思い出を壊すまいと、長いこと秘密にしていたんだ」


 噴水の前で、お父さんは止まる。僕も、その滝の前に立った。


「今にして思うと、ここは私にとっても特別な場所だったのかもしれないね。ここを独り占めしたいという醜い独占欲が、私にはあったのかもしれない。だが……」


 僕の肩にぽんと、お父さんが手を置いてくる。


「私は、君の頑張りに報いたいと思った。だから、私が差し出せる中で最も特別なものを、君に差し出そうと思う。娘を救ってくれて、本当にありがとう」


 これは、ご褒美なんだろうか。

 頑張って、期待に応えた僕への。


 なら、ある意味で僕の力で見つけたと言えるのかもしれない。そう思っておこう。


「……いや、でも待ってください。鈴夏は、電車でどこかの町まで行ったと……」


 お父さんは不思議そうに首を傾げた後、「ははは」と笑った。


「それはあの子の勘違いだね。あの日は、確かに電車には乗ったけど、結局どこにも行かずに帰ってきたんだよ。きっと電車に乗るという思い出だけが残っていたから、移動したと思ったんだろう」

「それって、どういう……?」


 電車に乗って、どこの駅にも降りずに引き返して帰ってきた。

 それは分かる。けれど理由がわからなかった。


「……その頃の私は記者をやっていてね。ゴシップ記者だった。毎日スキャンダルを求めて必死に走り回っていたよ。あの日も、あるスクープを撮りに行くつもりで出掛けようとした」


 それは知らなかったが、代わりに以前鈴夏が言っていたことが思い出される。


「確か、そこに鈴夏がついてきたんですよね?」

「……そう。いやぁ。あのときは本当に困ったよ。娘を連れて取材なんてできるわけないからね。とはいえ、置いて行くこともできなかった。もしそうしたら、泣かれてしまいそうだったからね。だから、仕方なく連れて行ったんだ」


 そして、二人は電車に乗って、別の町に行った。今まではそうだと思っていた。


「そして、電車に乗っていたらね。突然鈴夏に、窓の外を見ろと言われてね。見たら、青田が広がっていた。それを、あの子は綺麗だと言ってきたんだ」


 そういえば、電車の中でもワクワクするとか言っていた。

 そのときも、あれと同じようなことを言ったのだろう。


「その言葉を聞いて、私は、自分の世界と目の前の青田を比べてしまった。そして、今の自分が物凄く汚い存在だと気が付いたんだ」

「それは、記者という職業のせいで、ですか……?」


 僕がゴシップ記者に抱いているイメージはそういうものだ。他人の人生を貶めて金を得るという汚い大人のイメージ。


 だから、この人が記者だったと言うのは、どうにも信じられなかった。


「いいや。仕事には、誇りをもって働いていたよ。悪を許さないという、ちょっとした正義感だ。……私が汚いと思ったのは、この世界の方だ。仕事を通して、世界は悪意に満ちていることを知ってしまった。そして、自分もまた、その世界の一員なのだと知ったんだ」

「だから、引き返したんですね」

「引き返すというより、逃げ出した、の方が正しいね。取材を中止して、すぐに綺麗な世界に行きたかった。そう思ったら、いつの間にかこの公園に来ていたんだ。多分、子供のころに戻りたいとでも思っていたんだろうね。ここは、私もよく遊んでいた場所だったから」


 ふと、子供たちが鬼ごっこをして遊んでいる姿が見えた。

 沢山の子供たちが、芝生の上を元気よく走りまわって、夢中になって遊んでいた。


「久々に公園の景色を見て、鈴夏がいい匂いがすると言っているのを聞いて、もっとこういう景色を知りたいと思ったんだ。だから、記者の仕事は辞めて、今の観光課の仕事に就いた」


 それが、なかなか過去を話したがらないはずのお父さんが、僕に話してくれた過去の話だった。


 最後に「だが、私が自分の生きてる世界が綺麗だと思えたのは、それからずいぶん先のことだったけどね」と言って締めくくると、僕の肩から手を離し、今度は優しく背中を押した。


 そして、僕に満開の笑みを向けてくる。親子そっくりな笑い方だった。


「それじゃあ、あの子のこと、よろしく頼んだよ」

「―――はい!」


 はっきりと答えて、僕は夏の中を走り出した。


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