第15話 ごめんね
七月ももう中旬。夏真っ盛りといった炎天下の中、また一週間が始まる。
今頃、学校では一限の授業が始まるころだろう。
だというのに、僕は鈴夏の家のリビングでお茶を飲んでいた。お母さんが出してくれた冷たい麦茶だ。夏休みの課題として出されたワークを進めながら、時折一息入れるために飲む。
僕は学校を休んだ。しばらく行くつもりはない。
心配をかける前に、光一たちにはラインで伝えておいた。
二人はそれを知ると、「そっかそっか」と返してきた。心なしか満足そうにしている気がした。
当然だが、無断欠席をするのはまずいので、母さんには休むことを伝えておいた。
理由を聞かれたので、「好きな人が大変だから、傍にいたい」と堂々と答えると、意外にもあっけなく許してもらえた。いつもは僕がサボろうとすると般若のような顔で怒ってくるのに。
まぁそれはともかく。僕は課題を消化しながら、彼女が部屋を出てくるのを待っていた。
やがて、午後一時になると、誰かがゆっくりと階段を降りて来る音が聞こえた。
「や。おはよう」
「―――……なんで、いるの?」
リビングに入ってきた彼女を、気さくな挨拶で出迎える。
もちろん彼女は、わけがわからないといった顔をしていた。
「だって、君の傍に居たかったから」
「……学校は? まさか、休んだの?」
「うん。もうすぐ夏休みだし、まぁ先取りみたいな」
「……あっそ」
ぷいっと顔を逸らして、そのままキッチンへ歩いて行った。
ちょっと悲しかったけれど、でもへこたれるわけにはいかない。
まだ、頑張り始めたばかりだ。
僕はその後も黙々とワークを進め、彼女が前を通りかかるたびに微笑みかけた。結局、この日は合計で四回しか会えなかったけれど。
午後六時を回ったくらいで、お母さんが夕食の支度を始めたので、邪魔にならないように帰ることにした。
***
そうやって、次の日も、またその次の日も、一週間ほどそんな生活をして過ごした。
あれから鈴夏が僕に話しかけてくれることはなかったけれど、一日一回以上は顔を見ることが出来ていた。
そんなある日、夜眠る前に鈴夏からメールが来た。
何かあったんじゃないか。そう思ってすぐに内容を確認した。
『明日は、制服で来てください』
とりあえず、大丈夫そうだった。
でもなぜだろうか。制服を着てほしい理由がよくわからなかった。
まぁ、鈴夏が言うならなんでもいいか。
眠かった僕はそう結論を出して、布団に潜った。
そして翌朝。言われた通り制服を着て鈴夏の家を訪れた。
今日は果たして何回会えるかな。そう思って玄関を開けると、驚くものを見た。
そこには、制服を着た鈴夏が立っていた。通学バッグを持ち、学校に行く準備を終わらせて、そこに立っていた。
「えっと……何してるの?」
「……何って、学校に行くんだよ。今日は平日だよね?」
「いや……そうだけど……」
でも、鈴夏は学校に行きたくないはずだ。
それどころか、きっと外にだって出たくないだろうに。
「……だって、こうすれば君も学校に行くでしょ」
僕の考えていたことを見透かしたように、鈴夏は言った。
なるほど。制服を着て来いと言われたのは、このためか。
心配だった。もちろん、彼女が僕を思ってくれたことはすごく嬉しい。
けれど、そのせいで余計に彼女を苦しませるようなことはしてほしくなかった。
「……無理はしてないんだよね?」
今度は間違えないように、しっかり彼女の目を見て聞いた。
もし、少しでも行きたくないと思っていそうならやめさせようと思っていた。
「うん。してないよ」
けれど、鈴夏はまったくそんなことを感じさせない、真剣な表情で答えてきた。
「……そっか。じゃあ、一緒に行こうか」
こうして、今日は久々の登校日になった。
***
通学中は、雑談をしながら歩いた。
といっても、ほとんど僕が一方的に話すような形だったが、一応話は聞いていてくれてるのか、頷くなどして相槌は打ってくれていた。
けれどそれも、学校に近づくにつれてどんどん頻度が少なくなっていった。
鈴夏は、無理をしてないつもりかもしれないが、どうみても無理をしているようにしか見えない。
「鈴夏。やっぱり今日は」
もうやめにしよう。
そう言おうとすると、鈴夏はふるふると首を横に振った。
「……お願い。わたしも、頑張りたいの」
そして、学校に向けて歩き出す。
その姿を見たら、やめにしようなんて言えなかった。
やがて、学校まで後五分歩けば着くくらいの場所まで来た。
ここら辺になると、通学中の他の生徒たちがちらほら見られるようになる。
だからか、少し視線を感じる。
鈴夏が有名人だったので、彼女に気が付いた人も多いのだ。
その視線が増えていくごとに、僕たちの歩く速度は遅くなっていった。
「―――ごめん。ちょっともう、無理…そう。きもちわるい……」
校門が見えたそのとき、鈴夏は突然しゃがみこんで言った。
そんな彼女を、通りかかった他の生徒たちがちらちらと見てくる。だから、一刻も早くこの場を離れた方がいいと判断した。
僕はしゃがんで、うずくまる鈴夏の両手を握る。
「鈴夏は頑張ったよ。だから、今日はここがゴールだ。ここから先は、次また頑張ろう。もちろん一緒に」
そして、鈴夏の頑張りを褒めるように笑いかけた。
ふと、学校のチャイムが鳴ったのが聞こえた。周りにいた生徒たちは急いで校舎の中に走っていく。
「そういえば僕、鈴夏と見たい映画があったんだよね。それ、帰ったら一緒に見ない?」
「……うん……見たい……一緒に見たい……」
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
手を繋いだまま、鈴夏は立ち上がる。そして、僕たちは学校に背を向けて歩き出した。
繋いだ手は、家に帰るまで離さなかった。
***
僕たちは、帰ってすぐにソファに座ると、映画を見始めた。
ちなみに、お母さんは留守にしていた。この時間なら、多分買い出しだろう。
だから映画も劇場ボリュームで楽しむことにした。
映画の内容はなんてことないよくある感動系のものだ。
主人公とヒロインが恋をして、様々なトラブルに見舞われながらも、最終的には結ばれてハッピーエンドのよくある作品。数年前に大ヒットしたやつ。
この映画を見るのは、多分二度目だ。はっきりとしないのは、よく覚えていないから。
昔見たときも、あまり映画で泣くことはない僕は、この映画も終始真顔で見ていたのだとと思う。
それでも、この映画を鈴夏と見たくなったのは、あまり知られたくない、ちょっと恥ずかしい理由だ。心の中で思うのも恥ずかしい。
視聴中、何度か鈴夏の様子を横目で見てみた。ソファの上で膝を抱えながら映画を見ている。ちょっと変わった見方をするんだなと、また彼女のことを知れた気がした。
一時間もすると、映画は物語のピークを迎える。一番盛り上がる場面だ。逆境を乗り越えるために、登場人物たちが奮闘する。
そして、主人公とヒロインはついに結ばれる。
キスをして、二人の愛が世界を救った。まさしくありきたりな感動のフィナーレ。スタッフロールで流れるエンディング曲も、感動系らしい余韻を感じさせるゆったりとした曲だ。
なるほど。僕が覚えていないわけだ。当時の僕からすると、これは覚えておくほど面白いと思える映画じゃなかったんだろう。今見ると、普通に面白いのに。
そういえば、途中から映画に没頭して鈴夏のことは見てなかった。
まぁ、隣にいた気配は感じていたから、彼女も集中して映画を見ていたんだろうけど。
「面白かったね。鈴夏はどうだった……ってぇ⁉」
感想を聞くってことで話してくれたらいいなと思って、彼女のことを見た。
鈴夏は、号泣していた。ボロボロと涙を流して、スタッフロールを眺めていた。
「おもっ……おもじろがっだよ……」
「おぉ…それならよかった……」
鈴夏って、こういう映画に弱いタイプだったのか。
以前から感受性豊かな一面もあったから、確かに意外ではないんだけど。
でも、今の鈴夏が泣くほど感動するとは思ってなかったから、こういう姿が見れてなんだかすごく安心できた気がする。
「ごめんね……わだし……君に酷いこと……」
「えぇ? それ映画の感想?」
「ぢがぐで……ごめんね……ごめんね……」
「あーもう。一旦落ち着いて。そしたら聞くからさ」
「うん…わがっだ……」
僕は近くにあったティッシュで、拭いても拭いても止まらない彼女の涙を何度も拭いた。
泣き止むころにはエンドロールはとっくに終わっていたし、使ったティッシュも小さな山みたいになっていた。
そんな泣き虫な彼女も、愛おしかった。
***
「それで、どうしたの?」
そろそろ話を切り出すと、鈴夏はまた泣きそうになるのを堪えながら、ぽつぽつと話し出す。
「わたし、英雄に酷い態度をとってた」
「え? そうなの?」
身に覚えがない。そんなことあったっけ。
「話しかけてくれたのに、そっけなくした。笑ってくれたのに無視もした。今日だって、色々話してくれてたのに、わたしは一言も話さなかった」
そんなこと気にしてたのか。別になんてことないのに。
というか、僕はもっと酷いことをしたのだから、そういう態度は当然のことだと思う。
「別に気にしてないって」
「でも…だってこんな事してたら嫌われても仕方ないのに……」
「僕が鈴夏を嫌いになんてなるわけないよ」
「なんで……?」
「なんでって、そりゃ……」
……いや、駄目だ。まだ返事をしてはいけない。
返事をするときは、彼女にもう一度期待されたときって決めているのだ。
それは、まだ果たせていない。
でも、じゃあどうやって答えればいいのだろう。
……あぁ。そうだ。もう一つ理由があった。
今はそれを言おう。
「―――僕は、君の『特別』になるって決めたから」
「……はっきり言ってくれないの……?」
「ごめん。それは、いつかちゃんと言いたくて」
明らかに鈴夏はその言葉を欲しそうにしていると思う。
でも、その期待にだけはまだ応えられない。それだと、全ての期待に応えられないから。
「……わかった。なら、待ってるね」
そう言ってくれて安堵した。
正直、これ以上求められたら、僕も我慢できなくなっていたと思うから。
そう、目をつむって胸を撫で下ろしたとき、ふんわりとしたいい匂いがした。
――え?
言葉にはできなかった。
だって、彼女の柔らかい唇で僕の口がふさがれていたから。
それは、さっき映画で見たやつだ。主人公とヒロインがしていたやつだ。
どうしてそれを、現実で僕がしているんだ?
そんなことを、彼女の唇が離れてから思った。
「―――守ってくれて、ありがとね!」
彼女は恥ずかしそうに、でも嬉しそうにそう言うと、走ってリビングを出て行った。
「いや、ちょっとまっ」
「また明日!」
引き留めようと声をかけると、そう返された。
僕はしばらくリビングで呆然として、その後ふらふらとした足取りで自宅に帰った。
今日は七月二十日。久しぶりに鈴夏の笑顔を見た。




