第14話 ごめん
「はぁっ……はぁっ……」
急げ。走れ。止まるな。一秒でも速く、彼女の元へ。
絶対に、間に合わせるんだ。
雨の中、僕はずぶ濡れになって走る。
水たまりを踏んで靴の中に水が入っても、走り続けた。
心臓がやけにうるさくて痛い。呼吸もまともに出来ていない。
過去一苦しい。
でも、止まれない。
ここで止まったら、僕は一生彼女の『特別』になれない。
それだけは、嫌だった。
だいたい、僕はまだ彼女に返事をしていないじゃないか。
それも伝えられないのは、絶対に嫌だ!
その想いを燃料に、僕は走り続ける。
そうして、彼女の家にたどり着いた。
何分経った? 間に合ったか? まだ生きているよな?
焦る思いを胸に、玄関のドアを開け、すぐに彼女の部屋に飛び込む。
いない。
なら、次はリビング。
いない。
テーブルの上に遺書を見つけて、心臓の音が張り裂けそうなほどうるさく鳴る。
駄目だったのか? 僕は、間に合わなかったのか?
それに答えるように、どこかから水の音がした。
「―――鈴夏っ!」
音のする方へ駆けて行くと、風呂場のドアが開いていた。
湯船の中に、人が潜っているのが見える。
まさか、あれが鈴夏か⁉
すぐに近寄って、彼女をお湯から引き上げる。お湯はちょっとぬるかった。
「ケホッ……ケホッ……」
鈴夏はずいぶん長く潜っていたのか、お湯から出すとむせたように咳をしながら何度も呼吸を繰り返していた。
その姿に、僕は一旦だが安堵した。
「鈴夏……よかった……間に合った……!」
僕は鈴夏を抱きしめる。雨で濡れた僕よりも、鈴夏の方が冷たく感じた。
やがて、呼吸を整えた鈴夏は、身動きせず、抱きしめられたまま、その感情をぶつけてきた。
「……なんで、楽にさせてくれないの……?」
「楽にって……そんなの駄目だよ」
「なんでよ……? ねぇ。なんでよ……? どうして眠れないの……? 薬、飲んだのに……どうして効かないの……? なんで、わたしが死ぬのを止めるの……?」
薬と言われて、床に散らかる薬の殻を見ると、彼女は本当に死ぬ気だったのだと改めて実感した。
だが、睡眠薬だって即効性があるものばかりじゃない。これが仮に市販のものであるならば、彼女の体質には効果が薄い可能性もある。
今は、それに救われたわけだ。
「ねぇ……どうして? こんな汚い世界じゃ、わたし生きていけないよ……?」
あぁ。彼女は本当に、心の底から失望しているのだ。
僕に。世界に。そして自分自身に。
だったら、僕は言わなくてはいけない。
「だとしても、僕は君を死なせない。だって、鈴夏にもう一度期待してほしいから」
僕がそう伝えたとき、彼女はそれをもう諦めたような顔をして言った。
「……無理だよ。もう、君には期待なんてできないよ……だって、君は、あの世界を失くしたわたしに興味がないから……だから、あのときもわたしのことより絵を見て驚いてたもんね……」
あのとき、というのは、鈴夏の部屋に入ったときのことだろう。
僕が、鈴夏の傍に行こうとしたのに、破られたスケッチブックに驚いて、それを拾い集めだしたときのことだ。
そうか。あのとき鈴夏が笑ったのは、そういうことだったのか。
あの瞬間、僕は、本当に彼女から失望されたんだな。
「……ごめん。こんなことしか言えないけど、本当に、ごめん。僕は、失望されるべき人間だ。期待されるべき人間じゃない……」
きっともう、鈴夏は僕に期待してくれないだろう。
世界にも、自分自身にも、期待してくれないだろう。
だって、期待したくても、出来ないのだから。
それは、あまりにも悲しすぎる。自分を知ってほしいと願っただけの女の子への仕打ちとして、あまりにも残酷すぎる。
僕は、そんなの嫌だ。
嫌だから、それに精一杯あがきたい。
「だから、頑張らせてほしい。もう一度君が期待できるように、君の傍で頑張らせてほしい。君に、応援していてほしい」
かなめは、失望されても頑張った。頑張って、期待を取り戻して見せた。
なら、僕もそれを見習おう。かなめのように、精一杯頑張ってみよう。
「……だったら、約束守ってよぉ……! なんで守ってくれなかったの……⁉ ずっとずっと待ってたんだよ……?」
「……ごめん。もう絶対に裏切らないから……君の期待に応えて見せるから」
それを示したくて、少し抱きしめる力を強くした。
「……信じさせてよ……バカぁ……! うぁああああああ!!!!」
その途端、鈴夏は突然崩れ落ちたように床にへたり込んで、泣き叫んだ。
今まで我慢してたものが切れたように、まるで土砂降りの雨のように、いつまでも、いつまでも、大きな声で泣き続けた。
***
泣き止んだのは、それからずいぶん先だった。
どれだけの時間そうしていたかはわからない。
わからなくなるほど、泣いた。
その後、少し落ち着いたころを見計らって、場所を移すことにした。
ここから鈴夏を離した方がいいと思ったからだ。
風呂場から出るとき、脱衣所にあったバスタオルを二枚拝借して、それで鈴夏の全身を丁寧に優しく拭いた後、自分の体も簡単に拭いた。柔軟剤のいい匂いがした。
リビングに行き、鈴夏をソファに座らせる。
僕たちはそのまま、何かを喋ることもせず、ただ黙って座っていた。
そうやって、同じ時間を過ごした。
しばらく経つと、玄関から音がした。
鈴夏の両親が帰ってきたらしい。
リビングに入ってきた二人は僕たちを見て、泣きそうな顔をして驚いていた。
「鈴夏……!」
お母さんであろう人は、その光景を見るとすぐに荷物を投げ出して、力なくソファに座る鈴夏を抱きしめに来た。
「ごめんね……ごめんね……」
泣きながら、何度も謝っていた。
それを聞いて、鈴夏もまた泣き出してしまう。
「……お母さん……わたし、もう嫌だよ……なんで…?どうして…?こんなの、本当は、嫌だったよ……返してよ……返して……」
抑えていたものが溢れ出してくるように、静かに泣いていた。
「―――英雄くん。これは、一体……」
お父さんの方は、テーブルの前で立ち尽くしていた。愕然とした様子で卓上を見つめている。
あれを見つけたからだろう。
二人に見られる前に片付けておくべきか悩んだけれど、知っておいてほしかったから、そのままにしておいたのだ。
「大丈夫です」
動揺しているお父さんに、僕ははっきりとそう答えた。
すると、お父さんは大きく一息ついた。
「……そうか。鈴夏を守ってくれて、ありがとう」
そう言って、お父さんも鈴夏を抱きしめに行った。
家族みんなで泣いていた。
「……帰るか」
もう、今日のところは大丈夫だ。
だから、僕は帰ろう。
この場を邪魔してはいけないだろう。
僕はこっそりと出て行った。
玄関を開けて外に出ると、雨はもう止んでいて、晴れ晴れとした空は、夕日で少し赤くなっていた。
七月十一日。もう一度、この景色を見せたいと思った。
この後、物語の最後まで投稿します。




