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吸血鬼&人狼の本棚

毒婦は優雅に茶を飲む

作者: 黒本聖南

 ──彼女は、紅茶と白薔薇が好きな女性だった。


◆◆◆


 玉置たまおき家が所有している物件の一つ、とある高層マンションの最上階は、壁が全て取り払われ、ワンフロア丸々一つの部屋となっている。

 はめ殺しの大きな窓には、薔薇の刺繍が施されたレースカーテンが掛けられており、今は全て閉じられて、午後の陽光を遮断していた。

 豪奢なシャンデリアがいくつも天井に吊るされ、床の上には白い薔薇の造花が詰め込まれた花籠が足の踏み場もなく置かれており、壁紙にも白薔薇が描かれてある。


 その部屋は、人工的な薔薇園だった。


 家具と呼べるものは、部屋の中央に置かれた、可愛らしいデザインの白いガーデンテーブルとイスのみで、それ以外には何もない。

 テーブルの上にも、小振りな白薔薇が小瓶に一輪飾られており、それだけは生花であるようで、水に活けてあった。


「──薔薇は良いわね。美しくて、凛々しくて、気高いの。わたくしも斯くありたいものだわ」


 テーブルの白薔薇を、微笑みを浮かべて眺めながら、柔らかな声で語る女性がいた。

 ウエディングドレスと見紛うような、白いドレスを身に纏い、輝きを帯びた金色の髪は夜会巻きにされ、耳には雫の形をしたダイヤモンドのイヤリングが揺れている。

 彼女はイスに腰掛け、白薔薇の横に置かれた、上品なデザインのカップを手に取り、口へと運ぶ。その様は絵画のように美しく、数多の人間が見惚れることだろう。

 カップの中身はダージリン。紅茶のシャンパンとも呼ばれるそれが、今日の彼女の気分。


「ねえ、真珠まじゅ。この薔薇で、ブリザーブドフラワーを作ってくれる?」

「──お茶の時間が終わった後、直ちに」


 部屋にいるのは彼女だけではなかった。彼女の横に背筋を伸ばして立つ男。彼が返事をした。

 高級な布で仕立てられた、黒いスーツに袖を通し、硬そうな黒髪は後ろで一つに縛られ、銀縁の眼鏡の奥には冷ややかな焦げ茶の瞳が控えている。

 玉置真珠。

 この高層マンションの持ち主であり、玉置家当主の次男だ。彼は十五歳の頃より十年、彼女の従者として仕えている。

 従者と茶を楽しむ趣味はないのか、彼の分のカップはない。彼女のティータイムが終わるまで、飲まず食わずで傍に控えるつもりだ。


「美しい薔薇に囲まれて、可愛い薔薇を眺めながら飲む紅茶は、とっても美味しいわね」

「……」

「そうね……薔薇はやっぱり、白くないといけないと思うのよ。白はいいわ。何にも犯されることのない、気高き白。──ああ、わたくしの髪も白くあれば良かったのに」

「……」


 玉置真珠は余計なことを言わない。よく耳を澄ませないと呼吸音すら聴こえない。余計な音を少しでも立てれば、彼女を怒らせるかもしれないから。

 彼女の機嫌が最優先。それが、玉置家の家訓だ。


「お母様は美しかったわ。檻の中に入れられたお母様。髪も肌も雪のように白くて、瞳は林檎のように真っ赤なの。美しかった。とっても美しかった。わたくしはお父様に似てしまったからこんな髪よ。神様は酷いわ。どうしてわたくしを──シェフィールドにしてくれなかったのかしら」

「……」

「真珠」

「はい」

「──亜古也あこやから連絡はあった?」


 亜古也とは、真珠の腹違いの兄であり、玉置家の次期当主の名だ。

 彼からの連絡はない。昨日や一昨日と同じだ。明日だってもしかすれば、ないかもしれない。来たとしても、彼女が喜ぶような報告はできないだろう。


「ありません」


 玉置真珠は正直に答えた。いつも通りの答えを。──その瞬間、顔に紅茶を掛けられた。まだ熱さが残っているが、玉置真珠は瞼を閉じただけで、声も上げず、ただ耐えた。


「わたくしと貴方達との契約内容を覚えているかしら?」


 甘みのある彼女の声に、隠しきれない怒気が混じる。


「玉置真珠、言ってみなさい」

「……玉置家は貴女様に尽くし、庇護する。その見返りとして、貴女様からの施しを頂ける」

「そうね、他には?」

「……デリコの遺作を探し出し、貴女様に捧げる」


 昔、エヴァレット・デリコという画家がいた。

 主に動物の絵ばかりを描いていたが、ある特定の人物の絵だけは描いていた。

 ──ホバート。

 白と見紛う銀色の髪をした、デリコの恋人。

 玉置真珠が仕える彼女は、ホバートシリーズの絵をこよなく愛し、真作贋作問わず集めて、彼女達がいる部屋の真下にコレクション部屋を作り、そこに全て飾っている。

 いや、ほぼ全て。

 彼女にも持っていない絵が一枚あった。──デリコが一番最初に恋人を描いた絵、『我が最愛のホバート』だけを持っていなかった。

 彼女は、デリコの絵を全て欲しい。

 たった一枚でも持っていないものがあるのは許せない。

 探して、探して、探している最中に──玉置家の者から接触があった。

 貴女様の悲願にお力添えをしましょう。その代わりと言ってはなんですが、我々に褒美を頂きたい。

 不遜にも、そんなことを宣ったのだ。


「そうよ、そちらから言ったの。探してわたくしに捧げると。なのに、どうして何年も……何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も何年も、まるで見つけられないの? 貴方達は無能なの? 口だけなの?」


 彼女は歌うように叱咤しながら、空になったカップに紅茶を注いでいく。


「そんなことでは──このパール・ヴィリアーズ、貴方達に我が子をあげられないわ」


 ほんのりと口を開き、笑みを浮かべる彼女こと、パール・ヴィリアーズ。その笑みは柔らかでありながら、小匙一杯の悪意が混ざっていた。

 口の隙間からは歯が覗いている。鋭く伸びたその歯は、獣の牙を思わせながら、彼女から優雅さを損なわない。


 パール・ヴィリアーズ。

 ──彼女は美しき吸血鬼。


 玉置真珠の手を取り、彼女は自分の方へと引き寄せ、彼の手首に牙を突き立て、好きなだけ血を飲んだ。

 彼は顔色一つ変えない。彼女にされるがまま。いつものことだ。


「……美味しい。ここ何代かでは貴方が一番美味しいわ」

「光栄です」

「ふふっ、真珠」


 再び牙を突き立てた際に、わざと深く食い込ませた。それでも彼は、微塵も表情を変えなかった。


「早くデリコの遺作をわたくしにちょうだい。そうしたら貴方達の為に子供を生んで、貴方達にあげるわ。それをずっと望んでいるのよね? ──魔法使いとして、再び名乗り上げたいのよね?」


 この国には、四つの家がある。

 時司ときつかさ石渡いしわたり星影ほしかげ植園うえその

 どの家も吸血鬼を囲い、魔法使いと名乗っているが、誰一人として本当に魔法が使える者はいない。

 吸血鬼が流す涙、それには魔力が込められ、それを口に含むことで、人間は魔法を使えるようになる。──吸血鬼がいなければ、人間は魔法使いにはなれない。

 四つの家が囲うのは、シェフィールドの吸血鬼。雪のように白い髪をした吸血鬼であり、繁殖させて、各家に配置しているのだ。

 基本的にシェフィールドの吸血鬼は囲われることを望むか弱い吸血鬼だが、気を付けていないと賊に拐われたり、勝手に逃げ出したりしてしまう。吸血鬼に去られた家は魔法使いとは認められず、没落していくだけ。

 玉置家は、元は石渡の姓を名乗っていた。石渡家の分家の一つにして、魔法使いの家だった。だが、何代目かの当主の時代に吸血鬼に去られ、没落し、玉置と名を改める。

 ただの人間として過ごしながら、魔法使いであった頃の栄光を忘れられない玉置家の者達。彼らは吸血鬼を欲した。再び魔法使いと名乗る為に、吸血鬼を探し求め──交渉ができそうなパール・ヴィリアーズと遭遇した。


 貴女様の望むものを代わりに見つけ出しましょう。だから貴女様を、貴女様が生む子供を、私達にください。


 魔法使いと名乗るのに、吸血鬼一体では心許ない。四つの家と同じように繁殖させ、魔法使いの一族としての力を強めていきたいのだ。

 パール・ヴィリアーズは玉置真珠の手首から牙を抜き、膝の上に置いていたナプキンで口元を拭うと、カップの紅茶を飲んでいく。


「わたくしに感謝してちょうだい。わたくしのように、シェフィールドの吸血鬼でもないのに、わざわざ囲われてあげる吸血鬼なんてそういないのだから」

「感謝しております」

「その感謝を、目に見える形にしてほしいのよ。でないとその内、我慢できずに出ていってしまうかもしれないわ」

「……努力いたします」

「もっとよ、もっとしてちょうだい」


 茶会は続く。

 隷属は続く。

 終わりは見えない。

 絵も見つからない。

 母のようになることを夢見た吸血鬼が、気まぐれを起こして逃げるのが先か。

 死にもの狂いで絵を見つけ出し、没落した魔法使いの家が再興するのが先か。


 未来のことは誰にも、分からない。

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