前世
自分史を書くために何か資料がないかと探していたら、ある漫画家
に出そうと思って書いて、結局は出さなかった手紙が出てきました。
私は現在、地方都市に暮らしていますが、ここに到る理由が詳しく
書かれているのでここにUPします。
かなりオカルト話ですがこれは私が実際に体験したことです。
前略
私は現在M県N市に住む50代の男性です。私が山本まゆり先生の作品と
出会ったのは、私の妻がレンタルしてきた数冊のコミックを家に
持ち込んだ事からでした。
その中に「魔百合の恐怖報告」があり、少しばかりの霊体験のあった私は
寺尾玲子というキャラクターに魅せられて、全冊を借りて読み始めました。
そして「現世の使命」の巻で、「生と死の遭遇」を読みだした時のことでした。
イタリアに行くまゆり先生と玲子さんが、飛行機の中で木村さんという女性と
出会い、一緒に旅をしてパレルモで、木村さんの前世だというミイラに遭遇した
のですが、しかし木村さんは、前世の自分に会うことをやめてしまった。
、
そしてパレルモから離れるときに木村さんが突然泣き出し、翌日まで涙が止まら
なくなってしまったのを見て、「あ!自分と同じだ、そうか前世だったのか」と
そう思いました。
三重県で生れた私は若い頃から、ひとり旅が好きでバイクで北海道へ行ったり、
歩いて四国八十八箇所巡りをしたりしていました。
そんな旅のひとつ南九州のM県に行ったときのことです。
旅の終わりにN市の小京都と呼ばれる城下町を訪れてそのあと帰路につき
M駅から寝台特急に乗り名古屋に向いました。
2月という時期のせいか4人掛けの席にはサラリーマン風の男性と
私の二人だけでした。
しばらくすると駅で買った週刊誌を読み終えて手持ち無沙汰になって
いると、前の席の男性が週刊誌の交換を持ちかけてきました。
その週刊誌を読み始めたときのことです涙がボロボロと流れ出して
止まらなくなってしまいました。
突然のことでわけもわからず(前後に泣き出す理由がまったく
無かったので)人前で泣いている自分が恥ずかしくなり、かぶっていた
ハンティング帽を深くかぶり直しました。
夕方になって席を寝台に組み替えベッドに横になっても涙は止まりません
それでも翌日、名古屋に着く頃にはおさまり、あれはなんだったのかと
その時は不思議でした。
それから数年がたち当時故郷の三重県から私は愛知県に働きに出て、
その配属された職場でY子という女性と出会いました。
ビニールで仕切られた場所に二人だけで自動車の部品を検査をするという
仕事でした。
妙に気が合いすぐ打ちとけてなんでも話し合うようになり、私が配属された
1月13日がY子の誕生日だったことや、私が一度訪れたあのM県のN市の出身で
前年の12月で退職するつもりだったのが上司に強く説得されて3月まで延期した
ことを知りました。
つまり12月でY子が退職していたら、私と会うことはなかったのです。
楽しかった二ヶ月間はあっというまにすぎて別れの日がやって来ました。
その日、Y子は退職の手続きが終わっても私のそばから離れず「帰りたくない」
と言い出しました。
私は「手紙を書くから電話もするから」と言って、かつて四国八十八箇所を
巡ったときの納経帳をお守りとして渡しました。
Y子との文通が2年ほど続いたころ「いやだったんだけど親にむりやり
進められてお見合いをしました、だまっていたけどこれが2回目です」
という手紙が届き「私を待っているんだ」と思い込んだ私はY子との
結婚を決意しました。
「そちらに遊びに行くよ」と言う手紙を出しておいて、名古屋駅から
寝台特急に乗りN市に向かいました。
移動の多い3月の末だったので個室寝台しか空いていませんでした。
出発してすぐ横になったのですが、なかなか寝つかれず、深夜にベッドの
上に座っていた、その時でした。
突然「N市に骨をうずめなさい」と言う大きな声が、頭の中に響きわたりました。
初めての体験に驚いたのですが、Y子と結婚出来るのならN市に住んでも
いいという覚悟だったので、その願望が幻聴を引き出したのだろうと
その時は思いました。
N市に着くとY子は仕事を2日間休んで、私を喜んで迎えてくれました。
2日目の最後に、N市の郊外にある喫茶店に寄り、そこで思い切って
プロポーズしました。
それを聞くとY子は黙ってしまい、しばらくしてから「困る・・・」と
つぶやきました。
私は、「ゆっくり話しが出来る場所に行きたい」と告げるとY子は私を
城跡に連れて行き堀のそばの道路が少し広くなっている所に車を止めました。
そこでゆっくり話しを聞くと、結婚までは考えていなかったことや
私がN市に住んでもいいと言ったことで、私の人生をかえてしまうと
いうことに怖くなり、「私とは結婚はできない」
と泣きながら言いました。
それでも諦め切れない私はホテルのすぐそばにあったアパートを
借りて住みつきました。
2ヵ月たった頃彼女から小包みが届き、開けてみると2年前にお守りとして
渡した四国八十八箇所の納経帳でした。
それでY子との事は諦めたのですが、その後もN市に住み続け1年が
たった頃です。
そろそろ三重県に帰ろうと思い始めたのですが、行きつけの飲食店の
マスターに、
「店を大きく広げるのでオープンの間、手伝ってくれないか」と
頼み込まれ、オープンだけならという約束でひきうけました。
もともと学生に人気のあった店で口コミでうわさが広まり、オープン当日は
殺人的な忙しさでした。
その忙しさが2日,3日と続くと以前から働いていた従業員の男の子が逃げ
出してしまいました。
ママさんに泣きつかれてしかたなく従業員として働くことになり、2年が
過ぎた頃マスターから「2号店を出すから店長をやってくれ」と頼まれ、
自分の力を試してみたいと思い引き受けました。
そのオープン当日のことです、早めに店に出た私は、シャッターを開け、
シャッター棒をなおそうと店の角を曲がるとなんとY子とばったり
はちあわせをしたのです。
私も驚いたのですが、Y子はもっと驚いたみたいで、なぜか走って
逃げて行きました。
あとで分かったのですがY子はすでに結婚していて、なんと私の店の隣の
住宅に住んでいて、しかも店の裏にある工場で働いていたのでした。
その日は生まれたばかりの赤ちゃんを近くにある保育所に預けに行った
帰りだったそうです。
その後、Y子も子供が大きくなってから家族で食べに来るようになりました。
(もちろん旦那さんは私のことは知りません)
2号店がオープンしてから2ヶ月ぐらい立った頃、休みの日にマスターが突然
私のアパートにあらわれて、今からお見合いをすると、近くの喫茶店に
有無を言わさずに連れていかれました。
その日は私がN市に来るきっかけとなったY子の誕生日で私と初めて出会った
あの1月13日、しかも私の三重県の実家の母の手術の日で、朝からずっと
成功を祈っていたときでした。
お見合いした現在の妻とは気が合い、付き合い始めて一年目で婚約し、
後に、結婚することになりました。
私達の婚約後に、私の妹の結婚式が三重県であり、しかも同じ年に妻の弟の
結婚式があり、お互いに婚約者として親族に紹介していたので、私達は友人や
知人だけが集まって手作りの結婚式をすることになり、マスターと友人が
中心になって、やってくれることになりました。
そして式場に決まったのが、なんと私がY子にプロポーズした
あの喫茶店でした。
マスターと友人にはそのことは話していなかったので本当に驚きました。
その他にも、式が決まり妻が家具を求めて車で一時間かかるM市内の家具屋に
出かけた時のこと、大きな家具屋の売り場担当の店員さんと会話をしてるうちに
妻のお母さんと同級生だった事がわかり、妻のお母さんはすでに亡くなっていた
ので、結婚する娘の家具選びのために引き合わせたのだろうと同級生の方は
言っていたそうです。
偶然という事ではおさまりきれない出来事が次から次に起こり、なにか大きな
力が私をN市に呼び寄せ、とどまらせていたことは間違いがなく、それが
山本まゆり先生の作品と出会い、前世というキーワードで謎が解けました。
そして私は1つの夢をみました。それは歩いている一人の男で、あまりにも
みすぼらしい姿だったのですが、刀を差していたので、なんとか侍だと
見分けることが出来ました。
しかもそこはN市の城跡の堀の近くで、Y子と訪れて車を止めたあの場所でした。
後年、妻と息子と3人で城跡に出かけたときの事でした、その見学コースに新しく
開設された記念館に立ち寄った時のことです。
そのなかでN市出身の著名人が若かった頃は下級武士で、その時に藩校に通う姿が
描かれている1枚の絵を見て驚きました。
私が夢に見た侍と同じようにみすぼらしい姿で刀を差していたのです。
又その記念館は夢に侍が出てきたあの堀の横にあり、絵に描かれていた
その侍の家の近くでもあったのです。
やっぱりあの夢に出てきた侍は私の前世だったんだと再度確信することが
出来ました。
長い間不思議に思っていたことが、まゆり先生の作品と出会ったことで、なぞが
とけ、感謝しております。
これからも先生の益々の御活躍を祈っていおります。
敬具