番外編・セリア
——時は少し遡る。
港町ナムール。
雑踏と海の香りが入り混じるその地で、セリアは必死に神獣グリの姿を探していた。
「グリ! グリィーーー!!」
声が枯れるほど叫び続けた。 港の係員にも、警備兵にも、通行人にも、何十人と声をかけた。 だが——誰も、見ていない。
ただひとつ、気になる情報があった。 港の荷運び人の少年がぽつりと呟いたのだ。
「珍しい鳥が、商人の荷に混じって船に積まれていくのを見た気がする」
セリアの心臓が跳ねた。
そして、気づいたときには——その船はすでに港を出ていた。
「グリが……連れ去られた……!」
肩の力が抜けた。 世界が、音をなくした。
「ごめん……私が、目を離したから……」
地面に膝をつき、うつむいたセリアの頬に、港の潮風が吹いた。
——でも。
それでも、このままでいいわけがない。
(……神獣様なら、きっと……自分でバルハッドに行こうとしてる。私を待たずに。)
涙で滲む視界の中で、セリアはゆっくりと立ち上がった。
——だったら、私も変わらなきゃ。 今のままじゃ、きっとまた、守れない。
その夜。
セリアは町の外れにある「傭兵団の訓練所」の門を叩いた。
「……剣術を教えてください! 魔法も……全部、教えてください!」
声が震えていた。 でも、その瞳だけは、まっすぐ前を見ていた。
訓練場の空気が一瞬止まり、そして数人の若い傭兵たちが笑った。
「……なんだ、ガキか?」「召喚士の小娘じゃねーか」
だが—— その中の一人、無口な中年の剣士が立ち上がった。
彼は、黙って木剣を一本、セリアの足元へと投げた。
訓練初日。
セリアは、開口一番に思い知った。
——自分は、何もできない。
木剣は重くて振り上げることすらまともにできず、 魔法も詠唱の途中でバランスを崩して転ぶ。
見習い傭兵たちは笑っていたが、誰も手加減はしなかった。 むしろ「辞めたければいつでもどうぞ」と言わんばかりの厳しさだった。
そして、口をきかない無口な剣士——バルドだけが、黙々と彼女に修行を課した。
「構えろ。」「剣を捨てて走れ。」「詠唱を声に出せ。」
そのすべてが、ただの反復だった。
だがセリアは、一日も欠かさなかった。
腕が上がらなくても、吐きそうでも、足が震えても。 毎朝誰より早く道場に来て、最後まで立っていた。
夜は、屋根裏部屋で借りた簡素な寝床に倒れ込む。 夢の中でもグリの名前を呼び続けた。
「今度は……私が、守るんだから……」
訓練所での時間は、目まぐるしく過ぎていった。
ある日。 セリアはバルドに、ふと問いかけた。
「私、ちゃんと……変われてますか?」
バルドは少しだけ視線を外してから、ぽつりと呟いた。
「変わってなきゃ、毎日続けられるかよ。」
その言葉に、セリアは初めて——涙をこぼさなかった。
季節は変わらない。 けれど、港町に吹く風の感触が、セリアには違って感じられていた。
訓練場での時間は、あっという間に一か月が過ぎていた。 最初は木剣を振るだけで体が痛かったのに、いまや素振り百本は日課となり、 簡単な敵ならイメージで魔法を狙い撃てる程度には成長していた。
——それでも、完璧ではない。 オーク一匹すら倒せなかった私が、ようやく“戦える”ようになっただけ。
でも。 それだけで、十分だった。
「行こう……」
セリアは、港を背にして歩き出す。
今度は、必ず取り戻す。 守るだけじゃない。並んで、進むために。
その背中を、バルドが道の端から見送っていた。 何も言わない。だが、彼の表情には、どこか誇らしさのようなものがあった。
「……元気で」
セリアは手を振った。 そして、一人で砂漠の国・バルハッドへ向けて旅立った。