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第5話 初めて名前で呼んでくれたね!

人混みの中、相葉さんの声だけが聞こえる。




「どうしたの?何かあった?」




 心配そうに私を見る相葉さん。その不安そうな視線で我に帰った私は慌てて弁解した。




「いや、ちょっと人混みに慣れてなくて、つい……」




 半分は本当。でも、もう半分は……わからない。どうしちゃったんだろう、私。




「えっと、落ち着くまでこのまま歩いてく?もちろん柳さんが嫌じゃなければだけど……」




「ありがとう。うん……もう大丈夫。いきなりでびっくりしたよね。ごめんね」




 そう言って私は相葉さんの腕から手を放し、横に並んで一緒に歩き始めた。目の前にあるスクランブル交差点は今も多くの人が行き交ってるが、もう大丈夫。どうってことはない。




「えっと、私も人混みは苦手だから……謝ることないよ。無理しないでね」


「えっ、相葉さんもそうなの?」


「うん。これだけ人が多いと、中には変な人も出てくるし、この辺はキャッチも多いから気を付けないとね」


「キャッチ?」


「ナンパとか客引きとか危ない仕事の紹介とか、そういうの」




 噂には聞いたことあるけどそうゆうの本当にあるんだ。




「……千葉って怖いね」


「千葉だけじゃなくて津田沼もキャッチ凄いよ。柳さんは可愛いから気を付けないとね」


「いやいや、私なんか全然。相葉さんこそ可愛いしお洒落だしナンパとか凄そう……」


「大丈夫、危ない人がいる道を通らないようにしてるから。今度柳さんにも教えてあげるね」




 にっこり笑いながらそう言ってくれる相葉さんの顔を見ていたらさっきまでの不安がいつのまにか嘘のように消えていった。きっと、私と違って相葉さんはこうゆうことに慣れてるんだろうなあ。うーん、大人の女性、凄い!たったの二歳差だけどこの際、思いっきり甘えちゃおう。




「本当!?助かる~!教えて教えて!」


「えっと……とりあえず千葉駅前で危ないのはここから東方面の風俗街ね。あそこは本当に危険だから近寄らないほうがいいよ。あと、この交差点を真っすぐ進むと最短距離でパルコに着くんだけどこの道は通称ナンパ通りって言ってチャラい人がたくさん寄ってくるから気を付けてね」


「ええっ?こんな普通の道路がナンパ通りなの?」


「私も初めて聞いたときはびっくりしたわ。平日は誰もいない普通の道なんだけど、土日になると急にどこかからナンパが沸くみたい。不思議よね」




 そう言って真顔で解説してくれる柳さんとその不思議な単語の組み合わせがツボだった。




「……ぷっ」




「……柳さん?」




「ぷぷっ!ぷはっ……!ナ、ナンパ通りって、何それ、変な名前!あははっ!あ~、お腹が痛い」




「私も正直、普通の商店街なのに若干不名誉な名前だと思ってるわ。でも、柳さんがそこまで笑ってくれるなんて思わなかったんだけど、そんなに面白かった……?」




 そう言って不思議そうに頭を傾ける相場さん。この人といい、千葉県といい、奥が深くて面白すぎるでしょ。




「いや~千葉って面白いね。あと、相葉さんって千葉のこと、なんでも知ってて凄いね!よっ、千葉の達人!」


「もう……からかわないの!」




 そう言って謙遜するけど、地元のことを深く知っている相場さんのことを私は人として素直に尊敬している。


 だって私は、私の故郷の新潟のことを全然知らないから。


 故郷への愛がないというわけではない。十八まで住んでいた地元の街にはそれなりに愛着があるし、育ててもらった家族や友人、学校の先生のことは今でも大好きだ。


 でも、私の世界はそれだけだった。


 中学も高校も自転車で行ける距離だったし、買い物も近所のジャスコに行けば何でもあるのでわざわざ隣町まで行こうなんて発想はなかった。まして電車に乗ってお出かけするなんて……。周りの友達もみんなそうだと思う。




 相葉さんとこうして千葉の街を歩いているとまるで別世界に移住して冒険しているみたいだ。


 まだ駅から歩いて五分程度しか経ってないのに、今までの人生で私が出会ってきたどんなお店よりもずっとずっとお洒落で綺麗なお店がずらりと並んでいて、看板をキラキラさせながら「おいで、おいで」と私を待ち構えている。そんなことを考えながら私は千葉人の間をかき分けていく。次はどんな面白いことが待ち受けているんだろうか、楽しみだ。




 誘惑が多い繁華街を抜けてようやく、駅前の人混みが嘘だったかのように人口密度が下がって随分と歩きやすくなった。


 やっと落ち着いたね、と二人で笑い合いながら言ってた時、ふと街の一角の商業ビルに入っているテナントが目に入った。その小さなコンビニぐらいの大きさのテナントには大勢の人が詰めかけていた。


 芸能人でも来ているのかな?う〜ん、流石、大都会千葉!


 そんなことを思いながら私たちもちょっと見にいってみよう、という話になった。




 ガラス張りのそのテナントを外から覗いてみると、中はまるで学校の教室みたいに大勢のお客さんーそのほとんどが白髪混じりのおじいさんおばあさんーが真剣な眼差しで前方のホワイトボードを見つめていた。そのホワイトボードの横でかっちりとしたスーツを着た講師がお客さんに向かって一生懸命何かを語りかけている。


 よく見るとホワイトボードには人間の交感神経と副交感神経の働きについて、お年寄りの目にも見えるような大きな文字で書かれていた。さすが千葉、こんな所でも勉強会やってるなんて凄い。




「なんか勉強会みたいなのやってるね。面白そうだし、ちょっと入ってみる?」




 興味本位で中に入ろうとしたその瞬間、腕を相場さんが私の腕をぎゅっと掴んだ。びっくりして相場さんを見る。


 その顔にはさっきまでの笑顔がいつの間にか消えていて、どこか困ったような不安げな表情をしていた。




「柳さん、ここには入らない方がいい」


「え、どうして?」




 表情は相変わらず硬いままだ。一体、何があったんだろう。




「……あれは詐欺の集団よ」




 え?詐欺……!?


 相場さんの突然の発言に戸惑う私。だって、これってどこからどう見てもただの勉強会では?




「ど、どうしてそう思うの?」




「見れば分かる。適当なことが書いてあるから」


「適当……かな?ちゃんとしたことが書いてあると思うけど」




 ホワイトボードには人間の交感神経と副交感神経がそれぞれの臓器にどのように働くかについて書かれていた。


 交感神経は「心拍数を増やす」「気管支を拡張する」「筋肉を収縮させる」と、臓器別に、上から順番に書かれている。どこも間違っていないように見える。




「柳さん、確かに交感神経は人の体を動かす方向に作用するけど、一部例外の臓器があるよね?」




 例外……?あ、確かに大学の生物の授業でそんなこと習った気がする。あれは何だっけ……。




「えーと、……あ、思い出した!胃と腸だよね!?」


「そう!胃と腸は交感神経が働くと逆に動きを止めちゃうの。ほら、あれを見て」




 ホワイトボードに書かれている文字を上から読んでいくと、確かに心臓や気管支や筋肉については正しく書かれていたものの、胃腸については間違ったことが書かれていた。




「あ!交感神経なのに胃と腸が動くって書いてある。逆だよね〜」




 相葉さんは固い表情のまま頷いた。




「そう。生理学をきちんと学んだ人ならこれを間違えるはずないわ。だから考えられるのは2つ。うっかりミスか、それとも科学っぽい雰囲気だけ作って詐欺のために利用するか。どうやら後者みたいね」




 そう言いながら相葉さんは私に目配せをする。よく見てみると会場の隅には「膝や腰が気になるあなたに!!」というポスターと共に怪しげな健康食品がダンボールに山のように積まれていた。そうか……これを売るためにそれっぽい健康相談会を開いてのか。




「都会にはこうゆう詐欺まがいの業者も多いの。人の不安につけこんで効かないものを売りつける、最低な人たち。さっさと行きましょう」




 そう行って私たちはそのテナントに背を向け、再び歩き出した。薬学部で真面目に生物を学んでいる私にとって、さっきの光景は何だか科学を愚弄されたみたいで複雑な気持ちになった。




「……がっかりしちゃった?」




 相葉さんの不安そうな声が隣から聞こえてくる。


 確かに、少しがっかりした。だけど私の思っていたことはそれとはまた違くて……




「すごい」


「え……?」


「凄い!凄いよ相葉さん!あの人たちが詐欺だって一瞬で見抜いたんでしょ!?」


「え、いや……ああゆう業者は雰囲気で何となく分かる……というか、柳さんも途中で何となく気づいたでしょ?」


「いやいや、相葉さんが教えてくれなかったら全然気づかなかったよ!交感神経と胃腸の関係なんてド忘れしてたし……」


「それは常識……いや、何でもないわ。ふふ、褒めてくれてありがとう」


「本当にいろんなこと知ってるんだね~。凄いよ!これからは先生って呼んでいい?相葉先生っ!」


「先生は嫌……」


「もう〜、冗談だってば~!」




 そう言ったものの、先生と言われて相場さんは拗ねた表情をしてしまった。う~ん、年上だからってからかいすぎたかな。謝らないと、そんな風に思っていたところ




「……由香莉って呼んで」


「えっ?」


「私たち、友達なんだから名前で呼んでもいいでしょ?由香莉でいいよ」


「えっと……じゃあ、由香莉、さん」


「さん付け!?」


「いやいや、いきなり呼び捨てはハードル高いって!」


「そう……?じゃあ由香莉さんでいいよ。私もこれからは朱音さんって呼ぶから」


「うーん、年上からさんづけされると、何かくすぐったい感じがする……。私のことは呼び捨てでいいよ」


「……私がさん付けで呼ばれてるんだから、それは嫌。じゃあ朱音ちゃんって呼んでいい?」


「朱音、ちゃんかあ……。うん、少し照れるけど別にいいよ」


「良かった。これからよろしくね、朱音ちゃん」


「いえいえ。こちらこそよろしく、由香莉さん」




 こうして私たちはお互いに苗字でなく、名前で呼び合う仲になった。


 これから先もずっと、ずっと、何度も呼び合うその名前を口にするのはこの時が初めてだった。

千葉県と朱音ちゃんと由香莉ちゃんへの愛を込めて書きました

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