表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/24

第2話 心臓って切っても動くんだね!

「相葉さん、大丈夫?凄く顔色悪いよ。休憩しようか?」


声をかけてくれたのは実習で同じグループの柳由朱莉さん。私と同じ学年だが、彼女は現役合格生なので私より二歳年下だ。肩につくかつかないかくらいのショートヘアはいつも軽やかに揺れ、彼女の活発さを物語っている。タレ目がちだけどぱっちりしているその瞳にはどこか愛嬌があり、一緒にいるだけで心が和むような暖かさを持っている。実習を通じて柳さんと私はすぐに仲良くなったけど、年下でいつも明るく元気で私にはないものをたくさん持っている柳さんに私は正直、ほんの少しだけ、劣等感を抱いている。

私は手に持っている鋏とメスを一旦置いて隣にいる柳さんと席を交換してもらい、目を閉じた。それからしばらくの間、深呼吸をしてゆっくり休ませてもらった。


「柳さん、ありがとう。おかげで少し楽になったよ」

「いやいや、まだ顔色悪いって!後は私がやるから柳さんはスケッチに専念しててね」

「いいの?先生は解剖は交代しながらやれって言ってたけど」

「だって相葉さん、今にも倒れそうだもん。先生もそこまで鬼じゃないでしょ。何かあったら私から言っておくから安心して」

「あ、ありがとう」


そう言って柳さんは器用に目の前のカエルを解体していった。

まず、メスで胸を切り開いていく。その後、肺を守っている肋骨を鋏で切断して肺を取り除き、最後に心臓を綺麗に摘出してリンゲル液に入れた。生まれて初めて見るカエルの心臓は人間の親指ほどの大きさをしていて体内から切り離された今もまるで何事もなかったかのように規則正しく鼓動を繰り返している。


「うわっ!この心臓まだ動いてるよ!!何で何で!?」

「心臓には自律性っていう性質があって、脳の指令がなくても自分でリズムを作って動けるんだよ」


私はノートにスケッチした心臓の絵を見せながら説明した。


「ここに洞房結節(どうぼうけっせつ)っていう場所があるんだけど、ここが心臓の電気信号の出発地点でここからリズムを作るんだよ」

「えっ、心臓ってここから動いてるの?」

「そう!しかもね、この電気信号は他の細胞がなくても心臓だけで発生するの。だから心臓を体から取り出しても動き続けるんだよ」

「ええっ!? じゃあ、心臓って勝手に生きてるみたいじゃん!」

「うん、ある意味そうかも……。でも、もちろん自律神経の影響も受けるから。緊張してドキドキするのは自律神経が心臓に働いてるってことね」

「なんか……心臓ってすごいね。ずっと働き続けてくれてるんだ」

「そうね。だから、大事にしなきゃね」


私たちは自分の胸にそっと手を当て、当たり前のように動き続ける心臓の不思議を改めて感じたのだった。


「相葉さん、凄く詳しいね。そんなことまで知ってるんだ。凄いね!」

「べ、別にそんな……。たまたま予習をしていた心臓のページにそう書いてあったから」

「いやいや、それでも凄いって!尊敬しちゃうな〜」


実習で何もできなかった私に凄いと言ってくれて嬉しかった、というよりほっとした。それと同時に少し情けない気持ちにもなった。年下の子に助けてもらうなんて……。

「こいつ使えない奴だ」と認定されるのはもうこりごりだ。あの頃の自分に戻りたくない、そう思っていたはずなのに。


「ふ〜、今日の実習は疲れたね〜。でも何とか無事に終わって良かった!この後みんなで実習の打ち上げするんだけど、一緒にいかない?」


実習が終わって校門出口に向かう途中、柳さんが私に声をかけてくれた。時刻は夕方六時。薬学部の実習は早く終わるときもあれば遅くなるときもある。特に今回みたいに動物を使う実習は遅くなりがちで夜八時を超えるときもあった。


「ごめんね。行きたいんだけど家が遠いから……。また今度誘ってね」

「あー、確かそうだったね。二時間だもんね。田舎から出て来た私には信じられないや」


そう、私は二時間かけて自宅から大学に通っている。私の家はいわゆる高級住宅街という部類に入るみたいだが大学へのアクセスが不便すぎる。

まず自宅から千葉駅までバスで四十分、そこから電車に乗って大学の最寄駅まで三十分かかる。なので乗り換えの時間や大学まで歩く時間まで考慮するとドアツードアでおよそ二時間かかるのだ。


「毎日二時間って大変でしょ?一人暮らしとか考えなかったの?」

「入学前に言ってみたけどダメだった。お金がかかるしうちは親が過保護だから。不審者が出たらどうするの?とかちゃんと自炊できるの?とかいろいろ心配なんだって」

「そっかー。あ、じゃあさ誰かとルームシェアすればいいんじゃない?二人で住めば家賃も半分になるし変な人が来てもなんとかなりそうだしご飯も何とか」

「ルームシェアって誰と?」

「えーと……。例えば私、とか……?」


トクン、と心臓が跳ねた。私と柳さんがルームシェア?同じ屋根の下で二人で一緒にご飯を食べたり一緒に勉強したり、その……一緒に寝たり……するの?

心臓が激しく動きだした。言葉が出てこない。ふと、さっきの実習のことを思い出した。持ち主から切り離された心臓にアドレナリン液をかけると、それはまるで恋する乙女のように激しく鼓動した。アドレナリンのβ作用によるものだ。今、まさに私の頭の中でアドレナリンが出ているんだろうな。そんなくだらない思考が一瞬頭をよぎった。そんなことより柳さんに何か言わないと。


「……親は反対すると思う。前に『ルームシェアなんて碌なことがない。結局遊び場になってみんなでお酒を飲んだりしてトラブル起こすだけだ』とか言ってたし」

「そっか……。確かにそうゆう考え方、あるよね。いや〜、それにしても二時間は長いよ。田舎生まれ田舎育ちの私には想像つかない世界だよ!」

「まあまあ、慣れれば全然平気だよ。読書やゲームをしてればあっという間だし勉強もできるから案外成績が上がったりするのよ」

「あー、だから相葉さん頭いいんだ!いいなー!」

「もう、褒めたって何もでないよ~」

「えへへ。でもあの心臓が勝手に動いたときは本当にびっくりしたんだよ。教えてくれてありがとう!」


駅までの道を柳さんと一緒に歩いた。アメリカの商店街を模倣して作られた北習志野のアーケード街は夜でも凄く明るいので一人でも安心して歩けるのだが、打ち上げの会場と同じ方向とのことでわざわざ駅前まで送ってくれた。

その間にもいろんな話をしてくれた。柳さんの実家の両親のこと、元バスケ部だったこと、千葉で雪が降らないのが信じられないこと……。


別れ際、ふと柳さんが思い出したように言った。

「そうだ、今度千葉駅前で一緒に遊ぼうよ!私、こっちのこと何も分かんないし見ての通り服も劇ダサだから何買っていいか分かんないんだよね。どうかな?」

「ええと……私でいいの?」

「もちろん!私、前から相葉さんと遊んでみたかったんだ。いつも綺麗だしザ・大人!って感じで凄く素敵な人だなあって思ってたんだよ」


この子は、隙あらば私を褒めてくる。私が望んでる言葉を次々と浴びせてくる。でもごめんね……私、勉強ぐらいしか取り柄がないんだよ?そんなことを思いながら私は柳さんに返事をした。


「              」

「うん、楽しみにしてる!後でメッセージ送るね!」


柳さんの突然のお誘いに私が何て答えたのか、はっきり覚えてない。ただ、柳さんと話すのは楽しいし、一緒にいられるのは凄く嬉しい。そのことだけは体が理解していた。

だって私の心臓が、まるでアドレナリンを浴びたかのように今も激しく動いているのだから。

実際には解剖は女性の方が上手でした。男性の学生の方がビビってました

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ