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第21話 私たちのお薬

 四月、温かい日差しが心地よい季節。

 私と由香莉さんは無事に薬学部の二年生に進級した。

 由香莉さんの両親にルームシェアを認めてもらった後、私は実家の両親の許可を貰うために電話で相談した。

 突然の提案で驚かれるかと思っていたのだが、お金持ちではない我が家の両親は「家賃も生活費もシェアできるなんて、最高じゃないか!」と泣きながら喜んでいた。

 直接会って話をしなくていいの?と聞いてみると「朱音が選んだ人なら大丈夫でしょ」と、あっさりした返事が返ってきて拍子抜けした。


 最初の頃は慣れない生活に戸惑うことが多かった。

 家事の分担、エアコンの温度、食事の内容など、ちょっとしたことで意見が分かれることもあった。けれど、そのたびに話し合い、お互いの意見を尊重しあった。

 どちらかが無理をするのではなく、互いの心地よさを探るように。そうして気づけば、一度も大きな喧嘩をすることなく楽しい毎日を過ごしていた。

 由香莉さんの体調も以前よりずっと安定していた。通学の負担が減ったおかげか、パニック発作を起こすことは一度もなかった。二人で並んで勉強し、時には近所のカフェで息抜きをする。夜が更けるまでおしゃべりをして、些細なことで笑い合う。そんな穏やかな時間が、いつの間にか私たちの日常になっていた。


 もちろん、すべてが順風満帆なわけではない。

 大学の実習が思うように進まず、焦りに胸がざわつく日。テスト勉強に追われ、限界まで追い詰められそうになる夜。生理痛に顔をしかめ、何もかもが煩わしく感じる朝。そんな日はどうしたってやってくる。

 そんなとき、私たちは、時には言葉を交わし励まし合い、時には無言で寄り添い、そっと肌を重ねた。

 指先が触れ合うだけで、心の奥底まで温もりが伝わっていく。ぎゅっと抱きしめ合うだけで、不思議と不安が溶けていく。


「人間はね、肌と肌が触れ合うと『オキシトシン』っていう幸せのホルモンが分泌されるんだよ」


 ある日、由香莉さんが私にそう教えてくれた。

 だから、私たちは触れ合うたびに少しずつ癒され、穏やかな幸福に包まれるのだろう。抱きしめるだけでは足りなくて何度も唇を重ねた。それは、まるで二人だけの秘密のお薬のようで、心の奥まで幸せな気持ちが染み渡っていった。

 一人暮らしをしていた時は夜の静寂が怖かった。どうしようもなく寂しく、孤独に押しつぶされそうな夜も何度かあった。けれど今は、好きな人の温もりを感じながら眠れる。

 この生活がずっと続けばいい。そんなことを毎日考えながら眠りについた。


 ふとした夜、由香莉さんが不安げに呟いた。


「朱音ちゃん。私、少しは成長したのかな?」

「え?」


 私は驚いて顔を上げる。


「由香莉さんは勉強も家事もちゃんとできてるし、すごいと思うよ」

「そう……?ありがとう」


 小さな微笑みを浮かべながらも、その表情にはどこか陰が残る。そのまま、由香莉さんはぽつりと呟いた。


「でもね、時々、朱音ちゃんがいないと、すごく不安になることがあるの。家を出たときは親がいなくても大丈夫、一人でもやっていけるって思ってたのに、気づいたら朱音ちゃんのいない生活が考えられなくて……。結局、何も変わってないんじゃないかって考えちゃうの」


 由香莉さん、そんなことを思ってたんだ……。


「大丈夫だよ、由香莉さん。ちゃんと変わってる。前よりずっと堂々としているし、それに、すごく表情が豊かになって……綺麗になった」


 そう言うと、由香莉さんの頬がほんのり赤く染まる。


「私、由香莉さんと一緒にいると、何でもできる気がするんだ」


 私は由香莉さんの手を握る。その手は、あの日のように冷たく震えてはいない。暖かく、力強い温もりが、私の心に広がっていく。


「私も、朱音ちゃんと一緒にいると、どんなことでもできそうな気がする。でもね……」


 そう言って由香莉さんは目を伏せる。


「結局、いつも頼ってばかり。昔からずっと。親に頼って、お薬に頼って、今度は朱音ちゃんに頼って。私、本当に自立できるのかな……」


 不安を押し殺すように、由香莉さんはそう呟いた。


「由香莉さんは、頼ることって悪いことだと思ってるの?」


「えっ?」


 予想外の質問だったのか、由香莉さんは驚いた表情で私を見た。


「私は全然悪いことだと思わないよ。だって、誰にも頼らず一人で生きていける人なんて世の中にいないでしょ?」

「そう……なのかな?」

「絶対そうだって!みんな助け合って、支えあって、何かに頼って生きているんだよ。困ったときに誰かに頼ったりお薬に頼るのは全然悪いことじゃないよ!」

「……そんな風に考えたことなかった。私、薬物依存は絶対にダメだって教わってきたから」

「それ、私も学校で習った。でもそれってさ、麻薬とか覚醒剤とか、危ない薬のことだよね。そうゆうのじゃなくてさ、ちゃんとした薬なら、私はもっと甘えちゃってもいいと思うよ」

「……」


 黙り込んだまま、由香莉さんはゆっくりと私の顔を見つめる。


「どうしたの、由香莉さん」

「まさか年下の子に、もっと甘えてもいいよだなんて教えてもらうとは思わなかった……」

「えへへ!いつも私が教えてもらってばかりだから、そう言ってもらえると嬉しい!」


 そういって私たちは顔を合わせて笑いあう。


「――ねえ、朱音ちゃん……」


 由香莉さんが私の名前を呼ぶ。さっきまでの不安げな声とは違う、甘く、切ない声で。


「お薬、ちょうだい……」


 由香莉さんは、そっと私の隣に腰を下ろし、優しく手を握る。

 そして、唇が軽く触れるぐらいの、優しいキスを落とす。

 私たちはそれを何度も何度も繰り返す。

 幸せホルモンのオキシトシンが身体と心を満たしていく。

 この温もりが、この優しさがあれば、私たちはきっと、ずっと仲良しでいられる。

 これまでも。そして、これからも。


 ――これは何でもない、ごく普通の物語だ。

 田舎から来た女の子と都会の女の子が出会って、恋をして、付き合って、一緒に暮らしていく。ただ、それだけの物語。

 どこにでもありふれている、ごく普通の物語。


 つけくわえることがあるとするならば――


 これは私――柳朱音が相場由香莉のお薬になるまでの物語。


 ――そして


「由香莉さん、キスだけじゃ足りない……」

「うん、いいよ……朱音ちゃん。電気消すね……」

「ダメ……もう我慢できない。このまま、今すぐしたい」

「んっ……ちょっと待っ!……あっ……」


 これは相場由香莉が――私のお薬になるまでの物語。


 私もまた、由香莉さんに依存してる。

 きっと私、もう、由香莉さんなしでは生きていけない。由香莉さんのいない人生なんて考えられない。

 そんなことを思いながら由香莉さんを強く、強く抱きしめた。

完結しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。


 本作品は対称的な二人を描くことを意識しました。

 都会と田舎、裕福層と庶民層、実家暮らしと一人暮らし、長髪と短髪、直毛と癖毛、釣り目とたれ目、大人っぽさと子供っぽさ、スレンダーとグラマー、文化部と運動部etc……

 お互いに自分の持っていないものに惹かれ、恋に落ちていく。そんな王道の物語が大好きです。少しでも皆様の心を揺さぶるシーンがあったら嬉しいです。


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