第10話 地元友達っていいね!
「朱音、久しぶり!元気だった?」
「うん、陽奈の方こそ元気そうだね!」
懐かしい声が耳に届いた瞬間、私は思わず微笑んだ。今、私の目の前で笑ってるのは幼馴染の山田陽奈。新潟の同じ町で生まれ、小中高を共に過ごし、実家も同じ町内で徒歩五分の距離にあるという長い付き合いだ。
陽奈は昔から優等生で、都内の有名私立大学の法学部に推薦で合格した。今は東京で一人暮らしをしているが、月に一度はお互いの家を尋ね合うのが私たちの変わらぬ習慣になっていた。
今月は陽奈が私の家に来る番だった。季節は六月、梅雨の湿り気を含んだ風が頬をかすめる中、玄関先で微笑む彼女の姿は、昔と少しも変わらないようでいて、どこか都会の空気をまとっていた。
「はい、お茶どうぞ」
「ありがとう。朱音、こうゆうの飲むんだね」
カップを手にした陽奈が、少し意外そうに私を見る。
「うん。大学の友達に教えてもらったの」
陽奈は「へえー」と相槌を打ちながら、そっと口をつける。
あの後、生薬研究会に入った私は由香莉さんからいろんな生薬を教えてもらった。
『生薬って言うと堅苦しいけどハーブだとちょっと親しみやすいよね』
そう言って今日の私たちと同じようにシナモンのハーブティーを入れてくれた。おかげでシナモンの仲間の桂皮については完璧。
和名→桂皮
洋名→ CINNAMOMI CORTEX
主成分→シンナムアルデヒド
薬用部位→樹皮
薬効→解熱、鎮痛、発汗、抗不安作用
風邪に効く漢方薬は葛根湯が有名だけど実は桂枝湯もいいよ、と由香莉さんは教えてくれた。同じ植物でも桂皮と桂枝は効能が違うらしい。うーん、漢方って奥が深い!
そんなことを思い出しながら私はハーブティーを飲む。シナモンの優しい温もりが私たちの喉を滑り、じんわり身体に広がっていく。窓の外では、六月の雨がアスファルトを濡らしていた。
「それにしても、陽奈、凄くオシャレになったね。見違えたよ」
私は感嘆しながら、目の前の幼馴染をまじまじと見つめた。
明るい茶髪に肩にかかるぐらいのショートヘア。かつて直毛だった髪の毛先にはふんわりとしたパーマがかかり、柔らかい雰囲気を醸し出している。
「朱音こそ、おしゃれでびっくりした。特にその帽子、いいね。どこで買ったの?」
陽奈が興味津々といった様子で壁にかかってる私の帽子を指差す。
あの買い物の後、友達に服を褒められることが増えたけど私は由香莉さんがくれた帽子を褒められるのが一番嬉しかった。だってこの帽子は特別なものだから。
「えっと、この帽子は貰い物なんだ」
「え、なになに?彼氏でもできた?」
そう言って陽菜は目を輝かせながら身を乗り出してきた。そういえば昔からこういうノリだったなあ、と懐かしくなる。
「彼氏じゃないよ。同じ大学の友達。同級生だけど二歳上の子」
言った瞬間、陽菜の動きがぴたりと止まる。湯気の立つカップを持ったまま、意味ありげな笑みを浮かべ、じっとこちらを見つめてきた。
「ふ〜ん、そうなんだ」
口調は軽いのに、その視線がやけに探るようで落ち着かない。
「朱音って昔からプレゼントよくもらってたし、てっきり彼氏でもできたのかと思った」
「それなら、陽菜の方がたくさんもらってたでしょ」
そう言うと、陽奈は「えー?」と首を傾ける。
高校時代、同じバスケ部だった陽奈はとにかくモテた。主に、女の子に。
当時の陽奈はベリーショートでボーイッシュな雰囲気があってどこかのアイドルグループのセンターにいそうな感じだった。
陽菜というその名前のように、性格は太陽のように明るくて、男女問わず周囲を惹きつけるよう存在で、特に女子からの人気は凄まじかった。
「プレゼントって言ってもバレンタインにチョコを貰ったぐらいだよ。帽子とか、そうゆうのはない」
「へえ、そうなんだ。意外……」
陽奈がカップを手の中で転がしながら興味深そうに目を細める。
「それより、どんな人なの?その帽子をくれた人」
目を輝かせて乗り出してくる陽奈に、私は苦笑した。
隠すようなことでもないので、この前一緒に買い物に行った時のことや一緒に勉強した時のことを話した。
「朱音って愛されてるね」
ぽつりと陽奈が言った。
「えっ、普通のことじゃない?」
「普通?私なんかこれまで生きてきて服とか帽子とか一度も貰ったことないんだけど」
「うーん、私があまりにも子供っぽいから恵んでくれたんじゃないかな。帽子、何個か持ってるって言ってたし」
「いやいや、それでも自分が身につけてるものを人にプレゼントするって相当ハードル高いよ。何なら買った方がまだ楽でしょ」
「そ、そうなの?」
「……下心を感じる」
「えっ?だって、私たち、女同士だよ」
「そう?別に普通じゃない?」
陽奈が小さく笑い、こちらをじっと見つめる。
「だって朱音、私のこと好きだったでしょ?」
ーーぴくり。
心臓が、強く跳ねる。
一瞬、世界が静止したようだった。空気が肌に張りつくように重い。
指先が冷えていくのを感じるのに、背中にはじんわりと汗が滲んでいた。
「……どうして、そう思うの?」
喉の奥がひりつく。けれど、それを悟られないように、必死で平静を装った。
しかし、陽奈の視線は鋭く、まるでこちらの内側まで見透かすように、じっと私を捉えていた。
「なんとなく。ただ、朱音は昔から頭がいい人が好きなんだろうな〜って思ってた」
ーーよく見てる。いや、よく知ってる。十年以上の付き合いとはいえ、ここまで見抜かれていたなんて思わなかった。
確かに、小学校の頃からずっと一緒だった陽奈のことが、私は――
「それって、自分が頭いいって言ってることになるよ?」
ひきつった笑顔を崩さないように私は言った。
「まあ、事実だし」
「否定しないんかい」
まあ、実際に本当のことだから困る。陽菜はとにかく頭がいい。要領がいい。ついでに顔もいい。
私と陽菜は同じ予備校に通っていたが、成績優秀な陽菜は特待生として授業料が免除されていた。そのくせ、私が必死に受験勉強しているときに、彼女は推薦で効率よく難関大学に合格した。十月には合格が決まっていたので「私だけ受験なくて暇だわ〜」とボヤいてたのを今でも覚えてる。
私はそんな陽菜のことが、この頭のいい子が、好きだった。
でも、その『好き』は友達としての「好き」と憧れによる「好き」が七対三ぐらいの割合。「恋愛としての好き」は意識したことはない。多分……多分ね?
「で、頭いいの? その由香莉さんって人」
さっきの陽菜の質問がなかったかのように、次の質問が矢のように飛んでくる。
避ければいいのに、由香莉さんのことになると熱くなる自分に嫌気がさす。
「頭は……いいと思う。本人は二浪したのを気にしてるけど二回目の受験の時は体調が悪くてダメだったって言ってた。本当なら一浪で受かったと思う」
薬学部は狭き門だ。関東の私立大学ともなれば、たった二百人の合格枠に対して、四千人もの受験生が押し寄せる世界だ。
しかも、頭のいい人ほど複数の大学を受けて、いくつもの合格をさらっていく。受かる人は何校も受かるし、落ちる人は全滅する。結果、入学してみれば、クラスメイトの半数以上が浪人生だった。
私も複数の大学を受験し、今の大学には補欠合格。正直、ギリギリ拾われたようなものだ。
「私は現役合格の朱音のほうが、ずっと頭がいいと思うけどな~」
そう言って陽菜は微笑んだ。
「いやいや、私は補欠合格だし!それに、由香莉さんはやっぱりすごいよ。私の知らないことをたくさん知ってるから、一緒にいてすごく楽しいの」
「うわ、完全に惚れてるわ、それ」
「違うってば!」
慌てて否定する。でも、自分でも確信は持てなかった。
これまでの人生で恋をしたことがない。ましてや、女の子に対してなんて考えたこともなかった。
——私って、もしかして「そう」なのかな?
ふと、由香莉さんに抱きしめられたときのことを思い出した。あのときは胸が張り裂けそうなほど悲しかった。
でも、それ以上に、ずっとこのまま抱き合っていたいという気持ちが湧き上がっていた。
「ねえ朱音、友情と恋愛の違いって、わかる?」
「え……? いや、わかんない」
陽菜が少し悪戯っぽく微笑んだ。
「私はね、最終的には、その人とセックスできるかどうかだと思うの」
「……!!」
思考が一瞬、停止した。
「ちょ、ちょっと、何言ってるの?」
陽菜はにやりと笑って続ける。
「ちなみに、私は朱音とならできそうな気がする。試しにしてみる?」
「ええっ!? いや、冗談だよね……?」
「うん、冗談。でもさ、朱音。今、そんな風に思ってる人、いるんじゃない?」
「私は……」
言葉が出てこない。胸の奥で渦巻く何かを、私はまだ整理できずにいた。
熱を持った思考を冷やそうと、目の前のシナモンティーを一気に飲み干す。
本来なら心を落ち着かせるはずのその香りは、すっかり冷めきっていて、むしろ私の混乱を加速させるばかりだった
「もう~真面目すぎ! まあ、お互いに大学楽しそうで良かったよ。私も早く彼氏作ろっと!」
「うん、そうだね。って私、まだ彼氏とかいないからね!?」
そう言って笑いあいながら、夜は更けていく。
大学で新しい友達ができた。でも、やっぱり同じ新潟出身の陽菜と話すのは全然違う。まるで実家のような安心感がある。やっぱり私、陽菜が好きだなあ、友達になれて良かったなあと、改めて実感した。




