第十一話 この温もりに今は保留
こんにちは、蒼月です。
少し馬鹿して足を壊して一時歩けなくなりました。
辛いですね。
その扉を開くと、まず薬品の臭いがした。
そして目に入るのは沢山の大きな水槽と、これまた沢山の大小様々な大きさの機械。
――ピッピッピッ………
一定の間隔で鳴る機械。
その音のみがこの静寂を破っているのかというと、実はそうではない。
耳を澄ますと、ソレらの音が聞こえてくる。
発信源は主に水槽。
おそらく百を超えるであろうソレらから聞こえてくる。
奇妙な液体で充たされたそれには、ナニかが浮かんでいた。
ぷかぷか、と、
この途方もない広さを持つ部屋は、いや、それだけではなく、この研究所自体が、液体に浮かぶ“ソレ”のための施設だと言える。
プカプカと水槽の中で揺れる“ソレ”。
全ての水槽で同じ光景を見ることができた。
――ピー、ガチッ
定刻にセットされていたのだろう、突如幾つかの機械が起動し、水槽の中の“ソレ”をライトで照らし出す。
………約百体ほどの人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト――――――――
――――その中に“彼”は在った。
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人は生というものに多大な執着を見せる生き物だ。 いや、全ての生き物がそれを多かれ少なかれ持っている。
故に、生き物は総じて自身よりも強大な存在に恐怖を感じ、時に排斥しようとする。
それは仕方のないことであり、それがあるからこそ弱い存在が生き残ることができるのだ。
つまり、リリア・フェル・グラディスとユウリ・ストラウスⅢ世がキョウ・カンヅキに恐怖を抱いたことはむしろ当然であり、何も問題はないといえる。
そして、キョウに好意を持っているリリアと、出会ってからあまり時間を経ていないユウリに差が出来てしまうのは仕方がないだろう。
そして問題なのは彼女達ではなく、当事者であるキョウ・カンヅキである。
底知れぬ魔力量。
これは最上級の魔族でも有り得ない量であり、詳しい量は不明。
数多もの魔力導線。
これは学園最多の魔力導線を誇る現学園長、ギルバート・クロムウェルですら五十一本であるのに対し、彼は百八本と、なんと二倍以上の魔力導線を持つ計算になる。
つまり、それだけ強大な力を使え、また、術の同時行使においても最上級の術でさえ最低ふたつは確実に行使出来るということに他ならない。
まぁ、真理魔導はわからないが………
そして初めて見る術や強力な剣。
それを用いた戦闘技術に身体能力。
最大クラスの脅威であると認定。
今後更なる調査が必要である。
観察対象 キョウ・カンヅキ
観察者 THE・HERMIT
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「………」
無言。
誰も口を開くこと無く、森の中を奥へ奥へと進んでいく。
ラウは自然体(血まみれだが)、リリアは俺をどこか気遣うように、そしてユウリは怯えと警戒を見せている。
三者三様とはよく言ったものだ。
限りなく居心地の悪い空気が蔓延している。
そう、少し前の状態がまるで嘘だったかのように。
……後悔はしていない。
確かにを使わなくても倒せただろう。
時間と体力、そして魔力を消耗すれば。
それに比べれば、この代償はかなり安いものだったと言える。
護れる力があるのに使うことを躊躇い、護るべき対象を護れなければ本末転倒なのだから。
確かに、心地好いと感じていた。
とても温かかった。
とは言え、心地好いからと言ってぬるま湯に浸かりつづける気はさらさらない。
彼女達と俺では住むべき世界が違う。
進むべき道も。
目指すべき理想も。
そして、掲げるべき明日も。
今はただ、その影が重なり合っているだけに過ぎない。
いつかその影は離れて行くのだろう。
この心地好い温もりは、ただの仮初めの、そう、例えるならひとつの夢のカタチであり、現実とは違う一時の幻想。
それは多分、『希望』という名の“まやかし”で、それ以上でもそれ以下でもない、実体を持たない虚像でしかないのだろう。
だからこそ、俺は――
――くいっ
「………ん?」
左袖が微かに引かれる。
見ると、リリアがその紫の瞳を心配の色で染めて、こちらを覗いていた。
「どうした?リリア」
「……大丈夫?」
「…………何が?」
彼女は俺の問いに、なんとなく、と言葉を返した後、少しの間を空け続ける。
「……どこか辛そうに感じたから」
こんなことを真顔で言う奴を初めて見たよ、俺は。
まったく、こいつは。
「……ありがとな」
「………ん」
彼女は少しはにかんだような顔を浮かべた後、小さく――けど柔らかく微笑んだ。
そこに俺への畏れなんてものはなく、何の打算も無しに、ただ純粋に、優しく“俺”という存在を見ていてくれた。
そのことが、まるでこの存在が肯定されかのたように感じて、ただ単純に、ただ無性にうれしかった。
あたたかい。
とてもあたたかい。
彼女の好意が、優しさが、温もりが、どこまでも俺を侵食していく。
心地好い。
それはまるで中毒生でもあるかのように俺を惑わす。
バケモノだという現実も、自ら立てた決意さえもたやすく解かしていく。
そのことがとても心地好く、それでいて恐ろしかった。
……俺は此処にいていいのだろうか?
リリアの顔を見ながらそう思う。
既に答えは出ている。
いや、出ているハズだった。
これは単純に俺の我が儘でしかない。
この心地好い温もりを捨てたくないだけ。
だから――今は保留。
今はこの心地好い温もりを享受していたいから。
答えを急ぐ必要はない。
まして、もう既に出ている答えなんて。
……ちなみに、自身の頬が緩んでいることに気づいたのは、一時間程経ってからだった。
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……確かに、コワイと感じた。
少女、リリア・フェル・グラディスは少年の顔を眺めながら考える。
圧倒的な力。
彼は味方だと頭では理解しながらも、体が、本能が、彼を畏れた。
彼は自分のことをバケモノだと言う。
確かに、人ではないのだろう。
それに魔族でもない。
じゃあ、彼は何なのだろうか?
この疑問は生まれてすぐ消えた。
だって、彼、キョウはキョウなのだから。
キョウとは決して付き合いが長い訳じゃない。
知らないことだってあるし、というかむしろ知らないことばかり。
――けど、彼はわたしの味方だ。
怖がる必要なんてない。 だってキョウは優しくて、あんまり喋らないけど、傍に居るだけでどこか安心させてくれるヒトだから。 多分信頼出来るヒトだから。
……だって、わたしが信じてるヒトだもの。
そんな彼がコワイバケモノなわけがない。
もしバケモノだとしても、それは多分やさしいバケモノだ。
だって、こんなにも哀しそうな顔をしているんだもの。
――ありがとな。
そう言ってやさしく微笑んでくれた彼。
その顔もその言葉も決して嘘だとは思えないから。
だからわたしは彼を信じるし……その、……えと、……好きなんだと思う。
………時々、キョウがまるで遠くにいるように感じることがある。
とても哀しそうにしていたり、寂しそうにしてる時もある。
そういう時、わたしは無性に不安になる。
彼がいつのまにか消えてしまいそうで。
どこか遠くへ行ってしまいそうで。
だからわたしは、彼の袖をこうして掴むのだ。
決して傍に居たいとかそんな理由じゃなく、いや、少しはそんな気もありにしもあらずと言え無くも無く無く無いけども……………………そう、とにかくそういうことだ。
だからこうやって彼の顔を眺めているのも、そういうことなのだ。
………多分。
わたしは暫くの間、彼の微かに緩んだ顔を、ばれないように眺め続けた。
………途中、「青春してるにゃ〜」という声が聞こえたのは、きっと気のせいだ。
馬鹿がニヤニヤ笑いながらこっちを見ているのも、気のせいに決まってる。
………そうでも思わないと、やっていけないもの。