3 あの頃のトラウマ
ハッピーバレンタインです
「十全令嬢...」
「何でも完璧にこなしてしまうからと、完全の意味を持つ十全に公爵令嬢という地位を繋げた造語を渾名にされていました」
無理やり笑顔を貼り付けます。
そっと瞳を閉じると、あの頃の記憶が鮮明に蘇ってきます。
——ああ、どんなときも一人だったな。
剣技も薬学も、歴史や数学の分野だって、できないものはなかった。
その所為か、友達と呼べる人はいなかった。
ルーズベリーの王太子を暗殺者から衞ったり、病気のクラスメイトに薬を作ってあげたりしたときも、感謝なんてされたことはなかった。みんなはいつも、人間ではない何かを見るような目で、私を見つめていた。
ある種のトラウマなのでしょうか。幾多の夜が過ぎようとも、この頃の記憶が頭から離れたことはありません。
しばらくの沈黙のうち、殿下はゆっくりと、口を開きました。
「普通に聞いたなら、褒め言葉だろうね。だけど、その様子からすると...」
深く息を吸い込みます。
「——いじめの類なようだ」
殿下は、恐ろしく冷たい目をしています。
実害があったわけではないのですが、悲しかったです。家でも、お父様もお母様も忙しかったため、あまりかまってもらえませんでした。
こくんと頷きます。
「能力のある者は、ない者から妬まれやすい。君は、その標的となってしまったのだろう」
殿下は何も言わず私を引き寄せると、そっと抱きしめました。
あったかい...
夜が明け、昇ってきた陽光によって山際は、明るく光り輝いています。
「辛かっただろう。僕が、もっと早く君と出会っていれば、救うことができたかもしれないのに」
「殿下が気負うことはありません。もう過ぎ去ったことですし。それよりも...」
今度は心からの笑顔を。
「これからの人生を、過去を振り返らないくらい充実した、楽しいものにしていくほうが、ずっと良いと思うんです。それに、過去も殿下のお陰で忘れることができそうです。あなたが親族以外で初めて、私のことを親身に想ってくださったから」
こんなに優しい殿下の、何処が「悪虐」なのでしょう?
私は殿下を抱き返しました。
「あの、お取り込み中悪いんですが...そろそろ出発しませんか、殿下、ミルドレッドさま」
「すまない、テッド」
「ひゃぃっ!」
すっかり忘れていましたが、今はレイザスラルクへ向かっている途中でした。
恥ずかしい...
殿下と馬車に乗り込みました。隣り合わせで。
「そういえば、さっき騎士様のこと、テッドって呼びましたよね」
「ああ、そうだね。テッドは僕が小さい頃から騎士をやっていたんだ。昔はよく手合わせもしたものだよ」
「そうじゃなくて...」
私が気になったのはそこじゃないんです!
「騎士様の名前、『マーテッド』ですよね?ということは」
「渾名だよ。マーテッドだと呼びにくいから」
「いいなぁ...」
殿下は一瞬困った顔をしましたが、すぐにいつも通りの笑顔になります。
「ミルドレッドも渾名で呼ぼうか?」
「お願いします!」
わかるようになってきたじゃないですか。
少し迷ったのはトラウマの話をしたからでしょうか。でも、普通に渾名で呼ばれることはずっっっと前から望んでいたんですよ!
「ミルドレッド・シンフォローサ・レイザス...ミドルネームから取って、『ローザ』なんてどうだろう」
レイザスって、まだ結婚してませんよ?婚約者です。
そんなことはおいておいて、ローザですか。お花の名前みたいで可愛いですね!
「いいですね。それでは、呼んでみてください!」
「ローザ」
ああ!これですよ、私が学生時代に求めていたものは!
目に見えない何かで満たされていく気がします。
私が感動していると、殿下はクスクス笑っています。
「なんですかぁ?」
「いや、あんまり可愛かったもんだから、つい...」
可愛いって渾名のことですか?すごい自信ですね。確かに可愛いですが。
馬車に心地よく揺られていると、なんだか眠くなってきました...
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気を張っていて、疲れたのでしょうか。レイザスラルクへ着くまで、すやすやと熟睡してしまったようです。殿下の肩に寄りかかって。
声をかけられて飛び起きたのはまた別のお話。
「ローザ、着いたよ。ここが王都クレティア」
「わぁ...」
流石は大国。ひと目で豊かなのが分かるほど、街は活気で溢れていて、みんな幸せそうな顔をしています。
その笑顔は、陽光を浴びて、キラキラ光っているように見えます。
建物も、ルーズベリーとは違っていて、レンガや石造りのものが多く、三角の瓦屋根が見られます。
ちなみに、ルーズベリーには、石材と木材を組み合わせて作られた家が多いです。
「きれいな街並みですね。殿下、あちらの建物はなんですか?」
そう言って、ある巨大な建物を指差します。真ん中に尖塔が立っており、他にも塔のようなものが二棟ほどあります。日光を浴びて煌めくその建物は、何処か神々しく、美しいです。
「あれは聖堂だよ。中はステンドグラスなどで飾られていて、教徒たちが礼拝に使うんだ」
「そうなんですね。あまり外界に出る機会もなかったので、知らなかったです」
この世には宗教というものがあります。クラシェス教、アルカイム教、バラサイト教の三大宗教と他に、いくつかの宗教が存在していて、クラシェス教には、東の宗派、西の宗派があります。ルーズベリー(の王都)では、東の宗派が多かったのですが、ここでは西の宗派が多いようです。
知識としてだけ知っていた宗教ですが、こうして目で見て実感することで、美しいものだなぁと思います。
宗派が違くても結婚はできますよ。多分。
そんなことを言っているうちに、馬車は王宮前に到着しました。
「馬車を降りよう。国民たちが待ちわびている」
「はい、殿下」
殿下の差し出した手に、そっと手をのせます。
外には大勢の国民たちが、王太子の帰国を望むように、馬車の前に集っていました。
愛されてますねっ、殿下!あの噂は何なのやら。
殿下は私と共に国民の前に立つと、
「ただいま戻りました。そして、無事、妻となる女性を娶ることができました」
キラッキラの笑顔で婚約報告をされました。恥ずかしんですけど...
盛大な拍手が青空に響き渡ります。
私も一応。
「ミルドレッド・シンフォローサ・ラピスリアと申します」
流れるように、お辞儀をします。私、作法にはかなり自信があるんです。ある剣技の師匠から、お辞儀を褒められたことがありまして。剣技で褒められたことはないのに。
民衆からは、未来を期待するように歓声が上がりました。
「さて、荷物を運び込もう。あと、申し訳ないんだけど…」
殿下は目を泳がせます。
「向こうに滞在していた間の公務が溜まっているから、しばらくは会えないかもしれないんだよね…」
「えぇ!ルーズベリーにいたのって、あの1日だけじゃなかったんですか!?」
あからさまに目線を逸らされました。騎士様、教えてください!
「殿下は1週間ほど滞在しておりましたね。本当はいつでも面会に行けたんですけど、殿下が『まだ心の準備ができていない』などと言って…」
「こらテッド、余計なことを言わないでくれ!僕の顔に泥を塗るつもりか!」
くすくす。いや、笑ってなんか、笑ってなんかいないですよ!
ただ、可愛いなぁーって思っただけです。
なんだかこっちでも上手くやっていける気がします。
tx!:)
ありがとうございます(╹◡╹)