卒業(4)
「先輩、お疲れ様です」
そう言って、直子が頭を下げる。直子は花美先輩には数えきれないほどお世話になっているらしく、唯一自分が刃向かえない存在だと良くこぼしていた。
「よしなって、直子。あたしがあんたらをいじめているみたいにみえるじゃない」
そう言って、花美先輩が苦笑いを浮かべる。たしかに外から見れば、そういうふうに見えるのかもしれないなと思ってしまった。
「花美先輩! ちっす!! 相変わらず、今日もお綺麗ですね!!」
「ありがとう。浩二。でも、そういうのを軽々しく口にする男はあたしは好きではないよ」
ほんの少しの圧を交えた笑顔を浩二に華美先輩が向ける。
軽口を叩いたことで、直子の膝が浩二の胸を叩いた。
「せーんぱい!」
「今日もかわいいね。沙織、でも涙で綺麗な顔が台無しになってるよ。ほら、こっちきな」
そう言って、手早く沙織のメイクを治していく。決して派手ではないはずなのに、沙織の素材を生かすようにそのメイクを仕上げていく。
「はい、出来上がり可愛い沙織の元通りよ」
「わぁーすっごく可愛い! 花美先輩ありがとーございまーす」
沙織が子供のようににっこにっこの笑顔を浮かべる。花美先輩もその様子を見て小さく微笑んでいた。
「卒業おめでとう。桔平」
「ありがとうございます。先輩」
花美先輩は、そう言って僕にも笑顔を浮かべてくれた。
本当にこの人は、僕らにとってはとてつもなく大切な存在で……。
あんな未来が待っているなんて、この頃の僕は想像もしていなかった。
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「七海……」
そう言って、目の前の女性へと僕は体を預ける。
肉体的にも、精神的にも僕の体は限界をとうに超えていた。
「頑張ったね。蒼……」
彼女が僕の名前を呼びながら、頭を撫でる。僕の名前は本当は蒼ではないが、そんなことは僕たちにとっては些細なものでしかない。
彼女も七海ではない。まったくの別人だ。
そんなことはわかっている。
でも、僕は……僕たちは、この偽りの誰かを演じていなければ心が壊れてしまうほどにボロボロだった。
僕は、蒼さんを……そして、花美先輩は七海としてその場を生きる。
そこに言葉は必要なかった。
ただ、そこにいる。
その揺るがない事実だけが僕たちを繋ぎ止めていた。
狂っているのだと、僕らも気づいている。
でも、いつからだろうか?
僕と花美先輩がお互いの望む誰かになり切る関係になっていったのは……。
でも、それはきっと必然であったのかもしれない。
弱い僕らの心を支えているのは、他でもない目の前の人物ではなく、幻の別の誰かなのだから。