緩急のほうの緩?
「父上、私も江戸に連れて行ってください」
私は床に頭をつけて父に懇願しました。今は西暦1769年明和6年の夏至です。一週間後には12年ぶりの参勤交代が始まることになっています。これまで大溝藩は極度の財政難から参勤交代の中止届を出し、それを幕府に認められておりました。ですが今年の立春についに藩の財政が黒字化したため、父は急いで参勤交代の準備に取り掛かりました。参勤交代はほかの藩の行列とかち合わないために、半年前から宿の下見や予約、またその資金調達などの準備をしなくてはなりませんから。そして元服を終えている私は父が江戸城に滞在する来年の夏至まで家老と共に藩の運営を任せられる手配でした。ですが実を言うと、今から一月ほど前にある、重大なアイデアを思い付いたというか、前世の記憶を思い出しまして…。まぁそれは後に説明いたします。
「なにを言っている!お前は小林と共に藩の運営を任せたはずだ!」
「私の費用は私が負担しますゆえ!父上!なにとぞ!」
「なにを申すか!お前!謝ることも出来ぬか!!」
私が額に頭をつけて懇願すると、頭に何かが飛び散りました。顔を上げ、頬に垂れた汁を触ると、それは墨汁でした。手前には筆が投げ捨てられております。
「はっ…申し訳ありませんでした父上!」
「銭だけの話しではないぞ!宿の手配はどうするつもりだ!藩の運営はどうするのだ⁉小林一人に任せるつもりか!」
父の叱責はもっともでした。
「はい…申し訳ありません。藩の運営につきましては年寄に任せるつもりです。宿については自分で手配します…できなければ野宿でかまいませぬ…」
私がそう口にすると、先程よりも大きな声と共に、重たい何かが頭にぶつかりました。目の前に落ちたのは硯でした。額から墨汁と血が滴り落ちてきます。
「お前!!武家の嫡男が野宿とはなんたる恥さらしか!!私がこれまでお前に嫁をあてがわなかった理由が分かるか!!お前には武士としての矜持がない!!銭を稼げるからとて慢心するでないぞ!!」
「………申し訳…ありません」
「江戸に行くのならお前で勝手に行け!」
父はそう言って私を執務室から追い出しました。悪いのは私です。仕方がありません。ですが上手くいけば巨万の富を稼げるのです。諦める訳にはいきませんでした。
私は既に小林さんと年寄の方々には説明し、半年ほど陣屋を後にすることは承諾していただいております。参勤交代が始まる三日前、私は小判と衣服を入れた木箱を背負い、逃げる様に大溝の陣屋をあとにしました。朝焼けと共に漂う琵琶湖の霧雲を眺めながら、私は南の大津へと続く街道を歩いて行きます。
「お待ちを!!」
すると後ろから聞きなれた中年の男の声が聞こえました。手前に居た旅人が後ろを振り向きました。私もそれにつられるように後ろを売り向くと、誰かがこちらに向かって走ってきていました。
「若!お待ちくだされ」
顏が分かるところまで近づいた男性は、走るのを止めると、肩で息を切らしながら私の目の前で跪きました。彼は今年で41歳。また肩の息は整っておりませぬ。私は彼の目を見つめながら、彼の息が整うまで待ち続けました。
「大平さん…どうしたのですか」
「私も江戸にお供させてくださいませ」
「……参勤交代はどうするのです?父と共に行く手筈でしょう」
私の疑問に大平さんは恥ずかしそうに、汗ばんだ首筋を掻きました。
「…それが突然お殿様からお暇を頂くことになりました。暇も暇でありますし…武家の嫡男がお一人で旅に出るのは危険でございます。宜しければ私を従者としてお使いいただきたく」
私はその時初めて父の思いを知りました。嬉しさ半面、これから自分がしようとしていること恥ずかしさを覚えました。
「……江戸に付いたら田沼様に謁見をお願い奉る…事の次第では私とあなたは父から追放されるやもしれません…それでも良いのですか?」
「大平平助!まだ殿から小太郎さまの目付役、罷免された覚え有りませぬ!どこまでも目付いたしましょう」
「そうですか…大平…ありがとう」
こうして私と大平の東海道中膝栗毛が始まりました。まず私たちは大津へと向かいました。その後は尾張と琵琶湖をつなぐ関ケ原に向かうため、三日かけて琵琶湖東部の街道を通るように北上していきます。大溝から船で東に進めばすぐでしたが、どうせならこの琵琶湖の町並みを堪能しながら行こうと思った次第です。その後は尾張に入り、五回も川を渡って熱田港にたどり着いた私たち一行は、港町にある宿屋に泊まる事になりました。
この熱田港の近くにあった宿屋はほかのとは一風変わった外見をしており、まるで中国の唐時代の屋敷のようでありました。出てくる料理は尾張でよく食べられる味噌おでんや味噌煮込みうどんだけでなく、中華そばなども人気なようです。私たちも中華そばと味噌おでんを堪能しました。翌日は風をまって熱田港を出発。
尾張南部にのびる知多半島の農村を眺めながら伊勢湾を南下していきます。
そして伊勢湾と太平洋をつなぐ、伊良湖水道を通り抜けた私たちは、ついに風強し、波高しの遠州湾を東に進んでいきます。
「あれが浜名湖の入り口か…松の木内湖の何十倍あることか」
「遠くの山に植えられているのは茶畑でしょうか?」
「そういえば家康公は米作に不向きな駿河に茶畑を植えたそうです…ここはまだ遠州ですが、きっとそうに違いありません」
海に反射した朝日がむこうの山々にまた反射し、風情ある景色を見せてくれました。遠州の風は強く、船はあっという間に御前崎峠を通り過ぎて駿河を北上していきます。途中風待ちのために焼津、駿河の港に留まりましたが、その後は南西に進み伊豆半島を半周するように南下していきます。そしてまた風待ちのため伊豆の南端にある下田港に留まりました。
「ここが…かの下田港なのか…」
ペリーとの日米和親条約が結ばれた歴史的な地でございます。この港町を目にした感動は、今の時代では私しか知る事は出来ないでしょう。一人でなんともいえない感動と、わびしい気持ちを抱きながら私は下田を後にしました。その後は私たち一行は伊東、小田原、三浦、横須賀へと続き、ついに江戸に上陸する事が出来ました。風待ちの為に多少の時間を浪費いたしましたが、それでも大溝からここまで9日で来ることが出来ました。
「やっぱ江戸は活気に溢れておりますね」
「ああ、大津や大阪とはまた違った空気を感じる」
「それは風が強いからでは?」
たしかに関東の風は強いです。私は大平の軽口に笑ってしまいました。
「火事と喧嘩は江戸の華…ですか」
「早口早歩きもですな」
大平は江戸の町人街を歩く人々を見ながらまた軽口を叩きました。二人とも海上で寝泊まりする事は初めてでした。久しぶりの地上の景色にちょっと浮いているのかもしれません。
「早口は大津も大阪も同じですよ。京とちがって嫌味は出てきませんが」
「ははっ、それは間違いございません」
通り過ぎる江戸っ子たちの背中を追いながら、私たちは江戸街並みや商店を冷やかして歩いて行きます。
「江戸城に向かうのは明日にしましょうか。今日は適当に宿を探して休みましょう」
「ええ、しかりしかり」
私の提案に大平さんは笑みを浮かべながらうなずいておりました。