飛んで飛んで飛んで飛んで~♪回って回って~♪
あれ?みなさんお久しぶりです。気づいたらあの日から5年が経っていますね。正直時間の流れの速さに身震いがします。ただもう私も立派な大人です。これからは時間の感覚もゆっくりになっていくのではないでしょうか。知らんけど。
取りあえずこの五年間で起きたことを順次説明します。
まず新たなタテボシ貝の養殖場ですが、半年かけてなんとか作る事に成功しました。そして今度はもう半年かけて隣に小さなため池を三つ作りました。このころになってくると藩士の皆さんも慣れてきたようで、その後はため池の完成と、これまでの苦労をたたえてみんなで宴会をしました。財政に余裕がないので、酒の肴は多く出せませんでしたが、その分できるだけ酒は多く用意しました。ため池が全部完成したあとはひと月ほど藩士たちに休憩を取らせ、今度は鯉の養殖場の建築に乗り出しました。まず一反ほど、浅瀬をなだらかな傾斜から三尺ほどの均一な深さに整地し、その後に縦七尺ほどの木の杭を、幅三尺ごとに整地した浅瀬を覆う様に打っていきます。そしてその杭に高さ四尺、横百尺の大きな網を四つ、四方に縫い合わせ、最後に鯉が地面を掘って逃げ出さない様に浅瀬の底にも網を張り、重りとなる小石を適当にばらまいて完成です。網は海の漁師が使うような太く頑丈な縄で作ってあるので簡単に破れることはないと思います。こうして3か月かけて鯉の養殖場が完成したのはちょうど鯉の産卵時期からひと月前の立春でしたので、その後は鯉漁師たちが獲ってきた雄雌10匹ずつの鯉を、最初に産卵用の小さなため池に放流しました。鯉たちが繁殖活動をしてくれるか不安でしたが、餌となるタテボシ貝を与えながらひと月ほど様子を見てますと、ついに鯉たちが交尾を行い、産卵する様子を確認する事が出来ました。私も漁師ともどもこれでまずは一安心です。その後は無事に全ての雌が産卵を終えたため、20匹の鯉は養殖場にいったん戻し、ため池の藻類などに植え付けられた卵を回収しました。卵の数はそれはそれは膨大で、下手をしたら何百万個という数かもしれません。これなら鯉の稚魚を大きさごとに分ける必要はないかもしれません。早く生まれて来た稚魚が成長し、まだ孵化していない卵や小さな稚魚を餌にして大きくなれば、こちらとしても分別作業や餌やりなどの管理をしなくてよくなるので助かります。なので大きさ別で分けていた二つの稚魚の飼育所は同じように使う事にしました。卵の数が膨大なので卵をおおよそ半分ずつに分けて孵化を待つことしました。また去年の春から夏には松の木内湖で四万個以上のタテボシ貝の種苗を採取しまして、この四万個の種苗は新たにできたタテボシ貝の養殖場で育てるため、四年目に採取した二万四千個のタテボシ貝は出荷せず、来年の種苗のために松の木内湖で飼育する事になりました。
新たな養殖所の建設を始めてから早二年、鯉の養殖事業のスタートは順調でしたが、ここで別の問題が発生いたしました。以前に京や大津など琵琶湖周辺の都市部で、琵琶湖の水産物が値上がりしているという話をしましたが、その話がついに琵琶湖周辺の幕府の直轄領の管理を任せられた京都町奉行を通して幕府に知れ渡ってしまいました。そのせいで私を始め、琵琶湖の水産物の仲介業をしていた藩主たちが江戸に呼び出しを食らうというはめになってしまったのです。なので大溝藩主の父と、事の発端でもある私は江戸城に出頭しました。もとの値段の二倍三倍で無理やり売りつけていたらこうなるのは当然の結果かもしれませんが、やはりそれを藩主導でやっていたのを重く見られたのかもしれません。
将軍と謁見する大広間には、側用人である田沼意次に町奉行を中心に各奉行所の筆頭与力、そして大目付と目付の方々が上座のほうに座っておりました。
出頭を命じられた藩主たちは私と父を先頭に横一列に座っております。
先程見た時には藩主の皆様方は顔を青ざめておりました。横に居る父もこわばった表情です。最悪は転封や領地預かりを言い渡されるかもしれませんからね。ですが私たちには最終兵器が残っておりますからご安心を。
「将軍おなーりぃ」
「「「ははぁ!!」」」
老中である田沼意次の声に皆が一斉に額を畳につけました。目の前に迫る畳の網目を見つめていると、襖が開けられる音と共に、誰かが床に座る音が聞こえました。
「大儀である。頭を上げよ」
「「「「はっ」」」」
頭を上げた先には黒い束帯を着た第十代江戸幕府将軍、徳川家治が座っており増しました。側用人である田沼意次は家治の方にいったん頭を下げると、私たちの方に向き直り、書状を広げました。
「京都町奉行から、京及び大津にて水産物をはじめとした物価の急激な高騰がここ数年で起きたという報告が入った。京都町奉行の調査では琵琶湖周辺の藩主たちが、漁師と商人の取引の仲介に入り、高値で水産物を商人に売りつけていると言う。そのために皆様方に出頭を命じた次第でございます。京からの報告の内容について間違いないですかな?」
田沼の言葉に後ろで歯ぎしりが聞こえました。するとその歯ぎしりが聞こえた場所から声が聞こえました。
「恐れながら田沼様に進言したいことがございます」
「本多殿…如何なさいましたか」
声を上げたのは大津七万石を有する膳所藩藩主の本多康伴さまでした。京都の入り口を抑える場所に位置する大津には、これまで譜代大名が配置されており、本多家もそのうちの一つです。彼の年齢は29歳と若いです。幕府と膳所藩の関係を考え、自分の考えが通ると彼は思ったのかもしれません。
「まず先に此度の一件につきましては膳所藩は被害を被った側でございます。琵琶湖では多くの水産物が取れますが、漁師たちの多くは京や奈良、大阪へと続く大津にて取れた水産物を売りに来ます。そしてここに呼ばれた藩の皆様方が大津にて取引の勝手な仲介をした結果が物価の急激な高騰を招いた次第でございます」
「なっ…なにを!」
「話が違うではありまぬか!」
「そもそもの話し、大溝の方々が事の始まりではありませぬか。宮川藩はそれに続いたまでのこと……」
本多康伴さまの言葉に他の藩主の方々から反論が次々と出てきます。ですがその藩主たちに田沼意次さまは冷たいまなざしを向けておりました。
「皆様方…言いたいことは済まされましたか」
田沼様の切り捨てたような言葉に、藩主たちのざわつきは一瞬で静まり返りました。大広間に重たい空気が流れる中、父が私の方に目伏せをしてきました。
今が合図、ということなのでしょう。
私は静かに右手を挙手し、田沼様に発言の許可を願い出ました。
「最後に宜しいでしょうか」
「若造がっ…」
後ろでまた歯ぎしりお兄さんの声が聞こえました。
「……今回の一件の発端は貴方でしたね。大溝龍之介殿」
「はい、此度の物価高騰の責任の一端は私にございます。ですが言われっぱなしで負けを認めるのは武士の恥かと思いまして、醜くも最後のあがきさせていただきたく…」
私はそう言ってもう一度頭をさげました。
「ええ、どうぞ」
「先程、私が最初に取引の仲介業を始めたことが物価の高騰を招いた、という声を聴きましたが……そもそもの話しをするのでしたら皆様方にお聞きしたい事がございます。例えばの話しです。ある鍛冶職人がとても切れ味の良い包丁をつくったとしましょう。その切れ味は評判で、多くの町人や宿屋の亭主が買いに来るほどの人気でありました。ただある人物に恨みを抱いた男が、町人がその包丁で野菜を切っている姿を見て、その包丁を買い、恨む人物を刺し殺したとします。はてさて、悪いのは誰でございましょうか。まさか包丁を作った鍛冶職人でしょうか。それとも包丁を男に売った商人でございましょうか。はたまた包丁で野菜を切っていた町人でございましょうか。いいえ、そんなことはございません!悪いのは料理に使うための包丁を悪用し、人を殺した男でございます!私は漁師から、獲った水産物が商人たちに安く買いたたかれているという話を聞き、それを止めるために仲介に入りました。ですが他の藩の方々は、漁師から無理やり水産物を奪い取り、法外な値段で商人に売りつけ、挙句の果てにその利益の殆どを仲介料として奪い取り、漁師たちには雀の涙ほどの金銭しか払っておりません。それのせいで物価高を招き、市中を混乱させたのでございます。私は元の値段の二割から多くとも三割程度の値段で売っておりましたが、後ろの方々は2倍以上の値で売っていたのです。それも私以外の藩の者たちと裏で示し合わせて値段を上げていたようでございます!証拠に膳所藩を始めとし、ここに呼ばれた藩主の方々から水産物の価格の示し合わせをせまる書状が、大溝家へなんども送られております!これが、その書状でございます!一体だれが此度の一件の責任を取り、腹を切るべきか!あとは皆さま方にお任せいたします」
はあ、手が震えております。正座してなければ膝も震えていた事でしょう。緊張しましたがなんとか言いたいこと全部言ってやりました。私の最後の言葉を合図に、父が懐から膳所藩を初めとする琵琶湖周辺の藩主からもらった書状を手前に差し出しました。すると田沼様に目で合図された目付の方がそれを受け取り、田沼様に差し出しました。
「……書状はいま確認しました。言いたいことはこれで終わりですね?」
「はい」
私の返事に田沼様は先程まで持っていた評定の書状を畳んで、懐にしまってしまいました。
「では評定を言い渡す!此度の一件、藩の利益を優先し、不要な物価高を招いて市中を混乱に陥れたこと、まさに君主に恥ずべき不道徳の極み。よって裏で示し合わせて価格を釣り上げた膳所藩、彦根藩、水口藩、宮川藩の藩主は蟄居、また水産物に限らず、今後全ての物品にて仲介をすることを禁ずる。そして最後に、此度の一件における重要な証拠を提出した大溝藩には恩賞として、これからは琵琶湖で取れる全ての水産物の仲介を大溝藩に任せることとする。代わりに大溝藩は仲介料の五割を幕府に冥加金として収めること。以上を持って裁定を終了とする」
「「「「はっ…はぁ~!!」」」」
田沼様から言われた評定の内容が終わると同時に、皆が将軍様に頭を下げるなか、私は予想外の出来事に頭を下げるのも忘れて将軍様の方を見つめてしまいました。将軍様は私の方を見て、まるで新しい玩具を見つけたかのように、随分と楽しそうな目で微笑んでおられました。




