元服
今は旧暦の9月の上旬でございます。
大津で養殖タテボシ貝を売った日から二年以上が経ちました。私は既に13歳となり元服の儀を終えております。タテボシ貝の養殖は順調でございます。去年はおおよそ一万に及ぶ種苗を採取し、三年目に採取したタテボシ貝3000個を売りさばきました。そして今年は二万千弱の種苗を採取いたしまして、4年目に採取した一万個のタテボシ貝は先週の魚市場で全て売りさばきました。この頃には大津の魚市場と言ったら大溝藩。大溝藩といたらタテボシ貝と大津の巷で言われるほど注目を集める様になりました。そこまで有名になったのは、やはりあの特徴的なうたい文句と、武士、それも藩主の嫡男が商売をしている珍しさが大きかったのだと思います。武士の中には金は卑しいものと考える人も多いですから。あとブランド化に成功できたのはかなり大きいかったです。特に固定客を手に入れたおかげで商売が安定しただけでなく、新規のお客さんも増える様になりましたから。この流れに便乗して「うちはあの大溝魚貝を取り扱っているよ」と宣伝する商人や宿が多くみられるようになりました。
それに利益を得てるのは大溝藩の漁師たちも同じです。大溝藩が仲介に入って、商人に安く買いたたかれるのを防いでいるので、仲介料を抜いたうえでも漁師の収入は以前の二割ほど増えています。そのため生業奉行の収益の殆どは漁師からの仲介料金です。毎週の魚市場での売買で大体2000文ほど、一年でおおよそ10万文の売り上げです。両に換算すると25両。現在の価値で大体75万円程です。正直タテボシ貝の養殖なんかより仲介業にシフトした方が良いかなと考えています。ちなみに大溝藩が仲介に入ったら、商人が他の藩の漁師のもとに逃げるのではと思った方もいるかもしれません。私もそう予想していたので、その時は父を介して琵琶湖の藩共同の仲介屋でも作ろうかと思っていたのですが、どうも私たちの動きをまねて琵琶湖周辺の藩も独自で仲介業務に乗り出したようです。ただそのやり方がお粗末というか乱暴でして。上から高圧的に商人に高値で売りつけたり、それで得た利益の多くの仲介料の名のもとにかなりの額をピンハネして暴利を貪っているようです。殆どヤクザと同じですね。そのため琵琶湖の水産物全体が値上がりしており、我が藩の水産物はむしろリーズナブルという謎の逆転現象が起きたのが去年の夏でございます。そのため大津の商人の多くは最初に競う様に我が藩の水産物を買い占め、買えなかった者たちが仕方なく他藩の水産物を買う構図になっているようです。商人や物価高に苦しむ町人の皆さまには悪い気持ちですが…正直この状況は美味しいですね。
あと漁師の方々と一緒に魚市場で商売をしていて気が付いたのですが、やはり琵琶湖の水産物で一番値がするのは鯉でした。一番安くても一匹300文で、一番身の乗った大きい鯉は一匹1000文することもあります。海から離れている京や琵琶湖周辺の都市部では、大きな淡水魚は鯉ぐらいしかいませんので、縁起物のカツオの代わりに鯉が食べられている様です。なんでも江戸時代では縁起物を食べると寿命が延びるなんていう考えがあるようです。実際に魚貝類は当時の日本人にとって貴重な蛋白源の一つでしたから、あながち間違いではないのかもしれません。そこで私は仲介業と並行して、鯉の養殖にチャレンジすることにいたしました。漁師の方にはやはり金になる鯉の漁獲を主な収入源にしている方々も多いので、彼らを説得して鯉の養殖を始めたいと思います。
「若、今日はどんなご用件で」
私は鯉の養殖の話しをするため、陣屋にある自室に鯉漁師たち10人を集めました。
「鯉の養殖をしたい」
私の言葉に漁師の皆さまから驚いたような息が漏れ出ました。
「タテボシ貝の次は鯉でございますか」
「うん、タテボシ貝は旨いが金にならん。だが鯉は旨いし金になる。これからは養殖で育てたタテボシ貝を鯉の餌にして、鯉を養殖していきたい」
「はっ…はあ?それはまた…大層なお考えで…」
「そうあまり不安そうな顔をしないでくれ、確かに成功するかは分からないが、仲介業のおかげである程度の資金はある。これを使ってまず安曇川の河口の南に干潟があるだろう。そこの干潟を掘って河口から水を引いて大きなため池を作る。そこにはまず新たなタテボシ貝の養殖所を作る。鯉の餌には大量のタテボシ貝が必要になってくるからな。その後は隣に土砂で区切って小さなため池を三つ、そしてその隣に柵と網で大きな囲いを作ってそこに鯉を放流する。だから鯉の養殖が始まるのは早くとも5年先になるかもしれない。」
「小さなため池を三つ…でございますか?一体なんのために?」
「妊娠した鯉の産卵場と、その卵から生まれた稚魚が大人の鯉に食われないまで育てるためにだ」
「でしたら二つでよろしいので?」
「いや、ある程度成長すると今度は稚魚が卵や小さな稚魚を共食いしだすから、稚魚は大きさ別に分けて飼育する」
「だとすると…」
「ああかなり面倒だ。ちなみに鯉の餌はタテボシ貝だけじゃなくて、周辺の家から買い取った生ごみと潰して混ぜて、玉状にするつもりだ。あとその玉が水に浮くように中に空気を入れる工夫も大事になってくる。みんな…どうだ、協力してくれるか?」
すると一番目の前の真ん中に座っていた大五郎がすぐに頭をさげました。
「若のおかげであっしの生活も随分と余裕が生まれました。この御恩、お返しさせていただきたいです」
「あっしも」
「わしも」
大五郎を皮切りに、次々と漁師たちが協力を願い出てきました。
「ありがとう、みんな。最初は辛い思いをさせるだろうが、養殖が成功して利益が出たら必ず皆にこの恩は返すつもりだ。これからもっと忙しくなる。頼んだぞ」
こうして私は今年から新たな挑戦に挑むことになりました。
まず私の仕事は父に懇願するところから始まりました。
「藩士たちをため池作りに使いたいだと?」
「お願いします父上。鯉の養殖のためには多くの餌が必要なのです。そのために新たなタテボシ貝の養殖場を作らなくてはいけません」
「だが…武士をそのような使い方をするのは…」
「なら訓練と称して駆り出せばいいのです。体を鍛えるためと称せば……」
「百姓を労役として使えばよかろう」
「これから米の刈り取り時期です。そのような時に農民を駆り出すのは…すでに藩士には俸禄を出しているのです。賭博に現を抜かす時間があるのならため池作りでもやらせればよろしいかと」
「………まぁ…そうだな。何人欲しいのだ」
「100人を一年ほど貸していただきたい」
「そんなにか…藩士の半分ではないか」
「50人ずつで交代制にしてやろうと思っています」
「……分かった。そのように手配しよう」
「ありがとうございます」
父の協力を得れてから三日後、安曇川の河口前に50人の藩士たちが集まりました。現場監督に任命された大平さんが、今回の”訓練”の内容とその大義について説明していきます。
「殿は我らの堕落しきった姿を憂いておる!藩の財政は傾き、百姓が汗水流して畑を耕し、糸を紡いでいるなか、お前たちは賭博で現を抜かすばかりであった!よってお前たちの規律と忠誠心を取り戻すために、これから訓練を始める。これから5人組にわけて各自この干潟を掘り起こし、土手を築く!一番多く土を掘り土手を築いた班には恩賞を与えると思え!」
それからは大平さんの指示のもとに五つの班に分けて作業を開始していきました。意外と皆さん真面目に取り組んでおります。まぁ一応昼に握り飯は出ますし、恩賞も与えると約束しましたから、これぐらいはやっていただきたいものです。
さてと、ここは大平さんに任せて私は網職人と大工の方々に注文をしにいきますか。