取りあえず3年は待て
タテボシ貝の養殖を始めて三年が経ちました。一年目にはため池だけで1000個のタテボシ貝の種苗が取れましたが、二年目にはその倍の2000個、三年目には3000個が取れました。決して少なくはないですが、予想よりは少ないかなと思います。300の種苗から三倍の種苗が取れた一年目と比べると二年目と三年目は種苗の生産速度が鈍化しています。恐らくですが、プランクトンを植え付けるタナゴが足りないのと、種苗を採取するために、一年の半分以上にわたって水門を閉じたせいで、川からの栄養が流れてこないことが原因かもしれません。
そこで私はまず漁師から生きたタナゴを追加で200匹ほど購入し、また大工の方々に今ある水門を改良して、タナゴほどの大きい物体は通さず、水だけが通れる水門を制作してもらいました。これでタナゴは逃げず、鴨川や琵琶湖から豊富なミネラルとプランクトンだけが流れてくる水門を作る事が出来ました。またほかにも工夫を凝らし、川から流れる水門は湖の入り口の水門よりも狭くしてあります。これは種苗を取りやすくするために、湖に流れる水の量を出ていく量より少なくすると同時に、なおかつ栄養を湖に流すための苦肉の策です。あとは湖の水位をみて、適宜、湖の入り口の水門を開け閉めすることにしました。
これでなんとか、鴨川から流れてるミネラルとプランクトンでタナゴが育ち、貝のプランクトンがそのタナゴから栄養を吸収するという最高のサイクルを完成することができました。ただタナゴは貝のプランクトンや種苗も捕食するので、タナゴが増殖しすぎない様に常にタナゴの数を把握して、数を調整する必要があります。そのため人手を新たに5人増やすことにしました。今のところ完全に赤字ですが、この苦しみはしばらく続くと思います。
さて、養殖の話しはこれぐらいにして、ついにタテボシ貝の本当の収穫の時です。今年は一年目と二年目の貝を売る事にしました。合計で3000個。貝の重さは大体11匁ほどでしょうか。シジミやアサリなどの貝は大体1升単位で売られることが多いですから、大体66升ほどでしょうか。タテボシ貝は小売価格で1升30文ほどで売られています。商人への買い取りとなると20文ほどになると漁師の方々から聞きました。となると大体1320文の売り上げになりますね。京都に近い大津では一週間後に週に一度の大きな魚市場が開かれます。私は布団にくるまりながら、今日の漁師さんの話しを思い出しました。
「20文ですか…随分と安く買われますね」
「へぇ、商人の方々なんぞは御侍さんの前では腰低くしてへりくだっておりますけど、わしら漁師や農民の前じゃあ随分と傲慢な態度でさ、毎度安く買いたたかれるのがオチなんです」
「ふむ…」
はてさてどうしましょうか。私としてもそろそろ部下の藩士たちにまともな俸禄を与えたいのですが…いつまでも父のお小遣いに頼ってばかりでは父の負担も大きくなりますしね。なにか良い案でもあれば……いいのだけど……。
おっと気が付いたら朝でした。やはり子供の頃は眠りにつくのも早いですね。ただおかげで面白い夢を見ることが出来ました。今日はその夢を正夢にするために父にお願いをしに来たのです。
「脇差と旗を貸してほしい?なにを…急にどうしたのだ」
「漁師の方々から聞いたのですが、商人という生き物は武士にはへりくだりながら、漁師には傲慢で水産物を安く買い叩いているようでして、なら私たちが間に立って売れば良いと思うのです」
「それで…?」
「まず大溝藩の代表として私が大溝の漁師たちの売り物を預かり、それを大津の商人たちに高く売りつける。そして売り上げから仲介料を差し引いた利益を漁師たちにお返しする。あとついでに養殖で育てたタテボシ貝もそこで売るつもりです」
「だが相手は商人だぞ。武家の子であるお前では良いように言いくるめられるのがオチだろうて」
「はい、なので実際の取引は漁師の方々にやってもらいます。彼らを無禄の名誉藩士召し抱え、相談役をやってもらうつもりです。私はその大溝藩の顔となれば良いかと」
「ほう……なら生業奉行所でも作ってお前をその筆頭与力に任命するか」
まさに願ってもない事です。父の提案に私は大きくうなずきました。
「それは良いですね。でしたら今私の下で養殖業をしている藩士を同心として使っても宜しいでしょうか?」
「大平からもよく働いていると聞いている。お前の好きなようにしろ。大溝家の旗と私の脇差も持っていけ」
「分かりましたありがとうございます」
父との面会の後に私はこのことを部下の藩士と大平さん、そして大溝藩で漁師をしている30人の方々に説明するために、ため池に建てられた小さな小屋と、その近くにある漁師たちが使う漁港に向かいました。藩士と大平さんは二つ返事で了承してくれましたし、漁師の方々には大層感謝されました。特に名誉藩士に任命されたのがうれしかったようです。昔の日本人は上から下まで名誉を重んじるというのは本当のようでした。無禄ではありますが、生業奉行の相談役として成果を出せば自分たちが獲った水産物も高く売れるのですからウインウインですね。
そしてついに今日は大津での魚市場が開かれる日です。私たちは市場が開かれる港の広場にて、ご座敷を広げてみんなで座っておりました。30人の集団と大きなご座敷に、大量の水産物の数々。そしてその周りに建てられた大溝家の家紋が描かれた旗の数々。細々と一人で売る漁師たちをよそに、商人や町人の方々が大勢こちらに集まって来られます。
私は好機を逃しまいと立ち上がり、扇子を広げながら歌い始めました。
「さあ!さあ!寄ってらっしゃい見てらっしゃい!我の名は大溝藩主嫡男である大溝小太郎である!大溝藩で取れた新鮮でおいしい魚に貝は如何かな?我が藩で召し抱えた優秀な漁師たちが獲った獲物だよ!」
「わっ若!そんなハシタナイことはいけませぬ!」
「なにを言うか大平!琵琶湖の恵みに生きるなら、踊って見せよう大溝藩!さあもっと!もっと!もっと頂戴よ!大量大量!大量祭りでもっと頂戴よ!もっと!もっと!もっと頂戴よ!――」
大溝藩の家紋が彫られた脇差を差しながら、私は扇子を揺らしながら盆踊りのように回って踊りました。武家の嫡男がふざけながら踊り、それを藩士の大平が慌てて静止する。さらに特徴的なフレーズと相まって大津の町人たちは大笑いでした。
「あれ~まだみんな踊ってなくない?オウオウ?」
私の合図に後ろに控えていた30人の漁師と、膝をつきながら私に懇願していた大平さんがいきなり立ち上がりました。気づけば私たちの周りには百人近い人だかりでできておりました。皆がなんだと私たちに注目が集まります。
「琵琶湖の恵みに生きるなら、踊って見せるかお前たち!」
「えいえいおおぉ!!はいそーっれ!もっと!もっと!もっと頂戴よ!大量大量!大量祭りでもっと頂戴よ!」
漁師たちの合図と踊りに合わせて今度は私と大平さんが置いてあった竹ザルをもって、ザルに入れた花びらのようなチリ紙を空に撒いていきます。
「そーれ!」
「もっと!もっと!もっと頂戴よ!大量大量!大量祭りでもっと頂戴よ!」
「はい!!皆様方ご覧になられたか⁉これが琵琶湖に生きる大溝の男たちである!!我が藩で取れる生きの良い魚を食えば!力みなぎること間違いなし!毎日の食卓にはぜひとも我ら大溝藩の魚貝をお食べになられよぉ!!」
「「「…おぉ!!」」
私の最後の演説?に群衆たちは驚嘆の声を上げておりました。こうして私が最後に煽るようにまくしたてると、群衆の中から太った商人が一人出てきました。
「はは、大溝の御侍様は随分と生きが良いですな。わたくし乾物屋を営んでおる庄助でございます。百姓の前に立って歌う若の姿に感銘を受けました」
「漁師たちが商人に買い叩かれると嘆いておりましたので」
「はは、買い叩くですか。これは手厳しい」
「私は民の為なら一肌でも二肌でも脱ぐ覚悟でございます。私を叩けるものなら叩いてみていただきたい」
「これはこれは…私の負けでございますな。そのタテボシ貝頂けますか?」
「1升30文でございます」
「ふむ…では5升頂きましょう」
乾物屋の庄助さんから150文を受け取った私はタテボシ貝が詰められた竹を渡しました。彼の背中を見送りながら私はまた立ち上がり群衆に呼びかけます。
「さあさあ!早く買わねば損をするのは皆さま方よ!多少値が張るのは目を瞑るのが大津の男でございましょうや!こんな縁起よい脂と身が詰まった美味しい魚に貝をお買いになる方はおりませんか!」
「その貝買わせていただきたい!」
「私はその立派な鯉を!」
次第に群衆が銭を片手にどんどんと声を上げていきます。私はそのまま奥に下がると、各自で自分が持ってきた水産物を売るように漁師たちに対応を任せていきます。
次々と銭が壺に落ちていくのと比例して、この座敷を取り囲む群衆と漁師たちの声も大きくなっていきました。
「それでは皆の者!若の勇気と叡智に感謝をして!」
「「「乾杯!!」」」
魚市場が終わった夕刻、私たちは大津の旅館で宴会を開いておりました。大溝藩嫡男である私と目付役の大平さんに、漁師30人が一斉に杯をあげました。金儲けの成功祝いに身分も糞もございません。みんなで大はしゃぎしながら、どんちゃん騒ぎで酒を飲みまくりました。おかげで漁師の方々から徴収した仲介料――売り上げの一割――であった2000文の殆どを使ってしまいましたが…まぁ今宵だけは贅沢もしてよいでしょう。養殖タテボシ貝も全部売りさばけましたし。2000文の売り上げです。正直まだ藩士たちに十分な俸禄を上げれるレベルにはなってませんね。父上にまたお小遣いをねだる日々になりそうです。きっと来週もまた忙しくなるでしょうね。