タテボシ貝の養殖
さて、また夏がやってきました。
タテボシ貝は繁殖をするためか、春から夏にかけて栄養を多く蓄えて急成長します。今日は去年の鴨川に河口付近にばらまいたタテボシ貝を収穫しにきました。
「おお、随分と採れますな若!」
私と大平さんは足首程まで琵琶湖の水につかりながらタテボシ貝を採取していきます。大きさは大体2寸ない程度でしょうか。随分と立派に育っていますね。
「移動してるかなと思ったけど、意外とここに住み着いてるね。やっぱり河口付近だったのが良かったのかな?」
「はて、なんで河口付近だと思ったのです?」
大平さんはタテボシ貝を大量に両手で抱えながら私に聞いてきました。
「川は山の湧水から流れてきますから、その河口付近は山の恵みを多く蓄えていると思ったのです。ただの憶測ですが、たぶん当たってたんだと思います」
「おぉ…」
私の言葉に大平さんは納得したのか、またタテボシ貝の採取に戻りました。
「しかし、小さい奴も多いですな」
「たぶん、去年蒔いた貝が成長して子を産んだのでしょうね。タテボシ貝は春から夏にかけて子を産みますから」
「すごいですなぁ、よくご存じで」
「よくタテボシ貝を取っている漁師に聞いただけのことです」
こうして夕方になることまで貝拾いをした私たちは、150個ほどのタテボシ貝を竹籠につめながら陣屋へと帰りました。そして当然夕食になると今度は私が父に問い詰められました。
「あんな大量の貝をどうした」
「去年の夏に集めたタテボシ貝の子供を、鴨川の河口付近に蒔いただけです」
「貝の子供をあつめる?蒔くだと?」
私の言葉に父である大溝安勇は一瞬だけ訝し気な表情を浮かべました。
「米を育てるのにだって稲の苗を田んぼに植えますでしょう、ですからタテボシ貝の苗を同じ場所の砂浜に植えただけのことです」
だけのことですと言ったは良いものの、父の表情はより険しくなっていくだけでした。令和日本でいう所の放流――貝の種苗を砂浜に植えるなんて考えは江戸時代にありません。
「米ならともかくも、貝はたしか動くだろう。同じ場所に植えても翌年にはどっか別の場所にいっているのではないか?」
「私もそう思ったので、鴨川の河口付近にばらまいたのです。川は山の湧水から流れてきますから、その河口付近なら山の恵みを豊富に蓄えていると思ったのです」
「……飯が食える場所に集まるということか」
「結果的にそれが正しかったようです。200ほどの苗をばらまきましたが、150個ほどの貝が同じ場所に居着いていました」
「そうか……なにか言いたげだな」
父の真っ直ぐな視線が私に突き刺さります。すでに慣れたものです。私は堂々と胸を張り、父を真っ直ぐ見つめます。
「米を育てる様に、貝を育てたいと思っています。それにただ砂浜にばらまくのではなく、逃げられない様に重りをつけた竹籠に貝の苗を入れて育てようと思っています。漁師いわく、タテボシ貝はタナゴなどに卵を植え付けるようなので、ため池などで一緒に放流するのがいいかと思います」
正確には卵ではなくプランクトンなのですが、まぁここは話を円滑に進めるために卵と言いました。
「……ふむ」
「ため池は鴨川の近くある松の木内湖でよろしいかと。あそこは鴨川からの水路が集まる、いわば川のゴミ捨て場のような所ですから、使ってもだれも困る人はおりません。それにある程度の大きさがありますし、松の木内湖は河口付近からの水路のおかげで良い貝畑になると思います。ただこれからは水路と湖の入り口の水門はてきぎ占めたほうががよろしいかと。卵を植え付けられたタナゴが内湖から出ていってしまいますし、生まれた種苗を取りやすくするために膝下当たりまでに水位を調整したいので」
俺の提案に父は途中から目を瞑りながら聞いてました。そしてまた父は私を真っ直ぐに見つめてきました。
「………よく……考えたな」
父から漏れた言葉に私はびっくりしました。思わず目を開きながら下唇を突き出した変な顔をしてしまいました。なにせ父がこれまで私を褒めたことは、私が覚えている限り一つもなかったからです。稽古にしろ勉学にしろ武家の嫡男としてやって当たりまえでしたから。
「………ぁ…はっ……よく考えました」
軽く頭を下げながら、苦笑いを浮かべました。見ると父も笑みを浮かべていました。この人が笑った顔など一体いつぶりでしょうか。母と目が合いました。母も私と同じ顔をしていました。
「今私は忙しい。必要な銭と手配はお前と大平に任せる」
「我が藩士には優秀な竹細工師がおります。賭け事に時間を潰す暇人もおりますから、人に困る事はありますまい。銭の方は…竹籠作りと貝拾いの手間賃に少々頂ければ」
「分かった、あとで必要な銭を渡す。今日は長話しすぎた…早く食べなさい」
「はい、分かりました」
こうして父の協力を得れた私の日々は忙しくなりました。まず私は大平さんと一緒に藩士たちのもとに行き、タテボシ貝の養殖をするための人手を集めました。父の命令が書かれた上意書きを見せて五人ほどの人を集めました。貝を育てるなんて百姓まがいのことをやってくれるか少し不安でしたが、みんな貧しい下級藩士でしたので、金になるのならと副業感覚で協力してくれました。あとは我が藩士一番の竹細工師である佐竹さんから縦横2尺、高さ1尺ほどの竹箱を10個ほど買いました。お値段は合計で300文ほど。本当はひとつ40文でしたが、私の養殖計画を伝えたらおまけしてくれました。
そのあとは集めた藩士たちと協力して貝の苗を砂浜で集めたあとは、その貝の種苗を竹箱に入れて、重りと一緒に沈めて終わりです。今年はまだ全部種苗なのでタナゴを逃がさない様に水門を閉じる必要はありません。あとすでに父から大溝家による松の木内湖の接収と養殖業のお触書が出されておりますので、勝手にこの湖を使う者はいないでしょうが、いちおう五人の藩士には交代で見張りをさせることにしました。やはり夏なのでタテボシ貝の種苗は多く取れましたね。竹箱一つにおおよそ30個程の種苗を入れています。来年が楽しみですね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
おっと、気が付いたらまた年を越していました。子供の時はやはり時間が過ぎていくのが速いですね。ちなみに去年はあまり米がとれませんでした。農民は他にも芋や大豆、麦なども育てておりますから、なんとか冬は越せましたが、それでも成人二人が餓死、まだ幼い子供も3人が凍死しました。令和の時代にどこかで起きた殺人事件をニュースで見るよりも、身近な場所でこんなに簡単に命が散っていくのを見聞きするのはやはり辛いです。ただその分、私も藩士たちも貝の養殖業に対する期待とやる気は満ちております。まだ成果が出ていないので大した銭は渡せておりませんが。ただ大平さんはいつも通りです。彼の母は近くにある白髪神社の神主の娘なので、その血筋を傘に下級藩士をいびっています。ただやる事はやってくれますし、私の話を一番理解してくれるのが彼なので、大平さんを監督として採用しています。私が勝手に「監督に任命する」みたいな感じで言っただけですが、大平さんは嬉しそうに笑っていました。
ちなみに今年の春からは水門は閉じております。夏にタテボシ貝のプランクトンが植え付けられたタナゴたちがうようよと泳いでいるのが見えますね。春に植え付けられたプランクトンは今頃、種苗に成長して水底に埋まっている頃でしょうか。さて話は戻りますが、ついに育てたタテボシ貝の収穫の時です。今は夏、というよりは旧暦の7月の終わりごろなので、秋に近づきつつある頃でしょうか。ここまで収穫を遅らせたのは、タテボシ貝がプランクトンをタナゴに植え付ける前に収穫する事を避けるためと、できるだけ大きな貝を育てるためでした。
「見てください若!立派に育っておりますよ!」
「やりましたな!」
下級藩士たちも大平さんも大喜びです。私も300個のタテボシ貝が全部2寸ほどにまで立派に育ってくれてうれしいです。
「ただ今年は収穫しません」
私の言葉にみんなどこか不満げな表情を浮かべました。この時代の日本人は良い意味でも悪い意味でも本当に素直な性格をしています。
「タテボシ貝の寿命はものすごい長いんです。それこそ100年以上も生きる貝もいるぐらいです。その分長く多くの子供を産んでくれますから、今全部収穫するのは早いですよ。3年後にはこの松ノ木全てをタテボシ貝の養殖に使用するぐらい増やす予定です。そうなれば私たちが食べる分だけでなく、商人に売って銭も稼げますから」
私の話しをみんな真剣な表情で聞いてくれました。若がいうなら間違いねぇとみんな納得してくれたようです。取りあえずタテボシ貝を収穫するのは二年後にしました。今年は去年とほとんど変わらず、佐竹さんから竹箱を10ほど購入し、みんなでタテボシ貝の種苗広いに勤しみました。あまり同じ場所で取っていると他の農民に悪いので、こっそりとなりの天領の浜辺で取りました。その数はざっと700ほど。来年は天領の農民たちは貝拾いに困るでしょうが、まぁ漁師から買ってください。私は知りません。集めた種苗のうち200個は去年の竹籠に均等にいれ、残りの500個は新しい竹籠に入れました。その後は夏に植え付けられたプランクトンが成長するタイミングを考え、旧暦の11月ごろからため池での種苗採取に乗り出しました。ため池で取れた種苗はざっと1000個以上です。ものすごい数にみんなで大騒ぎしました。この種苗は全部竹籠に入れました。大体一つの竹籠に100個ほどの貝と貝の種苗が入れてあります。あとは閉じていた水門を開けて、農民や水鳥に取られない様に監視する日々を送りました。