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江戸時代の琵琶湖で地域経済学実践してみた  作者: ☆☆☆があるじゃろ?そこを押しておくれ。
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素人童貞

皆さん、お久しぶりでございます。大成功を収めました天下一競技白髭祭より二月後の今日。私は今、江戸へと船で向かっております。理由はいくつかありますが、新年の挨拶と称しまして、田沼様との大切なお話がありますゆえ。今は冬至の時、船の外に出ると刺されるような海風に煽られ非常に肌寒いです。私は船長より与えられた個室に戻りました。そう言えば祭の収益ですが、おかげさまで黒字となりました。いちおう内訳としましては、大会参加費で100万文。座席組240万文。座敷組360万文。計700万文で1750両の売り上げでございます。そして大会入賞者への賞金に128両。当日見回り及び運営に携わった200人の藩士や町人たちへの日当に100両。大会競技場建設費用に750両。花火に50両。元農家への俸禄に50両。祝詞代に20両の合計1098両の出費で、利益は652両となりました。年8万両に及ぶ按摩事業からの収益と比べますと雀の涙でございますが、我が大溝藩の税収は去年から三公七民に減税となっておりますゆえ、5万石の収納高は1万5千石ほど。それでも六公四民であった2万石の時と比べれば30%の税収アップとなっております。1771年、今年の税収としては繰越利益余剰金が8000両。払い米代金にして15720両。小物成金が4110両。公営事業収益では水産物取引仲介益が240両。鯉養殖業が300両。按摩事業が187233両。白髭祭事業が1750両。総収入217353両。そこから200人の藩士への俸禄に35000両。幕府冥加金56170両。人材派遣費に37447両。白髭祭開業費:1098両。消耗品費3140両。雑費2100両。参勤交代費に1200両。江戸滞在費2000両。家内小遣い金5000両。総支出は140255両。収支合計額は80398両の黒字収益となりました。去年と比べて収入は若干増えましたが、増えた収支の殆どは去年の繰越利益と小物成金でございます。小物成の歳入の半分近くが宿からの冥加金となっております。これは二カ月前に行われました祭のおかげでございます。観光業もいちおうの成功と見てよいでしょう。残りの半分は木材業からです。あと支出に関しましては主に人件費が3倍ほど増えました。これは大溝藩の威信をかけてのことでございます。質素倹約を胸とする武士ですが、同時に名誉と見栄は命よりも重たい生き物です。今年の八月に二度目の参勤交代をし、今は江戸に父がおりますが、参勤交代にかかった費用は1200両。さらに江戸滞在費には2000両もかけております。表高5万石の大名がかける金額ではございません。100万石の加賀藩でさえ参勤交代にかかる費用は4000両ほどでございます。父とは相変わらずでございますが、ちょっとは感謝してほしいですね。ちなみに私が使えるお金は家内小遣い金から出た3000両でございます。去年は主に按摩通いや購読、債券を購入するのに1500両ほど使いましたが、新年を迎えたらまた新たに3000両貰えますので、そのお金でまた好きなように本でも出版しようかなと思ってます。さて、お金の話をしていたら江戸に到着しました。田沼様からは寄港したらすぐに江戸城に参上してほしいとのことです。まぁ内容も内容なので仕方ありません。本当は船旅の疲れを癒したかったのですけど。江戸観光は用が済んだらゆっくりしましょうか。さて、すでに話はついてるので私は顔パスで本丸へと案内されました。


「失礼いたします。大溝龍之介参上いたしました」


そういって私は静かに襖を開けて部屋に入りました。畳の上には田沼様と父上がおりました。


「お待ちしておりました龍之介殿」


「老中殿、父上、あけましておめでとうございまする」


私と田沼様は公私限らず毎週のように文通をする仲でございますが、改めて新年の挨拶をさせて頂きました。親しき中にも礼儀ありでございます。この世界に来て益々それを実感いたします。


「ええ、あけましておめでとうございます。天下一白鬚祭りの噂は江戸城内でも知れ渡っておりますよ。幕臣たちの中には自分も出たかったと悔しがってる者もおりました」


田沼様のすごい所はこういう気さくなところです。この国の実質的な権力者にもかかわらず、おごらず、親しみのある態度で接してくれます。それがこの人なりの処世術なのかもしれませんがね。


「そうでありましたか、江戸で祭りをやるのも面白いかと思ったのですが…あまり江戸をうるさくするのもどうかと思いまして」


本当はただ江戸でやると余計に費用がかさむのと、大溝を離れるのがいやだったからですけどね。私の琵琶湖観光都市計画は既に新フェーズへと進んでいるのです。タイパは命よりも重いのですよ。


「ふふ、家治様なら寧ろそのほうが喜んだかもしれませぬ……さて時間も惜しいです、世間話はこれぐらいにして」


「ええ、まさか田沼様から縁談が来るとは本当に恐れ入りました」


「安勇殿から相談を受けましてね。なんとか愚息の相手を見繕ってほしいと」


私は黙って父の方を見つめました。


「去年からお前への縁談が各大名や公家から多く私の元にきている。お前が武士としての矜持に目覚めるまで私はなんとか縁談を遅らせて頂いていたが、お前にはその気配が全く見られない。これ以上は縁談を申しこんでくださった家々に申し訳が付かないので、恥を忍んで田沼様に相談させていただいたのだ。喜べ、我が大溝家は今日から徳川一門の末席に加えて頂けることになったのだぞ」


「へ?徳川家?……ですか?」


「最初は家治様のご出身であります紀州藩から取り繕うと思ったのですが、年頃の女子がおりませんでしたので、水戸藩の治保様の妹君であられます、時姫様はどうかと思いまして。治保様に話を持ち掛けましたら、真の国学者たる龍之介殿と縁を結べるのであればと喜んでおりました。時姫様も今年で18歳となりますゆえ、治保様もちょうどお相手をどうするか悩んでおりましたようです」


「なにをふざけた顔をしておるのだ。本当に光栄な事なのだぞ!お前の事だ、私がくたばった後に遊女でも侍らす魂胆であっただろうが、お前の結婚は今日、田沼様と私で決めさせてもらった。治保様は今、江戸の武家屋敷にご滞在だ。明日にでも私とあいさつに行くぞ」


まさかまさか…まさかのでございました。治保さまは私の同い年、1751年生まれでございます。以前日本論と大日本帝国を読んでくださった関係で、去年は一度、江戸の武家屋敷にて恥ずかしながらお話をさせて頂きました。大政奉還までの流れや、その後の新政府樹立までの詳細な部分をなんども質問されてきたのを覚えております。16歳で藩主のなった彼は、先代様が諦めた改革の志をお継ぎになり、その改革の失敗による財政難と百姓一揆の頻発に苦しんでいるようでした。そんな彼の妹君と結婚する事になるとはなんとも運命とは測りがたい……出来る事なら時姫が美人でありますように。




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