暴龍と暴走老中
今は大暑の季節でございます。大阪債券所にて債券を購入した日からちょうど一月が経ちました。乙女ヶ池の埋め立てですが、大阪の薬種問屋から火薬を50両分ばかし買って、効率的に山を崩して土砂を運ぶことで、すでにため池の4割近くの埋め立てを完成させております。人力で山を崩すのは大変でございますからね。一方観客席については新たに加増された領地からの職人も多く呼んでおりますので、急ピッチで進んでおります。観客席全部で四つ。合計で4000人が座れるものとなっております。観客席はそこまで凝ったものではなく、雨風しのげる程度の壁と幕天井があるだけです。そこらへんは経費削減というか、まあケチりました。そもそも天候が悪い日は大会を延期する予定ですしね。
「みなさん、勤しんでますね」
私は埋め立ての現場に来ておりました。あの日から、書状だけのやり取りだけでなく、こうして実際に目で見て、人と話すことが大切だと父に気づかされた気がします。
「ええ、あまりよろしくはないですが、皆さん賭博をしてまでやっておられます」
私の問いかけに返事をしてくれた、現場監督の松島さんという藩士の方の言葉に私は首をかしげました。
「どうやら自分たちの班に金をかけて、どの班が一番土砂を運べたか競っておるようです……」
松島さんの申し訳そうな顔から漏れた言葉に、私はあきれてしまいました。確かに恩賞はそこまで多いわけではありません。二日分の酒代になるか程度のものです。でも昼飯も、恩賞も毎日与えていると言うのに…まさか埋め立ての仕事で賭博する時間がないから、自分たちに金をかけて埋め立ての仕事を賭博に変えてしまうとは…帽子があったら脱帽したい…なんてことわざ無いでしょうか?
「まぁ……でも……それでやる気出てるならいっか」
私の独り言が聞こえたのか、松下さんも苦笑いを浮かべながらコクリと小さくうなずきました。生業奉行所の執務室に戻った私は、途中まで見ていた今週の瓦版を見返しました。今週は色んな内容が乗ってあって世も賑わっているのでしょうか。瓦版の内容は主に先月から開かれた各地の債券取引所の賑わいに、そこでの喧嘩や殺傷事件などを面白おかしく説明されております。それだけでなく、三月ほど前に起きた明和の大津波にたいする、幕府の支援なども挙げられております。これは私の方から田沼様に進言させていただきました。経世済民――つまり経済のケの字も知らない、年貢と儒学にこり固まった阿呆共に、今こそ田沼様のお力を示す時です!とね。私が金儲けをしているのは単純に楽な生活、美味しいごはんを毎日食べたいだけですが…それだけで富に群がるような姿勢は、質素倹約をモットーに生きるサムライたちからの批判は付き物です。米の価値が下落する今においても、武士の多くが税は米から取るという認識でございます。そんななか、まだ産業基盤が未発達な江戸時代にて、株仲間を通して町人から冥加金などの税を徴収する田沼様の考え方自体が、当時から見れば異質ですしね。こうしてみてみると、田沼様は本当に生まれてくる時代を間違えた人と言っても良いでしょう。これが日本経済の黎明期たる明治時代や、令和の世に生まれて来ていれば、また別の評価を得ていた人物とも言えます。ただ、どの時代においても、為政者に必要とされるのは民をいたわる心でしょう。鄧小平は言いました。黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫だと。愚かなサムライ共には少々お灸を添えてあげなくてはいけません。ただ偉そうに刀を振り回して、百姓から年貢を取り立てる事だけが武士の誉ではないとね。なんならまた本にしてやろうかとも思っております。題名はそうですね…国家経世済民論で良いかなと思います。話はそれましたが、私の提言もあって、田沼様は按摩事業と債券取引所で儲けた利益の一部にあたる、三千両分の支援金と支援物資を琉球王国に支援することとされたようです。先週、その支援金と食糧や水、薪、衣服などの支援物資を積んだ船が大阪を出港いたしました。また私の提言通りに、田沼様は琉球王国を実質支配する島津藩を支援船の先導役に命じ、去年の明和7年、旧暦11月に即位なされた後桃園天皇の親書と、それを携えた朝廷の慰問使――今回の支援を契機に、田沼の進言によって創設――が船に乗船しております。こうすれば琉球を支配する島津藩の内外に対する示しにもなりますし、私はこれを契機に琉球王国の実質的な併合計画を田沼様に進言しました。まぁ無理かなと思ったのですが、なんと田沼様は私の進言を受けてすでに計画を進めている様です。なんか…こういうのいいですね。ゾワゾワします。もしばれたらどうなるんでしょうか。一応田沼様が進めている計画を説明いたしますと…支援金と支援物資を届け、まずこれを対価に琉球国王一家を京と江戸に参上させます。そして朝廷から官位として琉球の守を、幕府から琉球藩主の任命を受けさせまる。そして今後の災害に備えて那覇に幕府の済民奉行の設置と、済民奉行指揮下の幕府旗本・御家人2000人の常駐、およびその駐屯基地建設を認めさせるというものです。それを拒否した場合は、被災した民を見捨て圧政を敷く暴君から民を守る名目で、琉球国王とその一家を江戸に監禁し、千石船を改良した五百名の兵士が乗れる巨大な輸送船4隻を、国王の帰還と幕府からの送迎団と装い、首里城前の那覇に強襲上陸させて琉球本島と属島を制圧。琉球国王には先程の要求プラス、外交権以外の全ての権利は幕府の指示に従うという条件で講和を結ばせる計画です。完全に琉球王国を潰したら清が怖いので、形だけは残す予定になっていますさて、野蛮なお話はこれで終わり。逸れた話を元に戻しますが、瓦版には他にも面白い事が載っていますよ。一番目を引くのはなんといっても霜降の始めに開かれる”天下一競技白鬚祭りでございましょう。この瓦版の為に刷りもの屋を買収して白鬚祭りを取材させたぐらいですから。瓦版の一枚目にはでかでかと”走り、槍を投げ、跳び、泳ぎ、剣を振るい、一本背負いをする男たち”の姿を一堂に会した版画と、大きな長刀を持った筋骨隆々の白髭神の姿を描いた版画が刷られています。原画は私が書いたものを浮世絵師に渡し、それを元に版画を彫ってもらいました。本当は商人たちに広告塔になってもらおうかと思ったのですが、瓦版を作っている刷りもの屋に情報を売った方が、向こうも商売があるので勝手に全国に広めてくれると思った次第にて。版画と一緒に白髭祭の広告を打ちました。
天下一競技白髪祭り
全日本男児タチヘ告グ
天下一ノ男ヲ決メル祭リ此処ニアリ。
場所は近江の雄藩たる大溝藩なり。大会の日程は毎年霜降の初日にて候。
日本臣民の延命長寿願い、日本男児の雄姿勇健を白鬚神に奉る候なり。
各種目は早走り、槍投げ、砲丸投げ、走り幅跳び、水泳、空手、剣道、柔道にて候。
一位から三位を競い、各種目にて一位を取った者には10両が贈与されるにて候。
また二位には5両、三位には1両が贈与させるにて候。
武士、公家、百姓、エタヒニン、身分問わず最強を目指す男たちと競いたい男たちよ、いざ近江の国大溝藩へ。
なお競技参加希望者は大会一週間前に大溝藩の門下を叩くこと。
また競技参加へは1000文の参加費用を徴収するゆえ、かたじけなく候。
大会参加希望者が多かった場合は抽選にて決めるで候。外れた者たちには参加費用を全額返済するで候。また一部の種目において参加希望の多い場合も抽選で決めるで候。また競技観戦は大溝藩の生業奉行所にて観戦手形を購入することと申し候なり。大会参加者の出場時には、盛大な花火にて出迎える候なり。
観戦費用は一競技につき大人200文・13歳未満は100文とするで候。
空手、剣道、柔道は合わせて観戦できぬ故、かたじけなく。
競技場近くで屋台などを開く場合は事前に生業奉行にて申請と許可をとることと申し候。また競技会終了日から一週間以内に立ち退きをすること。これを破った場合は屋台打ちこわしと10両の罰金とするで候。
幸い私の予想は当たっていたようです。娯楽に飢える江戸時代の町人たちを中心に、農村や武家屋敷にもこのような白鬚祭りを唄った瓦版が流れている様です。特にあの大溝の嫡男がまたなにかをシデカス気だと、巷では噂になっている様でして…按摩事業や取引仲介事件もありましたからね。色んな意味で大溝龍之介という名は全国各地に知れ渡るようになりました。実を言うならば、今回の刷り物屋へ取材をするように依頼したのも、大溝藩や私の知名度を利用してのことです。名が知れてしまった以上、商人に広告塔になってもらうより自分から情報を発信したほうが効率的です。
計画は今のところ順調。多くの人たちが来てくれるよう、開催日は稲の収穫が終わった霜降にしました。競技場完成が楽しみです。