新たな挑戦
みなさま一月ぶりでございますね。今は夏至の半ばごろでしょうか。ここら最近の市中の話題と言えばやはり先週、幕府より出された金銭貸し借り諸法度と債券取引所の設立でございます。金銭貸し借り諸法度の内容を簡単に説明いたしますと、全国における民間の商業創設およびその継続を目的とした借金借り入れを禁止し、これを破った者は全財産差し押さえの刑となっております。つまり融資を受けるのは違法ですが、融資するのは違法ではありません。この法令はあくまでも幕府が債券取引所によって、商業に対する金融業の独占をするための法令でございますから、各藩が商人から融資を受けることや、民間人が日銭などを両替商から借りることは取り締まりの対象外になっております。そして新たに設立された債券取引所ですが、これは簡単に説明しますなら、お金を借りたい商業者と、お金を貸したい出資者との取引をスムーズに進めることで、商業の発展を促進させるために建設されました。少なくともこれが表向きの理由でございます。といっても嘘ではございません。これも債権取引所を設立した理由の一つでございますから。実態は幕府による市場の統制と、同時にこれまで両替商などが得ていた金融利権を幕府が奪取するためでございます。ただ幕府だけがこの債券取引所のメリットを享受している訳ではございません。この債権取引所があることにより、金を借りたい商業者たちから債権を一箇所に集め、お金を貸したい人たちの仲介となることで取引をスムーズにできるだけでなく、これにより一般的な町人が手軽に債権を購入して金融資産を得ることができるようになったわけでございます。しかも取引所の厳格な審査を通しての債権化によって、返済能力の低い商業者は弾かれるため、予め返済日や利息もしっかりと決められており、踏み倒しリスクも少なく一般庶民が債権を購入できるのです。またこの取引所で発行される債権は一単位100文で発行され、償還期間は満期5年となっております。満期を終える前には取引所を通して自由に売買することができるため、価格は日々変動しておりますが、満期を終えた後は購入時と同じ額面が返還されることが保証されております。そのためこの債権取引所は、自由な貸し借りを禁じられた金融業界では賛否両論が分かれましたが、都市部の町人からは比較的に好印象を持たれております。私は今日、全国四か所に建てられた一つの大阪債券所に来ておりました。大阪債券所には西日本500種、東日本300種の債券が扱われております。私はすでに市場に出回っているものではなく、新発歳を買うつもりです。二階建ての巨大な屋敷の暖簾をくぐると、広々とした土間には多くの人が行きかっておりました。既に怒号に似た叫び声すらあたりで聞こえます。私は群衆の間を潜り抜け、受付の列へと並びました。客の身分層は主に商人が多いでしょうか。ついに私の番になります。受付で働いているのは算額に優れた幕臣や、商家からの丁稚奉公人が主です。
「購入ですか売却ですか?」
立派なチョンマゲを携えたお侍様が接客をしてくれました。
「購入でお願いします」
私の返事にお侍さんは淡々と手続きを進めていきます。
「新発債ですか、既発債ですか」
「新発債で、武蔵本郷屋と清水屋、桔梗屋合計千両。取引所預かりでお願いします」
私は債券の購入と、その購入手数料の支払いの為に、すぐに懐から約束手形を受付のお侍様に差し出しました。
「……大溝の方で御座いましたか…すぐにご指名の債券をご用意いたします」
御侍様は隣にいた奉公人に指示を出すと、彼は小走りで受付の奥の方へと走っていきました。私は御侍様から呼び札を受け取ると、受付を後にしました。
「四百三番の方!!四百三番の方はいらっしゃいますか!!」
「ああ!私です!」
私は受け取った呼び札の番号を呼ぶ声の方に走っていきました。先程の方とは別の奉公人の方がおりました。私は彼に呼び札を渡すと、先程の受付の隣に案内されました。
「こちら本郷屋と清水屋、桔梗屋の債券合計千両の預かり証明書となっております。こちらのほうに書判を頂けますか?」
私は受付の方に従い、大溝龍之介とサインしました。この千両は大溝藩生業奉行所ではなく、私のポケットマネーです。
「ではこちらの預かり証明書の写しはこちらの方で預からせていただきますので、本書の方は大切に保管なさってください。本日は鈴木大介が担当させていただきました。またのご利用お待ちしております」
うんうん、私が指示した通りの接客対応を出来ていますね。彼の名前は憶えておきましょう。受付の指名数が多い者は手当が増えるようにしてますから。私は満足です。思わず笑みを浮かべながら債券取引所を後にしました。ちなみに今回購入した債券のうち、本郷屋は座棺などの葬式道具を取り扱っており、清水屋は大工道具を、桔梗屋は菓子屋でございます。江戸時代と言えば多死多産。人が生まれ、死ぬ限り葬式道具は売れ続けますし、江戸と言ったら火事でございます。家が燃える限り大工道具は売れます。蝦夷地開拓を推し進めれば砂糖を安定して供給できるようになりますから、菓子屋も儲けれるでしょう。利回りはどれも年利4%と江戸時代の利率としては低めですが、その分安定していますし、これから人口も増えていくでしょうから将来性も十分あります。私はこの債券を売却するつもりはありません。購入時の手数料は購入額の二百分の一となっているので、5両ほどです。毎年40両の利息を得れるので、五年で195両の利益が見込めます。
その後、大溝の生業奉行所に帰還した私は、今進めている観光促進政策を進めています。名付けて”天下一競技白鬚祭り”でございます。簡単に言うのなら日本版オリンピックでございます。この時代において観光といったら伊勢参りや江戸の浅草寺、京都奈良の神社仏閣巡りなどが多いです。やはり宗教への信仰が深く生活に根差しているからでしょうし、藩としても仏教や神道への信仰心を否定する事はできませんから、百姓もそれを知ってのことだと思います。農民が耕した畑から税を取っている藩に対して、単純に遊びに行きたいから家を空けるねなんて農民が言ったら許さないでしょうから。つまりこの時代に観光業を起こすならば神社仏閣と協力せねばなりません。そこで私はひと月前、大平さんを通して、彼の母の実家である白鬚神社の神主と、近くに畑の持つ農家たちを奉行所に招くことになりました。
「今回はお招き頂きましてありがとうございます」
「いえいえ、本来ならこちらから参るところ、無理を言って申し訳ありません」
「大溝藩のお嫡男様に畏まられては、後ろの者たちも肩が重くなりますゆえ…」
「そうですね、ただ私はこの話し方が好きなので…気を重くする必要はありません。早速ですが本題に入らさせて頂きたい」
私の言葉に白髭神社の神主である大平邦弘さま始め、後ろの農家の方々の背筋が伸びるように固まりました。
「私、日本臣民の健康と延命長寿を考えるならば、白鬚之御霊の威光が日本列島津々浦々まで広く届くことこそが大切だと思っております。ですから新たに白髭の神を祭る、感謝祭を始めたいと考えておりまして、皆様にはその協力を」
私の口から出た事の内容に皆様方目を丸くしてこちらを見つめてきました。私も皆様方を微笑みながらじっと見つめます。その沈黙を破ったのは後ろに居た農民の一人でした。
「協力って…なんでございましょう?私らにできることなど…」
「邦弘様には祭りの終始に奉る祝詞を、百姓の方々にはその白髭神社の近くにある農地を藩に預からせていただきたい」
「それは…」
当然ざわつきますよね。でもご安心を。この身に生まれてから、私は人の動かし方を熟知しておりますゆえ。
「当然、無償でという訳ではございませぬ。白髭神社には祝詞代として毎年20両を支払いますし、白髭の神の御威光が今よりももっと世に広まれば、後利益にあやかりたいと多くの信徒が神社に参拝しに来ることになるでしょう。農家の方々につきましては、土地を預かる代わりに皆様方を藩士として召し抱えて、一家に30石の俸禄をお支払いたします。如何でしょうか」
30石は今だと10両ほどです。新たな加増によって得た鴨川以南の土地にある、白髭神社の周りの農家は、山地を切り開いた畑での収入が主で、米の収入はありません。税に関しても六公四民なので、可処分所得は15両あれば良い方です。過酷な肉体労働をして15両得るよりも、土地を預けて藩士となり、裏で副業を続けた方が金にはなります。幸いにしてこの時代の日本人は、農民でも寺子屋などで算額を習うため、彼らはすぐにどちらが得かを理解してくれました。先祖代々切り開いた土地を簡単に手放せないのは知っていますから、あくまでも預かるだけでございます。その代わりに藩士として名誉と俸禄を与えると約束しましたら承諾してくださりました。その後は預かった土地を祭りに使えるようにするため、150人の藩士を動員して蛸胴突きを使い、土を固める作業を行いました。今は既に第二段階に入っており、元農地の東側にある乙女ヶ池の南半分の埋め立て作業をしております。埋立地の北半分は祭りで使われる予定です。また既に固めた土地の一部には、藩内の大工を雇って4千人が座れる観客席を作り始めました。全ての計画が完成するのは早くとも三か月後の秋分あたりでしょうか。
私は現場の手筈は新たに入れた部下たちに任せています。私も埋め立てに関する業務の処理を終えた後は現場を視察に行きます。ふむ、どうやら埋め立て事業の進み具合は、予定より少し早いですね。やはり鯉の養殖のためにため池を作らせた経験が活かされているのでしょうか。あの時はそんなこと考えておりませんでしたが、藩士たちの能力が活かせるのなら、越したことはありません。